雨にしのび、何を想う

小泉の人◆FLUci82hb氏の作品です。


「うぉ……」
約一時間半ぶりに顔をあげた俺は愕然とした。
たしか…いつも通りにSOS団に来て、やることもないので昼寝をしていた。
ああ、いつも通りだった。その筈だよな?
いや俺はそんな事で混乱してるわけじゃないし朝比奈さんの淹れてくれたお茶がそのまま冷めてしまったことに悲しんでいるわけでもない。
ズズ、と冷えきったお茶を寝起きの状態のまま啜る。
熱々の煎茶だったと記憶していたが、手の中にある湯のみは既に冷たかった。
そしてやはり中身も相応に冷たい。
冷えた煎茶などあまり好みではないが自業自得だ。
もちろん朝比奈さんの淹れたお茶を捨てるなんて俺にはできない。
一気に喉に流し込むと冷えた液体が喉を通過して胃袋へ辿り着き、その足跡から体が冷えて行くのを感じる。
…よし、少し落ち着いた。
まず現状を整理しようか?
灯りの消えた室内。
どうせハルヒがキョンは~(俺には分からない超理論が展開)~だからいいのよ!とか言って消して帰ったのだろう。
「じゃなくてだな…俺…」
まだ混乱してる…いや、現実が受け入れられないのか?
湯のみを再び煽ってみるが、飲み干した湯のみにお茶が残ってる訳がない。
数秒前の自分の行動すら忘れている自分にびっくりだね。
落ち着いて湯のみを置き、現実を直視しよう。
誰もいない室内で一人、ハルヒの珍態に悩むいつものポーズをする。
ハルヒがどうこう言って俺に被害がくるのは当然のことで、灯りが消えてしかも一人ぼっちでいるのは関係ないだろう?
そう。問題はただ一つ。
視線を窓の外へと向け、灰色の雲を睨む。

「…外めっちゃ雨降ってる」

耳障りな音が聞こえる。
空から透明色の使者が特攻して窓に体当たりをする音だ。
ああこれ君タチ。無駄に命は散らすものではありませんよ。
しとしと、などと日本的な音ではなく。
ザーザー、みたいな台風的な音でもなく。
ドタタタタ!!!と破壊的な音をあげて雨粒は玉砕していく。
「マジかよ…」
台風が来てるわけでもないのにこの豪雨はなんだ?
ハルヒか?またハルヒなのか?それともナチュラルメイド天災なのか?
頭を抱え込む俺。
しかしながら再び現実から逃げている自分に気付かず、そのまま十数分ばかり傘を借りようだのを考えもしなかった俺であった。

―*―

さて、ぐずぐずと部室で解決案を模索(建前である。実際は現実逃避していたと言える)してても意味がない。
カバンを教室に取りに行き、帰ろうと上履きから靴へと履き替えた。
ところで、俺は朝に家を出る前に天気予報などといったクソつまらないものは見ないし、雨がどうとか親切に忠告する優しい母親もいない。
新聞紙もテレビ欄を見たらハイさようなら、といった風な俺である。
そして置き傘なんて優等生がするものも俺はしていない。
要約すると傘などといったものは持ってきていないということである。
「雨足は弱まったが……まだ厳しいな」
先ほどまでの、殺傷能力を持ちかねない厳しい体当たりを仕掛けていた雨粒は一転して優しげな恵みの雨と表現できそうなまでになっていた。
だからと言って濡れて帰るのはこの季節は少し寒すぎる。
アホの谷口ではあるまいし俺は風邪をひくように構造設計されているのだ。
この今俺の居る昇降口から見える景色は、雨に煙るという表現がぴったり来るようなほど濃い霧に覆われながら雨を降らしている。
霧はさながら本物の煙のように視界を遮っている。
「しかもこんな霧じゃ車に轢かれかねんな…」
空を見上げれば所々太陽が射しているが、霧は晴れる様子もない。
しばらくすれば晴れるのかもしれないが、あいにくと時間が時間なのでこれ以上待っていたら完璧に暗くなる可能性がある。
しかし今帰るなら濡れて帰る必要があるし風邪をひくかもしれんし……
と、飽きずにまた自問自答の現実逃避にハマる俺であった。

