俺が峰岸あやのと知り合ったのは、隣のクラスにいる柊かがみに引き合わされたというのが縁だ。
いや、別に俺がかがみに、個人的に紹介しろって言ったわけじゃないぞ。ひょんなことから、泉、
かがみ、つかさ、高良に加えて、隣のクラスの日下部や峰岸も、よく話の輪に加わることになった、
それだけだ。
泉や柊姉妹、高良を半ば強制的にSOS団に加入させたハルヒは、当然のごとく日下部と峰岸にも
その魔手を伸ばしたのだが、陸上部期待の星である日下部を引き抜けるはずもなく、また、茶道部所属の
峰岸からも、やんわりと断わられていた。
ハルヒはそれでも特別機嫌を悪くした様子もなく、イベント要員という名目で、2人に一方的に「準団員」
の肩書きを与えると、あっさり解放した。
「無理に参加させても仕方ないわ。SOS団の真価を知って、自主的に入ってきてもらったほうがいいし」
「・・・おいこら、私らの時には強引に引っ張っといて、そりゃないでしょうが」
たまりかねたようにかがみが漏らすが、我らが団長さまは、少しも聞いていらっしゃらないようだ。
谷口や国木田、白石の奴と同じ扱いか。ま、準団員ならそれほど不条理な目に遭わずに済むだろう。
え・・・映画撮影のとき池に落とされた奴がいたが、あれは不条理じゃないのかって?
いや、あれは単なる事故だ。
いつからだろうか。峰岸のことが気になりだしたのは。
いつも目にする面子の中では、峰岸は取り立てて目立つというわけではない。どちらかというと話題を
提供したり引っ張ったりするより、やんわりとフォローしたり、宥めたりというのが役回りのようだが、
大人びて優しい物腰の峰岸には、その役割がとても似合っているし、1つ1つのしぐさが、峰岸という女性の
持つ魅力を引き出していると思う。
俺はこういう「お姉さんタイプ」の女性には、実はすこぶる弱い。思い返せば小学生のとき、当時大学生
だった従姉のねーちゃんで初恋を経験して以来、少しなりとも惹かれた女性は、ことごとくこのタイプだ。
いつもは妹か娘だとしか思えない朝比奈さんが、ときたまお姉さん的態度を示すとドキドキしてしまうし、
朝比奈さん(大)に対しても、何のかのと言いながら、いつもお願いを聞き入れてしまうし、高良が岩崎に
話しかけている様子を見ると・・・いや、なにもここまで俺の煩悩を駄々漏れにする必要はあるまい。
俺は峰岸のことが好きになっていた。
こんなほのかな恋慕も、あっさりと打ち砕かれるときが来た。
文化祭最終日、峰岸たちのクラスの演劇終了後、峰岸本人の口から紹介された、彼氏。
なんでも日下部のお兄さんだそうだ。
「うちに遊びに来たあやのを見てさ、私に紹介してくれって食いさがってきてホントまいったZE!
