女装っ娘くらぶ
「女装っ娘くらぶ会員募集中!変身願望叶えます」
でかでかと書かれたポスターに、俺はげんなりと肩を落とした。
「真吾、入ってくれるよね?」
にっこりと極上の笑みで小首を傾げてくれた美少女もどきに俺は深く深く溜息をついた。
うちの学校は私服通学が許される。
お陰で実は男です、や実は女です、な服装倒錯した生徒もたまに居る。
その筆頭がこいつだろう。
大森翼。今年入学したばかりの高校一年。俺とタメだ。
黙って立っていれば、本気で美少女なのだが、実は男。
さらさらの栗色セミロングを短めのポニーテールにした髪型とか、まるで誘ってるようにふっくらした小ぶりの唇だとか、ぱっちりした大きめの瞳やら、華奢な体を包むひらひらした花柄チュニックだとか、そういった容姿や女の子衣装や女の子っぽい仕草のお陰で、ぱっと見た限りでは男とはなかなか気がつきにくい。
何の因果か入学式前に隣に引っ越してきたこいつの言動に振り回される生活も二ヶ月目。
もういい加減、対処方法も分かってきたと思っていたのに、甘かった。
「何故に俺が『女装くらぶ』に入らにゃならんのか、10秒以内に答えろ」
翼のように女装趣味があるわけでも、潜在願望があるわけでもない、ごく普通の男子生徒に何を求める気だ、お前は。
「だって、入会希望者が少なくてさあ。存続の危機なんだもん」
「発足の危機だろーが」
まだ発足すらしてない癖に、存続の危機なんて言うな。おこがましい。
「まぁ、そんな訳でさ、私を助けると思って、オ・ネ・ガ・イ」
「いやだ」
「けちー」
「けちで結構。大体、俺に女装が似合うと思うか?」
その問いには、たっぷり30秒は間が開いた。
「化粧で誤魔化せば何とか…なる、かも?」
「なるか、馬鹿」
俺の身長は178あるんだぞ?
そんなデカイ女はモデルくらいだが、生憎と俺の顔はモデル系じゃない。
イケメンとまではいかないもののそこそこ整ってる顔だとは思うが、カツラ被ってロングスカート穿いたところで、お笑い芸人程度のキモ女装になるのがオチだ。
「いや、それはそれでアリだと思う」
「ねーよ」
つか、あってたまるか。
「真吾ってば、冷たい…拓海さんは優しいのにぃ」
「バカ兄貴はお前にべた惚れだから優しいだけだっつーに」
俺が翼に振り回されている原因としていくつかある内のひとつがこの件だ。
なんと、俺の兄貴は翼を女の子と勘違いして一目惚れした揚句、男でも可愛いからいいやと恋人になってしまったというから驚きだ。兄貴に翼を紹介された時は俺も性別を勘違いしたので、勘違いだけは俺にも理解できるが、その先が理解できん。
色んな意味で勇気がある二人だが、本来無関係な筈の弟の俺にまで時折妙な火の粉が降ってくるのが玉にきず。
翼にとって俺は、ちょうどいい位置の便利な下僕らしい。
ただし、翼は何故だか兄貴には弱いというか、基本逆らえないっぽい。
好きな人だから逆らえないのか、それとも兄貴はあの涼しい顔で翼をさりげなく調教してたりして。
………。
………………。
うっかり想像してしまったビジョンを頭から追い出すべく、勢いよく頭を左右に振る俺を翼が不思議そうな顔で見上げる。
俺は出来れば、お前らバカップルから離れて平穏な日常を取り戻したいんだ、畜生。
「とにかく、俺は嫌だ」
きっぱりと断ったのに、今日の奴はしつこかった。
「じゃぁ、幽霊部員てことで」
「なんでそうなる?!」
「部員が足りないから」
きっぱりと薄い胸を張るな、そこで。
「でもさ、幽霊部員なら名前だけだから、名簿提出用に名前貸してくれない?」
こんな打開策はどうでしょう?とばかりに身を乗り出した翼に、俺はもう一度溜息ひとつ。
