Run a way

「…はぁっ…はぁっ…!」

俺は今、現在進行形で一人フルマラソンを開催している。

「こらーっ!待ちなさーい!!」

訂正、一人じゃなかった。
後ろから追いかけてくる憤怒の形相な女の子二人と、三人でデッドレースを繰り広げているのだ。
つまり、絶賛逃亡中な訳です。

河原の土手を駆け、川に架かった橋を渡り、住宅街に逃げ込む。
何故この様な苦行を強いられているのか?
それは俺が教えて欲しい限りだね。
身に覚えが無い…訳ではないが、脇腹が悲鳴を上げる程走らされる様な事をしたという事実は無い筈だ。
だが、後方から凄まじい勢いで追い上げられている以上、奴等の好感度を地に落とす様な事をしたのかもしれん…
いや、俺自身は悪気など無かったつもりだ。
立ち止まって、何故追い掛けるのかと問えば瞬時に解決しそうなのだが、彼女達に捕まった瞬間、
俺の人生ここで終わり的な予感をひしひしと感じているのも、俺が必死に逃げている一因だろうな。
何せ根拠等一切無い筈なのに、俺の気の早い小心者の脳が、一足早く走馬灯を見せているからだ。

「な、何でこんな事になってんだ…っ!?」

事の始まりは…何だったっけ…?



――ある晴れた日の事、俺は一人でのんびりと中庭で寛いでいた。
昼用に買ったパンのビニールが横に転がっているところを見れば、空腹を満たした俺の姿が容易に想像出来るだろう。
芝生に仰向けに寝転がり、お天道様を目を細めて眺める。
なんと心安らぐ一時だろうか。
そこかしこで生徒達の笑い声が響き、空には青い景色を横切る飛行機雲。
なんと平穏な世界だろうか。
柄にもなく自分の世界に浸っていると、遠くから雑音を薙ぎ倒すかの如く、真っ直ぐ俺に聞き慣れた声が届いた。
声の主を探すべく、上半身だけを起こして周りを見渡す。
まぁ、わざわざ探す必要性は無かったな。
奴の姿を、既に俺の視界は捉えていたからだ。
何の用だろうな?またとんでも行為でも思いついたのだろうか…
再び芝生に体を沈めた俺に、小走りで接近してくる彼女をボーっと眺めて適当な憶測を開始。
…考えても嫌な予感しかしないので終了だ。
さて、額に汗を滲ませ、俺の目の前で仁王立ちするのは、ご存知涼宮ハルヒ団長様だ。
何故かは分からんが、ムスッとした表情をさせるオマケ付きで見下ろす団長様に質問してやる。

「それで?何の用だ?」
「何か用?じゃないわよ!朝にお昼一緒にするって言ったじゃない!」

あれ、そうだったか?全く記憶に無い。
…いや、いつもは持参している弁当を忘れる位だからな。
軽い記憶障害に陥ってるのかもしれん。
しかし、約束を忘れた事に非があるのは確かだろうが、一つ言ってやる。
流石に、浸っていたところを邪魔されたのは遺憾だしな。

「いや、お前自身も忘れてたんじゃないか?昼放課になると同時に、とっとと教室を出てったしな」

俺が指摘してやると、ムッとした表情のまま黙り、少しの間が出来る。
恐らく、昼放課に入ってからの自分の行動を思い返しているんだろうな。
だが、すぐに口のへの字、眉の逆八の字を更にキレのある物へ強めると、じたんだを踏んで文句をぶつけてきやがった。
そう簡単に引き下がってはくれないのがハルヒさんだ。

「あんたが忘れてた事には変わりないでしょ!?ちゃんと埋め合わせしなさいよね!」

…俺が覚えててハルヒが忘れてたら、途方に暮れてたのは俺の方だったんだぜ?
こいつはちゃんと物を考えて仰ってるのでしょうか?
いや、それよりも…だ。

目の前で足踏みをして怒っているハルヒ。
そして、先程からチラチラと俺の視界に入るとある物体。
さて、今現在の俺の様子を思い出してみよう。
俺はハルヒと論議を繰り広げている間、一度も体を起こさず寝転んでいた。
いや、この場合は進行形が正しいな。
寝転んでいる…だ。
つまり、ハルヒを下から見上げている形になっている訳だな。
そして、ハルヒは足を上げては地面を踏みつけている。俺の目の前でだ。
紳士である俺は、これ以上ハルヒに恥を掻かせる様な行動を、一刻も早く止めさせなければならない。
だから特に迷う事も無く、問題の事象を指摘してやったのだ。

