Fate > unlucky night ~八日目

「――――――――」
 目を覚ます。
 ―――森から出て、うちに帰ってきたのが昨日の午後。
 かがみは腹の傷が痛むといって部屋に戻り、俺も激しい頭痛が続いていて、とにかくすぐに眠りたかった。
 重い荷物を運んできた、という事もあった。
 その重い荷物であった妹は教会に預けてきた
 妙に神父である泉父が喜んでいた気がしたが…
 そして部屋に戻って横になったら、あとは起きあがる事さえできなかった。
「……半日眠ってたワケか。……ん、さすがに頭痛は治まってるな」
 ほう、と胸を撫で下ろす。
 岡部との一件。
 古泉の血を飲んでから起きた頭痛は半端ではなかった。
 あれがあのまま続いていたら、体より先に頭がいかれていただろう。
 ……と。
 立ち上がろうとした矢先、左腕がずるりと滑った。
「あれ?」
 おかしいな、と触れてみる。
 異状はない。
 痛みもなければ出血もないし、なにより―――今触っている、という実感もない。
「…………む」
 もしかして、と左胸をつねってみると、これまた痛みも感触もない。
「……………」
 痛みは引いたものの、まだ体は回復しきっていない、という事だろうか。
 左腕がまるごと感触がなく、自分の体という実感もない。
 ま、とりあえずちゃんと動くし、時間が経てば元に戻るだろう。
 
 Fate/unlucky night ~八日目

 時刻は朝の九時過ぎ。
 昨日の朝から何も食べていないので腹は減り過ぎている。
 九時を過ぎてはもう朝とは言えないが
 朝食はわりとがっしりとしたメニューに決めた。
「キョンキョン。かがみを起こさなくていいの?」
「ああ、まだ寝てるんだろ。昨日が昨日だし、無理に起こすコトもない。メシは作っておけば勝手に食べるだろ」
 冷蔵庫から合い挽き肉とねぎ、しめじ玉ねぎ卵を取り出して台所に向かう。
 あとはパン粉と酒とサラダ油と……
 ぺったんぺったん。
 玉ねぎパン粉酒たまご塩、をこねくりまわした物と、挽肉四百グラムをこれまたコネコネとこねくり回す。
 今朝のメニューは、大胆にも和風煮込みハンバーグにしてみた。
「かがみ? 目が覚めたの?」
 居間からこなたの声が聞こえる。
「かがみ?」
 調理をしながら振り返る。
「……おはよ。ごめん、牛乳飲ませて」
 かがみは不機嫌そうな顔でこっちにやってきて、冷蔵庫から牛乳を取り出した。
「あー、寝過ぎて頭いたい……って、あれ? なに、朝から凝ってるじゃない」
 さっきまでの不機嫌っぷりは何処にいったのか、こっちを見るなり目を輝かす。
「へえ、おいしそう。うん、ちょうどお腹も減ってたし、助かったわ」
 そうかい。だが助かったのはそっちで、こっちは手間が増えたのだが。
「……手伝おうって気はないのか」
「私、料理苦手なのよね。それじゃわたしの分もよろしくね」
 ひらひらと手を振って居間に戻る。
 かがみは牛乳をついだグラスを片手に、テーブルにどかーっと陣取った。
 すごい気の抜けっぷりというか。
「だらけてるね、かがみ」
 普段がだらけているおまえが言えることか
 だが。どこ吹く風、まあねー、なんてやる気なさげに受け流されていた。
「そりゃあだらけもするわよ。
 あとはキャスターと谷口とアサシンでしょ? 大した敵じゃないわ、今のこなたなら余裕で撃退できるじゃない」
「それは判んないよ。グッチーはなんとかなるとして、キャスターとアサシンはまだ誰だかわかんないし」
「大丈夫、大丈夫。今までは魔力不足で嘆いてたけどそれも解決したし。いざとなったらキョンがなんとかするわ」
 結局最後は俺なんですか
「そういえば、いつの間にかかがみがマスターになってたけど
 どうやったの?契約し直したつもりないけど」
 ぶっ、と飲んだ牛乳にむせているかがみ。
