午前二時過ぎの真夜中、声にならない声が部屋中に響いた。

「何で……何で俺はこんな姿なんだよ……!」

 彼は嘆きながら、自分の容姿に対する不満をパソコンのモニターに思い切りぶつけた。
 画面を殴った右手はすっかり赤くなっているが、今の彼にはそんな事は全く気にならないようだ。
 モニターに映し出されているのはネットサーフィン中に偶然発見した、美少女アイドルのサイトだった。
 彼好みの容姿の少女は目の前の人物に優しく微笑みかけている。彼はそんな少女を非常に愛おしく思い、同時に憎々しくも思った。
 自分には無いものを持っていたから。

 彼、前川 千夏(ちなつ)は学力が高く、運動神経だって悪くない。容姿も、全体で見れば……まあ、中の上くらいにはなるだろう。
 周りから見れば、何ひとつの不満も無い、至って充実した生活を送っている少年に見えるかもしれない。
 しかし、不満や悩みを持っていない人間なんているはずがない。当然、千夏だって人知れず抱えているものはある。
 彼は、自分の求めているものがどうしたって手に入れることが出来ないものであることを不満に思っていた。

 千夏は少女になりたかった。

 陶器のように白い肌。
 その肌を包み込む、細く長い黒髪。
 まるで天使のような、あどけない顔。
 小鳥のさえずりのような軽やかで高い声。
 風が吹けば倒れてしまいそうな華奢で小さな体躯。

 それらを併せ持つ幼い女の子になるのが、千夏の一番の夢だった。
 しかし、そんな夢は叶うはずなんてない。深く考えるまでもなく明白だ。男として世に産まれた時点で、少女ではなく少年として生きていかなければいけない。
 初めから無理な望みだったのだ。


 女性になる方法は無いわけじゃない。
 千夏はまだ14歳だ。思い切って性転換をしてしまえば、少女になることが出来る。
 しかし、性転換なんてものは莫大なお金がかかる。その為の費用を稼ぐ頃にはもう手遅れだろう。たとえ“女性”にはなれたとしても、“少女”にはなれない。
 かといって、親に頼み込むなんて出来るはずもない。
 こんな下らない願望など、例え家族でも――むしろ家族だからこそ――人には話せない。だいたい、大した理由も無しに大金をはたいてくれるほど、彼の親は甘くはない。
 千夏が思いつく範囲では、現時点で少女になれる選択肢はなかった。
 というよりも、第一、欲望だけで性転換などしていいものだろうか?
 ドキュメンタリー番組で、たまに性転換して女性になった元男性が出演するが、性転換する理由は大抵、性の不一致によるものだ。つまり、自分が男であるのがおかしい、ということらしい。
 千夏は少女になりたいと思うものの、自分が男であることに違和感を覚えたことはない。
「はぁ……やっぱりどう考えても無理だよな……こんな状況に居んのって世界中で俺だけかな?」
 千夏は何度目かわからないため息を吐き、ベッドに倒れこんだ。スプリングの反動で体が跳ねる感覚が心地良い。
「ふぅ……寝るか……あー……明日、朝起きたら美少女になってますように……!」
 千夏は神に届かない願い事をして、そのまま眠りについた。


 千夏は鏡の前に立っていた。
 なぜだか自分の姿を確認したくなって、鏡を覗き込んでみる。
 鏡に映っている人物は彼に似ていたが、髪が長く、格好も彼が持っている服とは違った。
 真っ白なシャツに赤いリボンと、紺のブレザー、赤いチェックのプリーツスカート。これは千夏が通っている学校の女子用制服だ。
「えっと……誰ですか?」
 問いかけたが、鏡の向こうにいる少女は彼と同じタイミングで唇を動かせたまま、とうとう答える事はなかった。
 彼女は唇の動きだけじゃなく、彼の身振り手振り全てを真似する。だが、向こうからのアプローチは全くない。
 彼は、ふと自分の事が気になって視線を自分の体に向けてみた。そこには鏡の向こう側の少女と全く同じ格好をしていた。
(これは……まさか!)
 彼は勢いよく自分のスカートをまくり、おもむろに下着を脱いだ。
 長年連れ添った息子がそこに居た。

「!」
 気がつくと、見知った天井がそこにはあった。
「んだよ……夢かよ……。 ……夢か?」
 寝起きのおぼつかない足取りで、彼は部屋にある鏡の前に立つ。服装は昨日寝た時のままだ。そのまま、下着を下ろしてみる。昨日のままの息子が居た。
「……。 ……夢かよ」
 千夏は軽くうなだれた。目が覚めた時点で半分わかっていたが、やはり現実を見るとがっかりしてしまう。
「くそっ……こんな事ならもう少しマンコの画像をじっくり観察しとくべきだった……!」
 嘆いたあと、いま何を考えていたのかと、少し恥ずかしくなった。
『次に同じ夢を見た時にちゃんと股間に女性器が存在するように、女性器を多方面の角度で見て覚えます』なんて、馬鹿馬鹿し過ぎる。
 千夏は朝一番のため息を吐いた。
「こんな夢見るなんて……俺も相当やばくなってきたな……まさか女装して鏡に話しかけるなんて……」
 ぼやいて、はっと気付いた。
「ん? ……ちょっと待てよ? 女装……女装か……」


 千夏は鏡の前に立っていた。
 自分の姿を確認したくなって、鏡を覗き込んでみる。
 鏡に映っている人物は彼に似ていたが、髪が長く、格好も彼が普段着ている服とは違った。
 真っ白なシャツに赤いリボンと、紺のブレザー、赤いチェックのプリーツスカート。これは彼の姉が、過去に学校で着用していた制服だ。
 そして、ついさっき格安で購入したばかりのストレートのウィッグ。これで彼の女装は完成した。
「……これは…………アリだろ……。かなりアリだろ!」
 夢の中で見たままの姿がそこにあった。
「あれは正夢だったのか……あぁ、どうりで息子がついてたわけだ」


 両親は共働きで夜遅くまで帰ってこないし、姉は恋人の家で同棲生活をしている。窓を挟んだ向かいにある家のよくお世話になっているお兄ちゃんも、今は大学に行っているはずだ。
 万が一にもこんなところを目撃される心配はない。
 鏡の前で、いくつか雑誌で見るようなポーズをとってみる。なかなかさまになるのが自分でも恐ろしい。
(ヤバい……クセになりそうだ……)
 服をとっかえひっかえ着て遊んでいるうちに、千夏はあることを思いついた。

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最終更新:2013年04月27日 19:01