冬・一日目

はあっと息を吐きかけると、窓ガラスは白く曇った。すぐに蒸発して元に戻る。もう一回、はあ。うーん、これじゃ落書きする暇もないわね。
「なにやってんの、子供みたいよ」
ひとつ後ろの席から声をかけられた。う、今のを見られてたか。
「え、いや、ちょっとね。いいじゃない」
「そうね、どうでもいい。あーあ、つまんない。退屈って、あたしが一番嫌いな感情なのよね」
うん、知ってる。
あいかわらず、ハルヒと言葉のキャッチボールをしても大暴投の剛速球しか帰ってこないんだけど、いまさら怒る気もしないのはなんでかしらね。
もう慣れたから、あるいは、すべて諦めてるから。それもあるけど、一番の理由は、ハルヒが本気でわたしを馬鹿にしてるわけじゃないとわかってるから、かな。
「そんなにつまんない? 世間様はクリスマス前で盛り上がってるころよ」
ここであえて、こいつの嫌いそうな俗世間の浮かれ騒ぎの話題をふってみる。はん、と鼻で笑うハルヒ。
「なに、あんたも『イブは彼氏と過ごしたーい』なんて思ってるクチ?」
ちょっとすねた感じで聞いてきた。
「まあ、相手がいるに越したことはないけど、そういう話もまるでないわね。今年はいつも通り家族とかな。うちの妹のケーキ、おいしいのよ」
まだわたしが話してる途中で、ハルヒは頬杖ついてぼーっと教室内をながめ出し始めた。
普通なら「聞けよ」と言って怒るところね。だけど、こう見えてハルヒはかなりの地獄耳なんで、聞いてないように見えても話はちゃんと耳に入っているらしい。
「ん、あんたの家、神社だっけ。クリスマスはあるんだ」
お父さんの仕事が神主だって話すと、たまにそういうこと聞かれる。ハルヒからこんな普通の質問が来るとはかえって驚きかも。
「あー、普通にツリーとか飾ってたけど。どうなんだろ、広い意味でお祭りだからいいのかなあ」
「古くから伝わる怪しい儀式とかないの。こう、イケニエをささげて、宇宙的ホラーな何かを召還したりとか」
ない。こいつ神道と密教がごっちゃになってない?
ハルヒはすぐこの話題に興味を失って、また不機嫌退屈モードに戻った。まったく、あんたの望む異変なんて、そうほいほい起きるものじゃないのよ。
昨日までと同じ世界、これからも変わらぬ毎日。そのなかにわたしたちは生きているんだと、このときは疑う余地もなかった。
本当はどっちもおおまちがいだったんだけど。

放課後。なんとなくすぐ帰る気になれなくて、教室でこの前買って来た小説を読んでいたら、携帯にメールが入った。
つかさからだ。無題で、本文は『今どこ?一緒に帰れる?』
とりあえず返信。『いいよ。分かれ道の所で待ってる』
どうしたんだろ。入学したてのころは毎日のようにつかさと帰ってたけど、最近ではほとんどない。たまに帰り道であいつを見かけるときは、いつも楽しそうに友達と歩いてたのに。さてはケンカでもしたな。
学校を出て、毎朝つかさと分かれるポイントに到着。あいつが学校からメールしてきたんだとすれば、ここにつくまでにまだしばらくかかるはず。とりあえずさっきの小説の続きを読むことにした。
フェンスに寄りかかって黙読。最近は特に日が落ちるのが早いから、かなり字が見づらい。つい本を顔に近づけてしまう。こういうの目に悪そうね。やっぱ帰ってからにしようかな。
「ほほーう。お姉さん、ラノベ読むんだ」
どこかで聞いた口調で呼びかけられた。あわてて文庫を閉じる。女の子がかがみこんで下から表紙を覗き込もうとしていた。
「あ、あんた。こなちゃん、だっけ」
「お、覚えててくれたんだ。おねいさん、オラ感激しちゃう」
某アニメの、永遠の幼稚園児そっくりの声まねで体をくねくねさせる彼女。うまいけどやめい。
「つかさ、すぐ来るよ。詳しいことはあとで本人に聞いたげて」
あ、うん。聞いたげて、ってことは、やっぱりなにかあったか。
それだけ言って、彼女もわたしのとなりに寄りかかった。しばらく無言。微妙に気まずいわね。けっこうフレンドリーに接してきてくれる子だし、なんか話しかけたほうがいいか。共通の話題もそれなりにありそうだし。
「あんたもよく読むの? こういうの」
本をカバンにしまう前に、表紙をちらっと見せて聞いてみる。
「うんにゃ、あたしはマンガ専門かな。字ばっかりの本って苦手だし」
「ふーん…って、ちょっと、文芸部員」
「アハっ☆」
笑ってごまかすな。『マンガ専門の文芸部員』ってどうなのよ。うちの『読んだら寝ちゃう文芸部員』とタメ張れる存在ね。
「あ、でも、あたしの部屋に一冊だけラノベあるよ」
「へえ。なんてタイトル?」
話のとっかかりとしてはそこか。わたしの知ってるやつだといいけど。
「んー、のいぢ絵だった」
は? そんな作品あったっけ。
「だから、絵師が」
「絵師、って…さては本文読んでないわね」
「あたしにとっちゃラノベは、ちょっと添え書きが多い画集だね」
ダメだこいつ。ここからどう話を持ってけばいいの。
「たしか、借り物だったと思うけど。誰に借りたんだっけかなあ…」
返せ。すぐ持ち主に返してやれ。
「あ、来た来た。おーい」
こなちゃんは、フェンスから離れて坂道の上に手を振った。そっちのほうから、つかさと、その友達ふたりが降りてきた。
「お姉さん、無事だったよ。いやー、そのへんの茂みに押し倒されてなくてよかった」
なにを言い出すかと思えば。いや、そんな事件も珍しくはないんだろうけど。この子の発想にはついていきがたいなあ。

