― 第四幕 ―
朝比奈さん(大)が帰ったあと、すぐに朝比奈さん(小)は目を覚ました。
そのあとしばらく、あたしたちは残りのメンバーを待っていたんだけど…誰も来ないじゃん。
古泉が来れないのは、まあ例の仕事だとして、ハルヒもキョンも欠席ってどういうこと?
あの二人がやる気をなくしちゃったら、この怪しげな集団は速攻で解散だよ。こっち来たばっかなのにそりゃないよ。
結局、今日の活動はなし崩し的に終了になった。
もしかして、まだかがみたちが教室にいるかなー、と淡い期待を抱いて見に行ったけど…誰もいない。当然か、とほほ。
あたしはひとり、とぼとぼと駅まで歩いていた。
ふいー、とため息をついて少し視線を上げると、そこには見知った顔の女子が。
「ながもんっ。待っててくれたの。てっきりもう帰っちゃったのかと」
長門は、そこいらの風景とほとんど一体化して立っていた。知り合いじゃなかったら見過ごしてたとこだよ。
「用件があった、もう済んだ。あなたに重要な依頼がある」
ほえ。長門からあたしに頼みとは。いいよ、できることならなんだって。
「いまから私の現住居に来てほしい。可能であれば宿泊を」
長門のゲンジューキョにシュクハク。言葉は難しいけど、これってつまりは。
「え、え。お泊りのお誘い? うん、行くよ、もちろんだよ。あ、ちょっと待ってて」
あたしは携帯を取り出し、すぐさまうちに電話した。今日は持ってきてよかった。
七、八回はコールが鳴る。もう、早く出てよ。
『はい、もしもし』
「あ、お父さん、あたし。今日は帰んないから、じゃあね」
『おい、おいこなた、待て、なんでだ』
うくく。お父さんったら慌ててる。
「お友達にね、お泊りしようって誘われたの。めったにないことなんだよ、いいでしょ」
『行き先は、かがみちゃんたちの家か』
「ううん、違うよ。最近なかよくなった子のとこ」
お父さんは少し黙ったあと、恐る恐るたずねてきた。
「そのお友達ってのは、もちろん女子なんだろうな。そばにいるんならちょっとかわってくれ」
うたぐり深いなあ、もう。父親ってみんなこんなもんなのかな。あたしは長門に携帯を手渡した。
「…もしもし。長門有希と申します。はい、私からお願いしました、いいえ…質問の意味がわかりません。はい、構いません」
ううむ。長門がデスマス調でしゃべるのは初めて聞いたような。これはこれで新鮮。
長門は無言で携帯を突きかえしてきた。うまく話をつけてくれたかな。
『いやー、いい子じゃないか。いまのゆきちゃんって子。いいぞ、泊まってこい』
なぜかいきなり上機嫌になっていたお父さん。長門はどんな魔法を使ったんだ。
『むふふ、期待してるぞ』
そう言ってお父さんは電話を切った。期待って、なにをさ。
「ありがと、許してもらえたよ。でもどんなこと話してたの」
さっきの口調からは、何かよからぬ企みを感じた。お父さんがいろんな意味で危険だ。
「あなたの父親から、交換条件を提示された」
交換条件? またいったいどんな。
「あなたを宿泊させる見返りに、次回は私が泊まりに行くように、と。問題ないと考えたので、受諾した」
ほほう、それは確かに期待だね。やるじゃんお父さん。いや、あのオヤジは単に娘の友達の顔が見たいだけか。
「おまたへー」
あたしは両手に持ったお皿をコタツに置いた。長門がクンと鼻を鳴らす。
「食欲をそそられる」
それ、おいしそうって意味だよね。腕を振るったかいがあったってもんだ。
「みんな大好きチキンシチュ~。どっちかっていうとカレーのほうが得意なんだけどね。あ、もう一品あるから」
長門のマンションにお呼ばれされたあたしは、感謝の意を表するために手料理を作ってあげることにした。
最初は、ありあわせの材料でどうにかしようと思ってたんけど…この部屋で食料といえば、買い置きのレトルトカレーと、レンジであっためるごはんだけ。しかたないから一緒にスーパーまで買い物に行ってきた。
食料費は長門に出してもらっちゃったけど、作るのはあたしなんでよしということで。
調理し始めてから気がついたけど、ここは流し場もコンロもピカピカだった。つまり、ほとんど使ってる形跡がない。
カレーばっかじゃ栄養かたよるぞ。長門のことだから、カロリーさえ確保できれば一緒なのかもしれないけど。そういう生活はなんだかさみしいよ。
「ほーい、これで全部だよ」
つけあわせのサラダとミートボールも運ぶ。こっちはできあいのやつだけどね。
「では、いただきます」
ほとんど聞こえないくらいの小声で、長門もいただきますとささやいた。
しばらく無言、一所懸命に食べる。うん、今回のできはまあまあだね、長門もけっこうなペースでかたづけている。
「おかわり」
空になったお皿を差し出された。はやっ。ちょっと待っててね、まだまだあるから。
「どーよ、あたしの手料理」
「栄養的、味覚的に問題ない」
うーん、それだけ?
