七誌◆7SHIicilOU氏の作品
怖かった。
ハルヒが、じゃない。
神人でも狂乱宇宙人でも謎の敵対組織でもない。
怖かったのは雰囲気だ。
この教室、いや学校中に広がる圧倒的な高揚感と期待感、谷口の屍。
どこからか香る甘い匂いとそれに混じる苦い絶望、谷口の屍。
幾度も机や靴箱を覗く男子に挙動不審な女子、谷口の屍。
普段通りの会話の合間に行われる牽制、殺伐とした睨み合い、谷口の屍。
正直に白状すると俺は登校直後に帰ろうかとすら思った。
こんな物がロマンチックの代名詞、バレンタインデーなのか――
チョコなんかいらない、俺は家に無事に帰りたいとひたすらに祈った。
「あっ、先輩見つけた!」
しかしそれを妨げたのは皮肉にも普段俺の疲弊した精神の癒しであるはずの
可愛らしい、外観小学生の後輩だった。
当然と言うと自惚れの度合いが強まるが、やはりその手には小さな紙袋が握られていて。
俺が声をかけられると同時に周囲の気配がこちらに対し牙を向いた気がした。
「ど、どうしたゆたか? 早くしないと遅刻だぞ?」
いたって普通に返事してみた、どもったが。
「えっと先輩…。あのこのチョコ、私が一人で作ったんです。貰ってくれますか?」
俺が死んだ。少なくともこちらに意識を向けていた男子の脳内で俺は死んだ。
が、後輩にそう照れながら渡された紙袋を払いのけることなどできるはずもなく。
俺は背中に矢を受けながらも、そのチョコを受け取りゆたかの頭を撫でてやり。
「ありがとうゆたか、家で美味しく食べるさ。ホワイトデー、なにがいいか考えて置いてくれ」
そう言って、逃げる様にその場を離れた。
そうして決死でたどり着いた教室は上記の通り。
そこで渡される新たなチョコ。
「はいこれ、勿論手作りだよ?」
とこなたに渡された空色の包装紙で包まれて薄黄色のリボンの巻かれた四角い箱。
「えへへ~、私もキョン君にチョコ作ったんだー」
と思いっきりハートの形をしたチョコレートがピンクの包装紙で包まれつかさから。
どうやってハートの谷間のラッピングをしてるのだろう?
「甘い物ばかりでは胸焼けしてしまいますからね、血糖値も上がってしまいますし…
だからクッキーを作って見たんですけど…、なにぶん勉強不足で」
いびつですみません、と中身の見える透明な袋の中には綺麗なハートや星の美味しそうな
クッキーが詰まっていて、紅いリボンで結ばれていた。
「はい、義理」
と、ハルヒが前述の三つを受け取り戦々恐々席についた俺に
円盤状の厚さ5センチはある板を投擲してきて。
「あっ、おはようキョン君。はいこれチョコ、ハッピーバレンタインね」
「キョン君これあげる」
後頭部が割れてないかと擦っている俺に坂中と朝倉が高いだろう、
疎い俺にもわかる銘柄のチョコをくれて。
谷口の屍。
すでに俺の鞄は、教科書を置き勉してて空だったにも関わらず飽和状態で。
教室のどこよりも甘い匂いを発していて、俺はクラスメートが普通に俺と会話してくれるまで
一体何日かかるのか早々に考えるのを辞めた。
それから、四時間目の世界史が終わると同時に
「キョン、これやるわ。どうせ大量に手作りもろとるだろうからビターチョコやで」
と、黒井先生から(一応バレンタイン用として売られてる)市販のチョコを
そのまんまで渡されて、ついでに丈夫そうな紙袋を頂き。
ついで昼休みには、
「こ、これあげるわ。ほら、つかさがあげて私があげないってのもアレだし、
普段世話になってるからね。義理よ! ド義理!」
そう言って、火傷痕に絆創膏を貼った手でかがみから
不器用に包装されたチョコを(丁寧にメッセージカードにもでっかく義理の文字)貰い。
案の定その後昼休みは飯を含めて孤独に過ごして、午後の授業に移行。
その際消しゴムをちぎったのが飛んで来る苛めに合う。時々クシャクシャの紙。
そしてその紙には呪いの言葉。仕方ないので窓から呪いの言葉を撒く作業に授業中没頭。
そして放課後。
「あの、先輩……これ…」
みなみから薄い緑の紙に包まれた、まるい箱を頂戴し。
「日本のバレンタインはチョコを送るなんて面白いネ!
