冬・三日目

びしっと六時には目が覚めた。
実質の睡眠時間は…うわ、絶望的。こりゃ絶対に授業中に反動が来るわね。
顔を洗って、着替えて、お弁当を作る。わたしのぶんと、つかさのぶんと。ついでにお母さんと朝ごはんの手伝いもしてみたりして。
「おふぁよー。ふわ、お姉ちゃん早い」
「ほら、さっさと着替える」
いつもよりちょっとだけ早く家を出る。爽やかな朝の日差し、冬の空気。わたしは自分の両頬を軽く叩いた。
「よし」
認めよう。
理解も、納得もしがたいけど、でも確かに…この世界は、改変されている。
今日一日でわたしが行うべき仕事を考え直してみる。あ。あれが必要ね。
「ごめん、つかさ。忘れ物しちゃったから先に行ってて」
本当はもうひとつ、こいつに断るべきことがあるんだけど、まだ内緒。備えあれば憂いなしだよね。

いつもの教室、いつもの席で、ハルヒは自席に着くなり机に突っ伏して寝始めた。よかった。今日は来ないんじゃないかとちょっと心配だったから。
ハルヒが話しかけてくる様子はない。ホントに寝てるのかな、いやきっとふりだけね。どう対応していいかわからないときは、怒るか無視する。それがこいつだもの。
今日はいつになく授業に集中できた。ほとんど寝てないはずだけど、心配していた眠気も襲ってこない。人間、せっぱつまるとなんか変なスイッチが入るのかも。
これもう意味あるのかな、と思いつつも真面目にノートをとりながら、もうひとつ別のことを考えていた。この世界で、わたしが知っているはずの本筋のストーリー。特に、今日この日に起きるはずのイベントを。
授業の合間も、お昼休みも、ハルヒは無言だった。ひたすら何かを思案している。まあいつものことだから誰も気にしない。ときおりちらっとわたしのほうを見たりしてるんだけど、そこはスルー。
で、放課後。
授業終了と同時に、ハルヒはがたんと席を立つ。そしてわたしをじっと見つめた。何かを決意した瞳で。
「あたし、行くから」
それだけ言って背を向ける。あ、ちょっと。
「ひとこと相談があってもいいんじゃない。いちおう聞くけど、どこに」
ハルヒは降り向かない。やや斜め上を向いている。
「わかってるなら聞かないで。ジョンのところよ」
肩を震わせて、少しうつむいて、そして振り向く。
「あんたは、ただあいつの妄想だって言うんでしょ。たぶん、その通りなんだと思う。それでも」
ここで言葉を区切った。ハルヒの瞳が揺れている。
「確かめなきゃいけないの、あたしが、なにをどこまで信じたらいいのか」
また背をむけて、ゆっくり歩き出す。
ああ、そうか。ハルヒが知りたいのは、ジョンの言葉が本当かどうかじゃない。ジョンを、キョンを信じるという行為が正しいかどうかなんだね。
「うん、じゃあ行こうか」
はっと息を呑む音が聞こえた。あんた、いま動揺したでしょ。
「わたしには、あんたを止められないし、放っとけない。ならついてくしかないじゃない」
かすかなささやき声で、「勝手にすれば」と言ったのが聞こえた。なんかこいつが可愛く見えてきたぞ。
「でもちょっとだけ待ってちょうだい。いっしょに行かなくちゃいけない人たちがいるから」

