「もう一回、一年生の教科書もらうなんて思わなかったよー」
教科書の束から一冊手に取りながら、つかささんがのほほんと口を開きました。
職員室で、おのおのの担任の先生方への挨拶と先生からの案内を終え、私たちは会議室のような部屋へ通されました。始業式が終わるまで
ここで待機ということです。その間に、配布された教科書に過不足がないか確認してほしいとの事で、私たち6人の前には、これから授業で
使用する教科書や各種資料が、人数分積まれています。
そう、「6人」分です。
私たちより先に、もう一人の転校生が職員室にすでに到着していました。
永森 やまとさん。私の隣で疲れたような表情で教科書の山を見ている、小鳥谷 雄吾さんと同じ日に、私たちのクラスに転入してきた
彼女が、なぜかここにいるのです。ということは、あの異常現象に永森さんも巻き込まれたということでしょうか。つい先ほどまで雄吾さんが
しきりにいろいろ質問していたようですが、少なくとも積極的に答えるつもりはないようです。
「うーむ、そして学校で思わぬ人との突然の再会。ギャルゲーにはありがちなシチュだね」
「あんたはそればっかりだな…」
泉さんに、ががみさんがいつもの様子で突っ込みをいれています。私もツッコミについて勉強しないといけませんね。などと考えていると、
永森さんからの情報収集を諦めたのか、雄吾さんが声を低くして、こんなことを言ってきました。
「こなたさん、心なしかいつもより浮かれてる感じしない?こなたさんとは会って一週間くらいの俺でも分かるよ」
「そうかもしれませんね…私もそう思います」
私も同じような感慨を抱いていたので、同意します。登校中に私とつかささんの質問に答えてくれていた泉さんは、普段とは明らかに違い、
なんといいましょうか、その、興奮と好奇心に満ちていました。
そして、泉さんが教えてくれた事で、「この世界」のことが少し、理解できました。
曰く、ここは「涼宮ハルヒの憂鬱」という小説、もしくはアニメ、もしくは漫画の架空世界であること。もちろんこれは泉さんの仮説で、
かがみさんはまだ疑っています。
その主人公、涼宮ハルヒには、自身の願望をかなえる特別な能力があること。そしてその彼女を観察するために、宇宙人や未来人、超能力者の
勢力が各々の思惑のために動いていること。そして物語のキーとなる、「キョン」と呼ばれる男子高校生。泉さんによれば、この方の本名
は未だに作品中で明かされていないということで、もしかしたら物語最大といっていいほどの謎が解明できるかも、と非常に嬉しそうでした。
「にしてもみゆきさん!」
「は、はい!?」
突然、泉さんが私を強い口調で呼ぶものですから、思わず裏返った声で返答してしまいました。お恥ずかしいです…
「さっき職員室でハルにゃん見かけたの、なんで教えてくれなかったかなぁ。私も見たかったのにー」
す、すみません。ですが、私が編入するクラスの担任の方と、泉さんの担任の方の机は、結構離れていたんですけど…。あの状況では、
泉さんにお教えするのはちょっと困難な気が、するのですが。
「あんたねー、先生に挨拶してる最中に大声で叫べっていうのかよ!?」
かがみさん、フォローありがとうございます。助かりました。
「まあそこまでは言わないけどサ。ま、後で会えるからいいけど」
話を聞く限りでは、泉さんと雄吾さんが転入する1年5組に、その「涼宮ハルヒ」さんはいらっしゃるようです。私と永森さんは1年6組、
泉さんの話では、宇宙人勢力のヒューマノイド・インターフェース──アンドロイドのような存在でしょうか──である長門有希さんが
在籍しているようですね。つかささんとかがみさんは1年9組で、超能力者の「古泉一樹」さんがいらっしゃるクラスみたいです。
「そういえばクラス、バラバラになっちゃったね…」
つかささんが、寂しそうにつぶやきました。私も泉さんやつかささんと離れてしまうのは、名残惜しい気がします。永森さんがいますから
一人ぼっちということはないのですが、私もあまり話したことがなく、正直申しまして、あの、気まずいというか…。それは永森さんも同じ
ようで、先ほどから一言も発さず、だまって廊下の方を向いていました。
「でもかがみんがいるじゃん。安心しなよつかさ。いやー、かがみんの方がホッとしてるのかな?」
「うううるさいよ」
そういうかがみさんですが、表情を見る限り満更でもなさそうです。私も、かがみさんがまた一人だけ別のクラスにならないかと少し心配
でした。よかったですね、かがみさん。
「お姉ちゃん…」
「大丈夫よ、あんたは絶対私が守ってあげる。だから安心して、ね」
不安と寂寥が混じったつかささんの声音を勢いよく塗りつぶすように、かがみさんがはっきりと口を開きます。それで幾分でも不安が晴れた
