― 第五幕 ―
気がつくと、夜の学校にいた。この部屋は…うん、いつものSOS団室だね、間違いない。なんでこんなとこにいるんだろ。
立ち上がって外を見てみる。校庭の向こうには、青白く輝く巨大な人型の存在がいた。
「神人だ…」
てことは、ここってハルヒの夢の中? はじめてナマで神人を見たけど、でかいなあ。
そいつは野球場のフェンスに何度もチョップをかましていた。みるみるうちにひしゃげていく。神人は片足を持ち上げ、ホームベンチをぐしゃりと踏み潰した。
こりゃあやばいね、さっさとハルヒをみつけないと。でも、みつけたあとはどうしよう。あたしがチューしたところで嫌がるだけだろうし、ハルヒの前にキョンを探すべきか。たぶん今回もここに来てるでしょ。
部室から廊下に出る。うす暗闇に包まれた、誰もいない深夜の学校。ホラーの舞台としては最高だけど、あいにく謎のモンスターならもう校庭にいる。
何か手がかりがないかとあたりを見渡してみて、少し驚いた。
あたしがいま出てきた部屋のネームプレート、もちろん『文芸部室』だ。その隣の部屋も、さらに向こうの部屋も、ずらっとみんな文芸部室…
少しだけ寒気がしてきた。この中のどこかにハルヒやキョンがいるんだろうか。
「たのもー」
ちょっとビビってきた心を奮い立たせるために、そう声を出してドアを開けた。
「おわ、なにやってんの」
部室内には、いつもの制服姿のキョンと、なぜかメイド服に身を包んだハルヒがいた。
メイドハルヒは澄ました顔でお茶を入れている。キョンはそのうしろ姿をにやけた表情で眺めていた。二人ともぜんぜんこっちに気がついてない。
ハルヒがにっこり笑ってお茶を差し出すと、キョンは恥ずかしそうな顔をしてその湯飲みを手に取った。
ぬう。このバカップルがなにしたいのかは不明だけど、あきらかに正気じゃないよね、いま。
あたしはそっとキョンの横に近づき、かるーく肩をつついた。その瞬間。
指先がキョンの制服に触れたとたん、まるでシャボン玉が割れるみたいに、ぱっと目の前の二人が弾け飛び、光の粒子になって消え去った。
「んな、なっ」
思わず飛びのいてしまう。なんだいまの。あれか、さっきまでここにいた二人は、よくできたCGみたいなもんだったのか。だと信じたい。
しばらくその場に立ちつくしていると、不意に重い響きが聞こえてきた。思わず外を見る。さっきまで野球場を破壊していた神人が、今度は体育館を襲っている。
さっさとなんとかしないと、帰る世界がなくなりそうだ。あたしは廊下に戻り、次の文芸部室のドアを開けた。
この部屋にも、またハルヒとキョンがいた。
ここのハルヒはなぜかメガネをかけており、窓のそばのパイプ椅子に座ってぶあつい本を読んでいる。
キョンはその横で、ちらちらとハルヒのようすを気にして、たまに話しかけている…ように見える。声はぜんぜん聞こえないけど。
メガネハルヒはそれを無視して読書に没頭している。キョンは腕組みして、ぼーっと空を眺めはじめた。
はあ。どう見たってこいつらも偽者だね。本物のハルヒがどんなことを望んでるのか、わかってきた気がする。
開けっ放しにしておいたドアから廊下に戻る。もうひとつ向こうの部室の前に何人かの人影が見えた。思わずびくっとする。
どこか見覚えのある女子たちが、誰かをとりかこんでいる。おそるおそる近寄ってみると、かこまれてるのはハルヒだった。
女子たちは、口々にハルヒに文句をつけているみたいだった。ハルヒは半べそ状態になって怯えている。おいおい。
そこへ突然、部室のドアをにゅっとすり抜けてキョンがあらわれた。
キョンは後ろからハルヒの肩に両手をのせ、くじら軍団に対して口パクで何かを叫ぶ。そのとたんに彼女らは消滅した。
きっとあれだ、『ハルヒは俺の女だ、文句あっか』とでも言ったんだろうね、いま。
苛められっこハルヒは、キョンと熱く見つめ合っている。
いまのはちょっとイラっときたよ。ハルヒもどきの足に軽くケリを入れると、靴のつま先が触れた瞬間に二人は消え去った。
もう、ひとの思い出まで捏造しないでほしいなあ。
さて、この調子で次々とハルヒの願望を暴いていったところで、何かの解決になるとは思えない。この部室棟全体がハズレって気がしてきた。
あたしは出口を求めて歩いた。自然と早足になる。どこまで行っても文芸部室、文芸部室…
だんだん不安になってきた、どんだけ続いてんの、この廊下。こうなったらダッシュだ、全力ダッシュ!