となりのクラスに向かう。まだ帰ってないよね、あの二人。あ、いた。
わたしの姿を見つけた古泉君が駆け寄ってくる。
「柊さん、聞きましたよ。涼宮さんが昨日、北校の男子と乱闘騒ぎを起こしたとか。それが例の男ですか?」
やっぱりもう噂になってるのね、しかも尾ひれまでついて。この学校でのハルヒの注目度を考えたら仕方ないか。
「うん。それも含めて、ちょっとお願いがあるんだけど」
高良さんもこちらに来る。
「詳しい話は、ごめん、あとで。いますぐ来て、ハルヒがしびれを切らす前に」
二人を連れて廊下に出る。案の定、ハルヒは自分だけずんずんと向こうへ進み始めていた。待てと言って待つやつじゃないわよね。
すぐ追いかけてと二人に指示して、わたしは自分の席に戻り、今朝うちから持ち出した荷物を回収した。もう、忙しいったら。
「涼宮さんっ」
「なによ、あんたら」
廊下では口論が始まりかけてる。ハルヒにとってはほとんど面識ない相手だしなあ。
お待たせ! と叫んで三人に追いつく。
「いっしょに行くって、こいつらと? なんで」
「あんたは知らないでしょうけど、この二人もわたしと同じ気持ちなの、あんたを放っとけないって」
ハルヒは眉をひそめる。ちなみに古泉君も同じ顔をしてる。
「申し訳ありません、行く、とはどこに」
「北校」
そっけなくハルヒが答えると二人の顔色が変わった。古泉君がわたしの耳元でささやく。
「彼女を止めてください。学校間のもめごとになったら、もう僕たちでは」
うん。常識的な発想ね。わたしだって、きっとハルヒに同じことを言って止めようとしたと思う。昨日、あの本を読んでいなかったなら。
でもいまは、その常識をぶっ飛ばすような事態が起きてるの。それをいますぐこの二人に理解してもらうには…んー、無理かなあ。
高良さんは唇をかんであごを震わせている。何を言うべきか、あるいは何も言うまいか迷ってる。そんな感じで。
「たっ」
高良さん、と呼びかけようとして、言葉が止まった。違う。前の世界でわたしは、彼女をそんなふうに呼んだりはしてなかった。
「みゆき!」
名前のほうで呼びかけると、みゆきはびくりとして、はいっと答えた。
昨日、ハルヒは極限までイライラしていた。触れる相手すべてにケンカを売らずにはいられない様子で。そんなあいつに声をかけなきゃいけなかったキョンも災難よね。
だけど、そんなハルヒの心をいっぺんにわしづかみにしたキーワード、それが『ジョン・スミス』。
なにかない? わたしたちにとってそれに匹敵する、なんでもないけど、でも印象的な言葉。
「あんたさあ、チョココロネって、どうやって食べる?」
は? という顔をされる。みゆきも、古泉君も。なんとハルヒまで。
「チョココロネ、ですか?」
わたしの瞳を呆然として見つめるみゆき。空中で何かを持ってちぎるようなしぐさをする。
「細いほうをちぎって、余ったチョコを、つけて…あっ」
みゆきはその場にうずくまってしまった。両手をぎゅっと胸元に押し付けて震えている。古泉君があわてて駆け寄る。
すぐに起き上がり、またわたしを見つめる。まぶたいっぱいに涙があふれて、こぼれ落ちた。
「かがみさん、チョココロネは…どちらが頭だと思いますか」
ほとんど泣き声でそう問いかけて、わたしに駆け寄り、抱きついてきた。
うん。入学当初、そんなどうでもいい話してたよね。こなたが言い出して、わたしとつかさと、それからあんたと。
わたしたち四人が共通の話題で盛り上がったのって、思えばあれが初めてじゃない?
「どうしてわたし、いままでずっと、大切な、お友達のこと…」
肩をぽんぽんと叩くと、上気して赤くなった顔をあげた。いまちょっとドキッとしたぞ、女同士なのに。
つかさの笑顔が必殺兵器なら、みゆきの涙は大量破壊兵器として通用するわね。
「あいつらなら、ちゃんと北校にいるわよ」
そう言って聞かせると、みゆきはこくりとうなずいたあと、わたしの肩からぱっと手を離して恥ずかしそうな顔になった。やっと自分の体勢に気がついたか。
古泉君がにっこりと笑って、みゆきに真っ白なハンカチを手渡した。この状況でよくそんな対応が取れるわね。
「もう説明は求めません。それより彼女を」
彼女? あわてて振り向くと、ハルヒの姿が廊下のかなり向こうに見えた。あんにゃろ、他人のドラマには興味なしかい。
「行くわよ」
一声かけて、わたしたちはハルヒを追いかけた。

