「浮沈艦」

  
 
 深夜特有の、音のある無音。
 脳内に否が応でも静かな興奮が駆け巡っちゃうその時間帯に、あたしの操作する――青
い髪の猫っぽい女の子――キャラクターは生き生きと仮想世界の中を走り回っていた。
 広い砂漠と青い海が広がるフィールド、ここは初心者の人が最初のクエストを達成する
為に訪れる場所なんだけど……そうだよね、まず「クエストって何?」って人の方が普通
なんだよね。
 ま、言ってみればクエストってのはゲームの中のアルバイトなのです。
 現実でもアルバイト初心者は簡単な作業しか任せてもらえないように、ゲームの中でも
初心者には大した仕事はもらえません。
 だからみんな、上級者になるために効率よく経験地をがっつり集めようって思って一生
懸命クエストをこなすんだけど……そんな説明じゃ全然意味わかんないですよって人はわ
かった顔でいてください。
 よ~っしクエスト敵発見! ……って他の人にタゲられちゃったか。
 狙っていた敵は出現と同時、その場にちょうど通りかかった他キャラクターと戦闘を始
めてしまった。
『ながもんごめ~ん タゲ取れなかったよ~』
 マウスを離し、キーボードを叩いてメッセージを書き終えてエンターを押すと
『気にしなくていい』
 この単語、辞書登録してるの? ってスピードでレスが返ってきた。
 も~……せっかくながもんが一緒にINしてくれてるのに、何で今日に限ってこんなに
人が多いのさ! いつもは過疎なのに!
 そうしている間もながもんのキャラクター――灰色の髪のうさぎっぽい女の子――は、
ふらふらと砂漠を走り回り、あたしはその姿が確認できる範囲でクエストモンスターの捜
索に戻った。
 ――さて、どうしてながもんがあたしと一緒にネトゲをやってるのか? その事を説明
する為には、数日前のお昼過ぎまで時間を巻き戻す必要があるのです。
 
 
 ん~……ナスストラップか。確かに出来はいいし、欲しいんだけどねぇ……。
 すでに両手一杯に持っていた本の重量を前に、あたしはレジ前に平積みにされた雑誌を
購入するか本気で悩んでいた。
 新装開店でポイント2倍!
 そんなのぼりが本屋さんの前に出てたんだもん、それはもうあたしが店に入る事はある
意味規定事項だったのでしょうねぇ。
 とりあえず両手に持っていた本をレジに置いて、その雑誌を手に取ってみる。
 そして財布も。
 ……これを買っちゃったら、今月はそりゃもう本気で厳しい。
 うん、ここはやっぱり
「やっぱり一緒にこれもください~」
「はい。ありがとうございます」
 悩む事3秒。うんうん、人はご飯だけじゃ生きられないのですよ。
「――こちらお釣りと、ポイントカードのお返しとなります。ありがとうございました~」
 厳しい中で手に入れたからこそ、物の価値は引き立つってもんだよね~。
 プラスされたポイント×手渡された袋の重量=充実感
 そんな公式を頭に思い浮かべながら本屋さんを出ようとした時、ふと目に入ったPC関
係のコーナーに
「お~いながも~ん」
 寡黙な友達の姿をあたしは見つけていた。
 あたしの呼びかけに顔を向けたながもんは、いつも通りの無表情。
 ながもん可愛いのに勿体無いないなぁ、そうゆうジャンルも需要はあるだろうけど……
って今日は勿体無いのがもう1つ。
 彼女のセールスポイントだと思う眼鏡を、何故か今日はかけていないのだ。
「ねえねえ、眼鏡やめちゃったの?」
 あっさりと肯く彼女。
 そっかぁ……何かちょっと寂しい気もするなぁ。
 眼鏡が無くてもながもんが可愛い事には変わりはないんだけど、美人で寡黙で眼鏡っこ
というレア設定が失われてしまったのはちょっとだけ惜しい気が……。
 そんな事を考えている間に、いつの間にかながもんは立ち読みに戻ってしまっていた。
 妙に熱心に――いつも本を読んでる時は熱心なんだけど――ながもんが読んでいるのは、
ネットの接続関係の本。モデムの設定とかが書かれていた本だった。
 ……こ、これはもしかしてもしもし~?
「ねえながもん? もしかして、ネット回線を引いたりとかするのかな?」
「する」
 おおおおお!
「それってそれって、自分のお部屋だったりする?」
「そう」
 手に持った本の重さより、その言葉はあたしを強く魅了した。
「あのさ……もしよかったらなんだけど~――
 
