「睡眠」

 
 
 それは、いつもと変わらない休み時間を皆さんと過ごしていた時の事でした。
 話題を持ち寄り、楽しくお話ししていた中
「みゆきさん聞いてよ~。昨日また電車で寝ちゃって乗り過ごしちゃってさ~」
 私は、お困りの様子の泉さんから相談を受けたんです。
「またぁ? ……本当に学習能力無いわねあんたは」
「でもさ~……今日は絶対寝ないぞっ! って気合入れててもやっぱり眠くなるんだよね、
電車って。これはもう仕様なんだよ」
「うんうん。外は寒くて電車は暖かいから、この時期は絶対眠くなるよね~」
 確かに、とても眠くなりますよね。
「でね? みゆきさんなら、絶対に電車で寝過ごさない方法を知ってるんじゃないかな~
って思ってさ」
 溜息混じりに、泉さんは私にそう聞いてきました。
 どうやら本当にお困りのようですね。
「あ、こなた。あたしそれ知ってるわよ」
「かがみん、それ本当!?」
 いったいどんな方法なんでしょうか?
「電車に乗らなければいいのよ」
 かがみさんの返答に泉さんは首を横に振って、
「……何て言うかごめん。かがみんに期待したあたしが悪かったんだよね」
「何よその言い方! バスとか他にも交通手段は色々あるって意味でしょ?」
「まあまあ。……あの、これは電車を乗り過ごさない為の方法とは関係ないのですが、電
車と睡眠に関わる体験談があるんですが」
「お、なになに。聞かせて聞かせて!」
「聞きた~い」
 皆さんの視線が集まる中、
「……それは先々週の事でした」
 私はその時の事を思い出しながら、ゆっくりと話し始めました。 
 
 
 その日、私は嫌々歯医者さんへと向かう為に電車に乗っていました。
 今は冬場ですので、泉さんやつかささんの言われる通り電車の中はとても暖かく、つい
つい眠気がさしてしまいます。
 以前、泉さんからお聞きしたお話だけでなく、私自身も乗り過ごしの経験があったので
注意してはいたん……ふぁ……で――す――
「――さん。――高良さん」
 ふぇっ!?
 気がついた時、電車はちょうど駅に止まった所で、座席に座っていた私の前には一人の
男性が立っていました。
 わ、私寝ちゃってました?
「ここで降りるんでしょ?」
 え? え?
 優しい笑顔を浮かべたその男性の言う通り、窓の向こうに見えた駅の名前は私の目的の
駅と一致しています。
 私の目が覚めたのを確認すると、その人は先に電車を降りてしまって
「あ、あの!」
 せめてお礼を伝えようとしたのですが、降りる人の列に阻まれて、結局何も伝えられま
せんでした。
 
 
「……みゆき、結局その人って知り合いの人だったの?」
「いいえ?」
 知らない人でした。
「みゆきさんは知らない人なのに、相手は苗字を知ってて降りる駅まで知っている。ん~
……みゆきさん。それってもしかしてストーカーかもよ?」
「ええっ?! ストーカー?」
「こ、こら! あんたたちそんな言いにくい事をあっさり言うな!」
「でもさ? 今の話だけだとそう思うのが現代の自己防衛って奴じゃん」
 た、確かにここまでの話だけではそう思えなくもないのですが
「あの、実はまだこの話には続きがあるんです」
  
 
 結局、電車を降りてから駅の中を暫く探してみたのですが、その男性を見つける事はで
きませんでした。
 
 
「いきなり話を遮ってごめん! みゆきさん? 1つだけ大事な事を教えて!」
「はい」
 大事な事……何でしょうか?
「その男の人ってどんな人? 外見とかイケメンとか年齢とかそ~ゆ~の」
「あんたねぇ……」
 あの時、私が抱いた印象は……
「そうですね。私より少し年下の、優しい感じの人に見えました」
「年下ね、はいありがとう。どぞ続けてください」
 
 
 それから私は歯医者へと行ったんですが、その日はとても混んでいて1時間以上は待つ
事になりそうでした。
 こうなるかもしれないと思って、今日もちゃんと本を持参して……あ、あれ?
 鞄の中に入れたはずの本は、何故かそこにありませんでした。
 人で溢れる待合室の中、運良く椅子に座る事はできたんですが……何もする事が無いと、
ただ待っている時間はとても長く感じられて……御恥ずかしながら、何時の間にか私はま
た居眠りを始めてしまったんです。
 起きてなきゃ……起きてなきゃって目を覚ますたびに思うんですけど、暖かくて瞼は何
時の間にか重くなってしまって――
「――高良さん。高良さん? 名前、呼んでるよ」
 誰かが、私の名前を呼んで軽く肩を叩いている。
 歯科助手の方でしょうか?
 そう思って目を開けると、
「起こしちゃってごめんね?」
 私の隣の席に、電車でも起こしてくれた男性が座っていたんです。
「あ、あなたは! 先程はどうもありがとうございました!」
「気にしなくていいよ。それより、お医者さんが待ってるみたいだからさ」
 その男性が言うとおり、診察室の入口に立つ歯医者さんの姿が見えます。
 で、でも、せめてちゃんとお礼を……。
 そう焦る私でしたが、待合室に待つ患者さん達の視線に押されるように診察室の中へと
入る事になりました。
 こんな時に限って治療に時間がかかってしまい。
 ――診察を終え、私が待合室に戻った時。
「そうです……よね」
 そこに、彼の姿はありませんでした。
 会計を終えた後、受付の方が診察券を返しながら
「高良さん。次の予約はいつになさいますか?」
 次の予約の日程を聞いてきました。
 今までなら、なるべく遠い日に予約していたんですけど――歯医者に通っていれば、も
しかして……また。
「あの……明日は空いてますか? できれば明後日もお願いしたいんですが」
 