「精神的にも充足感を覚える」
ちゃんと嬉しいって気持ちもあるんだ、ほっとしたよ。でもまだまだ。
「ながもんはさ、その充足感とやらを、これからもあたしから引き出したいって思う?」
長門はいつものように軽いうなずきで答えた。そりゃそうだ、ここで『別に』とか言われたらショックだ。
「だったらそういう時は、ありがとって言うんだよ。そしたら、また相手のために何かしてあげたくなるじゃん」
また軽くうなずいた。そして。
「…ありがとう」
かすかなささやき声だったけど、そう言ったのがはっきりと聞こえた。
「今日はどうして呼んでくれたの。別になんとなくってわけじゃないよね」
たっぷり食べ終えてから、こう聞いてみる。
「あなたと話がしたい」
「えーと、それってここじゃなきゃできない話かな」
長門はわずかに…首を横に振った。え、違うのかい。
「話す場所がここである必要はない。ただ、いまである必要がある」
いましかできない話ってなんだろ。あたしは、長門がそれを言い出すのを待っていた。しばらく目を合わせて無言が続く。
「……」
長い、タメが長すぎる、みのさん以上だ。あたしは耐え切れずに口を開いた。
「んで、なんの話なの?」
「わからない」
長門は端的に答えた。端的すぎるよ、わかんないのに呼んだの?
「未来の朝比奈みくるは、今夜大きな変化があると言った」
あ、そういやそんなこと言ってたね、朝比奈さん(大)。
「現時点でこの情報を得ているのは、我々二人だけ」
言われてみると、キョンがいないのにそんな大事な話をしたのは変な気がする。
「おそらく彼女にとってはそれが必要、かつ最低限。だから我々のみに伝えた。あなたしか知りえないなんらかの情報を、私が入手した時、現局を打破するためのキーが完成する、そう推測できる」
わ、なんかいきなり難しい話をされたよ。
「だから話して、どんなことでも」
いきなりなんでも話せって言われてもな。入試面接の自己アピール並みに恥ずかしいんだけど。
「ながもんが知らなくて、あたしが知ってることねー。かがみたちのこととか、あたしの昔話とかぐらいだろうけど」
「それでいい、教えて」
それからあたしは、いろんな話を長門にした。かがみのこと、つかさのこと、みゆきさんのこと、その他あたしの個人的な知り合いについて。
それから、このあいだ歴史が変わっちゃってた時のこと、巻き戻されてしまったあたしの二年分の高校生活のこと、中学時代にあった、嬉しかったこと、嫌なこと。あんまり記憶も定かじゃなくなってきてるけど、小学校時代のこと。
そのたびに長門は、とっても真剣な顔で聞いてくれていた。ただ聞き流してるんじゃなくて、わかんないとこは的確にツッコミを入れてくる。
「あー、お茶、もう一杯」
ずっとしゃべってると声が枯れてくるんで、かなり頻繁に長門のお茶をいただいていた。もう二回はトイレに行ったよ。
うわ、もう12時近いじゃん。いつのまに。かれこれ三時間以上も長門とおしゃべり、というか一方的にしゃべってた。
「ふわー、なんだか眠くなってきちゃった。続きは明日じゃ、ダメ?」
長門は首を横に振った。そりゃそうか、まだ長門的にアタリの話題が出てないんだろうし。
あとは、あれか。たぶんお父さんぐらいしか知らない、まだかがみにも言ったことのない話。
「そういや、あたしね、なんか耳が悪いらしいんだ」
そう言うと長門はあたしを見つめた。
「聴覚に障害があるとは感じられない」
「あ、いや聴覚じゃなくて、たぶん脳のほうに問題がね。そんな大したことじゃないけど」
長門はじっと話の続きを待っている。
「ずっと昔からなんだけどさ、あたし、人の声の聞き分けってやつが苦手なんだよ。よく知ってる相手なら大丈夫なんだけど、ちょっと見覚えがない人だと、みんなおんなじ人の声みたいに聞こえちゃって」