「名前だけだからな?」
「ありがと、真吾」
うかつにも根負けして了承してしまったことを、その翌日に再後悔する羽目になるとも知らず、俺は肩の荷を下ろした気分でチュニックの裾を翻して立ち去る翼を見送ったのだった。
そして翌日。
「手伝ってほしいの」
目の前には握りしめた両手を胸の前に持ってきて俺を見上げる翼のおねだりポーズ。
そら来た、と俺は思ったね。
幽霊部員だとか言っていたくせに、やはり何か手伝わされるのだ。
発足できるぎりぎりの人数からのスタートなので当然人手は足りない。
部員が増えるまでは、何かあったら俺に頼みに来るだろうと予想していたがやはり大当たりだ。嬉しくないが。
「で、何を?」
「うん。看板持って勧誘したいんだけど、真吾、背が高いから看板持ちをお願いしたくて」
ああ、お前の身長は男にしては低いもんなぁ、とやたら袖丈の長いピンクのロングパーカーに柄物のミニスカート姿の翼を見下ろして納得。
155cm程度の身長では、看板持っても大して目立つまい。
「へいへい」
翼の頼み事は下手に断るとこじれて後が大変になることを身に沁みていた俺は、諦めの境地で短めポニーテールの後をついて行った。
++++++
部室として宛がわれた部屋に入ると、大きな姿見が真中に置いてあるのが目を引く。
あとは別段目立つものも無い。折りたたみの出来る長机がひとつと椅子がみっつ。
発足したてとあって、シンプル極まりない。
部員三人以上が新しく部を発足させるための条件なのだが、その三人目は只今、校内各所にポスターを貼るべく女装姿で駆けまわっているのだそう。
「この看板なんだけど」
そう言って長机の上のお手製看板を示す。
ああ、昨日作ってたアレね、と少し屈んで手に取った瞬間、頭に妙なものが被せられた。
ばさり、と被せられたものは黒くてなんだかびらびらずるずると長くて、胸のあたりまである。
「よし、後はお着替えー」
「お着替えー…って、ちょっと待て!」
コントの突っ込み役よろしく外したカツラを床に叩きつけての抗議にもめげず、翼はあれれ?と首を傾げた。
「はい、なんでしょう?」
「なんでしょうじゃねーよ。ナチュラルに女装させんな」
まったく油断も隙も無いったらありゃしない。
「今日のテーマはセーラー服なんだよぅ」
「それがなんだ」
「さぁ、貴方も桜塚や○くんに!」
「なるか!」
あれほど嫌だと言ってるのに、こいつは!
大声で喚いたせいでぜぇぜぇと息が切れる。
翼の可愛い顔が、今日ほど小憎らしいと感じたことは無いと思った時。
「ふぅん?まぁ、それでもいいけどー…例の件バラしてもいいのかなー?」
「…は?例の件?」
なんだ、ソレは。
例の件って何のことだ?
あの馬鹿兄貴から何か聞いたのか、それとも学校生活で何か弱みを握ったか、それとも、我が家に遊びに来た際にでも俺の部屋を勝手に漁ったのか?!
色んな想像が一気に頭を駆け巡る。
何しろ色んな方面で弱みに心当たりがありすぎて、どれのことだか分からない。
その上、翼が弱みを握ってる可能性が、ものすごく大ありなのが怖い。
「例の件ってどれだ?」
「うん、まぁいいんだ。着たくないならそれで。一斉メール送信するだけだし」
なんて言いながら、翼は携帯メールを送信するべく操作を始める。
よーしパパ張り切って各方面にメールしちゃうぞーって、それなんて羞恥プレイだ?
「ああもう!分かった分かった!着てやる!」
ヤケクソで喚くと、翼は良く出来ましたとばかりににっこりして携帯を置いた。
「ありがと、真吾。そういうとこ大好き」
お前、大好きの使い方があざといわ!
