Fate > unlucky night ~六日目


「終わったわよ。和室に寝かせてきたけど、あの分じゃしばらく目を覚まさないでしょうね」
「……そうか、助かった。俺じゃ、手当てなんて出来ないからな」
「いくらか宝石の魔力をこなたに移したただけだから、お礼を言われることじゃないわ。こなたの体は良くなるかもしれないけど、もう戦うことは無理ね」
「戦うのが無理って、どういうことだ」 
「今のこなたはサーヴァントなのよ、前に言ったでしょサーヴァントってのは魔力が無くなれば消えてしまうって」
「……消えるって。こなたが消えるっていうのか」
「当然でしょう。こなたの魔力はほとんど空っぽなのよ。こなたの宝具はかなりの魔力を使う物なの
 こなたは自分の中の魔力をほぼ消費してしまった状態よ」
「魔力がないから消える……こなたは傷を負ってもいないのにか」
「ええ。サーヴァントにとっては外的ダメージより、魔力切れの方が深刻な問題よ。
 霊体であるサーヴァントに肉体を与えているのは魔力だもの。それがなくなれば消えるしかない
……もっとも、そんな事にならないようにマスターはサーヴァントに魔力を送るんだけど、キョンにはそれが出来ないのよ
 だからは自分の魔力だけで戦うしかない。それが切れたらそれまで」
「―――けど、今までは大丈夫だったじゃないか」
「それはこなたの魔力量が桁外れだったからよ。
 ……確かに魔力はまだ残ってる。宝石から移した分もあるし、肉体を保つぐらいの魔力は回復できるとは思う」
「けど、結局はそこどまりよ。ずっと今の状態で戦う事になる。
 こんな事になった原因である宝具を使うのなんてもってのほか。次に宝具を使えば、間違いなく消え去るでしょうね」
「……次に、宝具を使えば消える……」
 いや、そもそもあんな状態のこなたを戦わせるなんて出来ん
「理解できた? 結局、こなたを以前の状態に戻す方法は二つだけよ。
 マスターがサーヴァントに魔力を提供するか、自分で魔力を補充するか」
 ……自分で補充する。
 ……無関係な人たちから奪う、という事か。
「無関係な人を巻き込むのは遠慮願いたい」
「なら方法は一つだけよ。キョンが魔力を提供するしかないわ」
「それは―――出来るならとっくにそうしてるさ。けど俺は魔力を提供する方法なんて知らない」
「まあね。共有の魔術を教えても間に合わないし、覚えたところで使えないわ。
 まあ、まだ他に方法が無いわけじゃないけど……」
 その後結局、解決作が見つからずに就寝となった 

 Fate/unlucky night ~六日目
 
 ……物音を立てないように立ち上がる。
 こなたはいつ目覚めるかは判らない。
 だがそれまでに、俺は解決方法を考えなければならない――――
 まだ誰も起きていないのか。

 家には活気がなく、廊下は廃墟のようだった。
 いや、単に俺が沈み込んでいるだけか。
「……?」
 今、なにか空気を切るような音がした。
「まただ……庭の方からだ――――」
 ……そうだな。
 朝食を作る気分でもなし、散歩がてらに様子を見に行こう。
「……蔵の方からだな、あれ」
 風切り音は定期的に起きているようだ。
 白い息を吐きながら庭を横断する。
 蔵の前には古泉がいた。
 ……驚かなかったあたり、自分でもなんとなく、コイツがここにいる気がしていたのだろう。
 先ほどまで弓を引いていたのか。
 古泉は俺の姿を見るなり、弓を下ろした。
「物騒だな。庭で弓なんて引くな。矢が当たったらどうするつもりだ」
「心配ありません。もとより矢など使っていないのですから。」
「…………」
 そんなこと、言われなくても判っている
 さっきの風切り音は、弓の弦が空を裂く音だ。
 古泉は何のつもりか矢を使わず、ただ弓を引いていたにすぎない。
「ただ何をしているか気になっただけだ」