さっきまでよりもほんのわずかに大きく、長門は目を見開いた。もしかしてこの話、注目にあたいするってことかな。
「その感覚は、こちらに来てからも同じ?」
さっそくツッコミが入りました。
「うん、変わらないねえ。あ、SOS団のみんなは違うよ、ちゃんとCVに忠実。でもそこいらの通行人は…うん、みんな『CV:くじら』か『CV:立木』だね」
少し考えてから、また長門は質問してきた。
「あなた自身は、その感覚をどう解釈しているのか、教えて」
「え。うーん、変わった体質だなーぐらいにしか。小さいころとかは、あのひとらみんな宇宙人なのかも、なんて思ったりもしたけど」
ガタンと音を立てて、長門は持っていた急須をテーブルに置いた。なに、手でも滑った?
「…みつけた」
あ、やっと何かヒットしたらしい。長かったよ。
「泉こなた、あなたこそ、画一性感染に対する免疫抗原」
長門は携帯を取り出してどこぞに電話し始めた。もしもーし、なんの用事なの。
「私…みつけた。ある程度は推測通り、すぐに来て…なら連れて行く。そう、泉こなたこそ我々のジョーカー」
だれと話してんのかは不明だけど、なんか不穏な内容だよ。連れてくって、どこに。
「来て」
長門は立ち上がり、あたしに手を差し出した。
「え、いま、誰と」
「すぐわかる」
手を引かれるままに、あたしは部屋から連れ出された。下方向のエレベータに乗せられる。
「なに、なに、あたし改造とかされちゃうの? どうせならかっこいい怪人にしてね」
「あなたに不利益は与えない。彼らに会って」
彼らって誰? その疑問は、エレベータのドアが開いた瞬間に解決した。
「こんな夜分にすみません、長門さん、泉さん」
そこには古泉と、あと数名の男女がいた。
「いっきゅん! あ、その人たちって…」
後ろにいたお姉さんが、古泉に話しかける。
「いまのはキミのあだ名?」
古泉は苦笑いを浮かべた。その表情がちょっと空々しいのが気になるけど。後ろにいる四人もみんな固い顔をしている。
「そんな風に呼ぶのは彼女だけですよ。ああ、泉さん、ご存知かとは思いますが紹介しましょう」
ひとりずつ順番に名乗り出てくる。
「はじめまして、森です」
うん、森さんだったね。リアルメイドのお姉さん。
「新川と申します」
むっちゃ渋い感じの、執事の新川さん。それから。
「田丸裕です」
「田丸圭一だ、よろしく」
そうだそうだ、田丸兄弟だ。印象が薄いんでちょっと忘れかけてたよ。
「えー、泉こなたです、よろしく。んと、どうして機関の人たちがここに? いま、たぶん忙しいとこだと思うんですけど」
このあたしの挨拶を無視して、田丸兄弟はお互いに顔を見合わせていた。新川さんは眉をひそめて渋い顔を、森さんは目を見開いてあたしを見つめている。
「おい、わかるか、力が」
「うん、力が戻った、間違いない」
なに、その会話。どうしたっての。
「ああ、大変失礼いたしました、泉様」
新川さんが落ち着いた口調で言う。
「私どもはつい先日から、あなた様もご存知の特別な力を失っていたのです。それが…先ほど泉様に自己紹介をいたしましたとたんに、力が戻って来るのを感じたのでございます」
へ、なにそれ。ひょっとしてあたしにも不思議なパワーがあるっての。
「泉さん、あなたはいったい…」
そう言って、古泉はちらっと長門を見た。
「対端末群免疫抗原、それが、泉こなた」
ごめん、ながもん。あたし漢字が多い文章って苦手なんだけど。
「あなたが、『くじら』ないし『立木』と呼ぶ存在。その本質は感染性の情報生命体、画一性端末群」
よくわかんないけど、何かすごいことを言われてる気がする。
「あなたには、画一化された個性標識を正常化し、端末群を駆除する能力がある」
ええとつまり、さっきまで機関の人たちは立木ウィルスに感染してて、それで力が使えなくなってたんだけど、あたしの謎パワーで元に戻ったってこと?