 
 駅から程近い分譲マンション、その一室の前に立ち
「どうぞ」
 ながもんは部屋の扉を開けてそう言った。
「おじゃましま~す」
 わ~きれ~い、広~い。そして……何もな~い。
 初めてお邪魔したながもんの部屋は、掛け値なしに広く掛け値なしに生活感が無かった。
 フローリングの床にはカーペットも無く、カーテンも無し。
 テレビすらなかったその部屋にある家具と呼べる物は、コタツテーブルが1つだけ。
 ……あたしも変わり者だと薄々自覚はしてたんだけど……これは凄いね。
 世の中は広いよ、本当。
「座ってて」
 そう言い残し、ながもんは台所へと消えていった。
「あ、どうぞおかまいなく~」
 何となく落ち着かないままコタツの前に座っていると、やがてながもんはお茶の準備を
整えて台所から戻ってきた。
 あたしの向かいに座り、手馴れた動作で急須から湯飲みにお茶を注ぎ、
「どうぞ」
 静かに差し出されるお茶。
「これはこれはご丁寧に……うん、真面目に美味しいね。これ」
 お茶を飲み干し、素の感想を言ってしまったあたしに
「そう」
 ながもんはやはり平坦な声で答えるのだった。
 ……おやおや、ながもんってこんな家庭的な面もあるんだね……じゃなくてぇ!
「それじゃさっそくなんだけど、パソコン見せてもらってい~い?」
 そう、あたしはながもんの部屋のパソコンを設定に来たのですよ。
 