「はあ、はあ…」
いま、軽く200メートルは走ったよ。いやな予感はしてたけどやっぱり無限ループか。
かたっぱしから開けてみるしかないのかな。とりあえず手近な部室に入ってみる。
ここの二人は仲良く将棋をしていた。難しい顔をして盤面をのぞきこむキョン。その向かい側でニコニコと笑うハルヒ。
つきあってらんないよ。キョンもどきにデコピンをかます。二人は消えた。
どうすりゃいいのさ。こんなところで、ニセハルヒ&キョンのよくわからんイチャイチャを、世界が終わるまで見てなきゃいけないの?
そのとき、視界の片隅でちらっと何かが動いた、窓の外だ。そっちを見ると、真っ赤なヒトダマがふわふわ浮いていた。
「きゃー、おばけー」
棒読みでそう叫びながら、駆け寄って窓を開ける。
『なかなかの余裕ですね。怪談の季節にはまだ遠いのでは』
うお、いま心の中に直接声が聞こえたよ。さすがは古泉。
「やふー。ってちょっと、うしろ、うしろ。神人のやつ、暴れまくってますけど」
すでに第二体育館は原形を留めていない。神人は第一体育館の屋根を、だだっこパンチで破壊してるとこだった。
申し訳なさそうな口調で、古泉玉が語りかけてくる。
『ああ…いまさらあれ一体を倒したところで、あまり意味がないんですよ。せっかく助けていただいたというのに、面目ありません』
この話ぶりからは、古泉のいつもの余裕が感じられなかった。そうとう追い詰められてるっぽいね。
「まだ終わってない。逆転のチャンスはあるよ」
そう。あたしの知ってるはずの、この世界のストーリーだったら、ピンチのときはいつだって…
「おーい。泉か、おまえも来てたのか」
あたしは窓から身を乗り出して下を見た。そこにはいつも通りのキョンがいた。
『泉さん、そこの窓枠に乗って、そして僕に触れてください』
ん? よくわかんないけど古泉の指示通り窓枠に登って、ヒトダマに触ってみた。意外と熱を感じない。
「わ、わっ」
突然、ふわっと体重がなくなった感じがした。そのまま体が外のほうに吸い寄せられる。うわ、高っ、ここ三階だよ。
思わず目をつぶる。すーっと下降する感覚がして、気がつくと地面に立っていた。目の前にキョンがいる。
「ふえーん」
ターゲットロックオン、あたしはキョンに駆け寄って、ひしっと抱きついた。
「あ、おい、ちょっ」
うるうる、と口に出して言いながら、上目づかいで見上げてみる。キョンは視線をそらした。
「やめんか、そんなタマじゃないだろ」
失敬な。あたしだっていちおう女の子なんだよ。でもまあ、このキョンが間違いなく本物だってことは確認できたんで、とりあえず開放してあげる。
「しかし、よくこんなとこまで来れたな。このあいだ歴史を変えちまった力、まだ残ってたのか」
へ? あれはハルヒのしわざでしょ。
「よくわかんないけど。あたしがここにいるのは、ながもんの策略だよ。いや、貴重な体験できたんで感謝してるけどね」
「なぜそう思える」
キョンは呆れ顔になっていた。
『こんな状況だというのに、あなたは揺るぎませんね』
そう話しかけてくるヒトダマは、ついさっきまでよりも格段に火力が落ちていた。小さな球体から、ひゅぼっ、ひゅぼっと断続的に赤いオーラが吹き出ている。消えかけの線香花火みたい。
『ここは僕が全力を出せる空間ではないのです。仲間たちに力を借りて持ちこたえていましたが、さきほどの重力制御で打ち止めです』
あ。もしかしてあたし、かなり負担かけてた?