 びきり、と石化する俺。
「あれ、どうしたの?」
「え?いや、その、共感状態にして略奪の魔術で権利を移しただけよ」 
「共感状態ってまさか……」
「べ、別に疚しいことなんてして無いわよ。ちょっと……キス…した……だけ」
 見事に自爆。自ら地雷を踏んだようなものだ
 その後、言うまでもないと思うがこなたに散々いじられたのであった
 朝食を済ませて道場に移る。
 どのくらい古泉の技術を読み込めたか試しにこなたと打ち合いをするためだ
 随分広い屋敷だと思っていたが道場まであったとはな
 かがみは自室に戻り、こなたは俺に付いて来ている。
 壁に立てかけてあった二本の竹刀を取って、こなたに振り向く。
 竹刀を構えてこなたを見据える。
 二時間に渡った打ち合いが終わって、休憩時間。
 こなたと打ち合っていた足を止めて、竹刀を壁際に置く。
「はあ―――は――やっぱり、七割、ぐらいか」
 水を入れたヤカンを口にする。
 乾いた喉を潤し、汗まみれの首をタオルで拭いて、ようやく体は落ち着いた。
 時計は十二時少し前
「そだね。技術と経験はたしかに上がってるけど勘や体力はそのままだからね」
 ごもっともな意見だ、いくら高性能の戦闘機だって燃料が無かったり
 パイロットが未熟なら性能を100%発揮できない
 まさしく今の俺はそんな状態だ
 のんびりしていると、かがみがやってきた。
「キョン、いる? なるべく早めに顔を出してよね」
 簡潔に用件だけ言って、かがみは別棟に戻っていく。
「……そうだ、忘れてた。かがみに部屋に来るように言われてたな」
 早々に片づけて別棟に行くとするか
「悪い、かがみの部屋に行ってくる」
「いいよ。わたしもなんだか眠いし、少し昼寝してるから」
 眠そうに瞼をこすりながらこなたは道場から出ていった。
「ところで、体で壊れちゃったところとかない?」
 部屋に入るなり、おかしなコトを訊いてきた。
「―――? 壊れたって、何が」
「だから、体で動かない箇所はないかって訊いてるの。
 あれだけメチャクチャしたんだから、神経が焼き切れるてもおかしくないのよ。
 体に異状があるのか調べないといけないでしょ」
 ……どうも、俺の左腕はその後遺症らしい。
「―――いや、動かないところはないぞ。左腕の感覚が無いだけだ
 一晩寝たら頭痛も熱もなくなったし、俺はいたって健康だが」
「左腕の感覚が無いって……」
「別に動かすぶんには問題ないが」
「キョン、ちょっと腕見せて!」
 こっちの返答も待たず、腕を取ってまじまじと見つめるかがみ。
「っ――――――――」
 それで、息が止まってしまった。
 ……いくら親しいとはいえ、こんな近くにこられると、
 その――――この距離は、否応なしにあの夜を思い返させる。
 忘れていた訳じゃないが、アレは俺にとって緊急時の幻に近い。
 思い返してしまえば平静ではいられないが、こんな事でもないかぎり思い返す事はない。
 だっていうのに、こんな近くにこられたら、思い出してしまう。
「……麻痺は一時的なものね。今まで在ったというのに使われてなかった回路に全開で魔力を通した結果、回路そのものが驚いている状態に……」
 ぶつぶつと呟くかがみの吐息がかかる。
「―――――――ちょっ」
 それだけでも顔が真っ赤になるっていうのに、あまつさえ。
 袖をまくしあげ、人の腕にペタペタと手を当てる
「ちょっ、ストップ……! も、もういいだろ、用が済んだら椅子に戻れ……!」
 腕を引いて、離れる。
「? なによ、こっちはアンタの体を看てあげてるっていうのに……って」
 かがみは体を寄せてくる。
「熱は下がったっていうけど、まだあるんじゃない? 顔が真っ赤よ」
 と言いながら額に手をあててきた
「うおっ……! ひ、額に手なんてあてるな……!