「見ての通り、調子を計っているのですよ。泉さんもあんな状態ですので」
「――――――――」
 ……そうか。
 こなたが戦えないということは、古泉が先頭に立って戦うことになるのか
「―――残心、という言葉があります」
「は?」
「事を済ませた後に保つ間の事です。弓道の八節の一つです」
「……なんだ。弓道なんてしらないぞ」
「まあ聞いてください。矢を放った後、体は自然と場に止まるといいます。それを残心と言うそうです」
「それがどうしたって言うんだ、おまえ」
「心構えの話ですよ。残心とは己の行為、放った矢が的中するかを確かめる物ではありません。
 矢とは、放つ前に既に的中しているものなのだそうです。射手は自らのイメージ通りに指を放します。
 ならば当たるか当たらぬかなど、確認する必要はありません。
 射の前に当たらないと思えば当たりませんけど、当たると思えば当たっているのですよ」
「―――そんな事あるかハルヒでもあるまいし。どんなに当たるって思っても当たらないことはある。思うだけで当たるっていうんなら、誰だって百発百中だ」
「まあ、そんな話はどうでもいいのですよ。言いたい事は一つだけです。残心とは矢が当たるかどうかを見極めるものではありません。
 残心とはその結果を受け入れる為の心構えの事なのです」
「―――ようするに、結果を受け入れろって言いたいのか、おまえは」
「そういう事ですよ。事情は聞きました。泉さんがこのような状態になるのは初めから判っていた事です。物語の流れを知っていたのですし
 それはもう決まっていた事です。ならば――――」
 ……後は、その結果を受け入れるだけか
「……ああ、それともう一つ。渡しておく物があります」
 古泉は赤い液体が入った小瓶を俺に渡してきた
「なんだ、これは」
「僕の血液ですよ」
 ……なんだって?別に俺は十字架や日光が弱点ではないのだが
「いざという時の切り札ですよ。昨日あの盾をお見せした時、ご説明したでしょう。
 この物語上でのあなたと僕の関係を」
「たしか、俺の役が未来に英霊となったのが古泉の役だって話か」 
「そのとおりです。いわば同一人物、長門さん風に言えば異時間同位体と言えます」
「で、それとお前の血液に何の関係があるんだ」
「血液には魔力が籠もります、なので飲めば魔力の補給になります。
 ですがそれだけではありません。一部だけですが僕の知識や魔術を引き出すことができます」
「じゃあなんだ、俺が他の魔術師の血を飲めばその魔術師の魔術を使えるのか」 
「残念ながらそれはできません、多少の魔力の回復はできるでしょうが」
「じゃあなんで俺とお前ならできるんだ」 
「簡単なことです。異時間同位体といえど要するに自分なのですから、その魔力から情報を読み込むのは簡単です」
「そうかい、よくわからんが有難く頂いとく」
 古泉に背を向け立ち去った
 なんとなく公園にやってきたが無人だった。
 朝早くという事もあるのだろう。
 あたりに人気はなく、出歩いている人間は自分ぐらいのものだった。
「――――――――」
 力なくベンチに腰をかける。
 取るべき道を決めなくてはならない
 これ以上、先延ばしには出来ない。
 他のマスターを倒して聖杯戦争を終わらせさっさと元の世界に戻すのなら、こなたには居続けてもらわなければならない。
 いや、そんな理由なんて関係なしに、友人が消えていくのを黙って見ていられん。
 だがそれは。人を襲わせるという事だ。
「――――っ」
 出来る訳がない。
 唇を噛んで、つまらない考えを振り払った。
 そうして、どのくらいの間ベンチにうなだれていたのか。
「あー!こんなところにいるー!」
 突然、そんな声をかけられた。
「あは、やっぱりそうだ。こんにちはキョンくん。浮かない顔してるけど、何かあったの?」
 妹の声、なぜこんな場所で?
