なんでこんなことになっちまったんだ。
まさか、こんな修羅場展開になっちまうとは。俺達の前には、凶器を握った女。頭に走馬灯のように浮かぶのは、カナダに転校したことに
なってる、本当は長門によって消滅させられた女の顔だった。
その長門は、この突然の展開に唖然と突っ立っている俺と、俺の左腕をがっちりと抱きこんで震えているいる朝比奈さん、特盛です。
と、苦笑いを浮かべている古泉の野郎の先頭で、まるで俺達を守るかのように立っている。
ちなみに俺達が立っているのは、放課後の1年5組の教室だ。始業式とホームルームが終われば、今日は放課なので、教室に残って
いるのは、俺達と、こちらをいろいろな眼差しで見ているあいつらと。
「ちょ、ちょっとみんな、落ち着こうよ」
「そ、そだね。と、とりあえず、ながもんも永森さんも、ちょっと話そう、ネ?」
クラスの転入生、小鳥谷と泉だっけか。二人がこの教室に広がる修羅場で険悪な雰囲気に気圧されながら、必死で宥めようと
している。俺も全く同感だよ、くそっ。
泉達を守るように、こちらを絶対零度の炎が宿ったような目つきで、明らかに敵意をもって見つめている、というか睨んで
いるのは、なかなかかわいい感じのポニーテール少女だ。右手には刃が全部出てるカッターナイフ。こんな状況でなければ、眼福なんだがね。
さて、なんで俺達がこんな一触即発、キューバ危機のような状況に陥っているのか。それを説明するには、あのホームルーム
前の休み時間、部室に長門がやってきた頃に遡らなければならない。
「長門…?」
古泉が恭しく開けた部室の扉の先には、いつもの何も宿していない表情で、こちらを見ている長門有希がいた。いや、違う。
俺は最近、ほんの少しではあるが、長門の表情が読めるようになってきた。一見無感動無感情で置物みたいな奴だが、よく見て
いると、わずかながら何かしらの感情を浮かべている。といってもそういう気がしてるだけで、それが合っているかどうかは、
全く自信がないがね。
さて、そんな柳の枝のような頼りない自信と勘を働かせて、長門の表情を読んでみよう。見た目には砂糖の一粒、いや龍角散
の一粒か?それくらいの変化も見えないが。しかし俺は、妙なことを感じてしまった。まさかな。そんなこと、太陽が西から
昇ってもありえないことなのに。表情が読めていた気になっていただけかもしれん。つーかそうだな。
あの長門が焦っているなんて、絶対にあるはずがないからな。
とりあえず、いつまでそこに突っ立っているつもりだ?とにかく入れ。
「…」
長門は無言で数歩踏み出し、部室に足を踏み入れる。古泉が扉を閉じて、鍵をかける。そこまでする必要はないだろう。
「万が一のためですよ」
そうか。まあ好きにしてくれ。
「で、話ってなんだ。転校生のことか」
俺の質問には答えず、何の抑揚もない声が面倒な事態の発生を告げた。
「異常事態」
…やれやれ。また異常事態か。この先何度この単語を聞くことになるんだろうね。考えるだけで心の風船が萎んでいくような
気がするな。これだけ立て続けに「異常事態」が起きていれば、もう異常でもなんでもない。むしろ何事もない方が、「異常」
という錯覚さえ覚えそうだ。勘弁してくれ。
「彼らは涼宮ハルヒの情報創造能力を知っている」
だろうな。お前らだってそれは一緒だろ。
「それだけではない。彼らは涼宮ハルヒの能力を利用しようとしている」
随分と怖いもの知らずな連中だ。俺はそう思うしかなかった。なんに使うか知らんが、あの唯我独尊を地で行くようなハルヒが
自分の力をそうやすやすと貸してやるとはとてもじゃないが思えない。自らに宿った不可思議パワーの存在にさえ、気づいて
いないというのに。
「涼宮ハルヒに自身の能力を気付かせるのが、彼らの優先目標」
──ちょっとまて。今なんと言った。ハルヒに自分の力を気付かせる?