とでも叫びたいところだが、そんな気力は残って無い。
果てしなく疲れた気分で手近な椅子に腰をおろして一言言うのが精いっぱいだった。
「ただし、2度目は無いと思え」
「はぁい」
良い子のお返事だが、翼のお尻には悪魔の尻尾があるに違いないと俺は確信した。
「そういえば、女物の下着もあったりするんだけどそれも着替える?」
「死んでも嫌だ」
「そうかなぁ?女の子のって可愛いよ?」
今日のショーツはイチゴ柄~、なんてデタラメな歌を歌いながら、翼は紙袋の中から黒やら白やら水玉やら縞々柄の各種女性用下着を取りだした。
『女装くらぶ』用に適当に買ってきたそうだが、とりあえずお前の下着の柄は聞いてない。
「お前の価値観を押しつけるなっつーのに」
しかし、女物の下着なんて間近で拝める日はそうそうない。
女性用下着コーナーなんて、彼女も居ない一般男子にとっては店員および周囲の視線が恐ろしくてなかなか近寄れない禁断の地なのだ。
「どうやったって、俺にはサイズ合わないだろ」
とか言いつつ、サイズ確認の為という大義名分で長机の上に色とりどりの下着を並べる。
しかし、本当に布面積が小さいな。
「サイズはMが多いかなぁ……あ、これだけLだ」
ピンクの…ちょっとオバサンが穿くような気がしないでもないサイズの布っきれ。
俺の体格だとMでは無理。でも、手に取って広げてみたがLでもきつそうだ。
ウエストのゴムを両手で引っ張ってみると少しは伸びるようだが、それでもこれはあまり穿きたいとは思えない。LLだったら入るだろうとかそういうことではなく。
リボンもフリルも無いオバサンパンツなんて可愛くないし、ロングスカートだったら下着まで徹底することも無いだろう。
「お客様、ご試着なさいますか~?」
下着売り場の店員みたいな声音で翼が俺を見てにやにやしている。
鼻の下が伸びてるのがバレたか。
「お客様こそ、こんなの試着しませんか?」
反撃とばかりに、黒のレースで飾られた一枚をぴろんと翼の目の前に差し出す。
素直に受け取った翼は、レースを指で辿りながら、う~んと悩んでいる様子。
「黒ってエッチっぽいよねぇ」
「少なくともイチゴ柄よりは興奮するだろ。つーか、俺だけ恥ずかしい目にあうのも割に合わないしさぁ。翼も生着替えくらい見せてくれないと、女装する意欲が薄れてくなー…」
「……どこの小学生だよ、もぅ」
「単に、美少女の生着替えが見てみたいなぁ~っと」
正確には女装美少年だが、その辺は置いといて。
「…それはボクへの挑発か?つか、嫌がらせだな?」
おや、スイッチが私からボクに切り替わった。
どうやら、これが無理に女装させられる羽目になった事への反撃開始だということに翼は気付いたらしい。軽く睨んでくる目元が赤い分だけ、迫力足りてないのが笑える。
「──あんまり、じろじろ見るなよ?」
「お、やってくれるんだ?」
「べっ…別に、お前を喜ばせるために着替えるんじゃないからな?!…どうせ、セーラー服に着替えなきゃならないから…それだけだから!あ、あと、じろじろ見るな!」
じろじろ見るなをそんなに強調せんでも。
大事なことだから二度言ったんですね、わかります…じゃなくて、照れるあまりにツンデレっすか。
笑いを噛み殺す俺から身体ごと背を向けて、翼は着ていたパーカーを脱いで机上に投げた。
下には薄手の白いカットソー。その下にはキャミソールの紐のラインが透けているのが後ろからも見える。
せっかくだからちゃんと堪能するべく、俺は椅子を引き寄せて彼の前に座った。
「どうせなら、正面向いて欲しいなー」
「あーもー、注文多すぎ!」