 
 ながもんのパソコンはノートで、誰か知らないけど中々知識のある人が予め設定してく
れてあった。
「これってながもんが設定したの?」
「してない」
 だよねえ。
 ここまで知識があるなら、ネットの接続くらい簡単だろうし。
 ともあれ、下準備が済んでいたおかげで無線LANとモデムの設定はそんなに時間はか
からなそうな感じかも。
「よ~しすぐにやっちゃうから、ながもんはあたしの買ってきた本でも読んで待っててよ」
 あたしはモデムの入った未開封の袋に目を輝かせ、ネット環境のセッティングに取り掛
かった。
 ――そして30分後。
 はい終了~。
 ノートパソコンの画面には、無事に某検索サイトのTOPページが表示されていた。
 ん~何で人のパソコンの設定ってこんなに楽しいんだろうね?
 自分のパソコンだと面倒なだけなのに、不思議だ~。
「ながもんできたよ~」
 達成感に浸りつつあたしが振り返った時、ながもんはあたしの買ってきた本を黙々と読
んでいる所だった。
 ながもんが選んだのはナスストラップが付録に付いた雑誌、じゃなくてネトゲの情報誌。
 普通の人には絶対に意味がわからない、ゲームの中でしか通じない専門用語ばっかりの
その雑誌をながもんは真剣に読んでいる。
「な~がもん。こ~ゆ~ゲームに興味あるの?」
「少し」
 おお、意外かも。
 どっちかっていえば、ながもんはみゆきさんみたいにマインスイーパーとかソリティア
にはまるタイプだと思ったんだけどね。
「あなたは」
「え?」
「あなたは、興味があるの?」
「うんあるよ~。今もたまにやってるし、楽しいよ?」
 あたしの返答を聞いて、ながもんはまた雑誌へと視線を落とす。
 ――あたしがながもんをネトゲに誘ったのは、そんな経緯があっての事だったのですよ。
 以上回想終わり!
 結局、ながもんのパソコンのスペックに合わせたゲームを選んでDLし、こうして一緒
にログインしてみて解った事。
 それは――ながもんは本当に無口だって事かな。
 普通、っていうか多くの場合。ネットと現実の人格って結構違ってくるものなんだけど、
ながもんはまるでNPCみたいに静かで、あたしの指示する通りにしかキャラクターを動
かさない。
 指示が無ければずっとじっとしてるし、キャラクター作成の時もこのクエストを受ける
時もあたしの言うままだった。
 質問も意見もなし。
 こ~ゆ~の好きじゃないのかな?
 そうあたしが不安に感じるくらい、モニターの中に映るながもんのキャラは寂しそうに
見える。
 確かに、人によって合う合わないはあるんだよね。ネトゲって。
 あたしは結構肌にあってたのか、このクエストをやった時も面白いって思ったんだ。
 でも、一緒にやってた人の中には合わないからって止めちゃう人も居た。
 ……ながもんは……そのどっちでも無いって感じ。
 今もずっと、あたしが言ったとおり『他のと違う感じのモンスターが出たら教えて、そ
れまではうろうろ歩いてて』って指示をずっと守っている。
 ながもん もうやめよっか?
 そう、タイピングを終えてエンターを押そうとした時
『きた』
 初めて、ながもんからのメッセージがあたしに届いた。
 急いでマウスを握り、ながもんのキャラクターへと向かって駆け出したあたしが見たの
は……バカー! 空気読めー管理会社!
 初心者ゾーンには本来出現するはずの無い、ランダムイベントモンスターの姿だった。
 それは、高レベルキャラクターの為に用意されたモンスターで、どう頑張っても初心者
キャラクターが倒せるはずも無いモンスター。
 その姿を見た画面上のプレイヤー達は我先にと逃げ出していく。
 そんな中、ながもんは一人モンスターの前に立ち、あたしのキャラの方を向いていた。
 ながもん! それは違うの! 目的の敵じゃないの!
 タイプする時間は無い、そう判断したあたしは自分のキャラクターにランダムモンスタ
ーへの攻撃を命じる。
 被ダメは……よーしいけるっ!
 無駄に時間を費やして育ててきた自分のキャラを、これ程力強く思った事はなかった。
 モニターを見つめながら、ながもんにモンスターが向かないようにとあたしはキーを叩
き続けていく。
 1対1で、殆ど互角の戦いを繰り広げる中――それまで、じっとあたしの指示を待って
いたながもんが、一緒になってモンスターへ攻撃を始めた。
 モニターの中で、ながもんのキャラとあたしのキャラが一緒になって戦っている。
 出来たばかりのながもんのキャラはまだ弱かったけど、全然戦力にはなってなかったん
だけど――なんでだろう……凄く、心強い。
 やがて、逃げ回っていた他の初心者達も一人、また一人とあたし達と一緒になって戦い
を始め――ボムッ! 殆ど袋叩き状態になっていたモンスターは、小さな爆発音と共に消
滅した。
『やったねながもん!』
 本来こんなレベルのキャラクターが勝てる相手じゃなかったとか、レアモンスターを倒
