「男ってよ~、結局はみんなのび太なのか?」
何とも小難しい表情でジョッキを置いた日下部の言葉に、俺は呆れた眼差しを向
けた。 ざわざわと酔っ払いの喧騒渦巻く呑み屋の一角。
チェーン店であるこの店の名物、爆弾コロッケを箸でつつく。大きさもさる事な
がら、チェーン店にしては美味い。
「どう思うよ、キョン?」
通り掛った店員を呼び止め、本日四杯目の生中を頼んだ日下部は、唐揚げをモグ
モグ、ごっくんと一つ口の中へと放り込んだ。
「どうって…何がだ」
「だから、キョンはのび太か?」
「……訳が分からん」
店に入ってまだ一時間も経っていないと言うのに、日下部の顔は真っ赤に染まっ
ている。
焼酎の水割りを口をつけ、切り分けたコロッケを口にする。
波瀾万丈な高校生活とは正反対だった大学を卒業後、俺は中小企業に就職し、営
業部に配属された。
そこで再会しちまったのがSOS団準団員の日下部だった。
別に日下部と一緒の職場が嫌だった訳ではない。むしろ知った顔が同じ職場で安
心感を得たくらいだ。
しかしだな、
「キョン」という情けないあだ名とおさらばできる最後のチャンスを奪われたこ
とだけは忘れることはできんだろう。忌々しい。
さらに高校時代の友人だというだけで営業回りも日下部と一緒にされてしまった
。
最近は日下部のフォローが俺の仕事におもえるのだが…
まあそんなこんながあり、半年間共に過ごしてきたが、日下部の言う事は高校時
代と相変わらず要領を得ない。
今日も、二ヶ月に渡り苦心していた取引先との契約をようやく結び、お祝いとば
かりに二人で飲みに来たのだが。
「もっと詳しく、且つかいつまんで話せ」
「だからよ~、男ってのは、やっぱりしずかちゃんの方良いのか?」
益々分からん。
思わず頭を抱えたくなったが、代わりに水割りを飲む事で頭痛に耐える。
しかし日下部は俺の様子にも気付かずに、空になったジョッキの縁を指でなぞり
ながら、子どものように唇を尖らせた。
「ジャイ子って、凄げーじゃん?小学生なのに漫画家で。将来安泰でさ、私たち
より有望って言うか。でものび太は、可愛いしずかちゃんを選ぶだろ? 見た目な
んて、婆ちゃんになっちゃえば同じなのによ。」
なぁ? と話を振られ、またしておきてきた頭痛を押さえるため額に手を遣り考え
た。
先程から摂取しているアルコールのせいで、思考回路は鈍っているが、日下部の
言葉は普段から意味不明な点が多いので、翻訳するのには時間が掛る。
しらふの時よりも三割増しの時間を掛けて、言葉の意味を理解した頃、カウンタ
ーには生中のジョッキが置かれた。
「女は中身より見た目か、って言いたいのか?」
「そうだ! さっすが私のパートナーだな!」
「パートナーっつうか保護者だけどな」
にへらっと笑った日下部は箸を持ったまま手を打つ。
俺は深々と溜め息を吐き、焼き鳥の串に手を伸ばした。
「人それぞれじゃねぇの?」
「ぶ~。じゃ、キョンはしずかちゃん派? それともジャイ子派?」
「……ある意味究極の選択だぞ、それ」
興味深々と言った眼差しを向けられたため、眉間に皺を刻む。
毎度の事とは言え、このアホの考える事は理解不能だ。
「ならお前はのび太派か? それとも将来有望、且つ美形の出来杉派か?」
何とか話を逸らそうと問掛けると、日下部は至極真面目な表情で首を捻った。
「うーむ……ドラえもんがオプションなら、のび太の方が良いんだけどな…」
本気で悩むな、こんな事に。
脳内でツッコミを入れるが言葉にはせず、食べていた串を皿に置く。
水割りを飲み干し、お代わりを頼んでも、日下部はまだブツブツと真剣に考えて
いるようだった。
「どっちでも良いけど、何でそんな事思ったんだよ」
本題に入るまでが長すぎる。
しかしそれも、いつもの事と、再びコロッケをつつき始めたが、予想に反して日
下部は何処か言い難そうにビールを舐めた。
「……笑えよな」
「いや、話して貰わん事には笑うも何も──」
「フラれちまったんだよ。私」
「…………はい?」
思わず語尾が上がる。
まじまじと見つめる俺の視線に気付いているのかいないのか、日下部は唇を尖ら
せたまま、カウンターにのの字を書いた。
「大学の時から付き合ってた奴がいたんだけどよう。この間、別れ話をきりださ
れちまった」
「……はぁ」
「新しい彼女は、そりゃあもう可愛くて。しずかちゃんなんだよ」
分かるような分からないような比喩だったが、状況は大体把握した。
付き合っていた彼に新しい彼女が出来て日下部はフラれた。その彼女を見た日下
部は、自分よりも彼女の方が可愛いと思ったのだろう。
フラれた理由が何にせよ、外見で負けたと思った日下部は冒頭の台詞を吐き出し
た訳だ。
いつに無く気落ちした表情で、日下部はちびりとビールを飲む。
取引き先に叱られたり、上司に叱られたり、柊に無視されたり、おっとこれは高
校時代か。
何度か元気のない日下部を見た事はあるが──そして決まって俺はフォローに回
るのだが──今日の日下部の様子はいつもと違っていた。