 熱なんてないんだから、そんなコトしても意味ないぞ……!」
「ええ、そうみたいね。今度は耳まで真っ赤だもの。熱っていうよりお酒に酔っぱらってるみたいね」
「……わざとやってるな」
「え、ばれた」
 てへっ、と言い頭を小突くかがみ
 かがみの新しい一面を垣間見たような気がした
 その後、かがみはよく判らない薬を処方してくれた。
「気休めだろうけど、もしもの時の痛み止めぐらいは飲んどきなさい」
 なんて言って、薄い緑色の粉薬を用意してくれたのだ。
 薬をお茶で飲み下す。
 かがみは荷物をかきわけて、まだ違う薬を処方しようとしている。
「………………」
 で。
 何種類かの薬を飲まされた後は、体の様子を見るから、と簡単な強化の練習をさせられた。
 身体に魔力を通して支障がないか調べるとかなんとか。
 そんでもって日が落ち、夕食の準備を始めた頃

「!?」
 重い鈴の音が響くのと、屋敷が闇に落ちたのは同時だった。
 場の空気が一変する。
 突然電気が落ちたというのに、俺もこなたもかがみも一言も漏らさず、感覚だけで周囲の気配を察していた。
 重い鈴の音は止んで、居間はひたすらに無音だった。
 だが。
 何か、軽い物がこすれ合うような音が、さざ波のように響いてくる。
「……今の警告音、この屋敷の結界……?」
 無言で頷く。
 今の音は谷口が侵入してきた時と同じだ。
 ならば、これは言うまでもなく――――
「――――!」
 音は多く、近くなってきている。
 ……ガシャガシャという音。
 誘蛾灯に群がる虫を想像させる。
 音がしていないのはこの居間だけだ。
 電気が落ちてから一分と経たず、居間は正体不明の音に取り囲まれていた。
「―――敵か。けどサーヴァントにしては、これは」
 数が多すぎる。
 周りを取り囲んでいる魔力が、複数の人間によるモノだってのは感じ取れる。
 ざっと感じ取れるだけでも二十。
 かがみ曰く、骨だけの兵士みたいなものだそうだ
 カシャカシャと音をたてているソレは、がらんどうの人形じみている
 と―――同時に、耳障りだった音が止んだ。
「――――――――」
 とっさに右手に双剣の黒い方、干将だけを投影した
 ちなみに白い方は莫耶といい対になっていて
 なんでも離ればなれになっても強い絆で結ばれていて
 必ず二本とも揃うとかなんとか
 ってこんな話ししてる場合じゃねえ。
 敵が何者であるかははっきりしている。
 敵のサーヴァント……キャスターが手勢を連れて襲撃してきたのだ
「……ここにいても始まらない。こなた、かがみ」
「判ってる、雑魚はまかせなさい。その間にあんたたちはキャスターを」
「頼む。けど、出来るだけ無理はするなよ。敵を倒す事より逃げる事を考えろ」
 言われるまでもない、と頷いてくれた。
 かがみに背を向けて、縁側に通じる廊下へと急ぐ。
 瞬間。
 我が目を疑った。
 剣が振り下ろされる。
 呆然と立ちつくした俺の脳天めがけて、容赦のない、避けようのない凶撃が炸裂した。
「っ――――――――!」
 それを、咄嗟に体をひねりつつ干将で弾いた。
 自分でも信じられない。
 ただ自然に、死んだ、と思った瞬間、体の方で反応していた。
 ソレは躊躇うことなく次弾を放ってきた。
 なめらかな機械のような動作。
 無駄のない的確な剣戟。
 ―――だがそれだけ。
 的確なだけで洗練されてもいなければ、必殺を思わせる激しさもない。
「――――」
 壁に背を付けながら弾く。
 その、こちらが身を退けて空いた空間に、
 稲妻のような一撃が叩き下ろされた。
「キョンキョン、無事?」
「見ての通りだ。肝を冷やしたけどなんとかなった」
 廊下には何もない。
 こなたの一撃でバラバラに吹き飛ばされたさっきの異形は、幻のように消えていた。
「今のはかがみの言っていた、魔物の体を触媒にして象った兵士だよ」
「…………!」
 どこに隠れていたのか、いや、いつのまにここまで侵り込んでいたのか。
 なにか、出来の悪い積み木じみたソレは、蜘蛛を思わせる動作で集まりだしていた。
 くわえて、質の悪い事に気配はこれだけではない。
 目の前にいる何倍もの骨が、この屋敷を取り囲んでいる――――
「キョンキョン、横!」
「――――!」
 咄嗟に壁から離れる。
「くっ、この――――!」
 にじりよってくる骨を干将で払う。
 その直後、隙だらけの俺の背中を守って、こなたはにじり寄ってきた骨を薙ぎ払う……!