「ふん、ここんとこ寝不足だったんだろ…俺のせいで。さっさと帰って寝てろ」
男子相手にはツンデレなんだね。
『すみません。世界を、頼みます』
じょじょに小さくなりながらそう言い残し、古泉玉は完全に消え去った。
「長門といえば…おまえ、あいつからメッセージかなんか受け取ってないか。こういう時には何かのヒントをくれてそうなもんだが」
唐突にそう聞かれた。メッセージ、長門からのメッセージねえ。
「そういや最後に、ジョーカーにはジョーカー、とか言ってたね。意味わかる?」
キョンは首をすくめて、さっぱりだ、というジェスチャーで返した。
「とにかく、さっさとあいつを見つけてガツンと言ってやらないとな」
そう言って、キョンはしかめっつらをしながら新校舎のほうへ歩き出す。
「ガツン、って、具体的には」
「そうだな…勝手な夢を見てるんじゃねえ、とか」
あー、キョンもあのニセモノたちに出会ってたんだね。はた目で見ててもちょっと恥ずかしかったのに、自分が出てきたんじゃなおさらか。でもさ。
「それだと滅びちゃうよ、世界」
キョンはぐっと言葉に詰まった。何度か口をぱくぱくさせて、ちっ、と舌を打つ。
「ハルヒのやつ、今度は一体何がしたい。どんな世界があいつの望みだっていうんだ」
おいおい。それマジで言ってるの。あたしはキョンのそでをつかんだ。
「わかんないの? ホントに?」
キョンはさっきから、あたしの目を見てくれてない。そういう態度になっちゃうのって、自分でも後ろめたいことがあるときだよね。
「知るわけあるか」
遠い目をしたまま、吐き捨てるようにそう言う。そういう意地っ張りなとこまでハルヒに似てきてどうすんの。だったらあたしが教えたげるよ。
「いまのハルにゃんの望みは、自分とキョンキョンしかいない世界。宇宙人も未来人も、異世界人も超能力者も、だれも二人の邪魔をしない世界、それを作ろうとしてる。違う?」
そう言ったらやっと振り向いてくれた。口元がぴくぴくひきつっている。
「馬鹿な。あいつはいつだって、わけのわからん何かを探して…」
まったくもう。さっさと認めちゃいな。
「本気で探してるんなら、ずばり目の前に現れるはずだよね。でも違った。ハルにゃんが見つけたいのはフシギなんかじゃない。一緒にフシギを探してくれる仲間だよ」
そう聞いてキョンは黙った。地面をにらみつけて、まだ何か考えている。
「だとしたらなんで、あいつはその大事な仲間を消そうとするんだ。どうして自分が、朝比奈さんや長門に成り代わりたいなんて願うんだ」
それ言っちゃうの? あいかわらず自分の墓穴を掘るのがうまいな。ホントにドMじゃあるまいね。
「キョンキョンが言ったんじゃん、代役募集中って。でもハルにゃんにとって代わりなんていなかった。だったら自分がなればいいと思っちゃったんじゃない?