兄貴には、断わられるに決まってるし、私らの仲まで変になるからやめろって言ったんだけど、とりあえず聞いてみたら、
あやのも何か気になってたみたいでさ・・・いや、心配してたのは私だけだったみたいで」
どことなく恥ずかしそうな2人を前に、日下部が笑いながら話していたが、俺は平静さを装いつつも、
自分の気持ちにどう整理をつけたらよいものか、戸惑いとも惨めさともつかぬ気持ちを味わっていた。
ただ、早まって告白なんぞして、峰岸を困らせずに済んだという、奇妙な安堵感があったのも確かだ。
結局は自分から告白できなかったへタレ振りを正当化しているだけ、なんて言ってくれるなよ。
・・・そんなことは、自分でもわかっているんだから。
そういや、従姉のねーちゃんの時も、結局気持ちを伝えられないままだったな。
とはいえ、SOS団の疾風怒濤のごとき日々の活動は、俺に失恋の感慨に浸る間を与えてはくれなかった。
人を巻き込んで、所構わず引っ張りまわすハルヒを忌まわしく思うことはたまにあるが、今の俺にはかえって有難い。
忙しさやあわただしさである程度吹っ切れたのか、日下部や峰岸を交えたおしゃべりや団活でも、とりわけ動揺する
ことも、態度がよそよそしくなることもなく、いつもの日常はあっさりと戻ってきた。
彼氏と二人で寄り添って、あんな幸せそうな笑顔を見せられたら、俺は何も言うことは出来ない。
横恋慕をかけて彼との仲を壊そうとして峰岸を困らせたり、悲しませたりする真似など断じて出来ない。
片思いと失恋の後始末は、自分ひとりでやればいいのさ。
「なあ、キョン・・・ちょっと聞いて欲しいことがあんだけどさぁ・・・」
放課後、いつもの日課どおり部室へ向かおうとしている俺の背中に、珍しく神妙な顔をした日下部が声をかけてきた。
「どうした? 俺でよければ何でも聞くが」
「ここじゃちょっとな・・・あのさ、今日、部活終わったら会えねーかな」
・・・なら6時頃でいいか。ここでいえない話ってんなら、あんまり人目がないところの方がいいよな。
駅前の公園の時計台の下のベンチで待ち合わせってのはどうだ。
「キョンって妙なところ気を利かすよな」
何言ってやがる。このくらいの気を利かせるのは当然のことだ。あまり人に聞かれたくない話なんだろが。
「そうだな、それじゃまたあとで」
じゃあな、という間もなく、駆け出した日下部はあっという間に廊下の向こうに消えた。珍しく神妙な顔をしてると
思ったら、なんとも慌しい奴だ。
さて、俺も早く部室に行かねば。ハルヒから遅いだの何だの、罵声を浴びせられちゃ堪らんからな。
団活はいつものように滞りもなく、このところにしてはまったりと進んだ。週末の秘密探索の予定もあっさりと
(ハルヒの独断で)段取りが決まり、団長さまはさっきから何を調べているのやら、目まぐるしくマウスを動かしながら、
ディスプレイを凝視している。長門はいつものごとく本の虫で、朝比奈さんも珍しく何か読んでおられる・・・お茶の本だ。
俺は古泉と将棋を指しながら、はて、日下部の奴が俺にいったい何の相談やら、と考えをめぐらしていた。
心ここにあらずという状態でも、なんせ古泉はこの類のゲームは下手の横好きを極めている。攻めも守りも一貫性のない
古泉の玉を、俺はあっさりと詰んでしまった。おまえ、手ごたえが無さ過ぎる。もっと精進しろよ。
「いやはや、相変わらずお強いですね。これで今月ははやくも16敗ですか」
そういや、お前が将棋で俺に勝ったのっていつの話かね。負け続けても嫌にならないその精神力はどこから来るんだ。
「さあ、いつだったでしょう。僕は勝敗よりも、戦いの過程を楽しむタイプですので」
ああそうかい。道理で、勝つ気の薄い奴との勝負事なんざ、面白くないわけだ。
とまあ、いつものようにのんべんだらりと部室での時間を過ごし、長門の本を閉じる音とともに今日の活動が終わると、
俺はすぐに部室を後にした。幸い、ハルヒも古泉も、なぜ急いでいるのかと詰問してくることもなかった。
公園に着くと、日下部はすでに来ていた。俺の姿を目にすると腰に手を当てて一言。
「遅ーい、罰金だZE」
頼むからハルヒの真似は止めてくれ、という俺に、いやぁ、なぜかキョンを見たら言いたくなってさーと、相変わらず、
屈託のない日下部だったが、俺が要件に話を向けると、途端に真面目な顔になった。
「実はさ、あやのとウチの兄貴のことなんだけど・・・」
