「ふっふっふ。せっかくだから俺はこの教室の扉を選ぶぜ!」
言葉の雰囲気からして、こなたさんのゲームかアニメかのネタなのだろう。でも正直に言えば、俺は
この明るさにだいぶ助けられていた。そしてそれは、俺だけじゃないはずだ。明らかにおびえきっている
つかささんも、不安げな表情でこなたさんを見ているみゆきさんも、もしこの場にいたら高確率でツッコミ
を入れているであろうかがみさんも、きっと同じ気持ちのはずだ。
午前二時、真夜中の学校。俺達は文字通り、「閉じ込められて」いた。
俺達を取り囲んでいるのは、一見見慣れた廊下と、教室の扉。せめて月明かりでも、廊下の窓から差し込んで
いれば、まとわりつくような不安も、恐怖も、心細さも幾分やわらいでいたのかもしれない。しかし窓の外は、
まるですべてを喰い尽くしてしまったかのような、漆黒の闇が広がっているだけだった。頭上に吊り下げられて
いる、非常口の案内板が、俺達をかすかにぼんやりと緑色で照らしてくれているのが、唯一の救いだった。
もちろん、俺達は知っている。案内板に従うことが、全くの無駄であることを。どれだけこの廊下を突き進もうが、
またどれだけ逆に戻ろうが、全く景色が変わらないことを。文字通り、「一寸先は闇」なこの廊下を、20分、30分
──1時間歩き続けようが、昇降口はおろか階段にさえたどり着けないことを。
だが、俺は楽観もしなければ、絶望もしちゃいない!この「閉鎖空間」から脱出できる、現状で唯一の方法が、この
扉なのだ。
不気味に連なる、教室の列。その教室と廊下を隔てる、ガラスが嵌った木製の引き戸。それを開けると、俺達は
「飛ばされる」。それは校内とは限らない。自分の部屋だったり、更衣室だったり──いかん、思い出しそうだ。
いろんな意味で至福の光景であったが、それを語るのは別の機会にしよう。にしても、水着を内側から押し出す
かがみさんの胸、思ったよりあったなあ…
「あの、ゆうごさん、大丈夫ですか?」
って、俺は何をやっているんだ。心配そうに声をかけてくれたみゆきさんに、俺は「大丈夫だよ」とあわてて声を
返す。
妄想、というか脳内に記憶された映像に酔っている場合ではないのだ。この扉を開けた先は、「いつ」の、「どこ」
なのか、全く見当もつかない。ゆえに、何が起きてもおかしくない。最悪、生きて出られない可能性もある。俺は口
には出さなかったが、それは皆、わずかでも感じているかもしれない。
「じゃあみんな、準備はおk?」
こなたさんが問いかける。
「小便はすませたか? 神様にお祈りは?部屋の隅でガタガタ震えて命乞いをする心の準備はおK?」
こなたさん、こんな状況であの執事の台詞は逆効果でしょ、常考…
「ちょっと、トイレ、行きたいかも…」
つかささん、真面目に答えなくてもいいんです。ネタですから。
「ええ、いき…」
みゆきさんが、返事をしようとした、瞬間。
それは、誰かに勢い良く突き飛ばされたような感覚だった。
視界が、足元が、自分自身さえ分からなくなる衝撃。
何が起きたのか、全く分からない。廊下の窓ガラスが、目の前の教室の引き戸が、校舎が、いや、世界が、震えている?
「きゃああっ」
「のわあぁ!じ、地震?」
「そ、そのようですっ」
こなたさんの叫びで、ハッと気づいた。そうだ、これは地震だ!激しい揺れが、俺達を襲っているんだ!
「いやだよう!こわい、こわいよぉ!」
つかささんに縋りつかれている俺だが、その役得かつ素晴らしい感触を楽しむ余裕なんて、全くないんだ!こうして柱につかまって
いないと、まともに立っていられるかさえ分からないんだ!だから「誠氏ね」弾幕はやめてくれ!俺誠じゃないから!