『アナタ好みの女』に」
キョンはよろけるように校舎の壁にひじをつき、握りこぶしをガンっと打ちつけた。やめてよ、そういう乱暴な態度。
「くっ。そんなもん、もはやあいつじゃないだろう」
さすがにショックを受けていた。もっと早く言ってあげりゃよかったんだよ、おまえはおまえのままでいい、とかさ。
「わかったよ、ながもんの言葉の意味」
キョンは暗い目であたしを見た。追い詰められてるのはこっちもだったか。
「二枚のジョーカーってのは、あたしとハルにゃんのことだね。キョンキョンは、いま会うべきじゃない」
返事はなかった。あたしは話を続けた。
「いままでみんな、頼りすぎちゃってたのかな。ハルヒがイライラしてたらキョンに機嫌をとってもらえばいいさって。でも違うよね。あたしたちひとりひとりが、ハルにゃんにとって大事な人じゃなくちゃいけないよね」
ハルヒが困ったやつだなんて、百も承知してる。それさえもおもしろがって、この世界を大いに盛り上げたくて、あたしはSOS団に入ったんだ。
「だから、ここで待ってて。あたしがなんとかしてくる」
信じられないという顔で呆然と立っているキョンを放置して、あたしは走った。
ハルヒとキョンの思い出の場所、校内にそういくつもない。
いまのハルヒにとって、SOS団は心安らげるところじゃなくなってる。だから部室棟は謎空間になっていた。
二人にとって強烈な記憶があるはずの運動場は、神人に踏み荒らされてめちゃめちゃになっている。
だとしたら、残るは。
「やっぱここにいたかあ」
いつもの教室、いつもの席。ハルヒは頬杖をついて外の景色を眺めていた。
あたしが声をかけたとき、ハルヒはびくっとしてこっちを見たけど、すぐにもとの姿勢に戻った。
「前の席いいかな? はい、よっこらせっと」
キョンの席を借りて横向きに座る。ハルヒはぶすっとした顔をしていた。
どうしよう。会えればなんとかなると思って、なんの話題も考えてきてないや。
「あー、昨日とかごめんね。ことの起こりはあたしのせいみたいなとこもあるし、なんとか仲直りしてもらおうと思ってたんだけど…空回っちゃたみたい」
返答はなし、まるで無視された。手ごわいなあ、正面から行ってもダメか。
「あ、ハルにゃん、見てあれ。巨大怪人がちょっと過激な水遊びしてる」
すでに二つの体育館を壊滅させた神人は、次にプールを標的にしたみたいだ。更衣室を踏み潰し、水面に腕を打ちつける。激しい水しぶきが上がる。
こんな異常事態なのに、ハルヒはぼーっと窓の外を眺めたままだった。つまらなそうに口を開く。
「ここ、あたしの夢の中なんでしょ。なにが起きたって不思議じゃないわ」
「お? わかってるんだ」
彼女はじろりとあたしを見て、嫌そうな顔をした。さっきまでの無関心な不機嫌顔じゃなくて、キョンに向けてよくやってるような表情に。
「わかるわよ。二度目だもの、この異常にリアルな悪夢」
とりあえず、こっちの話を聞いてくれそうな感じにはなった。ようし、一気にいくぞ。
「じゃあ話が早いや。一回目のときみたいにさ、こう。YOU、やっちゃいなよ」
誰かと抱き合うようなしぐさをしてみせると、ハルヒは頬杖をついてないほうの手で軽く机を叩いた。
「なんで知ってんの、あんた」
「ま、夢の中だし」
こつこつと人差し指で机を叩き始めた。
「一時的な気の迷いよ。若さゆえの過ち、精神病の一種だったの」
うむ、ここまでわかりやすく素直じゃない態度だと、かえってすがすがしい。
「でー、症状はますます悪化しておると」
そう言うと動きが止まった。あたしは椅子の上でぐるっと半回転し、ハルヒと一緒に外を眺める。