どうも峰岸と日下部の兄、つまり彼氏との仲がこのところ良くないらしい。
最近、峰岸があまり元気がないし、随分と兄とも会っていないみたいなので、問い詰めてみたらそう白状したらしい。
兄は兄で、最近、家にもあまり居ず、頻繁に遊び歩いて、朝帰りも度々らしい。
言うまでもなく峰岸は高校生で、彼氏は大学生と聞いた。そもそも平日の生活リズムはあんまり合わないし、大学生とも
なれば自由な時間は多いし、付き合いも広がる。彼女とはいえ高校生同伴じゃ遊びに行けない場所だってある。
付き合い始めた当初は良かったものの、こんな理由からか結構すれ違いも多く、予定が合わなくて喧嘩することもあったそうだ。
あの峰岸が怒ったり、人と喧嘩しているところなんて想像できないが。
「知らないなーキョン。あやのって、怒ると結構こえーんだぜ」
そうかもしれん。だが、俺は峰岸の怖さより、あの峰岸を怒らせるお前の行動や言動の方に興味がある。
「今は私の話なんてどうでもいいんだってヴァ! あやのの話を聞けYO」
スマンスマン。別に茶々を入れるわけじゃないんだ。
峰岸と彼氏の仲が壊れかけている。それを日下部の口から聞いたとき、何かが首をもたげたのは確かだ。
そんな俺の心境なんぞ知る由もなく、日下部は言葉を続けた。
「こんな場合ってどうすりゃいいと思うキョン? 私は女だしさー、兄貴のしてることや気持ちってのがイマイチよくわかんねーんだ。
男って彼女より、他の仲間と遊び歩く方が大事なのか」
難しい問題だな。ひとつ聞くけど、その、お兄さん、まさか他の女性と遊んでるとか、そんなことはないよな?
「それもわかんねーな。兄貴が女にモテるのかどうか知らねーけど」
頻繁な行き違いの上に、女性が絡んでいれば、まず関係の修復は困難だろう。
「あやのはさー・・・私って女の子として魅力ないのかな。きっと飽きられたのかもね、なんて言ってた」
やはりこういう事態になると、異性が絡んできていると考えるのが自然だ。
「昨日兄貴の方も問い詰めてみたんだけどさー・・・俺たちのことに口を出すなって、喧嘩になっちゃって」
それはそうだろうな。ただ、片や親友、片や実の兄だとすれば、意見するなというのも無理な話だが。
「私としちゃ、別れた方がいいと思うんだ。なんか兄貴は何言っても聞く耳持ってないみてーだし、今のままじゃあやのが可哀想でさ。
兄貴とあやのを引き合わせた責任ってのもあるし・・・」
それはお前が責任を感じることじゃないよ。結局2人の問題だろ。
そう答えながら、実は日下部の意見に強く同意を与えそうになる口を、俺は必死で引き結んでいた。
こういう事態を僥倖ととらえるなんて、男の風上にも置けない奴だ、と言われかねないことには同意する。
ただ、俺の手で後押しして、峰岸を彼氏と別れさせることが出来れば、という気持ちが抑えられないのも事実だ。
「で、なぜそれを俺に相談しようと思ったんだ」
気持ちを落ち着かせるためにそう聞いてみる。まさか日下部の奴、俺が峰岸のことを気にしていたのを知って・・・
「いや、私1人じゃ、あやののために何てアドヴァイスすりゃいいのか分からなくてさ。キョンが私が知ってる男の中で一番
信用できそうだし」
恋愛絡みの話なら、古泉あたりに聞いた方がいい案が出てくるんじゃないか。あいつは口も固いし、秘密は守ると思うぞ。
「う~ん、古泉は確かにキョンよりは女の扱いに慣れてそうなんだけど、モテそうな割に言うことがありきたり過ぎで、あんま
役に立ちそうもない気がすんだよな」
確かにその評価は正しい。古泉よ、身のない薀蓄を延々と垂れ流す男だと、見抜いている奴がここにいるぞ。
「谷口や白石は論外だしさ」
まあそうだな。
「で、キョンはどう思うんだ」
俺たちは第三者だから、別れる、別れないについては、峰岸の意思を無視して決め付けることはできない。
あとな日下部。おまえ、このことを他の奴に喋るなよ。ホントは俺に話すのもまずいんじゃないか。
峰岸はお前を信用して話してくれたんだから。
「そうかもしれないな・・・」
少ししょげた顔をする日下部。心にもない正論をぶちまけた胸が少々痛む。
「けど、頼られて話を聞いた以上、協力するよ。峰岸は俺にとっても大事な友達だからな」
日下部を励ます言葉の中に、また小さな嘘を混ぜてしまった。
お互いが話し合うことが出来ればそれが一番なのだが、最近、2人とも会うどころか話もしない状態で、
日下部が間に立つのも限界があるとすると・・・俺が仲介に立つのか?