 骨どもは散漫な動きで俺たちににじり寄り、どいつもこいつも同じような動作で襲いかかってくる。
 捌くのは難しい事ではないが、その度に屋敷のあちこちが壊されていく。
 ……それに、まさかとは思うのだが、骨の数はそれこそ限りがないのかもしれない。
 下手をすればこちらが倒れるまで、こんな小競り合いを続ける事に――――
「チッ、どっから沸いてやがるんだコイツら……!」
 こなたに背中を預けながら毒づく。
 俺に寄ってくる骨は少ない。
 ヤツらは室内にも沸いているようだが、だいたい庭から侵入してきている。
 こなたは庭から侵入してくる骨を次から次ぎへと薙ぎ払っていた。
 ……連中の目的は何だ?
「――――」
 こなたは剣を構え直す。
 剣は既に透明ではない。黄金の剣はその真の力を発揮せんと輝いていた。
「―――ま、待て、使うな! うちが吹っ飛ぶ分には構わな……ああいや、構うけど、それでも周りは住宅地だ。ここでそんなものを使われたらどうなるか判るだろう……!」
 目前ににじりよった骨を払いながら叫ぶ。
「これだけの数をまともに相手にするのは面倒だよ。一掃しなきゃそのうち追い詰められるよ」
「分かってる。ようするにアレは使い魔の類だろう。なら操り手を叩けば一網打尽だ。こなた、キャスターは何処にいる?」
「キャスターは庭にいるよ。気配を隠しもしない、という事は、誘ってるみたいだね」
「構わない、誘いに乗ろう。どっちにしたって、こんなコトを続けてたらこっちが先にまいっちまう」
「じゃ、このままキャスターを?」
 ここからなら庭は目の前だ。
 キャスターが庭にいるのなら、辿り着くのはそう難しい事じゃない。
「―――キャスターを叩く。骨の相手をしてるかがみも心配だ」
「じゃあ、行こう。背中を任せるよ」
 群がる骨どもを薙ぎ払いながらこなたは疾走する。
 その様は、雪をかき分ける雪上車のようでもあった。
 骨の兵士は近寄る事も出来ず霧散していく。
 雪花、とはこの事か。
 散らばっていく骨があまりにも多すぎて、まるで吹雪の中にいるようだった。
「――――――はあ」
 背中を任せるとは言われたが、これでは守る必要もない。

 こなたは迷いなく突き進む。
 この骨どもの大本。
 屋敷に侵入した、未だ見ぬ五人目のサーヴァントをうち倒す為に。
 こなたが足を止める。
 あれだけ群がってきた兵士たちの姿もない。
 ここが終着なのか、目前には何かが立っていた。
 歪な人影。
 ローブか何かを羽織ったソイツは、そこだけ黒く塗り潰されたように、姿というものが見えなかった。
 ……黒い影。
「やっとでてきたのです」
 黒く塗り潰されたアレが骨どもの主……その正体は、橘 京子であった
 近くにマスターらしき姿はない。
 こいつも谷口と同じで、マスターから離れて行動するタイプなのだろうか……?
「で、なんのようだ」
「決まってるのです。あなた達を倒しに来ました、と言いたいところですけど」
 ですけど?