「っ!?」
 顔を上げると妹と目があった
「――――!」
 体が動かない。手足に力を入れるが、一向に動かない。
 いや、むしろ入れれば入れるほど固まっていく気がする。
 ―――あの目だ。
 妹の赤い目を見たとたん、体が麻痺して―――
「あ、もう金縛りになったんだ」
「おま、え――――」
「無駄だよキョンくん。そうなったらもう動けないわ。
 もうじき声もでなくなるけど、心配しなくていいよ。
 ―――わたしはお話をしにきたワケじゃないもの」
 視線に殺気が灯る。
「くっ……! 俺をここで殺す、つもりか……!」
 歯を食いしばって、とにかく全身に力を込める。
 それでも、指先はぴくりとも動かない。
 視界が途切れた。
 手足の感覚はとうに無く、視覚さえ無くなった。
 ……完全な闇に落ちて、どのくらい経ったのだろう。
 自分が生きているのか死んでいるのか判らないうちに、ようやく、意識もブツリと途切れてくれた。
 …………体が熱い。
 意識は闇に落ちても、体は変わらずに生を訴えている。
 ―――そうか。なら、自分は生きているらしい。
 ………気が付くと、何かとんでもない場所にいた。
「――――なんだ、ここ――――」
 見知らぬ部屋、どころの話じゃない。
 豪華な天蓋つきのベッドに、足首まで埋まりそうな毛足の長い絨毯。
 装飾ではなく、今も暖房として使われている石作りの暖炉。
 壁の紋様は壁紙などではなく、直に刻み込まれている。
 ……こういう感想を口にするのは面はゆいが、まるで昔話に出てくるお城のようだった。
「っ…………」
 意識が消えかける。
 体が異様に重かった。
 血の巡りが悪いのか。少しでも油断すると、また眠りに落ちてしまいそうだ。
「―――ええと……何が、どうなったんだ」
 朦朧とした頭で思い出す。
 俺は……そうだ、妹に身動きを封じられて、そのまま意識を失ったのだ。
「……捕まった……ってコトか」
 部屋には誰もいない。
 体は重いが、さっきみたいに指先すら動かない、という事はなさそうだ。
 力を込めれば、片腕をあげるぐらいは出来そうなのだが――――
「縛られてる――――!?」
 惚けていた頭が、途端に覚醒した。
 危機を察して、まず自分の状態を確認する。
「……椅子に座らされて、手を後ろに回されてるのか……これは手錠……じゃないな。縄で手首を縛ってるだけか」
 思ったより酷い状況ではないが、動けない事に変わりはない。
 体はまだ痺れているし、腕が縛られていては立ち上がる事もできない。
「……あれからどのくらい経ってるんだ……時計は……ないか、やっぱり」
 部屋に時計らしき物はない。
 窓は―――後ろか。
 出来るかぎり振り向いたが、カーテンがかかっていたので外の様子はよく判らない。
 ただ、外は既に日が落ちていた。
 朝方に妹と遭った訳だから、少なくとも半日は経過しているという事だ。
「………………」
 こんな事をしている場合じゃない。
 ここが何処だか知らないが、今は一刻も早く帰らなければ。
 俺が攫われたなんて、そんな事で負担をかける訳にはいかない。
「ん――――!」
 座ったまま、後ろに回された腕に力を込める。
 逃げ出すにしても、まずは手首を絞めた縄をなんとかしなければ――――
「!?」
 扉が開く。

「―――無事、キョンキョン……!」
 目が点になる。
 本気で、自分にとって都合のいい幻を見ているのかと、思った。
「縛られてるみたいね、古泉君」
「イエスマスター」