「そう」
普段と何も変わらない、平坦な口調の長門。だけど俺は、先ほどの予想があながち間違いではないことに思い至った。口調や表情
こそいつもと同じだが、明らかにこいつは焦っている。ような気がする。というか、それを聞いた俺が軽く焦ったね。まったく、
何で俺が焦らにゃならん。
「これは由々しき事態です」
いつの間にか側に来ていた古泉が、顔を近づけて囁く。暑苦しい側に寄るな顔が近いんだよ気色悪い。
「あなたにもお教えしましたよね?涼宮さんが、自らの能力を自覚してしまうことの危険性を」
「私も伝えた」
俺は別に聞きたくもなかったがな。
こいつらによるとだ。ハルヒが自分の力について知ってしまえば、よくない事態が起こる可能性があるんだそうだ。最悪この地球、
いやこの宇宙、この次元ごと吹っ飛んで綺麗さっぱり無くなってビッグバン以前に逆戻りもありえるとか。長門のパトロンと、古泉
の上司はそれが怖いらしい。朝比奈さんのところも多分そうだろう。
そこで俺は、こいつらの言葉になぜか反発を覚えた。それは心の中で小さく毒づく程度のものだ。なぜかは分からん。自分でも
分からんものを説明しろといわれても出来るわけがない。だが一瞬、ほんの一瞬であるが、嫌悪感が顔を覗かせた。それだけは
分かる。
こいつらと、朝比奈さんと、そして自分にな。
「協力してほしい」
長門の声にで我に返る。何訳の分からないことを考えてるんだ。守ってくれた長門や朝比奈さんを毛嫌いするなど言語道断。俺は
そんなことを一瞬でも考えた自分自身を毛嫌いすべきだろうね。古泉は置いておく。
「協力って、まさかそいつらを殺す手伝いをしろとでも言うんじゃないだろうな?」
いくら長門の頼みでも、それだけは出来ん。
「そうではない。私は情報が欲しい」
俺にスパイの真似事でもしろと?
「いえ、そういうわけではありません」
古泉が口を挟んできた。一体俺に何をさせるつもりだ。
「あなたからの連絡の前に、長門さんと打ち合わせましてね」
ということは、俺がメールする前に、お前らは俺を巻き込む算段を決めていたってわけか。おもしろくないね。
「気を悪くされるのは分かります。ですが、我々も穏便に事を運びたいのです」
それは俺も同感だ。命を狙われたり流血の惨事なんてのは御免蒙りたい。せいぜいそうならないように頑張らせてもらうよ。で、
俺は何をすればいい?
「僕達は、彼らと話し合いの機会を持ちたいと考えています」
長門の隣に並んだ古泉が、またあの微笑を顰めて、真剣な目つきで俺を見ている。長門は相変わらずの無表情だ。
「あなたには、彼らとの間を取りもってもらいたいんです」
なんだそりゃ。6人全員に「お話があるから集まってもらえませんか」って頭下げて回れってか。俺は腕を組み、はぁ、と息を
深く吐いた。
「そうではありませんよ。あなたのクラスへの転入生に話しておいてほしいのです。僕たちは、それぞれのクラスの転入生に話を
しておきますから」
まあ、それくらいならいいだろう。そう思いながら、壁の時計へ視線を外す。おっと、そろそろ戻らないといけない時間だ。ハルヒ
にどこ行ってたのよと詰問されるのも癪だし、クラス中の生ぬるい視線を受けながら席へ着くのも勘弁したい。
「では、そうですね。放課後あなたのクラスに集める、ということでよろしいですか?」
「私は構わない」
俺も反対する理由はないな。ハルヒのやつは今日の団活はナシと昨日連絡してきたから速攻で帰るだろうし、ホームルームが終われば
今日は終わりにもかかわらず、教室に残る酔狂なやつはいないだろう。
「では、そういうことで」
薄ら笑いを顔に戻して、古泉は身を翻す。長門がその後に続き、俺も部室を出ようとして、そこでふと視界の隅に何かが入った。顔を
向けると、それが何なのかはっきり視覚できた。雑誌だ。ハルヒが朝比奈さんを拉致して、そのたわわに実った素晴らしき果実を鷲づかみ
にして、長門は読んでいる小説から一向に視線を外そうとしなかったあの日。いわゆるひとつの萌え要素などと世迷言をほざきながら、
ハルヒがどこからか取り出した月刊の漫画雑誌。表紙ではなんかよく分からん女の子が媚びるような視線をむけており、いかにも
大きいお友達向けという匂いを醸し出している。こんな風に部室の床にでも落ちてなければ一生手に取ることはないであろう。少なくとも
俺は。
なかなかな厚さのあるその雑誌を手に取る。どこかの棚にでもしまっていたのが、風か何かで落ちてきたのだろうか。本がしまってある
棚といえば、長門が少しづつ本を溜め込んでいる目の前の棚だろうが、果たして長門はこういう萌え萌えな漫画本なぞ読むのか。想像出来ん。
いや見てみたい気もするが。
降りかかる視線を感じる。振り向くと、長門がこちらをじっと見つめていた。その頭は高精度の傾斜角分度器でも使わないと分からない
ような微妙な角度で斜めになっていた。もしかして首をかしげているのか。
「なんでもない。行こうぜ」
そういいながら、雑誌を長机の隅に置く。だれも読まないだろうし、後で処分しても問題ないだろう。
「そう」
さして気にも留めず(少なくとも俺はそう見えた)、歩き出した長門のあとに続いて俺は部室を後にした。
ただただ、面倒な事にならないようにと、無駄になることが分かっているにも関わらず全世界の神にこの場限りの祈りを捧げながらな。
最終更新:2008年03月15日 21:27