噛みついた割には、ちゃんとこっちに向き直ってくれるあたり、大変素直でよろしい。
後れ毛を留めていたピンやヘアゴム等を外してショートポニーを下ろすと結んだ跡が付いたセミロングが肩に流れる。手に持ったヘアアクセサリは、まとめて机上に放り出す乱雑さ。
お前、料理とか得意なくせに整理整頓ダメダメって、変なところで男だよな。
机上で跳ねて散らばったヘアアクセサリを失くさぬよう、仕方なく俺が一か所に集めてやる。
「先に…下…いや、上でいいかな?」
ちょっとためらった後、カットソーの裾を前に交差した手で持ち上げてそれも脱いでいく。
現れたのは白いキャミソールなのだが、そこの胸部分がパッド入りなのか膨らんでいる。
男の胸は基本ぺたんこなので、なんか変な感じだ。
脱いだ為に乱れた髪の毛をちょっと手櫛で直し、カットソーを軽く畳んで同じく机上へ。
「それパッド入ってるの?」
「だって、ちょっとでも胸ないと女装中は逆に変だろ」
ということは、押すとぺこぺこなんだな、その中身。
まぁ、貧乳娘だと思えば、萌えられなくもない…か?ううむ。好みが分かれるところだな。
「あ、そうだ」
せっかくだし、写真写真っと。
セーラー服を着るために脇のジッパーを開けている姿を携帯で撮影するべく構える。
キャミソールとミニスカート姿の生着替え中の貴重写真。
見られているせいなのかほんのり頬が赤いのがポイントだ。
しゃらーんと鳴った音に気が付いた翼は渋い顔をした。
「そんなの撮っても大したオカズにならないと思うけど」
「いーや、兄貴に売りつける」
「売れないと思う」
「なんで?」
「あの人、もっとヤバいの持ってるから」
さらっとすごいことを言いながら、翼はセーラー服の上の方を着こむ。
ってことは、もっとエロい写真が奴のデータフォルダには満載なんだな。
バカップルはさておき、とりあえず写真部にでも売りつければいいかと思い直した俺は、一応写真を保存しておいた。
赤いスカーフは後にするらしく、紺色のプリーツスカートに足を通す翼を見て、俺は待ったをかけた。このままだと今穿いてるスカートの上からプリーツスカートを穿き、それから下を脱がれてしまう。それでは下着が見れないじゃないか。
「というか、先に下着こっちに着替えろよ。見てみたいし」
黒のレースショーツをひらひらすると、翼の顔が険を帯びた。
「なんで、下着までお前に…!」
「あ、じゃぁ、俺脱会ってことで」
「ガキかっ!」
「エッチな高校生ですが、なにか?」
そんなふざけた返答に小さく溜息をついたと思ったら、翼は含み笑いで俺を見た。
「拓海にバレたら連帯責任っつーことで良いよね?」
「いや、黙っとくけど。つか、お仕置きでもされんの?」
俺が苦笑している間に、翼はプリーツスカートを置いて黒い下着を手に取った。
つか、良いよねって何だ。本当にお仕置きされるなら、俺は逃げるぞ。
「まぁ、アレだ。今脱会されると困るから、ちょっとだけサービスってことで!」
おりょ?渋ってたくせに、何だかやる気になってしまったらしい。
しかしさすがに恥ずかしいのか軽く俯いて、右手をスカートの裾に持って行き、スカートを横からまくって穿いてる下着に指をひっかけ、ゆっくりと下に下ろして脱いでいく。
真正面をめくるとオトコノコの象徴が見えるけれど、こういう方法だと真正面が見えないから、ちょっとドキッとする。しかも、翼が今穿いている靴下が白のオーバーニーなので、めくられた絶対領域が見えると興奮度倍増。
自己申告していたイチゴ柄の下着を脱いで、手の中で隠すようにして自分のカバンに仕舞うと、例の黒いショーツを穿くべく両手で広げて足に通す。