 古泉が後ろに回り縄を切った
「あ……いや、だから。どうして俺が捕まったって知ってるんだ。いや、そんな事よりどうしてここにいるんだ」
「そろそろだと思っていたけど、本当に易々と拉致されて監禁されるなんてね」
「いや、スマン。けど、どうしてこなたがここにいるんだ。満足に動けないんだろ」
「サーヴァントはマスターを守るものだよ」
 きっぱりと言い放つ
「あ……いや。それより元気そうで良かった」
 ……本当に、胸が落ち着いた。
「そこまでよ。今がどんな状況なのか忘れてる訳じゃないでしょう。
 お喋りなんてしてる暇はないわ。さっさと撤退しないと」
「――――――――うわ」
 部屋から出た途端、思わずそんな声が漏れた。
 これは廊下……だろうか。
 この美術館じみた通路からして、この建物はとんでもなく大きいと見える。
「ちょっと、見とれてる場合じゃないわよ。この城から出ても、外は一面の樹海なんだから。急がないと朝になるわ」
「一面の樹海―――? じゃあここ、山の中なのか?」
「そう、この城から出たとしても、わたしたちは何時間もかけて森を抜けなくちゃならないの。今は夜だし、朝日が昇るまでには森を抜けるわよ」
 かがみは迷いなく廊下を走っていく。
 おそらく忍び込んだ裏口にでも向かっているのだろう。
「……今が夜なのは知ってたけど……一体どのくらい捕まってたんだ、俺は」
 半日と思っていたが、実際はもっと日数が経っていたのかもしれない。
「キョンキョンが捕まったのは朝方でしょ。それから半日ぐらいだよ」
「う……そうか、面目ない」
「まあ、決定事項みたいなものだから仕方ないよ」
「――――それは、そうかもしれないけど」
「ちょっと、やる気あるの。もたもたしてると先に行くからね」
 廊下の先、曲がり角から顔を出して怒るかがみ
「話してる場合じゃなかったな。急ぐぞこなた」
 こなたを促して走り出す。
 ……やはり苦しいのだろう。
 気丈なふりをしているが、こなたは満足に動ける状態ではない
 ―――そうして。
 かがみの案内に従って、城の出口とやらに辿り着いた。
「で、出口ってここ入り口じゃないのか―――!?」
「? なに当たり前のこと言ってるのよ。玄関ってのはそういうものでしょう。入る時も出る時もここが一番てっとり早いんだから」
 ほらほら、と階段を下りていく。
「…………………」
 ……まあ、こっちも文句を言える立場じゃない。
 階段を下りて広間に出る。
 ここはロビーらしい。
 なら、あとは通路の先にある大きな扉を抜ければ外に出られる、というコトだろう。
「よし、ここまで来たら大丈夫。問題は森に出てからだけど、まあ夜だし、闇に乗じて国道まで出られるかな。
 とにかく外に出ましょう。帰り道は覚えてるから迷う事もないしね」
 玄関へ足を向ける。
 ロビーからは細長い通路が伸びていて、その先に巨大な扉が見えた。
 呆れた事に、通路は三十メートルほどもある。
 ……なんていうか、本当に城なんだな、と思い知りながら歩き出した瞬間。
「―――なぁんだ、もう帰っちゃうの? せっかく来たのに残念ね」
 くすくすという忍び笑いと共に、いない筈の少女の声が響き渡った。
 ああ…やっぱりそう、うまくいかないものである
 咄嗟に振り向く。
 全員が足を止めた。
 ロビーの先。
 俺たちが下りてきた階段に、いてはならないモノがいた。
 ―――奇しくも、状況は前回と似ている。
 頭上に佇む妹と、その背後に控える岡部。