「キョン君をいただきに来たのです」
 はい? 朝比奈さんに続き今度は俺を拉致するつもりか
 どうやらこいつは自分の意思や記憶が残っているようだ
「どういう目的だ」
「前にも言ったのです。涼宮さんの力を佐々木さんに戻すのです」
 まだ諦めてなかったのかこいつは
「ちょっと何言ってんの、キョンキョンはかがみのものだよ
 そしてかがみはわたしのものだからキョンキョンはわたしのものでもあるのだよ」
 なんだそのジャイアニズム的な発言は
 それに、俺は人の所有物になったつもりは無い
「ならば、あなたごといただくのです」
 まともに受け取ってるし
「できるものならね」 
 こなたの体が、わずかに傾き
 地を蹴って黒い影へと疾走する。
 歪な影が微笑する。
 橘は走り寄るこなたに慌てた風もなく、
「λαπσδ」
『圧迫』と。
 俺たちには聞き取れない言語で、言葉以上に脳に訴える呪文を呟いた。
 途端、世界が歪んだ。
 いや、こなたの周囲だけ、空気の密度が変化した。
「な――――!」
 ドン、という衝撃。
 地面は沈み、何か巨大なモノが、こなためがけて落下したとしか思えない。
「こなた……!」
 こなたは固まっている。
 その足は地面を蹴ったままだ。
 空間に縫いつけられている。
 いや、周囲の空気が透明なゼラチンのように変化している。
「――――!」
 近寄りたくても、ぶにゃりとした見えない膜に弾かれる。
 この濁りはこなたの周りだけのようだが、地に足がついていない以上、こなたは動けない。
「侮りすぎなのです」
 黒いローブから嘲笑が漏れる。
 こなたは空間に縫い止められたまま、
「なんだ。本当にこの程度なんだ」
 そう、つまらなそうに言い捨てた。
「対魔力……!? そんな!?」
 黒いローブが後じさる。
 一息で橘の魔術を無効化したこなたは、今度こそ、稲妻めいた速度で橘へと間合いを詰める。
「――――――――」
 簡単すぎるいくら有利とは言え
 懐にこうも簡単に入れるわけがない
 こなたが剣を振り上げる。
 胸の動悸に促されるように、必死にこなたへと走り出た
 不意に、こなたの動きが止まった。
「それは――――」
 咄嗟に身を翻そうとするこなた。
 が。
 地中に潜ませていたのか、後退しようとするこなたの両足に、骨の腕が絡みつく――――!
「これで詰みなのです!」
 橘の黒いローブから刃物が飛び出る。
 それはおかしな形の短刀だった。
 細く、脆く、およそ人を殺すには不適切な刃物。
 見た瞬間、その短刀の能力がわかった
 アレはなんの殺傷能力もない、儀礼用の鍵にすぎない。
 けれど、あらゆる契約を覆す裏切りの刃。
 あらゆる法式を破壊する
 マスターとサーヴァントの繋がりさえ完全に断つことができる。
 橘は勝機とばかりに振りかぶる。
 地中から足を取られた、という驚きもあったのか。
 こなたは振り下ろされる短刀を弾く事もせず、呆然とそれを受け入れ――――
「うぉぉぉおお…………!」
「な―――」
 背中で、橘の声を聞く。
 ヤツがどんな顔をしているかは見えない。
 俺に出来る事といったら、こなたの前に立って、代わりに刃を受ける事ぐらいしかなかった。
「ぐ――――痛ぅ…………!!!!」
 ……っ、それにしても巧くない。
 俺には正面から短刀を捉える自信がなかった。
 だから短刀を受けるより、庇った方が確実だと判断して、こなたを隠すように抱きしめた。
 結果として、短刀は俺の背中――――とりわけとんでもなく痛い、背骨をスッパリと抉り切ったのだ。
「っ、が………………!!!!」
 あまりの痛みに泣きそうになるのを堪えて。
「キョ、ン……?」
 耳元の声も、今はなんと言っているか判らない。
「はな、れろ――――後ろ、に」
 声を絞って、跳べ、と言うより先に、こなたはこちらの意を汲んでくれたらしい。
 ひゅん、と大きく体が泳ぐ。
 こなたは両足を掴んだ骨を振り払うように後ろに跳躍し、こなたを抱いていた俺も一緒に運ばれた。
「キョン、傷を――――!」
 切迫したこなたの声。