のか、泣きそうになりながらも笑顔を浮かべたつかささんが、うなずきました。
「うん。ありがとう…」
こういう光景を目の当たりにすると、兄弟や姉妹というのが、ちょっぴり羨ましくなりますね。私は一人っ子ですし。
「もちろんゆー君は、私を守ってくれるんだよね?お兄ちゃん…」
胸の前でまるでお祈りをされるように手を握り、目を不自然に潤ませた泉さんが、明らかに演技と分かってしまうほどに弱弱しい口調で、
雄吾さんにお願いをしています。
「こなたさんなら、俺がいなくてもたくましく生きていける気がするけど…」
「そーね。雑草みたいにしぶとい奴だから、ほっといても死にはしないでしょ。そのうちまた生えてくるんじゃない?」
雄吾さんはともかく、かがみさん、ちょっとひどいような気が…。
「つかさぁ…みゆきさん…うう、二人がいぢめるぅ」
「あはは…」
泉さんに泣きつかれたつかささんも私も、ちょっと困ったように笑っています。と、雄吾さんが。
「で、これからのことなんだけど…、どうやったら元の世界に帰れるんだろう」
そうでした。私たちの置かれている状況は大変なものです。わずかな間でしたが、完全に頭から脱落してしまっていました。お恥ずかしい
限りです…。
「うーむ、今までにないパターンなんだよねぇ。ドアとか開けても、全然ワープする気配ないし」
考え込むように、泉さん。
「まさか、自分の家や家族ごと転移してしまうとは、思いませんでした…」
本当に予想GUY、じゃなくて、予想外です。私も困ったようなため息しか、出てきません。
「そうだ、ゆたかちゃんは家にいなかったの?」
かがみさんの疑問に、泉さんが答えます。
「んー、お父さんしかいなかったねえ。ゆーちゃんのこと聞いたら、埼玉に残ってるだろって変な顔されちゃったよ」
ということは、みなみさんのお家は都内にあるまま、ということなのでしょうか。母に聞いてくればよかったですね。
「つまりワープしてきた中で、元の世界の記憶が残っているのは、俺達だけか」
「そういうことになるわね。うちの親も姉達も、なんにも思ってないみたいだし」
私の母もその様子でした。もっとも、多少の疑問は「まあいいかしら」で済ませてしまう人なので、アテにはできませんけど。
「まあ、戻るんだとしたら、やっぱハルにゃんの力を頼るしかないのかねぇ」
あの、ハルにゃんというのは、その、涼宮ハルヒさんのことでしょうか…?疑問に思っていると、かがみさんが呆れたように、
こなたさんを見ていました。
「あんた、まだそんなこと言って…」
「でもみゆきさんは見かけたんだよね?ハルにゃん」
「え?あ、はい、眼鏡を取っていたわけではないので、見間違いではないと思いますが──」
それは、私たちが職員室にて、それぞれの担任の先生に軽い説明を受けていたときでした。私たちの先生は若い女性の方で、その机は
出入り口から少し離れたところにありました。先生が私たちに渡す書類を探している最中、誰かの視線を受けている気がして、ふと
出入り口を見遣ると、彼女は睨むような、挑発するような気の強い笑みをわずかに浮かべて、こちらを見ていました。
黒いショートカットの髪の合間に、おそらくリボンでしょうか、オレンジ色のなにかが揺れていた気がします。赤い腕章はありません
でしたが、校門の前で泉さんに促され、かがみさんから借りた小説──ライトノベルというのだそうです──の表紙に描かれていた人物、
つまり涼宮ハルヒさんと、特徴がことごとく合致していました。少し目を離した間に、その方はどこかへと行ってしまったようでしたが。
「ほーら、かがみ。いい加減受け入れなよ」
「た、たまたま似てた人がいただけでしょ?」
「残念でしたー。私たちの担任の、岡部センセだっけ?にきいたもーん。そしたら確かにうちのクラスにいるってさ」
「な…」
それだけ発したまま、かがみさんは憮然と納得がいかない、それでいてどこか諦めた顔で黙り込んでしまいました。お気持ちは分かります。
私だって、まだ完全に信じきっているわけではありませんし。ですが頭のどこかで、「これは現実だ。受け入れろ」と誰かが囁いているような、
そんな感じがします。そして、それを受け入れつつある私がいます…。
「でも、どうするの?こなちゃんのお話だと、ハルちゃんに超能力?のことを教えちゃいけないってなってるんだよね?」
つかささんの疑問はもっともです。
「でももう、この際そんなこと言ってられないような気がするけど。自分の力に気づいてもらって、お願いして俺達を元の世界に返して
もらわないと」
「それはダメだよ!!」
雄吾さんの提案を聞いた瞬間、泉さんが立ち上がり、握り拳で叫びました。い、泉さん?