「ハルヒ、パンツが丸見えだぞ?恥じらいを持ちなさい」

ピタリと動きを止めるハルヒ。
それと同時にヒラヒラしていたスカートも、ようやく本来の役目を果たす。
静まり返ったハルヒをよそに、俺はのそのそと芝生のベッドから立ち上がり、時計に目をやる。
おっといかん。休みが終わっちまうな。
プルプルしているハルヒの肩を叩き、昇降口を指差して中に入るように促す。
すると、顔を伏せたハルヒがボソッと呟いた。

「あんた…」
「ん?」
「…いっぺん死んできなさい」

は?と聞き返す前に、ハルヒの右フックが俺の左脇腹へ的確に命中していた――

「はぉ…っ!?」

一瞬にして呼吸困難に陥った俺は、訳が分からずハルヒの顔を覗き込む。
すぐさま見なけりゃ良かったと後悔する羽目になったがな。

――そこには本物の魔王が降臨していた。

間違いなく俺は一瞬心停止した。
その場にいるだけで足が竦み、どうしようもなくなる。
俺が何をした?これほどの殺気を浴びる様な事をしたのか?
呻きにも似た悲鳴を喉から出し、脳内で誰かに問う。
だが、答えなんぞ出てくる筈もなく、振り下ろされる手刀を眺めるだけ。
これはダメだな。そう命を諦めかけたその時、後方から救いの手が伸ばされた。

「――ちょっとハルヒ!」

ピタッと魔手が俺の額寸前で止まり、ハルヒはギギギと首を声の主へと向ける。
俺もメシアの顔を拝もうと、本気で泣いちゃう五秒前な顔で振り向く。
そこには、これまた見慣れた同級生、柊かがみの呆れ顔があった。
俺は安堵し、そそくさとハルヒの射程圏外に逃亡を果たす。

かがみは自らの背後へ退避した俺の顔を見て、ハァ…と溜め息を吐くとハルヒに向き直り、腰に手を当て、堂々とした態度でハルヒとの対話を開始する。

「で、あんたは何してんのよ?キョン君怯えてんじゃない」

いやいや、怯えてなどいないぞ?ただちょっとヒザが笑ってるだけだ。
かがみの問いに、ハルヒは俺とかがみをジトーっとした目で交互に見ると、腕を組み、そっぽを返す事で応える。
問答する気はさらさら無い様だ。
それにカチンと来たのか、かがみはムッとした顔で更にハルヒへと詰め寄る。

「子供じゃないんだから、ちゃんと答えなさいよ」
「うるさい!あんたには関係無いでしょっ!」

キッ、とかがみを睨み、明らかに苛立った顔で俺の腕を掴もうとするハルヒ。
しかし、そうはさせないと、その手をかがみが祓い退ける。
互いに睨みを効かせ、まさに火花が散る様子が目に見えるかのようだ。

だが、そう思ったのも束の間。
かがみが俺の手を握り、そのまま昇降口へと歩き始めた。
急な行動に面喰らったハルヒが呼び止めるが、それを無視して足を速めるかがみ。
俺は流されるまま、ハルヒを置いて学校へ入ったのだった。


――午後の授業中、常に俺の背後から鋭い視線を浴びせるハルヒ。
それに対し、短い休み時間の間中常に俺と一緒にいるかがみ。
ますます白熱する二人の険悪モードに、どうしたもんかと悩む俺。
この状況を打開するには俺は何をすりゃ最善になるんだろうな…?
そんな微妙な空気を感じ取ったのか、意外な人物が声を掛けてきた。

「なぁなぁ、何暗い顔してんだっ?」

因みに、俺はかがみに連れられて彼女の席に座っていたのだが、そのかがみの机に乗っかったのは日下部みさおだ。
みさおは俺の顔を覗き込み、唇の隙間から八重歯を覗かせいながら俺の肩をバンバンと叩く。
その横で眉を顰めてかがみに話し掛けている峰岸あやのも、俺に心配そうな目を向けている。
無駄に心配を掛けさせて申し訳ない気持ちと、ちょっとした嬉しさを感じながらも、俺とかがみは何でもないと答えた。

そう、何でもないんだよな。
俺は何を縮こまってんだ?
正直のところ、本気でハルヒが何を怒っているのか分からんが、とりあえず下校時にでも謝ろう。
迷惑を掛けたかがみにもな。

――昇降口でまたもや睨み合っている二人の制止役を、元凶である筈の俺が勤めると言うおかしな状況。
このままだと本気で取っ組み合いにでも発展しちまいそうな雰囲気の中、俺はハルヒに話し掛けた。