「……、ぶえっくし!!」

オヤジ臭いくしゃみが唐突に出た。
雨のせいか周りの温度も下がっているらしく、久しぶりの肌寒さを感じて俺は身震いをした。
いかんな。これではここに突っ立ていても風邪をひくハメになりかねんぞ。
いっそのことやはり走って帰るべきか…?
最初からそう決めれれば風邪をひく可能性を減らせたのかもしれないが、回りくどくめんどくさがりなのが性格なので指摘するのは勘弁願いたい。
一気にこの霧の中を走り抜ける決心をようやく固めると、

「待って~!」

と後ろから聞き覚えのあるどこか庇護欲を誘うような、言い換えれば見てないと危なっかしいような声が聞こえてきた。
後ろを振り返れば見覚えのある顔が、つかさがこちらに向かって走ってきている所だった。
「あ、あの…キョン君は、いま帰るところ?」
少しばかり走ったからか、息を少し詰まらせながらしゃべるつかさ。
別に逃げはしないから落ち着いて行動しなさい。
「もしよかったら、なんだけど…」
そこで言葉を詰まらせるつかさ。
特に気にとめてなかったが、つかさの手には傘が握られていた。
「こ、こゆぇ…じゃなくてこれ!先生から借りたんだけどキョン君もどうかなって……」
「ふむ」
外はまだ雨。
煙る街並みをとつかさを数回見比べて最後にもう一度つかさを見る。
「スマン、正直ありがたい」
とりあえずそう答えることにした。

―*―

異常なほどの霧の中を二人で歩く。
雨はもう霧雨と呼べる程度までに弱まっている。
しかし、俺とつかさは同じ傘の下で歩調を合わせながら歩いていた。
「寒いな」
「あ、うん。そうだね…」
四月を迎えたというのにとても寒かった。
理由は雨のせいなのだろうが。
「……」
「……」
この場の空気は決して雨のせいでは無いだろう。
ありがたく傘に入れてもらったはいいのだが、会話のキャッチボールが続きやしない。
隣を歩くつかさはどこか呆、とした表情でなんだか危うげな感じを漂わせていた。
この異様に濃い霧のせいで周りに人が居ないように感じられて、まるで二人きり(事実そうだが)のようだ。
そんな状態で双方共にほぼ無言というのは如何なるものだろうか?
陽の傾きもかなりのものとなっているし、ますます世界に二人きりで取り残されたあの空間を思い出し―――
「…いやいやいや」
いくらなんでもそれは失礼だろう。
ハルヒとつかさを一緒くたに考えるなんて……その、どっちにも失礼だ。
「……」
ぱらぱらと降る雨は、傘に当たっても音を立てず。
雨でぬかるんだ地面と、立ち込める霧は音を吸う。
ほの暗い辺りの情景は周囲をまったくの無人として演出している。
…つかさがどう思っているかをうかがい知ることはできないが、おそらく居心地の悪さを味わっているだろうとは思う。
かといって、何をすればこの空気を打破できるのだろうか?
ずっと、無言のままで歩く。
歩く。
歩く。
歩く。
肌にまとわりつく湿気に多少の不快感を覚えながらどれほど歩いたのか。
霧のせいで距離感というものが喪失していたのだが、見慣れた三叉路が視界に入った。
「…そろそろだな」
「え?……うん、そうだね」
ここでつかさと別れる。
ただそれだけのことなのだが、どうにも後ろ髪をひかれるのはどういった理由なのだろうか。
それはつかさが憂鬱そうな顔をしているからかもしれないし、それとも俺がつかさにあの時のハルヒを重ねてしまった後ろめたさなのか。
「それじゃあ、な」
その場から逃げるように捨て台詞のように別れの挨拶を残し、傘の下から出る。
俺は首筋に降りかかる雫の冷たさに眉をしかめた。
そして、つかさの顔を振り返りもせずに歩を進めようとする。
「待って!」
しかしそれはつかさの一言で阻止された。
袖が引かれた。
子供が親とはぐれまいと握りしめるような形で。
「つかさ…?」
つかさの手が、俺の袖を掴んでいた。
そして、振り返った俺の見たものは、普段よりも近くの距離にあるつかさの顔だった。
距離にしておそらく三十センチも顔と顔は離れてなかっただろう。
その大きな瞳は俺の顔のみを映していて、鏡のように自分の顔を確認できた。
「…」
眼は口ほどに物を言う、とは言うがそれは少し違うのだろう。
おそらくはその場の雰囲気というやつがそうさせるのであって、たまたま目が合っただけにすぎないのだろう。
…今俺が感じてるように。
「あ、の…だな」
静かに音を吸う霧と雨に消えたのか、発した声はとんでもなくか細かった。
向き合ったまま固まる二人。
誰かが通りかかればおそらくばね仕掛けがあるかのごとく離れてしまうのだろうけど。
ここには誰もいないし、霧に隠れて誰も見れない。
まさしく天然の閉鎖空間とでも言ったような環境だ。
沈む夕日を背景にしたつかさは照らされてか、自らの色か分からないが赤く染まっていたのが見えた。
ぽつぽつと体を冷やす雨が降りつけているが、そんなことを構いもせずに暑く体は火照っている。
つかさの手から傘が落ち、自由になった左手が服の裾を掴む。
――ガシャン、
傘はその骨をアスファルトにぶつけて音をだした。しかし、誰もその音を聞いていなかった。
俺はつかさの体が、その身を預けて腕の内に入ってくる事に気を取られ、
つかさは赤く染まった顔をこちらに向けて固定していたからだ。
自然、抱きとめるような形になる。
俺の腕の内にすっかりと収まってしまうとつかさのその小さな手は服から一旦離れ、俺の腰の後ろで再び組まれた。
胸元に密着するつかさの体は、まるで温度を受け渡しているかのように、俺のその部分を熱く、暑く火照らせる。
しっかりと俺を見つめる瞳は、全く動こうとしない。
俺もまた、つかさの瞳に固定されたままである。





