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(画像:早川SF文庫<図>)
<リンク集>
位置づけとしては「教科書・参考書」。
<作品概要>
- <◆基本情報>
- 著者:レイ・ブラッドベリ
- 訳者:宇野利泰(ハヤカワSF文庫)
- 主な受賞歴
- <◆主要人物>
- <焚書官>
- ガイ・モンターク:主人公。焚書官。
- ピーティ署長:ガイの上司。
- ストーンマン、ブラック:ガイの同僚。
- <一般人>
- ミルドレッド・モンターグ:ガイの妻。
- フェルプス夫人、ボウルズ夫人:ミルドレッドの友人。
- <本の魅力を認識している人々>
- クラリス・マックルラン:ガイの隣人。
- フェイバー老人:元大学教授。ガイに本について語る。
- グレンジャー:郊外に住む浮浪者集団「人間図書館」の中心的人物。
- <◆シナリオ>
- 第一部 炉床と火トカゲ
- 第二部 ふるいと砂
- 第三部 火はあかるく燃えて
<関連情報、その他雑感>
- ピーティ署長の発言より
- 「古典のものは切りつめて、15分のラジオ番組にあてはめる。それをさらにカットして、二分もあれば眼がとおせる分量にちぢめ、最後はぎりぎりに短縮して、10行か12行の辞典用梗概となる。もちろん、おれの話には誇張もあろう。辞典はもともと、参考資料にすぎない。それにしても、いまではこの方針が徹底した。そこらの人間にきいてみるがいい。≪ハムレット≫を知っているという連中の知識にしたところで、例の、≪これ一冊で、あらゆる古典を読破したとおなじ。隣人との会話のため、必須の書物≫と称する重宝な書物につめこまれた一ページ・ダイジェスト版から仕入れたものだ。わかるかね?育児室からカレッジへ、それからさらに、もとの育児室へ-そこに、過去五世紀にわたるおれたち人類の型が見られるんだ」
- 「みなに、もっと、もっと、スポーツをやらせる必要がある。あれこそ、団体精神のあらわれであり、人生の興味の中心である。あれをやっていれば、ものを考えることがなくなる。そうじゃないか。スポーツによって、組織をつくり、その組織体の組織をつくり、そのまた組織をつくりあげる。超、超スポーツ。これ以上のものはない。書物には、漫画をふやす。写真を増す。それによって、頭脳の回転を防ぐことができる。こみいったことは考えられなくなるが、それもまたけっこうなことさ。気がみじかくなって、公道で車をすっとばす群衆が無数にふえてくるが、いい傾向だ。どこへ行こうかなど、考えることはない。ただ、どこかへ行きさえすればいい。ひしめきあって、車をとばせばいいんで、どこへ行くと、目的地をきめる必要はない。いわばガソリン避難民。街ぜんたいがモーテルにかわり、遊牧民となった人々が、潮の出入りを追って、大波のような移動をつづける。きみが昼間眠っていた部屋に、今夜はおれがやすむというわけだ」
- 「まず、現代の学校教育は、研究家、批評家、知識人、創作家育成はやめた。そのかわりに、ランニングやジャンプの選手、競馬の騎手、おなじくノミ屋、修繕屋、飛行士、水泳選手といった連中を育て上げる機関になっている。当然のことだが、≪知性≫ということばは、ここではぜったい禁句なんだ。だれもがいつも、仲間からの疎外をおそれている。/人間は、憲法に書いてあるように、自由平等に生れてくるものじゃない。それでいて、けっきょくは平等にさせられてしまう。だれもが、ほかのものとおなじ形をとって、はじめてみんなが幸福になれるのだ。高い山がポツンとひとつそびえていたんでは、大多数の人間がおじけづく。いやでも自分の小ささを味わわなければならんことになる。といったわけで、書物などというしろものがあると、となりの家に、装弾された銃があるみたいな気持にさせられる。そこで、焼き捨てることになるのだ。銃から弾をぬきとるんだ。考える人間なんか存在させてはならん。本を読む人間は、いつ、どのようなことを考えだすかわからんからだ。」
- 「だから、これだけはきみにも理解しておいてもらわねばならん。おれたちの文明社会が、これだけ巨大なものに発達したために、かえって少数派を蠢動さすわけにいかなくなったのだ。きみ自身、その胸にきいてみるがいい。おれたちが欲しているものはなにかとな。幸福にくらすということだけだろう。みんながみんな、幸福になりだがるのは当然のことだ。そして事実、だれもが幸福にくらしている。しかし、それはおれたち焚書の仕事を受け持っているものが、そのようにはからってやっているからなんだぜ。おれたち焚書官は、人類に愉しみをあたえている。人類の生き甲斐をだ。享楽を、刺激を。おれたちの文明社会が、それを人類に、ふんだんにあてがっていることは、きみとしてもみとめんわけじゃあるまい/黒い民族は、"リトル・ブラック・サンボ"を好まない。だから、それを焼いてしまう。タバコと肺ガンについての書物を書いたやつがいる。タバコのみはそれを読むと、がっかりする。そこで、そいつも焼いてしまう。平穏無事が幸福の要領だよ、モンターグ。平和こそ人生なんだ、モンターグ。内心との戦いはぜったい禁物。争いごとは、外へむけろ。できれば、焼却炉へ投げ込むことだ。」
- フェイバー老人の発言より
- 「一度テレビ室の味を知った者は、がんじがらめに、しばりあげられてしまう。あの網をやぶって逃げ出したものは、ひとりもおらんのですよ。視聴者は、相手の考えどおりに、かたちまで変えられてしまう。したがって、あれがつくりだす環境が、この世界同様、現実になってしまう。真理となろうとするから、真理になってしまうんです。書物の場合だと、理性によって、その正否を論じあうことができるが、相手がテレビでは、そうはいかん。わしの知っておるかぎり、悲観論にかたむかざるをえませんな」
- グレンジャーの発言より
- 「人間である以上、死ぬときはかならず、あとになにかをのこしておくべきだ。わしの祖父が、そういっておった。子供をひとり、本を一冊、絵を一枚、家を一軒、築いた塀をひとつ、あるいはまた、こしらえた靴を一足。それでなければ、自分の手で丹精した庭園、なんでもよろしい。なにかの意味で、自分の手の触れたものをのこしておかねばならぬ。それによって、たとえ死んでも、たましいが行き場に迷うことはない。おまえの植えた木なり華なしが、他人の眼に触れることは、おまえがそこに存在することだ。つくりあげたものがなんであろうと、それは問題でない。おまえの手がくわわる依然と、おまえが手をひいたあとをくらべて、なにかおまえを思い出させるだけのものがのこっておれば、それでいいのだ。なにをしようと問題ではない。祖父がいった言葉を借りると、芝生を刈るだけの男と、庭園をつくりあげた男との相違は、それをつくりあげたかどうかにある。祖父はいったよ。芝刈人夫はいなかったも同然だ。だが、庭師は生涯を通じて、その庭のうちに存在するんだとね」
最終更新:2013年02月23日 11:08