 サーヴァントの力が判る今なら、アレがどれほどの化け物か理解できる。
 ……なんて間違いだ。
 アレは、こなたが本調子なら太刀打ちできる、なんてレベルじゃない。
 ……きっと、戦いになどならない。
 アレは戦って勝てる相手ではない。
 つまり。
 死にたくなければ、アレとは決して出遭うべきではなかったのだ。
「こんばんは。来てくれて嬉しいわ」
 妹の声は愉しげに弾んでいる。
 その笑みはあの夜と同じものだ。捕まえた昆虫を串刺しにする、無邪気で無慈悲な裸の感情。
 ―――それで悟った。
 自分たちは、どうあっても逃げられない。
 俺が何をしようが、止められない。
 なんとか注意を引き寄せたところで、それでかがみたちが逃げられる訳でもない。
「あなたたちが来るコトは判ってたもの。
 わたしは主人なんだから、お客さまのおもてなしをしないといけないでしょう?」
 途端、巨体が消えた。
 跳んだのか、ただそこに移動しただけなのか。
 ゴウン、という旋風を巻いて、岡部はロビーの中心に現れていた。
 ……これで詰めだ。
 退路―――玄関へと向かえば、背中を見せた順にあの斧剣で両断される。
 かといって、このままでいても殺される。
 残された道は、無駄死にと知りながらも、あの死の塊に挑むだけ。
「お喋りはおしまい? それじゃ始めよっか、バーサーカー」
 妹は何かの儀式のように片手をあげ、眼下にいる俺たちを見下ろして、
「――――誓うわ。今日は、一人も逃がさないよ」
 そう、殺意と歓喜の入り交じった宣言をしやがった。
 岡部の眼に光がともる。
 ……今まで従っていただけだったサーヴァントは、その理性を一時的に解放され、目前の敵を認めたのだ。
「――――――――」
 ぎり、という音。
「……古泉……?」
 一歩前に出た古泉は、まるで悔いるように、強く歯を鳴らした。
「僕がアイツの足止めをします」
「馬鹿な……! 正気か、一人では岡部には敵うわけがない……!」
「その隙に逃げて下さい。あなた達が逃げきるまでの時間を稼ぎますので」
「だが、それではお前が」 
 古泉は岡部を見据え
「先に逃げてくれれば僕も逃げられます。単独行動は得意なのですよ」
 一歩、前に出た。
 岡部は動かない。
 頭上からは、クスクスと笑い声だけが聞こえてくる。
「へえ、びっくり。バーサーカーを止めるって思ってるんだ」
「――――――――」
 反論する余裕はない。
 そんな事は、誰よりも古泉自身が判っている。
 ずい、と前に出る古泉。
 その姿は、相変わらずの徒手空拳。
「………………」
 かがみは古泉の背中を見つめている。
 ……かける言葉などないのだろう。
「……………古泉君、あなた」
 何かを言いかけるかがみ。
 それを。
「ところで一つ確認してよろしいでしょうか」
 場違いなほど平然とした声で、古泉が遮った。
「………なに」
 古泉は岡部を見据えたまま、
「別に、アレを倒してしまっても構わないですよね?」
 そんな、トンデモナイ事を口にした。
「―――ええ、遠慮はいらないわ。がつんと痛い目にあわせてやって」
「そうですか。ならば、期待に応えるとしましょう」
 古泉が前に出る。
 距離はわずか十メートル。
 その程度の距離、アレは即座に詰めてくるだろう。
「っ、バカにして……! いいわ、やりなさい! そんなヤツ、バラバラにしちゃって……!」
 ヒステリックな妹の声。
 意にも介さず、かがみは背中を向けた。
