泉どなた ◆Hc5WLMHH4E氏の作品です。
夢
それは睡眠時に迷い込む不思議な世界なのか
それとも将来自分がこうありたいという願望なのか
それがどんなに小さなものだったとしても、
人が夢に向かって走り続ける姿は美しいものだ
この夢というものは人それぞれ方向性が違うだろう
特に性別によっても大きく変わってくるはずだ
『ダイエット』
よく女性の口からこういう言葉を耳にする
ただこの言葉を述べる女性の大凡は、その必要の無い場合が多い
逆に必要のある人は案外そのことを気にしていないものである
それは夜の公園のベンチで俺の隣に座る、ジャージ姿のかがみにも言えることで
普段制服を着ている様子を思い出してみても
どこをどう見たって太っているとは思えない
「見つかっただけでも恥ずかしいのに、そんなお世辞言わないでよ」
かがみは少しテンションを落とした様子で、口を尖らせ愚痴を述べる
見つかったというが別に悪いことをしていたわけじゃないんだし
そう気を落とさないで貰いたいものだ
それにお世辞というが、俺はあくまで本当のことを言ったまでで
もしかがみがダイエットしないといけないと言い張るのなら、
世の女性は今すぐ入隊を考える必要がある
「煽てたって木には登らないわよ」
さらにテンションを落としてしまったかがみ
こういうときは話を少しずらして気を紛らわせるのが効果的だな
「それにしても驚いた、かがみが夜な夜なランニングをしているとはな」
「私も驚いたわよ、まさかキョン君に見つかるなんて」
俺としてはかがみの貴重なジャージ姿を拝めて嬉しいが
かがみとしては見られたくないものをバッチリ目撃されて
さぞかしネガティブになっているんだろう
「そうね、これ以上無い屈辱を味わった気がする」
まさに穴があったら入りたいといった心境か
「それが入れる大きさだったらの話だけどね」
「で、キョン君は何してたの?」
「そうだな、夜の街をドライブとでも言おうかな」
「なにそれ?」
特にたいした理由があったわけじゃない
ただその辺に飲み物でも買いに行こうと自転車を走らせていたところ
息を切らせて走るかがみを見かけたんだ
だが一目見ても誰だか分からなかった
トレードマークである二つ結びの代わりに
後頭部付近に付いた大きな団子が左右に揺れていたからな
「邪魔になるからまとめてたの」
団子を手で触りながら、かがみは照れた笑みを浮かべる
俺はその様子をジッと眺めていた
「――あっ」
俺の視線に気付いたかがみが、赤い顔をさらに赤くして目を逸らし俯いた
今まで走っていたせいで気持ちが高ぶっているんだろうな
「でもよかったじゃないか、仲間が増えて」
「は?」
きょとんとした顔というのはまさにこれだ
確認の為に一応言っとくが、俺も男の端くれ
女の子が夜道を走るなんて危険極まりないことで
その事実を目の当たりにして黙っている筈が無いだろう?
こんな夜中にいつ何時変質者が襲ってくるかわからないし
もしくは何か霊的なもんが現れないとも限らない
ここは一つガードマンになる人材が必要になってくるだろう
俺にその任務が真っ当出来るか、やってみないことにはわからないが
姫様の為ならこの身を投げ打ってでもお守りしましょう
「そ、そんなの悪いわよ」
「気にするな、俺も運動不足だったから丁度良い」
それに一人寂しく走るより話し相手が居た方が
楽しく運動できて長続きもするだろう
「もう、勝手にして」
では、明日から早速そうさせてもらおう
んで、その明日がやって来た
中学の時に愛用していたジャージをタンスから引っ張り出す
長いこと眠っていたためすっかり防虫剤の臭いが染み付いている
しかしこれしか持っていないのだから仕方がない
まぁ走っていればその内消えるだろうと
ズボンを一度バサリと振りかざし、片足を入れる
そしてもう片方の足を入れようとした瞬間
机の上に置いた携帯電話がその身を震わせ
不覚にも驚いた俺は危うくズッコケル所だった
小さな恐怖に背中が冷たくなるのを感じながら携帯を開くと
その相手はこれから夜のドライブ……ではなく
ランニングに出かけるパートナーからだった
昨日は俺が参加することに肯定的でなかったくせに
『早く降りてきて走ろうよ!』だそうだ
窓から外の様子を眺めると、少しでも身体を動かそうと
その場で足踏みをするかがみが、距離の関係で小さく見えた
『今行く』と手短に返信を打ち玄関へと向かう
「キョンくんどこいくの~?」
我が妹はどうして俺が出かける頃になると、
それを嗅ぎつけては俺の前に立ちはだかるんだ?
もしかして俺の部屋にカメラでも仕掛けてあるんじゃないか?
さすがにそれはないだろうが、この小学生は侮れんな
「子供は寝る時間だ!」
「こどもじゃないもん!」
今の俺には時間が無いんだ
悪いが今日のところは勘弁願いたいものだな
ボディーガードの対象が増えてもらっては困る
「ようかがみ」
玄関を出てすぐ声を掛けると、かがみは俺の格好を眺める
恐らくかがみの思っていることはひとつだろう
「似合わないわね」
「ほっといてくれ」
このジャージが似合わないのは家の鏡で確認済みだ
だからもう一度かがみで確認する必要はない
つまんないか? つまんないだろう?