今、ノーパンだよね、なんて言ったら確実に殴られて着替え中断だろうから黙っておく。
にやにやしてる俺を見ずに下着を持つ両手をゆっくり上げ、スカートの裾ぎりぎりのところで一旦手を止め俺を見る。上目遣いの瞳がちょっと悪戯っぽく揺らめいた。
「…見たい?」
「生のナニはあんまり見たくない」
「だよね」
くすっ、と笑った翼は、くるりと後ろを向いて俺にお尻を向けた状態で下着を引き上げた。
ちらりとスカートの中身が見えたかなと思う間もなく、スカートのホックとジッパーを外したらしく、すとんと足元に落とす形でスカートを脱いだ。開き直ったな、翼の奴。
女の子ほどむちむちはしてないけど適度に引き締まった白い太もも。そして意外にぷりんとしたお尻と黒い下着と白いオバーニーが目の前に。白い足に黒い下着って映えるよな。
「何気に絶景なんだけど」
ああ、これがオンナノコだったらなぁ。もしくは、兄貴のような性癖なら大喜びだろうな。
俺の葛藤を知らない翼は、紺色のミニ丈プリーツスカートをするりと穿いてから、赤いスカーフを器用に蝶結びにしながらこちらを見た。
「はい、生着替え終了ー。二度目はありませ~ん」
「あ、しまった。見惚れててパンツ写真撮るの忘れた」
「もう手遅れでーす。じゃぁ、今度は真吾が可愛くなろうね」
「へいへい」
まぁ、なかなか貴重なものを見せてもらったし、着替えてやろうじゃないですか。
着替えるべく立ち上がった俺に、翼が紙袋を渡す。中身は俺用のセーラー服。
翼のもそうだが、今回の衣装は演劇部からの借り物だという。
昔のスケバン風セーラー服というだけあって、紺色セーラーと長いスカートという構成。
女の服なんてよく分からんが、セーラー服くらいならなんとかなるだろう。
とりあえずは、男の服を全部脱いでパンツ一丁で着替えに備える。
手に取ったスカートから着替えるかとジッパーを下げて足をくぐらせ腰まで引き上げようとすると、翼が慌てて制止した。
「あ、待って待って。スリップ着てないし」
「……ナニソレ?」
「これのことだよ。スカート丈長いから着ておかないと」
紙袋からひらりと取りだした布地を見て、俺は目まいがした。
ふりふりレースが裾にあしらわれ、ツルツルした生地で出来た女性用の下着。
腰までのキャミソールと違い、スカートの滑りを良くするために膝のあたりまで薄い生地がてろーんと続いている。
しかも、胸の部分は三角ブラみたいになってるのが卑猥だ。
「お前な…芸人がそんな細かいところまで完全に女装してると思うのか?」
俺の役割は芸人風キモ女装で人目を引くことだと思って渋々了承したというのに。
「でもさぁ、借り物のセーラーを汗で汚すとクリーニング代高いんだよ。それに、静電気でスカートが足にまとわりつくこともあるから着ないと歩きにくいよ?」
スカート短ければスリップ要らないんだけどねぇ、と翼は自分の穿いたプリーツスカートの裾をつまんで見せた。そんな下着が見えそうな丈を一般男子が穿けると思うのか?
「あーそー」
もう好きにしてくれ。
そんな気分で、ぐったりしつつスリップ受け取ってそれを身に付けてみる。
なんかこう、ほっそい肩ひもが頼りないのなんのって。
それに俺の体型にはひらひらスリップがぴたぴたスリップになる感じで妙ないかがわしさが拭えないし、胸の三角部分の妙ないやらしさも同様。
溜息をつきたい気分で顔を上げると姿見の中の自分と目があった。
「うわぁ」
に、似合ってない。
見事に似合ってない。
いや、確かにここでうっかり可愛かったら、俺の中で何かが崩壊するのでそれはいいことなんだが、それにしても。もうちょっと何とかならんか?