「―――行くわ。外に出れば、それでわたしたちの勝ちよ」
 かがみは俺とこなたの手を握って走り始める。
 ……背後に古泉を残したまま玄関へと走り始めた。
 その背中に。
「ああ、そうそう、一つ言い忘れてました」
 背を向けたまま、アイツは呼び止めた。
「――――――――」
 かがみの手を解いて振り返る。
 もう、今では手の届かない場所になったロビーには、岡部と対峙する男の背中があった。
「今回もあなたが鍵を握っているようですね」
 岡部が迫る。
 古泉は素手のまま、一歩も引かず迫り来る敵を見据え―――
「余分な事は考えないでください。あなたのする事が正しいのですから」
 古泉の片手があがる。
 その手には、いつの間にか短剣が握られていた。
「僕はあなたならこの問題を解決してくれると信じてますよ。
 また、部室でオセロでもしましょう」
 背中が沈む。
 岡部の剣風が奔る。
 その衝突を、見届ける事なく走り出した。
 ―――振り向く事なく走る。
 背中が、ただ、行けと告げていた。

 長い廊下を抜け、門をくぐり抜ける。
 ―――信じがたい事に、ここは本当に城だった。
 深い森の中に隠れた古城。
 周囲は見渡すかぎりの森で、遠くにはビルはおろか空さえ見えない。
「こっちよ。三時間も走れば国道に出られるから、それまで走って」
「――――」
 ……三時間か。正直、体はそれほど保つかどうか。
 そんなに走ったことはない
 せめて休憩を挟めば走れるのだろうが、今はそんな余裕はない。
「キョン、早く」
 かがみの声にも余裕はなかった。
「分かってる、すぐに追い付く」
 木々の合間をすり抜けてかがみに続く。
 隣りで走っているこなたの息遣いは、目に見えて乱れていた。
 闇で隠れて見えないが、よほど苦しいのだろう。
 ……これ以上はもう、放っておく訳にはいかない。
「ぁ――――」
 がくん、とこなたがバランスを崩す。
 そのまま地面に倒れそうになる体を、横から強引に引き留めた。
「ここまでだ。これ以上は無理だろ」
「だ、だいじょぶだよ」
 引き留めた腕を引く。
 思っていたよりあっさりと、こなたを両手に抱きあげる事が出来た。
「え―――な、何すんのキョンキョン」
「なにって、しばらく休んでろ。そんな顔で走られてちゃ、こっちが先にまいっちまう」
 抱き上げられた状態で暴れるこなた
 だが、その抵抗は微弱すぎた。
 こっちの胸を突き放そうとする手はか細く、あまりにも力がない。
 ……それで、どれほど弱っていたかを痛感した。
 観念したのか、こなたはしぶしぶと黙り込んだ。
 ――――まあ、今はそれでいい。
 暴れてさえくれなければ、なんとか抱えたまま走って行ける。
 視界が点滅する。
 走れば走るほど血の流れが加速するのか。
 のど元までせり上がる吐き気を抑えながら、歯を食いしばって森を抜ける。
 あとの問題は―――こなたの体と、俺の体が保つかという事ぐらいだ。
 ……もうどのくらい走ったのか。
 三十分程度の気もするし、一時間近く走っている気もする。
「はぁ―――はぁ、はぁ、は――――」
 ただ家に帰れば、それでなんとかなるのだと信じて、懸命に足を動かし――――
 倒れそうになって、咄嗟に木に背中をぶつけて踏みとどまった。
「っ――――――――」
「無茶をするのはここで終わりだよ、キョンキョン」
「こなた……?」
 こなたはそんな事を口にした。
「……なんだ。終わりって、何が」