「それにひきかえ、よく似合ってるじゃないか」
「なんだか嬉しくないわね」
褒められて喜ばない女性はいないというが
こればっかりはあまり喜ばしいことではないのかもしれん
似合わないと言われると少しヘコムし、かといって似合うといわれても嬉しくない
このジャージというのは難しい立ち位置にいるな
「さ、まずは準備運動も兼ねて歩きましょ」
そう言ってかがみは俺に手を差し出す
「なんだ?」
その行為を不思議に思った俺は意味を尋ねた
途端にかがみの顔が赤く染まっていく
「ボ、ボディーガード……なんでしょ?」
「そうだな」
「手ぐらい……つ、繋ぎなさいよ」
少しサイズの大きなジャージから顔を出したかがみの指を手に取る
俺の冷たい手とは対照的に、かがみの手は温かかった
「ちゃんと守ってね、キョン君」
女の子と手を繋ぐという行為と、その女の子の言葉に
ドキドキしたというのはここだけの秘密にしておいてくれ
「さぁて走るわよ!」
近くの河川敷までやって来た俺達は軽く屈伸をして
かがみなんぞはやる気満々といった様子である
俺はあまりやる気はなかったのだが、自分からやるといった以上逃げられん
かがみより先にバテるという恥ずかしいことだけはないように気をつけよう
「そのときは置いていくわよ」
「それじゃどっちがボディガードか分からん」
川の流れる音を聞きながら、静かな砂利道をかがみと二人で走っていく
どちらかというと運動が嫌いなこの俺がだ
何故かがみのパートナー兼ボディーガードを引き受けたかというと
単純に心配だったのはもちろんだが、それ以外にもう一つ理由がある
それがどんなに小さなものだったとしても、人が夢に向かって走り続ける姿は美しい
そんなかがみの姿を横で見ていたかったからさ
なんてカッコつけてはみたものの
「かがみ、少し休憩しようぜ」
「ちょ、ちょっと! まだ走り出してすぐよ!?」
全く情けないったらありゃしない
「ほらよ」
「ありがと」
ベンチに座り、タオルで汗を拭くかがみに
キンキンに冷えたスポーツドリンクの缶を投げる
かがみはそれを上手くキャッチすると、自身のおでこにあてがった
俺はかがみの横に座ると自分の分を開け、喉を鳴らし飲んだ
「なぁ」
「ん?」
「一応目標はあるんだよな?」
たとえばウエストが何センチ縮んだとか、
たとえば体重が何キロ減ったとか
たとえば約何週間、もしくは何ヶ月だとか
ある程度のゴールを決めておかないと実現するのは難しい
別にかがみのウエストや体重が知りたいわけじゃないぞ?
「目標は体重なんだけど、そこまで言えばいいでしょ?」
「あぁ」
俺もそこまでデリカシーの無い男ではないからな
レディーに対して失礼なことを聞くつもりはない
「ま、頑張れよ」
「なによ、人事みたいに」
「人事だといいがな」
自分の蒔いた種ではあるが、俺も参加を余儀なくされたんだ
お互い頑張ろうではありませんか
「そういえば、誰にも言ってないのか? 家の人にも」
「夜中勝手に外出するのもあれだから、お母さんには言ってるけど」
「それなら安心だ」
「キョン君のことも伝えたし」
なんだか恥ずかしい気がするが、まぁいいだろう
しかしお袋さんの耳にまで届いているとなると、
かがみに何かあったときに示しが付かない
任務の重たさを実感しなおしたよ
「そしたらさ、お母さん『逆にキョン君とやらに襲われないように』ですって」
「随分と俺も信用ないらしいな」
そんな飼い主の手を噛むようなことはしないつもりだ
「でも……キョン君だったら、襲われても……い、いいかなぁ」
俺は自分の耳を疑うと同時に、走ったことで速くなった鼓動が
それ以外の理由で速くなっていることに気が付いた
「な、なに言ってんだよ」
「ねぇキョン君」
かがみの顔が目の前まで迫っており、
その瞳には困惑した表情の男が映っている
「目を閉じて」
まるで催眠術に掛けられたように俺はその言葉に従った
これでは俺のほうが襲われているような形だが、それを気にとめる余裕は無い
俺はこれから起こるであろうことに緊張して唇を震わせていた
目を瞑っているため見えはしないが、そんな俺の唇に近づいてくるものがあった
「えい!」
「冷たッ!」
あまりに急なその感覚に、思わず目を見開くと
かがみが顔の横で青い缶を揺らし、ニヤニヤと微笑んでいた
「やりやがったな……」
「え?」
初心な男心を弄び、有らぬ期待を持たせた後にそれを裏切り
その上悪びれる様子も無くほくそ笑むとは言語道断
この恨み晴らさでおくべきか!
「ちょっと! や、やめなさいよ!」
あくまでも冗談のつもりでかがみに手を伸ばすも、意外と強い力でその手を払われた
あまりに強い抵抗につい俺もヒートアップしてしまい
今の俺は、傍から見れば本当に女性を襲う強姦に見えるだろう
「あっ!」
かがみの手から缶が音を立てて落ち、まだ半分ほど残っていたのか
口から出たスポーツドリンクが地面にシミを作っている
気が付くと、かがみは肘を付く形でベンチに倒れこみ
俺はその上に覆いかぶさっていた
「か、かがみ」
「……キョン君」
二人はお互いの名前を呼び合ってからずっと見つめあっていた
するとしばらくして今度はかがみが目を閉じた
よく見ると唇を少し尖らせているようだった
「かがみ」
もう一度かがみの名を呼ぶと、それが少し動いた
俺はピンク色に染まったかがみの唇に……
その後二人がどうなったかは、皆さんのご想像にお任せしよう
それぞれ思い思いの展開を頭に浮かべているだろうが
これだけは自身を持って言える
俺が唇に受けた感触は、その想像を遥かに超えるものだった
めでたしめでたし
と言いたい所だが、このランニングはこれからも続けていくことになる
恐らくは、かがみの目標が達成されるまでな
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最終更新:2008年04月21日 11:15