少し冷めたコロッケは油が回って衣がベタつき始めていた。
「と言う訳で、笑い話なんだから笑えってヴァ」
俺の方へと顔を向けた日下部がへらりと笑う。
その笑顔は何だか痛々しい。
新しい水割りがカウンターに置かれたが、それには口を付けずに無言でコロッケ
を咀嚼した。
「キョン?」
沈黙を続ける俺の様子に日下部は首を傾げるようだ。
フォローに回るのは自分の役目。
そんな思いが高校生活で身に染み付いてしまっていた。
気落ちした表情を見せられたままでは、此方まで調子が狂ってしまう。
「少なくとも、俺はのび太じゃねぇな」
口の中の物を飲み込んで、ぶっきらぼうに呟く。
本心かどうかは自分でも分からないが、日下部に笑顔が戻るならそれでも良い。
「しずかちゃんほど優等生じゃなくて、ジャイ子よりも可愛い子が俺は良い。う
ん」
一人結論付けたように頷きまた水割りに口を付ける。
日下部はきょとんとした表情で見てきたが、やがてにへらっと頬を緩めると、焼
き鳥の串に手を伸ばした。
「キョン、お前なかなかに我が儘な好みなんだな。知ってたけどよ」
何気に失礼な事を言ってるのだが、その口調は何処か嬉しそうだ。
フォローが効いたかと内心安堵の溜め息を吐き、ぐびりと水割りを飲んだ。
「でもそれって、私の事か?」
「ぶっ!」
「うわっ、きったねぇな!」
無邪気な笑顔で尋ねられたため、俺は思わず水割りを吹き出した。
鼻に逆流したアルコールのきつさに涙が浮かびむせかえるが、日下部は眉をしか
めると慌てておしぼりでカウンターを拭いた。
「げほっ…何……何つー事を訊くんだ、お前は!」
「え~。だってホラ、私って程良く落ちこぼれで、程良く可愛いんじゃね?」
甲斐甲斐しくも俺のワイシャツにまでおしぼりを向ける日下部の顔は、アルコー
ルも手伝ってかへらへらと緩みっぱなしだ。
敢えて具体例を上げなかった己の迂濶さに歯噛みしながら、自分でもおしぼりで
口許を拭った。
「絶対違う。断じて違う」
「またまた~、照れちゃって」
「照れてねぇから」
「でも私、キョンだったら良いんだぜ?」
「聞けよ、人の話!」
さらりと物凄い事を言われた気もするが、敢えて聞き流す。
酔っ払った天然の言葉を真面目に受け取ってはいけない。これもこの半年で学ん
だ事だ。
「俺の好みは大人の女。不二子ちゃんみたいなナイスバディだ」
「む……手強い…」
どさくさに紛れてネクタイを緩めようとする日下部の手を引き剥がすと、日下部
は眉間に皺を刻んで考え込む。
私服姿になると、いまだ高校生に間違われるような容姿の日下部とは程遠い例を
上げたためか、スンと鼻を啜ってグラスを手にした。
「まぁ、日下部が不二子ちゃんみたいなナイスバディになったら、惚れてやらん
事もない」
「むむ…」
自分の胸許を見比べる日下部を見遣り、水割りを口にした。
二時間後。
夜の風が熱った頬に気持良い。
「ごちそーさん、でした!」
ペコリと頭を下げる日下部だが、足元はフラついていて覚束ない。
あれから元彼に対する愚痴を散々聞かされたのだが、その間も日下部のペースは
変わらなかった。
たぶん明日は使い物にならないだろうし、恐らく記憶もないだろう。
「ちゃんと立て。帰れるか?」
「だいじょぶだってヴァ~。電車が運んでくれるって」
ビシッとブイサインを出した日下部だが、直ぐにフラフラと右に傾く。
「やれやれ」
いつものように溜め息を吐き、日下部の腕を掴む。
「ほら、駅まで送ってやるから」
「あ、送り狼だな!」
「違うっつの」
ベチと平手で額を叩くと、日下部は「ヴァ」だか「ウ」だか訳の分からぬ声を出
して退け反った。
しかし直ぐに顔を起こすと、子どものように俺の腕を掴む。
必然的に寄り添う形にはなったが、酔っ払い相手では色気も皆無だ。
「キョン~」
「何だよ」
「私なぁ、ホントはあんまし、落ち込んでねーんだぜ?」
日下部の歩調に併せゆっくりと歩みながら見下ろす。
俺の腕にしがみ付いた日下部は、へらへらと笑いながら口を開いた。
「キョンの方が格好良いし、優しいし、仕事はできるし。……フラれても、キョ
ンが居るから平気だぜ」
……酔っ払いめ。
頭の中でそんな言葉が掠めるが、何も言わずにコートから煙草を取り出す。
本気なのか建前なのか。
押し図る事は出来ないが、何と無く緩む頬を自覚しながら煙草を咥えて、日下部
の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「そう言うのはしらふの時に言えよな。みさお」
「うぃ、了解」
撫でられるがままの日下部は嬉しそうに笑いながら、片手を掲げて敬礼のポーズ
を取る。
もしも本心だとしても、それはその時に考えれば良い。
そんな事を考えて、少しだけ、穏やかな気持ちに満たされた。
おしまい。
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最終更新:2008年02月29日 17:20