せた事とか、あたしが喜んでたのはそんな事じゃなかった。
 何も話さず、じっとあたしのキャラを見ているながもんと、一緒に戦って勝利を分かち
合えた事。それが何より嬉しかったのさ。
 見れば回りでも初心者同士で喜び合っていて、ここだけ何かのイベントがあったみたい
な賑わいを見せている。
 そんな空気の中、あたしはつい
『それにしても流石ながもんだよ! 初陣でこの戦果ってのは長門って名前に恥じない活
躍だよ~』
 何時ものテンションでタイプしてしまった。
 ――その内容はながもんには通じなかったんだろうし、何の意味も無いただの会話だっ
たんだけど……まるで、歴史を再現するみたいにそれは起こった。
 モニターの上部に突然現れた管理者からのメッセージ、そこには……はあああああぁ!?
『サーバーの不具合によりランダムイベントモンスターが各地に発生してしまいました。
データサーバーを復旧させる為、現在時より90分間の巻き戻しを行います』
 90分って……それってながもんがキャラを作る前じゃん!?
 そこから先に流れた課金アイテムの保障とか、アイテム購入がどうとかの文字はまるで
頭に入ってこなかった。
 騒然とするマップの中、じっと動かないままながもんのキャラがあたしの方を見ている。
 彼女に、あたしは何て言えばいいんだろう?
 いや~作ったばっかりでよかったね?
 よくあることだよ~。
 本当、管理会社には頭がくるよね!
 ……多分、何を言ってもながもんは受け入れてくれると思う。
 なのに、あたしは迷ってた。
 いくらあたしのキャラが強くたってどうしようもない。
 足掻いても無駄って事くらいわかってるのに……迷ってた。
『只今からメンテナンスを開始します。ユーザーの方は、すみやかにログアウトをお願い
します。ログアウトされない場合、データに不具合が出る可能性があります』
 繰り返されるメッセージに、口々に不満を上げていた画面内のキャラクターも次々と姿
を消していく。
 そして残ったのは……寂しそうに見えるながもんのキャラと、あたしのキャラだけ。
 ……はぁ。なんだろうね……この気持ちって。
『ログアウトをすればいい?』
 何も言わないあたしに届いたながもんからのメッセージ。
 ゲームはゲームで現実に持ち込むのは大人気ない事、そう思っていたはずのあたしなの
に……今はそうは思えない。
 あたしはキーボードを操作して、その場にキャラクターを座らせた。
 それを見て、ながもんもその場にキャラクターを座らせる。
 誰も居ない広い砂漠を見ている二人はまるで――
 聞こうかな……でも、気を使わせちゃうだけかな……。
 ちょっと迷ったけど、
『ねえながもん 楽しかった?』
 あたしはそう聞いてみた。
 少しの沈黙の後、
『あなたを見ているのはとても楽しかった』
 ながもんはそう、返事を返してくれた。
 ……そうだったんだ。
 今思えばわかる、ながもんはあたしに言われる以外に何もしてなかったんじゃない。
 ずっと、あたしのキャラクターを見てくれてたんだよ。
 何か返事を返そうと思っていた時、画面内にメッセージを残したままながもんのキャラ
クターが消えた。
「おやすみ、ながもん」
 ……という事はあたしのキャラももうすぐ強制ログアウトされるね。
 あたしはキャラクターを立ち上がらせると、管理者へと向けてメッセージを打ち込みエ
ンターを押す。
『空気読めこのバカァ!』
 その文字が画面に表示された時、それを合図にしたみたいに最前面にあったブラウザが
閉じた。
 ――はぁ……初めてのネトゲ体験がこんな終わり方ってどうなのさ。
 モニターの右下、デジタルで表示された時計には深夜といっていい時間が表示されてい
て……これじゃながもんに電話する事もできやしないよぉ。
 う~せめてメールで謝ろう。そして明日の……いや、今日の朝電話しよう。
 送るメールの文面は思い浮かばないまま携帯電話を探していると、小さな振動音がベッ
トの上の荷物から聞こえてきた。
 今日買ってきた本の山、その中に埋もれてしまっていた携帯電話の画面であたしが見た
のは――
送信者:ながもん
タイトル:なし
本文:今日は楽しかった また遊んでほしい
 よかったぁ~……で、でも何て返信しよう? またネトゲに誘っていいのかな? それ
とも違う遊びの方がいいのかな? ああああどうしよう? どうしよう!?
 深夜と嬉しさのせいで頭は回らず、眠気だけが遠ざかっていく。
 は、早く送らないとながもんが寝ちゃうよぉ!
 あたしがながもんへの返信を考える中、夜はその深さを少しずつ増していくのだった。
 
 
 「不沈艦」 ~終わり~

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最終更新:2009年03月26日 21:37
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