 優しく地面におろされたものの、背中の痛みは増すばかりだ。
 こう、背骨をハサミでジョキジョキと切られて、むりやり鉛をつっこまれている。
 ゴリゴリとした痛みからして、そうそう、ちょうど携帯電話を押し込まれているような感じ――――
「キョン、しっかりして、キョン――――!」
 ……取り乱しているのだろう。
 それにしても、こなたが普通にキョンと呼ぶのは珍しい、逆にこっちが冷静になる。
「そんな大声出さなくても聞こえてる。こんなの、痛いだけでどうってコトない。今は俺より、橘、を」
 顔を下げたまま、橘がいるであろう場所を指さす。
「――――わかった。すぐに決着をつけるよ。少しのあいだ辛抱しててね」
 ……こなたは橘へと向き直る。
「今のが宝具だね」
 橘は忌々しげに舌を鳴らし、手にした歪な短刀を持ち上げた。
「……ええ。見ての通りナマクラで、人間一人殺せない物ですけど。ある事柄に関してのみ万能とされる魔法の符なのです。
 ……触れたくないのなら、私には近寄らないことです」
 そうは言うものの、橘には先ほどまでの余裕は感じられない。
「……構うな、アイツの種は割れたんだ。おまえなら、あとは問題なく倒せ、るハズ、だ」
 歯を食いしばって指示を送る。
「あら、それでいいのですか? 確かに貴女なら私を追い詰められるけど、その間に誰がキョン君を守るのですか。
 言うまでもないでしょうけど、私の魔術が通じないのはあくまで貴女だけ。貴女がキョン君から離れれば、追い詰められた私が何をするか、予想がつくのではないの?」
 ―――骨どもの音が増えていく。
 地面に膝をついた俺と、俺を守るように剣を構えるこなたを取り囲んでいく。
「残るサーヴァントは私と貴女、それにランサーだけ。貴女たちをどうにかすれば、ランサーなど敵ではないのです」
「―――残り三人? アサシンは既に倒されたの?」
「さあ? 気配が無いのだからランサーにでも倒されたのでしょう」
「――――――――っ」
 アサシンが倒された……?
 じゃあ残るサーヴァントはこなたと橘、それと、あの夜から姿を見せない谷口だけという事か―――
「……ふん。おしゃべりはここまでなのです」
 カシャカシャと蠢く無数の骨たちの音。
 それらを、一斉にかき消すように。
 豪雨じみた弓矢によって、瞬きの間に、骨どもは一掃されていた。
「な――――」
 呆然と立ち尽くす。
 雨のように降り注いだ弓矢は、幻だったかのように消え去っていた。
 だが、それが幻の訳がない。
 数え切れぬほど群がっていた骨どもは、一匹たりとも存在してはいないのだから。
「く、誰――――!?」
 橘が視線をあげる。
「――――――――」
 こなたは既に気が付いていたのか。
 橘より早く、塀の上にいる“ソレ”を、呆然と見上げていた。
「――――――――」

 そこに、予想外のモノがいた。
 月を背にした姿は朝倉 涼子
 存在しないはずの朝倉が酷薄な笑みを浮かべて庭を見下ろしていた――――
「な、何者なのです」
 朝倉が自らの手勢を一掃したのだと直感したのか、橘は声を上げる。
「――――――――」
 朝倉は答えない。いや、初めから橘を見ていない。
 アイツが見据えているのはただ一人。
 俺だけだった。
「答えなさい、何者かと訊いているのです……!」
 感情の高ぶった橘の声。
 それで、朝倉はようやく橘へと視線を向けた。
「っ――――――」
 蒼い瞳に見据えられ、橘は息を呑む。
 視線は、どうしようもなく冷たかった。
 離れた俺ですらそう判る。
 向けられている橘が、あまりの威圧に心を裂かれていても不思議ではない。
「あ、貴方は、なぜ私の邪魔を――――」
 震える声で問う。
「邪魔よ、死になさい」
 朝倉は、死の宣告でそれに応えた。
 パチン、という音。
 それが指を鳴らしたものだと気づいた時には、もう、惨劇は始まっていた。
 突如空中に現れた無数の凶器は、それこそ機関銃のように橘へと叩き込まれる。
「――――――!」
 橘が腕を上げる。
『盾』の概念。
 黒いローブの上空に、ガラスのような膜が作り上げられる。