「あー…うん、えっと、こうしてみようか」
俺の密かな嘆きを察したらしい翼が、背伸びしてさっきのカツラを俺に被せた。
長髪になったことで、ほんの少しだが違和感は減った…気はする。
なんだかもう鏡を確認する気分になれず、スカートとセーラーを乱暴に着こんだ。
うっかり先にカツラを被ってしまったので、上着の中に髪が入ってくるのがくすぐったい。
悪戦苦闘しながら服から出していたら、見かねた翼がばさりとカツラを取って、軽く手櫛でもつれる長髪を整えてもう一度被せた。
ああ、なるほど。なんかテンパっててカツラを外すという基本を忘れてたぜ。
「あとは、ちょっとお化粧すると大分印象違うから」
目を閉じててね、と言われて素直に椅子に座って目を閉じる。
化粧道具を出しているらしい物音がして、何か液体を塗られた。
顔全体に塗り終えると、次は頬に何か弾力のある物が軽く押しつけるようにして広げられていく感触と嗅ぎ慣れない匂いが鼻に届く。
匂いの元を確認しようと目を開けた俺の目の前に翼のドアップがあって、思わずのけ反る。
化粧の為だろうけど、びびった…!
「ファンデーションだよ。ちょっと変な匂いかもしれないけど」
そう言いながら、翼は俺の顔に粉のファンデーションをスポンジで広げていく。
一通り広げると今度は羽みたいな感触が頬に当たってくすぐったい。
「これはチークでーす。そんで、アイラインとアイシャドウとマスカラと、リップの順でやっちゃうね。眉毛は整えすぎると元の姿に戻った時が変だから、今回は止めとく」
専門用語だらけで良く分からないが、とりあえず翼が俺の顔をカンバスにして美しくなるべく頑張ってるのは分かったので、できるだけ大人しく座っていた。
「こんなものかなぁ…できたよ、真吾」
ぱちりと目を開くと、姿見の前にはナチュラルメイクを施された俺が居た。
ファンデーションは首の色と変わらない色味で全く違和感はないし、頬紅や目の上の色味等もゴテゴテしない程度の品の良さ。そして、口紅は赤すぎないベージュ系。
うーむ。化粧というものは、すごいものだな。
さっきは本気で目を背けたかったが、今はまぁまぁ見られるレベルの顔になってるじゃないか。
とりあえず相手が俺を見て、ぎょっとするほどのひどい出来ではないことに心から安堵して、俺は立ち上がった。
「さて、行くか」
「あ、ごめん。靴下替えさせて」
……このうっかり天然ボケめ。
翼が慌てて穿いていた白のオーバーニーを脱ぎ、紺のハイソックスに穿き替える。
俺の靴下はどうせロングスカートに隠れるからだろうが替えろとは言わなかった。
「ごめんね、もう終わる」
そう言いながら姿見の前で髪を携帯ブラシで素早くとかして唇にグロスを引き直す翼の姿は、まんま女子高校生の朝の身支度姿だった。
やっぱりアレだな。女装ってのは、こんな風に違和感が無い奴がやるべきなんだ。
俺のはほんっと、芸人か文化祭のキワモノ状態だからな。
いや、羨ましい訳じゃないんだが、ちょっと寂しい気がするのは何故だ。
「はい、智ちゃん。このチラシ持ってねー」
「はーい」
「……おい」
「あ、そうそう、さっき先生から了承のハンコもらえたんだー」
「本当?良かった!」
「おい、こら!俺は無視か?!」
声を荒げると、やっとこさ前を歩く二人の美少女もどき達はこちらを振り向いた。
「なぁに?」
「どしたの?」
栗色セミロングと、金髪ソバージュのロングヘアが二人の動きに合わせて揺れる。
最初が翼で、ソバージュが隣のクラスの立野智也。
家族にも女装バレ済で四六時中女装してる翼と違い、立野は隠れ女装なのでこの長い髪もカツラだ。今までは着替えの女装服を持ってきてトイレなどで着替えていたのだというが、この『女装っ娘くらぶ』発足のお陰で安全な着替え場所が確保できて一番喜んだのは彼だ
ろう。
「お前たちはともかく、なんで俺まで変態の仲間にされた揚句、人前で恥をさらさなきゃならんのだ」
てっきり校内を練り歩くくらいだろうと思っていたのに、一般人も通る校門前で勧誘をすると言うのだから、俺が不機嫌なのも分かるだろう。
仏頂面で睨んでみたのだが、変態美少女たちは全く動じなかった。
「やだなぁ、しんこちゃん」
「可愛いお口で、そんな汚いお言葉はダメですよぅ」
…こ、こいつら!!!