「それじゃあハルヒの世界が壊れちゃうよ!私のお気に入りの作品世界を破壊するような奴ぁ、月に変わってお仕置きだよ!」
「あんた…さっき自分でハルヒを頼るって…」
かがみさんの視線に大して気にしたそぶりもなく、泉さんが続けます。
「やっぱりダメなものはダメなのサ。それに、そんなことしたらながもんとかイッチーとか黙ってないと思うけど。下手したら消されちゃうよ?」
えっと、ながもんは長門有希さん、イッチーは古泉一樹さんのことでよろしいですか?確かお話では、涼宮さんが自らの力を自覚すれば
危険なことになると考え、まわりの皆さんが必死に隠してまわってるんでしたね。確かにそれは、リスクが高すぎる気がします。
「あ、かがみにみゆきさん、つかさにゆー君に永森さんも聞いておいて」
皆さんを見回して、泉さんが改まって口を開きます。
「私たちのことは、内緒にしといたほうがいいかも」
「なんでよ?」
「私たちの属性が知られちゃったら、たぶん面倒なことになりそうだからネ。特にながもんやイッチーに知られたら、話がややこしく
なること請け合い!あとハルにゃんもね。それとゆー君、かがみ、みゆきさん」
はい、何でしょう。
「小説やアニメDVDの取り扱いにも、細心の注意を払うように!この世界にとっては禁則事項満載だから、名前書かれると死ぬノートより
危ない代物だョ。ゆー君に貸してるDVDはあとでつかさ達やみゆきさん、永森さんも見ておいたほうがいいかな。今後のために、ね」
いつもと違い、きりっとした様子の泉さんに、私たちはあっけにとられていました。無表情で見つめる永森さんでさえ、戸惑っていたの
かもしれません。
「なんで小説やDVDが危ない代物なのよ?」
かがみさんが聞いてくれなければ、私が同じことを聞いていたでしょう。
「考えてもみてよかがみん。ハルにゃん達が経験してきたこと、ハルにゃん達しか知りえないことを、私たちは小説やアニメという形
で見てきたんだよ?しかもハルにゃん達がこれから経験する予定のことも。今は9月1日だから、小説で言えばエンドレスエイトが終わった
頃かな」
「あんた活字嫌いだったのになんで知ってんのよ」
「ヲタクのたしなみだよ、たしなみ。とにかく、そんなアカシックレコード並なものを持ってると知られたら、まずい事になるんじゃない
かな?かな?以上、質問は!?」
なんでかなを二回言ったのか聞きたい衝動に駆られましたが、それよりも泉さんの頭の回転には驚かされました。そんなことまで危惧して
いるなんて。私もまだまだ、学ばなければならないことがありますね。
「あんたってホント、好きなことにはものすごい知性を発揮するのね…」
かがみさんが、ため息をつきながら一言。
永森さんは結局一言も発さず、ただこの会議室と廊下を隔てる扉を、じっと見ているだけでした。
そしてこの日、泉さんの危惧していたことが実際に起こります。その兆候は、すでに始まっていました。私たちはこの時、まだ気づくことが
できませんでした──
対象6名の位置を確認。教職員用の会議室。静寂モードでの接近を開始。
観測位置に到着。観測を開始する。
──エラー。再実行。エラー。
何らかの防御・秘匿力場が展開されている。解析、解除を試行。
65%の解析を終了。解除と妨害を開始する。
不完全ながら解除及び妨害フィールドを展開。予想より干渉が強く、長時間の観測は困難。
得られる限りの情報を収集し、離脱する。
あと5秒。3秒。フィールドが消滅。これ以上の観測は不可能。離脱する。
音声データ、及び力場の自己解析を開始。解析88%終了。涼宮ハルヒの情報創造能力、及び情報統合思念体、私自身に言及
していると思われる文言を確認。
重大な脅威の可能性大。状況により、排除行動を展開する。
…事前の許可を求める。
最終更新:2008年03月10日 22:52