 ―――おそらく、あの守りは岡部の肉体のそれに匹敵するだろう。
 だが、ガラスというのが不味かったのか。
 水晶で展開されたソレは、降りそそぐ武具の一撃すら防げず、粉々に砕け散った。
「え――――?」
 呆然とした声。
 哀れに首を傾げる橘などお構いなしで、それらは黒いローブを貫いた。
 容赦など初めからない。
 槍に貫かれ、吹き飛ばされるローブをさらに槍が刺し貫く。
 倒れそうになる体を剣が、地に落ちようとする腕を矢が、無惨な痛みを訴えようとする首を斧が、それぞれ必死の断頭台となって斬殺する。
 生き残れる可能性など皆無だ。
 完全に切り刻まれ解体しつくされた橘は、もはや人型ではなく、赤い肉の山でしかなかった。
 ……風が吹いた。
 主を失った黒いローブが散っていく。
 ふわり、ふわり。
 ズタズタに引き裂かれたローブは、それでもかろうじて原型を留めている。
「――――――――」
 あまりの光景に言葉がない。
 張りつめた意識は、ただ哀れに散っていく黒いローブだけを見つめていた。
 その時。
「あら、まだ生きていたのね」
「な―――」
 目の錯覚、ではない。
 黒いローブは蛇のようにうねったかと思うと、黒い翼を生やして飛び去ろうとする。
 だが遅い。
 朝倉が何をしたかは判らない。
 ただ、夜空に亀裂が走っただけ。
 海が割れるように、空に出来た断層は黒いローブを巻き込んでいく。
 その様は、ローラーに巻き込まれていく人間を連想させた。
 黒いローブが落ちる。
 その下には傷ひとつない橘の姿がある。
 そこへ。
 今度こそ、魔剣の嵐が降り注いだ。
 ……雨は止まない。
 凶器はそれぞれ形が違い、同じ物など何もない。
 無尽蔵とも言える宝具の雨。
 ……それで終わった。
 橘の姿を隠していた黒い霧と共に、魔術師のサーヴァントは消え去った。
 際限なく続くと思われた無限循環の拷問は、真実、わずか十秒足らず。
「無駄なの、有機生命体が私から逃げようなんて
 さて、久しぶりねキョン君。私のこと覚えている?」
 親しげに朝倉は言う。
 忘れられるわけがないだろあの出来事を
「覚えてるみたいね。まだ覚悟が出来ていないの?
 忠告したじゃない、またあんな風になるかもしれないって」
 ……胸が軋む。
 今の惨劇を見せられた、という事もあるだろう。
 だがそれ以上に、あんなふざけた事がまた起きるのかと吐き気がする――――
 朝倉は屋敷へと視線を向ける。
「?」
 その先―――居間に続く縁側には、かがみの姿があった。
「あら、柊さんじゃない」
「なんでアンタがここにいるのよ」
 かがみは縁側から飛び出すと、挑むように朝倉を睨む。
「またキョンを狙ってるのね!」
「な――――待て、かがみ……!」
 制止の声も間に合わない。
 かがみから放たれた魔力の塊は、一直線に朝倉へと炸裂した。
 きぃん、という音。
 朝倉は何をした訳でもない。
 ヤツの目前には鏡のような盾が出現し、かがみの放った魔力の塊を反射しただけだ。
「え――――?」
 魔力を放ったのが無我夢中だったのなら、その出来事に反応できる筈がない。
 かがみは自ら放った魔力の塊を前にして、呆然と立ちつくし――――
「ぐっ……」
 咄嗟に割って入って剣で受け流す
 なんとか助けることができたようだ
「へえ。なるほど、おもしろいことができるのね」
 と言って、朝倉は踵を返す。
 堂々と、俺たちなど歯牙にもかけぬと背中を見せて。
「いずれ会いましょ、キョン君
 あの時からの決定は変わらないの。次に会うまでに、心を決めておきなさい」
 朝倉の姿が消える。
 それだけで張りつめていた空気は解け、庭はいつもの静寂を取り戻した。
 ……だが、戻ったのはそれだけだ。
 家は荒らされ、俺達は重苦しい沈黙を背負ったままだった


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最終更新:2008年04月24日 20:49
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