駅で電車待ち中、つかさはやや口数が少なかった。落ち込んでるというよりは、何かを心配してる感じ。
「お姉ちゃん、キョン君って人、知ってる?」
「さあ。知らない、と思うけど。誰それ」
「あ、ええとね、りょうちゃんのクラスの、そういうあだ名の男子なんだけど。あれ、本名なんていうんだっけ」
おいおい、そんな人をわたしが知ってるわけないでしょ。
「今朝ね、そのキョン君が、りょうちゃんとケンカしてたんだって。けっこうひどいこと言ってたみたいだよ。『なんでおまえがここにいるんだ』とか」
それは、いわゆる痴話ゲンカのたぐいってやつ? つかさがりょうちゃんって呼んでる子はかなりの美人だし、そういう話の一つや二つ、あってもおかしくないかも。
「それで?」と聞いてみる。ただ友達が男子とケンカしてたってだけじゃ、つかさがこんな顔する理由にはならないはず。
ちょっと話しにくそうにしていたつかさだが、問いただすとぽつぽつ言い始めた。
「放課後なんだけど、文芸部室でね、キョン君がゆきちゃんのことを、こう…」
つかさはカバンを床に置き、わたしの両肩に手を当てて押すふりをした。
「壁にね、押し付けてたの」
恥ずかしそうにしてぱっと手を離す。
「ええと、それって、そういう関係だから? それともムリヤリ?」
「んー、関係のほう、かな。あ、でもゆきちゃんかなり困ってたし、どうなのかな」
見知らぬ男子が、いきなり暴行におよんできたってわけでもないのね。つかさのとこは仲良しクラブだと思ってたけど、男がからむとそういうドロドロした話になっちゃうのかな…なんて、わたしはそんなのんきなことを考えていた。つかさの次のひとことを聞くまでは。
「それでね、キョン君ったら、わたしにすごく変なこと聞いてきたんだよ。かがみはここの生徒か、って」
え、わたし?
「それで、え、なに、違うよって思ってたら、今度は、かがみはおまえの姉だよな、って聞かれて」
つかさは小刻みに肩を震わせていた。こいつの心配事の正体がわかった。つかさはいま、なにかにおびえている。たぶんそのキョンとかいう男子に。
「それで、キョン君すごく怒ってて。違うかな、なんかすごくあせってるみたいで。ゆきちゃんも泣きそうだったし、ちょっと怖くて。だからお姉ちゃんのこと黙ってたら、りょうちゃんが、もう帰ろうっていうから、みんなで帰ってきたの」
なんなのよそいつ。このあいだのナンパ男といい、北校男子はケダモノか。
「でね、お姉ちゃんに聞きたかったんだけど。ハルヒっていう人、誰だかわかる?」
つかさの口からまたもや意外な人名が出た。ハルヒまでからんでるの、この件。
「ええとね、そのキョン君が、す…なんだっけ、なんとかハルヒって人を探してるみたいでね。あと、もうひとり、古泉みゆきさんって人と。ん、そっちは別人なのかな、古泉って人と、みゆきさんって人を」
立て続けに、つかさが知っているはずのない人物の名前があがっていく。背筋をぞくっと嫌な感じが走った。思わず爪をかむ。
「それ…みんな陵桜の、わたしの友達よ」
「え、そうなの」
なんで。どこで知ったの。ハルヒとその周りにいる人間を、ピンポイントで狙ったような人選じゃない。
「今度そいつに何か聞かれても、答えちゃダメだからね。変なことされそうになったら、すぐに先生を呼びなさい。いなかったらそのへんの人でも、警察でもいいから」
得体の知れない男が、密かにわたしやハルヒのことを嗅ぎまわっている。そう思うとなんだか寒気がしてきて、わたしはつかさの手をとり、ぎゅっと握った。


冬・二日目

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最終更新:2009年01月07日 23:53
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