「だから、キョンキョンは一人で逃げて。その体じゃ無理だよ」
「な――――そんな事あるかっ……! 今のはただ転んだだけだ。こんなの、別にどうってコト――――」
「あるわよ。そんな死人みたいな顔でなに言ってるんだか」
 ―――って。
 何を思ったのか、今まで先行していたかがみが戻ってきていた。
「強がるのは勝手だけどね。そんな顔じゃ心配されるのも当然よ。
 いいからこなたを連れてこっちに来て」
 ひときわ高い木々の合間を抜けると、目の前には予想外のモノが佇んでいた。
「……廃墟」
 こなたを抱きかかえたまま、呆然と建物を見上げてしまう。
 どのような由縁なのか、こんな樹海のただ中に建てられたソレは、今では人気の絶えた廃墟となっている。
「ここならしばらくは身を隠せるでしょ。来る時にね、古泉君が見つけたのよ」
 かがみはざかざかと廃墟へと入っていく。
「……まあ、これ以上崩れる事はないか」
 瓦礫を踏み越えて入り口に向かう。
 ……絶えてどれほどの年月が経っているのか。
 建物は、緑に浸食された亡骸のようでもあった。
 ――廃墟の一階は、その全てが木々に浸食されていた。
 部屋として使えるのは二階ぐらいで、その中でも一番まともな部屋がここだった。
 窓は奇跡的に残っている。
 どういう仕組みなのか、ここからは高い夜空が覗けていた。
「割合キレイじゃない。もしかしたら、最近まで誰かが寝泊まりしてたのかもね」
 かがみは瓦礫をピシパシと踏みつけながら、壁際にあるベッドをパンパンとはたいている。
「キョン、こっち。こなたは寝かせないとまずいでしょ。
 人に抱かれているのって、けっこう体力使うのよ」
「あ――――ああ、今行く」
 ベッドまで注意深く歩いていって、静かにこなたを下ろした。
「どう、苦しい? まだ体を動かすぐらいは問題ない?」
「……キョンキョンがここまで運んでくれたから、なんとかだいじょぶだよ」
「―――そう。ならあとはこっちの問題だけね。あれから一時間は経ってるものね。追ってくるにしても
 もう少し時間はかかるでしょう。……ううん、探すのに手間取れば朝方ぐらいまでは隠れていられるかな」
「あ――――」
 その呟きで思い立った。
 俺たちはこうして廃墟まで逃げ込んだが、岡部と古泉はどうなったのか。
 アイツは足止めをする為に城に残った。
 時間的にもう一時間以上は経っている。
 なら、一人で館から撤退している筈なのだが―――
「かがみ、古泉は―――」
「――――――」
 答えない。
 ただ、右手を胸に当てているだけだ。
 ……それで、古泉の運命は判ってしまった。
 かがみの令呪は右手から消えていた。
「…足止めだって言ったのにね」
 ……沈黙が落ちる。
 永遠に続くかと思われたそれは、しかし。
「―――けど無駄になんかしない。古泉君を失った以上、岡部はここで倒す
 悔やむのはここまでよ。悩んでる暇があったら行動。―――ここまできたら、覚悟を決めるしかないわ」
「……? 覚悟って、なんのだ」
「決まってるじゃない。バーサーカー、岡部を倒す覚悟よ。
 こなたを連れてたらこの森からは出られないし、回復させるにしたって時間がかかるしその間に追い付かれるわ
 判る? わたしたちが三人そろって森から出るには、倒すしかない。それが出来なければ、わたしたちも古泉君の後を追うだけよ」
「――――倒す、だって……?」
 あの怪物を?
 あらゆる攻撃を無効化し、触れる者全てを一撃で粉砕する、あの死の旋風を倒す……?