ガタガタと窓や扉が揺れている音にまじって、低い地鳴りのようなものが聞こえてくる。漫画なら「ゴゴゴゴ」という効果音になる
んだろう。それしか表現のしようがない音だった。
これは、本気でヤバイ!俺はこなたさんに叫ぶ。
「は、はやく!ドアを!」
壁に手をついて、なんとか立って耐えていたこなたさんは、自分のすべきことに気づいたのか、軽くよろめきながらも、
扉に手をかける。
「い、いくよっ!どっ、どこだかドアぁ!」
…ああ、こんなときでもネタを仕込み忘れないこなたさんに乾杯。でも青いネズミ型ロボットには似てないよなあ、なんて場違いな
ことを考えながら、俺はこなたさんが扉を思いっきり引き開ける様子を見守っていた。
そして、辺りは真っ白い光に塗りつぶされて。
「ダメ!今開けては──」
最後にそう叫んだのは、誰だったか。聞き覚えのある声だったのは覚えている。
そして、真っ黒い闇と、無音に上塗りされた世界に、俺は引き込まれた。
お疲れ様です。…ええ、今無事に処理を終えましたよ。崩壊も確認しました。負傷者はありません。出現も一体のみでした。
ですが、少し気になることが。ええ、詳しくは帰ってから、報告します。
…いえ、そういう訳ではありません。ただ、崩壊の瞬間に、少し違和感を感じましてね。とにかく、「タクシー」を2台、お願い
します。…どうでしょう?僕はただ、荒事にならないように祈るのみ、ですよ。
ええ。それでは、また。
──ここはどこだろう。学校に閉じ込められて、
「…きっ…さい」
──みんなの体が消えていって、俺の体も同じになって、
「ちこ…るつもり…」
──がむしゃらに、教室の扉を開けて、いろんな場所に飛ばされて、
「いいかげん…きなさい」
──なんとか3人に会えて、かがみさんを探しにいこうとしたら、地震が…そうだ!みんなは!?
「早く起きなさい!」
その大声に弾かれるように、俺は飛び起きた──みたいだ。何がなんだか、というか何が起きたんだ?全然分からない。
「なにが、みんなは、よ。悪い夢でも見てたの?」
ここ、俺の部屋?着ているものは、いつもパジャマ代わりに着ているジャージ。ここはベットの上で、その傍らに立っているのは…
「あっ、悪の結婚見合い業者オッカア!」
いてっ。頭をはたかれた。相変わらず容赦がない。
「何が悪よ。寝惚けてないでとっとと起きなさい」
オッカア、もとい母さんは、呆れ顔で俺を見下ろしていた。ということは、やっぱりここは俺の家、俺の部屋で間違いないようだ。
「また」自室に飛ばされたというか、ワープしたらしい。
「転校初日から遅刻する気?さっさと支度してご飯食べなさい」
呆れたまんまで、割烹着姿の母さんは、部屋を出て行った。って、転校初日?何度も戻っているような気がするけど、気のせいだろうか。
俺はとりあえず、「今」が「いつ」なのかを確かめるため、枕元の携帯電話を手に取り、液晶画面を開く。
…え?
一瞬、訳が分からなかった。いや待て、何かの見間違いかもしれん。携帯を閉じる。そうだ、koolになれ、俺。ワープ&ワープの
連続で、目が疲れているだけさ。というわけで、これ以上にないくらい冷静に、もう一度携帯電話をご開帳。
しかし、待ち受け画面のカレンダーは、先ほどと同じ月日を表示しているだけだった。
…どうみても、二年前の、9月1日、午前7時15分です。本当にありがとうございました。
そのころの俺は、引越しのひの字も微塵に考えることなく、前の高校で、のほほんと日々を過ごしていたにすぎない。
ましてや変な現象に巻き込まれて、扉を開けるたびに他の場所、他の時間に飛ばされるなんて、これっぽっちも考えていなかったわけで。
まあいい。どうせ深く考えるだけ無駄だ。そんな必要もない。母さんの「転校初日」という言葉が多少ひっかかるが、どうせ変な
ところに来てしまったんだろう。今までの経験則から言えば、さっき母さんが出て行ったこの部屋のドアを俺が開ければ、学校か、他の
場所か、また別のところへ飛ばされるはず。何も慌てる必要などない。またこなたさん達と合流して、かがみさんを探せばいい。
俺は軽く楽観して、ベットから出る。「この世界」は今日は晴れなのか、カーテンのすき間から朝の日差しが、床に光の筋を描いていた。
さあて、次はいつだ?そしてどこだ?ドアノブを握る手に、知らないうちに力が入る。いざ行かん。おーぷんざどあー!
そして、俺はドアを開けた先に広がる光景を、すぐに受け入れることができなかった。
最終更新:2008年03月08日 18:02