――校庭と道路の違いはあれ、この閉鎖された空間…つまり閉鎖空間で俺はあの時の行動をトレースしたのだった。



―*―
雨が降っている。
今日は朝から雨だったのでちゃんと持参してきていた。
傘立てに突っ込んだ傘を確認して下校する。
この昇降口から見える色とりどりの傘を眺めながら傘を広げて俺も外へ足を踏み出した。
あの次の日、どんな顔を合わせればいいか戸惑っていた俺につかさはいつも通り…平常通りの態度で接してきた。
もしも、あれが夢だったならフロイト先生はどんな診断を下すのだろうか。
つかさの態度があまりにも普段と同じだったので、本気で夢だと信じてしまいそうだ。
「…」
足元のぬかるんだ地面は音を吸って、雨の降る音の以外一切を遮断していた。
そのせいかいつもより見ることに集中していたのだろうか?
遠くに並ぶ四つの傘が見えた。
そのうちの一つは、何かにぶつけたかのように一部が少し折れていた。







折れた傘。
それはつまり。
「…いやいやいや」
一体俺は何を望んでいるのだろうか?
事実であって欲しいのか?
そもそも傘の骨が折れているのは別の理由があるかもしれないじゃないか。
それにつかさがあんな、
「……」
むこうが触れないならこちらも触れないほうがいいのではないか?
ああそうしよう。いや、そうするべきだ。思い上がるな俺。
「しかしあれだな…この罪悪感はだれに対する罪悪感なんだろうな」
俺の独り言は雨に消えた。
そしてあの傘は、いつのまにか見えなくなっていた。
あの傘はどこでその骨を折ったのだろうか。










作品の感想はこちらにどうぞ

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2008年04月21日 11:38
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。