 そんなもの、想像できない。
 戦えば死ぬ。
 それはかがみだって理解している筈だ。
 それを思い知らされた上で倒すというのか。
「―――――――いや、違う」
 何を寝ぼけた事を言っているのか。
 倒せる、と言っているんじゃない。
「ああ――――そう、か」
 そう、勝つために倒す、ではないんだ。
 ……こんなコト、一番初めに気が付くべきだった。
「倒すしか、ないんだったな」
 これは、ただそれだけの話。
 ここで死にたくないのなら。
 世界を元に戻したいのなら。
 俺たちは、あの怪物を倒すしかないだけなんだと。
「そういう事よ。けどそれほど絶望的な状況って訳でもないわ。
 いくら岡部だって、古泉君と戦った後ならなんらかの傷を負っている筈よ。わたしだって切り札の宝石を全部持ってきているし
 こなたさえ回復すれば打開策の一つや二つは作り出せる。逆に言えばね、傷を負っている今こそ倒せる最大の機会だと思わない?」
「……それはそうかもしれないが。肝心のこなたを回復させる方法はあるのか。……悪いけど、こんな場所で治せるとは思えない」
「ううん、治療に場所は関係ないわ。こなたは単に魔力切れで弱ってるだけだもの。
 一定量の魔力さえ補充してあげれば、あとは以前通りの能力を発揮してくれるわ」
「あのな、その魔力の補充が俺には出来ないから困ってたって話、忘れたのか」
「方法はあるわよ。昨日、その時に説明したでしょ。
 サーヴァントに魔力を分け与える方法は、共有の魔術と、それ以外に一つだけ方法があるって。
 あの時は、まあ……こんな状況になるとは思わなかったから言わなかったけど」
「む――――?」
 昨夜の会話を思い出す。
 そう言えば、確かに言っていたような。
「魔力供給に難しい魔術は要らないわ。ようするにエネルギーを分け与えてあげればいいんだから」
 いや、だからその方法が判らないんだ。
「待ってくれ。マスターが活力を分け与えるって言うけど、そんなのどうやって」
 しばらく俺を見ていたかがみは、顔を赤くしながら少し躊躇ったあと。
「抱きなさい。こなたを」
 そんな事を言ってのけた。
「――――――――な」
 抱きなさい、っていうのは、その。
「なっ!!??」
 待て、なんだっていきなり、そんな話になるんだっ!!!!
「……性交による同調は基本なのよ。それに魔術師の精は魔力の塊でもあるの」
「いや、でも、それは」
 そうカンタンに言われてもどうにかなる問題ではないだろう普通……!
「迷ってる暇はないわ。古泉君がやられた以上、すぐに追ってくるわ。わたしたちが生き残るには
 ここでこなたに回復してもらうしかない。三人じゃないと岡部には太刀打ち出来ない、ならやるべき事は一つよ」
 が、そう言われれば言われるほど頭は混乱して、ますます頭が真っ白になっていく。
「――――――」
 古泉がやられた今、本当にそれしか方法がないのか
 まて、古泉がやられたということは……
「そうだ、かがみがこなたと契約し直すってのはどうだ」
「あ……、その手があったか」
 どうやら盲点だったようだ
「じゃあ、さっそくだけど契約し直してもらえるか」 
「わ、わかったわよ。キョン、ちょっと」
 かがみの腕が伸びる。
 それは、一瞬の出来事だった。
 かがみはこっちの顔に手をやると、ぐい、と強引に振り向かせ、そのまま――――
 控えめに、唇を重ねてきた。
「っ――――――――!!!!?」
 息が出来ない。
 混乱は極みに達していて、なにがなにやら考えつかない。
 ―――それでも、それが反則じみた感触なのだと思い知らされた。
 ……かがみの唇は、ただ柔らかかった。
 他人の肌を唇で感じる、というのはそれだけで特別なコトだと思う。
 だっていうのに、今触れあっているのは肌ではなく肉と肉だ。
 唇は柔らかく、味なんてしないクセに、本当に甘く。
 かがみも馴れていないのか、唇はただ触れあっているだけだ。
 ……強くかがみの体温を感じる。
 漏れる吐息が熱い。……唾液、だろうか。お互いの濡れた唇が、かすかに水分を交換しあう。
 こすれあう鼻はくすぐったくて、堪えるだけで精一杯だった。
「――――――――」
 ……唇が離れる。
 呆然とした俺をよそに、かがみはベッドまで体を離す。
「終わったわよ……」
 かがみが真っ赤になりながらそんなコトを言う。
「かがみ、おまえ―――」
「ごめんね、わたしなんかで」
 なんでかがみが謝るんだ。謝るとしたら、それは俺の方だろ。
「と、とにかく成功したわよ」
 言葉のとおり俺の手あるはずの令呪はかがみの手にあったのだった。


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最終更新:2008年04月16日 21:08
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