陵桜の専用通学路を抜けて公道に出たとき、つまりは昨日キョンに出会った場所で。
「ハル…古泉? みゆきさん?」
キョンだ。昨日の今日でまた待ち伏せなんて、本気で警察呼ばれちゃうわよ。
「さあ、ジョン。案内しなさい、文芸部室とやらに」
わたしたちの先頭を、肩で風を切って歩いていたハルヒは、彼の姿を見つけるやいなや指令を飛ばす。
「ああ、もちろんそのために、来たんだが…」
キョンはややとまどった視線をわたしたちに送る。
みゆきは軽く首をかしげていた。どうやら、思い出せたのはつかさとこなたのことだけらしい。
古泉君はあごに手をやって、「あなたは…」とかつぶやいた。彼の場合、本気で何か思い出しかけてんのか、それともただのポーズなのかわかんないのよね。
わたしと目が合ったとたん、キョンはあわてて視線をそらした。もしかして怖がられてる? 昨日はいじめすぎたか。
「はい、キリキリ歩く!」
ハルヒはキョンのそでをつかんで、元気よく坂を登り始めた。
「北校に入り込むのはいいけどさ、その格好じゃさすがに目立つぜ」
キョンが服装の心配をし始める。そろそろころあいかな。
「どうせそんな話になると思ったわよ。古泉君、それ、開けてもらえる?」
今は古泉君に持ってもらっている、わたしが家から持ち出したバッグを開けてもらった。中身は北校のジャージ上下、三着。
「つかさのを借りてきたの。サイズ的にきついかもしれないけど。あ、古泉君はどう考えても無理なんで、彼のを借りて。学校に置いてるでしょ」
ハルヒとキョンが、ぽかんとした顔でわたしを見る。
「あんた、初めっからこのつもりで?」
「自分で言うのもなんだが…昨日の俺の話、どこに信じる余地があるんだよ」
正直に答えるなら、話の筋を思い出して展開を先読みしたから、なんだけど。それを言ったらまた別の質問が飛んできそうなんで、ここは手短かに。
「ちょっと状況が変わってね。ついたら話す。それより、あんまり人目につかない場所、ある?」

北校生になりすまして、すんなりと校舎に進入する。朝比奈先輩はハルヒとキョンが拉致ってくるはずなんで、わたしたちは一足お先に文芸部室へ。
室内からは、わいわい雑談する声が聞こえる。今のわたしは完全に部外者なのよね。なんだか入りづらいけど…ここがつかさの部屋だと思えばいいか。軽くドアをノック。
「入るわよー」
「あ、うん、おね…ええっ、お姉ちゃん、なんで」
四人分の驚きの視線が突き刺さる。あせっちゃだめ、平常心で。
「わたしもあいつの人探し、手伝ってあげようかと思ってね。お邪魔してもいいかな、部長さん」
目をまんまるくしてわたしを見つめていた文芸部長さんは、視線を落としてほんのわずかにうなずいた。
いいって、とまだ廊下にいる二人に声をかける。部員たちには顔見知りのわたししか見えてなかったはずなんで、ちょっと詐欺くさい気もするけど、まあ許して。
「紹介するわね。友達の、みゆきと古泉君」
みゆきは、つかさとこなたの顔を見たとたんに口元を押さえて、深く頭を下げた。古泉君は四人に軽く礼をしたあと、部室内をみまわす。
「あ、キョン君が探してた人? え?」
つかさから、わたしを不審がる視線が向けられてくる。昨日と今でやってることが180度逆だし、しかたないか。
「おー。なんていうか、おーってしか言いようないんだけど」
こなちゃん、泉こなたは突然現れた二人を好奇の目で見てる。見知らぬ、しかもそこらにはいないレベルの美男美女にいきなり引き会わされたら、そりゃ驚くわよね。
ゆきちゃん、長門有希はわたしたちを見ておびえていた。そういえば、わたしと初めて会ったときもこんな顔してたなあ。今の彼女にとって、見知らぬ他人はみんな恐怖の対象なのかも。
りょうちゃん、朝倉涼子はさほど驚いた様子ではなかった。わたしに対して、冷たく、静かに…怒りの視線を向けているように見える。