「あー…なんだ、すまなかったなハルヒ」

かがみに向けていた視線をゆっくりと俺に移すハルヒ。
ムスッとした表情が、一瞬ピクッとなる。

「……何がよ?」
「いや、俺が粗相をしたから怒ったんだろ?それが何かは分からんが、いつまでもそう睨まれてちゃかなわんしな」

さて、ここでキョトンとした顔をしているのは誰であろうかがみだ。
何せ、結局俺が何故ハルヒに暴力的行為を受けていたのかを知らずにいたんだからな。
俺がハルヒに謝っている光景に戸惑っているんだろう。
そして肝心のハルヒは……

「あんた…やっぱり最低ね」

ピキッ、と青筋がこめかみに浮かび、臨戦態勢オッケェイと言わんばかりに指を鳴らしていた。

あれー…?
何故最低呼ばわりされたのだろうか?
謝ったのに何故殺気が湯気の様に立ち上っているのだろうか?
何故…俺は後退りに移行しているのだろうか?

既に及び腰になっている俺と、魔王へと変化し始めているハルヒ。


――そして冒頭のシーンに戻る訳だ。
出来事を振り返ってみると、どうにも二人は俺がハルヒのスカートを覗いた事に怒っている……んだよな?
だが、あれは不可抗力だろう。
むしろ俺が被害者だ。
まぁ、そう陳情したところで、ヒートアップした彼女達を止める事など不可能だな。
やれやれ…二人の熱が冷めるまで、持久走に付き合うしかないか…

そう諦めかけた時、携帯に着信が入った。
画面に表示されている名前を読むと、何となく俺に選択肢は無いんだろうな、と思い
知らされる。
何時までも鳴る携帯に、渋々と指を伸ばして通話ボタンを押す。
相手の開口一番の言葉はこれだ。

『貴方は何をしているんですか!』

まぁー直球で怒られたさ。

「俺に言われてもな…あいつらが勝手に盛り上がってるんだよ」
『とにかくです。閉鎖空間が次々に発生している原因は、貴方が涼宮さんの逆鱗に触れた事によるものなんです』
「だから俺にとっ捕まれって言うのか?はっ、殺されるだろうが…」
『このままでは閉鎖空間の対応が間に合わないんですよ!』

電話越しに古泉の息の荒さが伝わる。
流石に過労で倒れられたんじゃ、寝覚めも悪いか……くそ!

しかし、どうすりゃ良いんだ?
あいつら絶対に聞く耳持たずに俺の息の根を止めにかかるだろ?
俺はまだ繋がっている携帯を見て、古泉に助言を乞う。

『知りませんよ!貴方も男なら観念して下さい!』

他人事だと思って…
というより、何故ハルヒはあれほどしつこく追ってくるんだ?
普段のあいつなら、不機嫌になっても次の瞬間には別の事柄に気を惹かれてたりするんだが…

そこでふと気付く。
ああ、今回はかがみの介入があったな、と。
情けなくも女子の後ろに隠れ、すぐさま問題を解決しようともせずに距離をとる。
みっともない団員の姿を見せ、火に油を注いだのは俺自身じゃないか。
……ま、もう逃げるのは止めにしようか。
既にフルになっている二人の怒りゲージが限界突破しても困る。
俺も男だ。殴られようが蹴られようが、誠意を見せなきゃいつまでも逃げる羽目にな
るだけだしな。

俺は踵を返し、彼女達を真っ直ぐと見つめ……ようとしたんだぜ?

「「とりゃーっ!!」」

振り返った瞬間、俺の目に映ったのは二人分の靴の裏と、翻ったスカートの中身という、何とも衝撃的なものだった。



――後日談になるわけだが、幸いにも俺は一命を取り留め、今は元気に教室で谷口の笑いものになっている。

「WAっはっはっは!!ど、どこのどざえもんだ…っ?」

命を失う事は無かったが、二人分のドロップキックを顔に喰らった俺は、現在顔が餅の様に膨れ上がっているのだ。
谷口め…何がどざえもんだ。
国木田に頼んで不愉快な馬鹿を視界から消してもらい、後ろからの談笑をただ黙って聞いていた。
楽しげに会話を交わしているのは、勿論ハルヒとかがみだ。
女って怖い生き物だよな?
昨日の険悪な雰囲気が嘘みたいだぜ。
まぁ、かがみがハルヒに突っかかったのは俺の為であり、勘違いの所為だったからな。
元々それなりに仲の良い二人が、仲違いをする理由等これっぽっちも無かったわけだ。
一人で勝手にうんうん頷いて自己完結している俺の後頭部が、急に叩かれる。

「また何かよからぬ事を考えてんじゃないでしょうね?」
「まったくよ」

そう悪態を吐いてきたのはハルヒとかがみだ。
振り向いて文句を言ってやろうかと思ったが、やめておく。
今は何をされても言い返せん。
俺に言えるのはただ一言――


「すいませんでした」

ーおわりー




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最終更新:2008年08月29日 20:16
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