なんだその展開。
「ありがとう、泉さん。もう時間がないけど、このお礼はいつか必ずね」
森さんがそう言うと、エスパー軍団は足早に玄関ホールから出て行った。高そうな車にみんな乗り込み、エンジンをふかして走り去っていく。
ずいぶん急いでたみたいだけど、もしかして閉鎖空間がやばいことになってる? もっと早く思い出してあげるべきだったか。
そう考えながら外を見ていたら、背後でチンとベル音が鳴った。エレベータが開き、長門が乗り込む。あたしもあわてて後を追う。
「えーと、なに。あたしいままでずっと、自分の耳はおかしいんだと思ってたんだけど…」
「あなたには、言語コミュニケーションを介して画一性感染者を判別する能力がある。かつ、あなたに個性を認識された存在は、端末群に対する免疫を与えられる。そう結論づけられる」
よくわかんない理屈だけど、長門がそう言うんなら、そうなんだろうね。
やがてまた七階に到着し、あたしたちはさっきの部屋に戻った。
「はー、なになんだかって感じだったけど、これでひと安心、なのかな」
そう長門に聞いてみる。
「まだ」
まだ、って。あとは古泉たちが神人を倒せば、元通りの世界に…
「あ、そか。オトナ朝比奈さんが言ってた大きな変化ってやつ、いったいなんだろね」
長門は答えなかった。
「ま、お仕事ももう済んだみたいだし、これから何して遊ぼっか。ながもん?」
長門は隣の部屋でもう布団を敷きはじめていた。二人分だ。
あたし的にはまだ早いって気もするけど、いつでも寝れる体勢で語り明かすのも悪くないね。そういや長門ってパジャマとか持ってるのかな。あるんなら貸してもらおうか、サイズもそれほど違わないだろうし。
お布団を敷き終わると、長門はこっちを見た。
「寝て」
いきなりですかい。てか、いまのは怪しい意味にも取れる発言だよ。
「早く、睡眠を」
「そう言われましても。さっきまでの眠気なんてどっかに飛んでっちゃったよ」
長門はちょこんと布団の上に座り込んだ。わずかに指先だけを動かして手招きする。
「来て」
うっぷす。もしかして誘惑されてる? すぽーんとパンツいっちょになって、ルパンダイブで特攻するべきか。
やや緊張しながら、あたしも長門のそばに座った。彼女は優しく手を取り、それを自分の唇へ近づけていく。
長門の手って意外とあったかいな。じゃなくて、あたしリアルでそういう趣味は…
かぷっ。
噛み付かれた。手の甲にちくりと痛みを感じる。
長門が唇を離す。噛まれたところから、少量の唾液に混じってひとすじ血が流れていた。そこをペロッとなめ取られる。もう出血は止まっていた。
「なに? いま、なにひたにょ」
いきなり猛烈な眠気が襲ってきた。うまく口が回らない。なんじゃこりゃ。
「ジョーカーには、ジョーカーを。覚えていて」
え、それどういう意味? そう質問するひまもなく意識が飛び、あたしは深い眠りに落ちていった。
泉こなたの奮闘― 第五幕 ―