背後でドアがノックされ、さらに三人の招かれざる客が文芸部室に入ってきた。
力強く自己紹介し、部員一人ひとりに声をかけて回るハルヒ。パニックにおちいってほとんど泣きそうになる朝比奈先輩。所在なさげに立ってるキョン。
総勢で十名。さすがにこれは狭苦しいわね。
「どういうつもり? 他校生がいきなり四人も押しかけてくるなんて。先生を呼んでもいいかしら」
朝倉が腕組みして、憤りを隠せないといった口調で発言した。
当然の、常識的な、筋の通った主張ね。でも。
今日の授業中、わたしは必死で思い出そうとしていた。前に読んだ、『涼宮ハルヒの消失』のストーリーを。
彼女がキョンに襲いかかったとき、なんと言ってたっけ。たしか、あなたは長門さんを苦しめた、みたいなセリフがあったと思う。
「朝倉さん。あんたは事情を知ってて、隠してる。そうでなくちゃおかしい」
キョンはびくっとして、朝倉から離れる方向にあとずさった。あ、ビビッてる、ビビッてる。
彼女からの反論はない。話を続けることにした。
「世界を元に戻すには、二冊の本が必要なのよね。そのうち一冊はわたしが持ってる」
バッグから『憂鬱』を取りだして机に置く。まっさきにハルヒが寄ってくる。
「なんであんたがそんなもん…え。はあ?」
手にとってぺらぺらめくり始める。しばらくは黙読中か。
「こなた。それは昨日あんたに返してもらったやつよ。あたしが買って、あんたに貸して、それっきりになってた」
別の世界でね。そこは言ってもしょうがないんで黙っておく。
「ほえ、あたしが? 言われてみるとそんな気も…うん、かがみんに借りたやつ…え、でもいつ?」
困惑顔で頭を抱えるこなた。心配そうに寄り添うつかさ。

「なんだか知らんが、助かった。」
キョンが机に自分のカバンを置いて、かちゃりと開ける。
「もうひとつの鍵、マンガのほうは俺が持ってる。どうみても奇っ怪なシロモノだ」
そう言って、やや大判のコミックを机に置いた。女の子三人がゲームをしてる表紙。タイトルは『らき☆すた』。
中を見てみる。ちょっと独特な絵柄の四コママンガ。女子高生らしき登場人物の平凡なやりとり。だけど。
「これ、わたしたち…だよね」
キャラクターはかなりデフォルメされてるけど。わたしなんて髪が紫色だったけど。
そこに書いてあるネタは、どれもこれも見覚えがある。わたしの思い出の中の、みんな同じ学校に通っていた世界での光景。
「どうなってるの。そのへんで買った、ってわけないよね」
キョンにたずねると、眉間にしわを寄せてうなずいた。
「昨日おまえらが帰ったあとに、あきら様、とかいう女の子に会ってな。その子にもらった」
誰それ。すでに混沌としてきた記憶をたどってみても、思い当たりはまるでない。
「正体はわからんが、その子も世界が変だと知っていた。元の世界に戻ったら、またいっしょに仕事したいやつがいるんだとさ」
こなたとつかさは、マンガを読んでおーっと歓声をあげている。ハルヒは小説をぱたんと閉じて古泉君に手渡した。困り果てた表情できょろきょろする長門の手を、無表情の朝倉が握っている。そして。
ピポ。
古めかしいパソコンの電源が勝手に入った。

YUKI.N> これをあなたが読んでいる時、わたしはわたしではないだろう。

まっさらな灰色の画面に音もなく文字が現れていく。世界が変わる前の長門有希が残したプログラム。
キョンがまじまじと画面を見つめる。ちょっと、あんたの頭に隠れてよく見えないんだけど。まあいか、これは彼が読むための説明書だし、わたしはそれ、すでに内容を知ってるわけだから。

YUKI.N> このメッセージが表示されたということは、そこには涼宮ハルヒの憂鬱、らき☆すたおよびそれらの主要登場人物が存在しているはずである。

「どういう意味、なんの仕掛けなの、説明してよ」
ハルヒがわたしの胸元をつかんで問い詰める。あの、ちょっと苦しいんだけど。
「帰るのよ。あんたが言うところの、もうちょっとマシな本当の世界に」
めいっぱい目を見開いている。わたしがそんなこと言い出すなんて信じられない?