と言うコトでわたしも日本の習慣に習ってチョコ作って見たよ! モチロンほんめーデス」
意外な器用さが見え隠れする大きなほんめーチョコをありがたく貰い。
「私こういうイベント苦手なんですよね…。
まっ一応ハッピーバレンタインんス、キョン先輩」
困った様に頬をかくひよりからは、なんとチョコパウンドケーキを授かった。
この時点で黒井先生から貰った紙袋と鞄の両方が許容量一杯になった。
廊下を針の筵状態で部室に向かう。
扉を開けるなり古泉が笑顔で俺を迎える。
指定席に座り鞄と紙袋を置き朝比奈さんにお茶を貰う。と同時に
「はい、キョン君チョコレートです」
朝比奈さんから、至上の微笑みとその御手で作られたチョコを頂く。
「チョコ」
それを見ていた長門が、調理用のでかい板チョコをくれる。
一瞬自分のキャラを際立たせる演出かと思った、もしくは長門一流の冗談。谷口の様に。
そして古泉から―――は、流石に貰ってない。勘弁してくれ。
そうじゃなくて、名誉会長。鶴屋さん。
ハルヒと爆笑の渦を起こしていた彼女も、わざわざ俺と古泉にチョコをくれた。
高そうなチョコで、実際高いんだろうなぁ。
俺は自分からチョコの匂いが消えるまでどれ位かかるだろうのか考えてみて早々に考えるのを辞めた。
………デジャブ?
パタン、と長門が本を閉じる音で解散するのがパターンのSOS団。
今日もそれに従い解散する。
助かった事に下駄箱に果たし状の山は無く、すんなり帰れそうだとほっとしたのも束の間。
「あっ、やっときたわねキョン君。放課後すぐに教室に行ったらいないんだもん。
靴があるから待ってたけど、こんなに待たされるとは思わなかったわ。上履きで帰ったのかと思っちゃった」
少し怒った様に頬を膨らませるあやのからチョコとクッキーを貰う。
栗色の蝶々結びされたリボンが可愛らしい。
「んで私も付き合って待ってたんだぜー
ほれ、義理チョコなー」
ついでにみさおからも貰う。どうやってもって帰るか思案する。
思考放棄。
二人にとりあえず部活で遅れた事を説明し謝罪、後帰宅。
ラストスパート、途中で委員会で遅れた喜緑さんに遭遇。
「まさかこんな帰り道で会えるとは思いませんでした、
これ手作りではないですけれどよかったらどうぞ」
と、穏和な笑みと共に箱を受け取り、数秒眺めて。
「これ本当に手作りではないんですか?」と聞こうとしたら、先回りして
聞かない方が身のためと言われる。
ひきつった笑みでそれに答え、そのままなんとなく一緒に下校する。
「キョンくーん、おかえりー!」
帰宅と同時に愛すべき妹がすてみタックルを敢行。
両手をチョコで防がれた俺はそれを腹で受け止め、痛みに耐える。
抱き付く妹を引き剥がして、靴を脱ぐ。最後の最後で加害を受けたが
無事家にたどり着いたと嘆息し、靴を脱ぎ、見慣れた我が家以外の靴を発見。
「こんにちはお兄さん、………たくさんチョコ貰ったみたいですねぇ?」
ミヨキチがそう顔を哀しそうに歪めて、背中になにかを隠す。
それを見た妹がまず
「はいこれキョンくんにチョコ!」
不可思議な茶色いオブジォを寄越し、
「ミヨキチと二人で作ったの!」と言った。
ミヨキチはそれを受けて、おずおずと先刻隠した
妹の物と同じ素材でできてるのか不思議なほど見事なチョコを俺に差し出した。
俺は今日何度目になるかわからない「ありがたくいただくよ、
ホワイトデーになにが欲しいか決めておいてくれ」と言う台詞をはいて。未来の自分の破産する姿を描きながら本日最後のチョコを受け取った。