そもそも日下部の兄とは、文化祭のときにほんの僅か顔を合わせただけできちんとした面識もないし、
だいたいなぜお前が2人の仲を取り持とうとするのか、と問い詰められたら答えに窮する。
俺が仲介の矢面に立って、良い事など何もない。
・・・ああ、分かってる。なんで自分の好きだった女の子を、彼氏と仲直りさせるために立ち回らなきゃ
ならないんだって気持ちも当然ある。
「日下部。やっばり仲介役はお前がするのがベストだと思う。なんせ2人を結びつけたのはお前だろ。
意見できるとしたらやっぱりお前しか居ないよ。お兄さんのいるときに、峰岸をうちに連れて来てさ、きちんと
話し合いの場を持たせるべきだと思う。お兄さんにだって言い分はあるだろうし、峰岸のことが心配なのは
分かるけど、一方的に責められりゃ、お兄さんだって怒るだろ。
妹から真剣に意見されて、それでも話し合うことをしない兄貴なら、その時は割って入って縁を切らせりゃいい。
あれこれ気を回すよりも、まずは本人たちが話し合うことの出来る場所をつくって、話をさせるしかない」
・・・ホントは別れさせろ、と言いたい所だが、それをするのは俺の意地が許さん。詰まらん意地だが。
「女1人で心配なら俺も立ち会ってもいい。日下部も峰岸も、俺の大切な友達だからな」
本当か。なら頼んでいいかキョン。そういう日下部の顔をみながら、俺も決意を固めていた。
で、とある日曜日。日下部の自宅であやのとお兄さんの話し合いの場が持たれて、俺も約束どおり立ち会った。
詳しい話し合いの経緯は省略するが、さすがに妹に厳しく意見された上、あやのの胸のうちを聞いて、
自分の行動を省みて反省したのだろう。これからはきちんと、何かあったら向かい合って対処するということで、
2人の中は修復された。
いや、俺はてっきり、「貴様何様のつもりだ。赤の他人に意見なんかされる謂れはない」と1、2発殴られるかも
しれないと覚悟していたのだが、まあ、なにはともあれ、無事に一件落着とあいなったのは何よりだ。
「キョン君・・・だったかな。もし違ったら気を悪くしないで欲しいんだが、キミはもしかしてあやののことを・・・」
あやのを家まで送っていくぜ、と言って外に出て行った日下部を追いかけようと、玄関で靴を履いている俺に向かって
日下部のお兄さんが問いかけてきた。
ま、そう思うのも仕方ないかもな。わざわざ彼女の同級生の男友達が、こんな場所に立ち会おうってんだからな。
俺は向き直ると、お兄さんの目をじっと見ながら言った。
「俺は峰岸のことを、そういう対象だと思って見たことは一度もないです。
峰岸は大切な友達です。貴方と仲違いして、悲しそうな顔をしている峰岸を見たくなかっただけです。
あと、貴方たちのことで悩んでいる日下部・・・妹さんのことも放っておけませんでした。
今回のこと、お節介だと思われたら謝ります。それじゃ」
踵を返して、ドアを開けると、おじゃましましたと挨拶して、俺は日下部宅を後にした。
「それじゃみさちゃん、キョン君・・・今日はどうもありがとう」
峰岸を無事自宅に送りどけると、日下部と並んで家路に着く。ふと日下部が口を開いた。
「キョン・・・今日は本当にありがとうな。助かったぜ~」
いや、俺はただ居合わせただけだ。兄貴に説教して、きちんと話を聞かせたのはお前だろ。大して役に立てなかったな。
「いや、キョンがいてくれて助かった・・・それにさ・・・」
ふと言葉を区切ると、日下部は俯いたまま、ポツリと一言こういった。
「ごめんな・・・」
日下部の謝罪の言葉に、俺は言葉を返さなかった。意地は立てたら最後まで押し通すもんだからな。
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最終更新:2008年11月13日 23:58