YUKI.N> これは緊急脱出プログラムである。起動させる場合はエンターキーを、そうでない場合はそれ以外のキーを選択せよ。

「今までごめんね。いつもあんたの言うこと否定してばっかりで」
「馬鹿じゃないの。なんで謝るの。いつだってあんたは…」
さらに何かを言いかけたハルヒは、唇をゆがめてぷいっと横を向いた。わかりやすい照れ隠しだなあ。

YUKI.N> このプログラムが起動するのは一度きりである。実行ののち、消去される。非実行が選択された場合は起動されずに消去される。Ready?

ふう。やっとここまでたどりついたか。
もともとキョンは元の世界に帰りたくてわたしたちを集めたわけだし、ちょっとは悩むかもしれないけど、ここでエンター以外を押す理由がない。
わたしとキョン以外は事情が理解できてない、というか、できるはずもないけど、戻りたいって気持ちはたぶん同じだから…
あ。違う。ひとりだけ、明らかに世界を戻したくない人物がいる。
「相反するいくつもの意識、かあ。人はよく、子は親に似るというものね」
朝倉はそう言って、ゆっくりとパソコンのある席に近づいてきた。キョンがぎょっとした目でそちらを見る。一度ちらっと長門のほうを見てから、また朝倉に視線を戻した。なにきょろきょろしてんの、いまはあんたにしかできない仕事があるでしょ。
「どうしてっ」
朝倉は叫び、長門をにらみつけた。眼鏡の長門はびくりと縮こまり、まるで理解できないという表情になる。
「え、なんなの、朝倉さん」
「なんでみんな集まるように仕組んだの。なんでこんなものを用意していたの。あたしは、あなたを守るためによみがえったんじゃなかったの」
突如として激しく長門を問い詰める朝倉。みんなぽかんとしている。
「りょうちゃん?」
「どったの、りょうタン」
特につかさとこなたはショックを受けているみたいだった。朝倉が激怒する姿なんて初めて見たのかも。
「はあ。今のあなたに言ったってしょうがないか。うん、わかってる。でも、それでも…」
気がつくと、朝倉はパソコンまで約1メートルのところに迫っていた。その位置からじゃエンターキーには手が届かない。でもキーボードの反対側、いちばん端のエスケープキーになら。
朝倉が手を伸ばす。
「させない」
わたしはとっさに朝倉の右腕をつかんでいた。彼女の指先は、キーにあと数センチのところまで迫っていた。
狂気じみた怒りの視線がわたしに向けられる。いくら美人でもだいなしね。
「決定権はあんたにあるの。選びなさい、キョン」
まだ自由な朝倉の左手が、モザイクみたいに変形してすぐ元に戻る。そこには一本のナイフが握られていた。ヤバい、早くして。
「俺は、SOS団員その一だ!」
キョンは指を伸ばし、エンターキーを押し込んだ。

強烈な立ちくらみが襲ってきた。視界がゆがむ、耳鳴りがひどい。すべてがまっくらになって、その中をどこまでも落ちていく。上下の区別もつかない。
わたしは星空のトンネルの中を流されていた。いくつものビジョンが頭の中に飛び込んでくる。
若い夫婦、幸せそうに二人の赤ちゃんを抱いている。
転んで泣いてる女の子と、手を差し伸べる女の子。これ、つかさとわたしか。
遠足、家族旅行、修学旅行。あるいは、いつともつかない平凡な日々。泣いてるつかさ、あやすわたし。笑ってるつかさ、いっしょに笑うわたし。
記憶のすみずみまで掘り返して、埋めなおされるみたいな感覚。
そして、今までわたしが通ってきた場所が一本の道だとするなら、ここから先は無数に枝わかれしていた。
クモの巣よりも細かく、まるで巨大な樹のように。そのひとつひとつが、それぞれ別のわたしの人生だということが見て取れた。
記憶の枝がたばになってわたしの脳に突き刺さり、絡まりあって、渦巻いて、詰め込まれて…ちょっとやめて、これ無理、パンクする!
急に世界がノイズで満たされて、ブツンと電源が落ちた。




冬・∞+四日目

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2009年01月09日 22:11
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。