水遊びの終わった神人は、ついに校舎本体を破壊し始めた。たまにかすかな振動が伝わってくる。その向こう、暗い灰色の空の下、明かりの消えた町並みにも何体かの神人がいて、好き勝手に暴れている。
でもいまの彼女にとっては、この一大スペクタクルよりも、たった一人の男子のほうが重要のようだ。
「なにがわかるってのよ…」
「え、うーん、そうだね」
そういってあたしは、もう一つ前、かがみの席の椅子をぺしぺし叩いた。
「ここのひとも、おんなじ病気らしいってことぐらいかな。あたしもちょっと熱っぽいかも、そんなに重症じゃないと信じたいけど」
ハルヒは頬杖をやめて、まっすぐにあたしを見た。さてこの挑発、吉と出るか凶と出るか。
「知ってる、そのくらい。わかんないと思ってた? あたしが言ってんのはそのことじゃない」
およ。意外と鋭かった。いや、恋のパワーが彼女を敏感にさせたのか。
「あいつが、キョンがいなくなってた何日かの間、あたしがどんなに…どんなに退屈だったのか、あんたにわかるっての」
およよ。もしかして、こないだ世界が入れ替わっちゃってた時のこと、いまは覚えてるの。
「あたしは、いままでずっとバカにしてきた。つまんない思い込みに惑わされてる、つまんない人間たちのこと。でも、自分も同レベルだったんだって思い知らされた。もういいのよ」
そう言って、ハルヒはまた外を眺め始めた。もういいってのは、自分が特別じゃなくたってもういい、ってこと?
「むー。SOS団設立のこころざしはどこ行っちゃったのさ。てきとうなお遊びサークルにでもする?」
彼女は机に腕を乗せ、そこに自分の頭を置いた。こりゃ寝る体勢か。
「いいかもね、それでも…」
そう言って目を閉じた。さっきから神人の攻撃は激しくなっており、ドスン、ドスンとけっこうシャレにならない振動が伝わってきてるんだけど、それにはまったく気づいてないようだ。
とりあえずは、ハルヒの考える『明日の世界』の中に、SOS団の存在も含めてもらえたみたい。でもいいのかな、これで…
そのとき、誰かが廊下を走る足音が聞こえた。誰かって、一人しかいないだろうけど。
ハルヒがびくっとして身を起こす。いまのははっきり聞こえたんだね。
がらりと教室のドアが開く。
「ハルヒ! 泉!」
キョンはかなりあせった顔をしていた。待っててって言ったじゃん、せっかくそれなりの方向に話がついたのにさ。
そうか、校舎がブチ壊されてるのを見てて、いてもたってもいられなくなったのか。無駄にヒーロー属性なんだから、もう。
「出てって」
ハルヒがつぶやく。キョンが来てくれたのになんでそんなことを?
彼女をほうを見ると、目が合った。ハルヒはいまの、あたしに対して言ったんだ。
「邪魔しないで。ここはあたしの夢なんだから…そうよ、なんであんたがいるのよ」
見開かれた目が、ぎらんと輝いた気がする。
「出てけ!」
ハルヒが叫んだ瞬間、周りの風景が一変した。
膝がガクンとする感じがした。席につこうとしたとたん、うしろから椅子をとられたときみたいに。思わず受け身を取る。
「あいたた…」
ちょっとおしりをぶつけた。ここ、どこだ。
天井は無い。上には灰色の空が広がっている。ぶつけたところをさすりながら身を起こす。遠くの街並みと、いろいろ破壊された校庭を見下ろせる場所に、あたしはいた。
ここ、屋上か。さっきの教室から屋上までテレポートしてきたらしい。恐るべし、ハルヒパワー。
確かに、本命のキョンが来てくれたんなら、あたしなんてお邪魔虫だよね。
どうもあたしは、ゲームマスター様の不興を買って、強制ログアウト処分を食らったらしい。アカウント削除されなかっただけまだましか。
『なんてことしやがる』