人を勝手に無理やり女装させておいて、しれっとしていやがる!
後で覚えておけ、と作った握り拳は周囲に集まってきた生徒たちの声に引っ込めざるを得なくなってしまった。
「きゃー!セーラー服可愛い~!」
「似合う~!」
女の子からの黄色い声というものは、いつ聞いても男には嬉しい。
それが、自分にも向けられているとならば、それはもう舞い上がるのなんのって。
「女装くらぶってことは皆、女装なの?すごーい」
「彼なんか、桜塚や○くんみたい~!」
ああ、男のスケバン風セーラー服女装といえば彼だもんなぁ、と芸人を思い浮かべ、次いで、もしかしてキモ女装なのに受け入れられてる?、と周囲の反応に瞬く。
元々男装も女装も普通に居る学校だからなのか、お世辞が混じってるのか、なんだか受け入れられている様子だ。
「なんか、意外…」
ぼそりと呟いた言葉が聞こえたのか、チラシを配っていた翼が俺を見上げてにっこりした。
その後、夕暮れまで勧誘したお陰で、『女装っ娘くらぶ』の知名度は上がり、入部希望の子も先輩たちの中から数人見つかった。発起人である翼が一年生なので、俺たちより後輩は今年度はいない。
ともあれ、これで無事に存続決定だと翼はほくほくしている。
「んじゃ俺は脱会するからな」
化粧を落とし元の衣装に着替えた俺は、脱いだセーラー服を翼に渡して宣言した。
もう無事に部員が増えたのだから俺の出番は無いだろう、と思ったのに何故か奴は上目遣いで俺を見る。
「できたら、幽霊部員でいいからもう少し居てくれないかな、真吾?」
「なんでだよ?俺の女装が似合わないの、よく分かっただろ」
俺がこのまま『女装っ娘くらぶ』に居てもメリット無いだろ、と思ったのだが。
「真吾がたまにでいいから似合わない女装をやってくれることで、キモ系になるだけだからって躊躇してた人も、勇気を持って自分を変えるようになれるかなって思ってさ」
せっかくの私服通学OKな高校生活、どうせなら楽しくしたいじゃん。
そう言って、翼は笑う。
「お前、色々考えてるんだな」
自分がいつも翼に振り回されている為か、翼が誰かを気遣うのはなんか意外だと思ったのだが、そういや兄貴はこのツンデレ属性小悪魔科を本当は気配り上手で優しいのだと評してたと思いだす。
「考えてますよぉ?そうは見えなくても、イロイロね」
そう言って翼は借り物のセーラー服を三人分畳んで紙袋に仕舞う。
代金が高いだの言っていた割には全てクリーニングに出してから返すらしい。
そういうところも、やっぱ女の子みたいだなと変に感心する。
「とりあえずは、幽霊部員のまま保留にしておくからね」
「検討しとく」
このままずるずるだと翼の罠にかかるような気もしたが、他に入りたいクラブも今のところはまだ見つからないでいる。
まぁもう少しくらいは翼の提案に付き合ってやってもいいか。
「帰ろうか」
「おぅ」
次のイベントとやらがトンデモ衣装で無いことを祈りつつ、俺はセーラー服の入った紙袋を持ってやり、部室の鍵を閉めた翼がのんびりと俺に続いて廊下を歩く。
A高等学校、「女装っ娘くらぶ」はこうして始まりを告げたのだった。
(おしまい)
最終更新:2013年04月27日 21:48