突然キョンの声が聞こえた。あたりを見回すが、どこにも姿はない。
『あいつは、泉は、いつもふざけたやつだけど…誰よりもおまえの友人であろうとしていたじゃないか。それを』
確かにキョンだ。どうやら、ハルヒに聞こえてる声がそのまま全校放送されてるらしい。
背後でまた重い響きが聞こえた。足元が震えるぐらいの衝撃が伝わってくる。コンクリートの破片が床を転がっていった。
緊張しながら振り向く。神人だ。まだ距離はあるけど、それでもかなりの巨大さを感じる。
『夢なら消してもいいってのか。おまえには、振り上げた手と、差し出された手の区別もつかないのか』
ちょっとキョン、責めすぎ。やばいって。
『あいつだけじゃない。SOS団の連中も、泉の仲間たちも、おまえを馬鹿にして嫌ってるやつらとは違う、それも認めたくないのか。思い通りにならない人間は、ただの邪魔モンでしかないのか』
神人の破壊活動がぴたりと止まった。何かよくないことの前触れ、としか思えない。
『本気でそう思ってるんだとしたら…俺は、おまえを軽蔑するぜ』
あたり一面の地面が、青白い輝きに包まれた。その輝きが集結してゆっくりと持ち上がっていく。いくつもの光の柱が発生してヒト型の姿になった。学校の敷地内だけでも、ぱっと見て十体以上の神人がいる。でもそれだけじゃない。
丘の上から見下ろせる街並み、そのいたるところで同じことが起きていた。そのもっと向こうに見える山々も、ふもとのほうからだんだんに星空みたいな青白い光点に包まれていく。
何百、何千、いやそんな単位じゃ足りないよ。いくら数学が苦手だってわかる、万を超える数の神人がこの巨大閉鎖空間に発生してる。
…こりゃ終わったかな。
『帰ろう。ハルヒ』
意外にも穏やかな口調で語る。
『俺達の世界にだよ。また無茶言って俺を引っ張りまわしくれ』
結局、最後はキョンに頼るしかなさそうだ。世界の運命は君の説得に懸かってる、頼むよ。
『おまえと一緒にいることを楽しめる変人は、けっこう多いってことだよ』
神人たちはだらんと腕を下げて突っ立っている。何をしたらいいかわからない、そんな感じで。
『悪かった…あ、いや。俺の代わりなんぞいるわけもないし、いたって困る。おまえが俺を選んだというんなら、とことんつきあってやるさ。そういうことでいい』
ふと、この世界を包んでいる空の色がだんだん変わっていることに気がついた。さっきまでの灰色一色じゃなくて、赤黒い何かがうごめいている。
『なあ、白雪姫って知ってるか』
もちろん知ってますが。いったいナニをなさるおつもりで?
しばらく間をおいて、次の瞬間。空一面にひび割れが走った。
そこから無数に何かがふりそそいでくる。赤く輝く何かが、猛烈な勢いで。熟練のシューターでもこの弾幕にはてこずるだろう。
ふわりと校庭に降り立ったそれらは、みんな神人の姿をしていた。世界を埋め尽くすほどに増殖していた神人たちと、ほぼ同じ数。
赤い神人たちはそれぞれ、手近にいた青い神人にしがみついた。抱きつかれたほうはなんの抵抗もしない。じゅうじゅうと沸騰しながら体が融合して、しだいに小さくなっていく。
ひび割れだらけになっていた空が、ぱらぱらと剥がれ落ち始めた。そのむこうがわは虹色の輝きで満たされている。
虹色の空は加速的に広がっていった。あたりがどんどん明るくなり、あっという間に直視していられないほどのまぶしさになる。真夏の陽射し以上だ。
あたりの光景は、ほとんどホワイトアウトしている。思わず目を閉じたけど、まぶたを通して光が突き刺さってくる。
赤、青、黄色…視界一杯にめまぐるしく切り替わる色彩に包まれて、あたしはついに気を失った。