 
「そっかぁ~同じ歯医者さんに通ってたから名前を知ってたんだね~。ねえ! みゆきち
ゃんはまたその人と会えたの?」
「ええ」
 ちゃんと会えましたよ。
「も~つかさ! いい所なんだから口を挟まないの!」
「あんたが言うな」
 
 
 私が彼と再会できたのは、その翌日の事でした。
 普段より少しだけ服装に気をつけていた私は、
「あ、君は」
 歯医者へと向かう電車の中で、吊革を持って立っている彼の姿を私は見つけたんです。
 ま、まさか本当に会えるなんて……しかもこんなすぐに。
 それは期待していた事なのに、私は緊張してしまってうまく笑う事もできませんでした。
「せ、先日はどうもあ、ありがとうございました」
 ……うう、口も上手く動いてくれません。
「いえいえ。どういたしまして」
 頭を下げる私に、彼は手を振ってくすぐったそうな顔をしています。
「僕もさ、電車で寝ちゃう方だから気持ちは解るんだ」
「そうなんですか~」
 そう返事をしながら、私はそれとなく彼の隣に立ってみました。
 その日は電車が混んでいなくて普通に座れる状況でしたから、彼は最初不思議そうな顔
をして
「座って眠っちゃうのが怖いのなら、また起こしてあげようか?」
 そう聞いてくれました。
「い、いえ! あの、大丈夫ですから」
 立っていれば眠くなりませんし、それに……その。
 後に続く言葉を言えないでいる私に、
「そう? なら、いいんだけど」
 彼は顔に疑問を浮かべていました。
 こ、こうゆう時ってどんな事を話せばいいんでしょう?
 これまで色んな事を勉強してきたはずなのに、何故か今日に限って世間話の1つすら浮
かんできません。
 すぐ隣に居るせいで彼の顔色を見る事もできず、私はただ足元を見つめたままで……結
局、目的の駅につくまでの間、私は彼に話しかける事はできませんでした。
 目的の駅に着いた時、一緒に電車を降りるのは恥ずかしかったので、私は彼の少し後ろ
を歩いていきました。
 ――その日も歯医者の中は混んでいて、私は先に歯医者に入ったはずの彼の姿を目で探
していると
「あ、高良さん。こっちこっち」
 壁際の席に座った彼が、私の方を見て手を振っていました。
 呼ばれるままに彼の元へと歩いていくと、私が辿り着くのにあわせて
「はい、どうぞ」
 彼は席を譲ってくれました。
「あ、あの。でも」
「いいからいいから。この部屋で立ってるのは君だけだし、女の子を立たせたまま僕が座
ってたら格好悪いからさ」
 座るのを躊躇う私に、彼は小さな声で恥ずかしそうに言います。
 結局、彼の好意に甘えて私は席に座らせてもらいました。
 今度こそ、何か話しかけよう。
 そう思うのに何も言葉は出てこなくて、そんな自分に焦っていると、
「ねえ。今日は、本を読まないの?」
「え」
 驚いて顔を上げた私を見ている、彼の笑顔。
「前に君がさ。凄い真剣に本を読んでいて、名前を呼ばれても気づかないのを見た事があ
るんだけど」
 そうだったんですか……。
「あ、あの今日は……その。忘れてきちゃって」
 何となく、膝の上にある本の入った鞄を隠しながら、私は嘘をついてしまいました。
「そうなんだ。大きな声じゃ言えないけど、ここって待ち時間が長いのにテレビも無いか
ら、本とか持ってこないと退屈だよね」
「ええ。雑誌ももう少し数を置いてもらえると嬉しいですよね」
「本当、そうだよね」
 ようやく見つかった会話の糸口、それから私達は取り留めの無い事を延々と話していま
した。
 不特定多数の人が集まる待合室の中ですが、椅子に座る私とその隣に立つ彼の居るこの
場所だけは、まるで2人だけの個室みたいです。
 いつもなら退屈で、眠くなってしまう待ち時間なのに
「それでね? その友達が同じクラスの子といつも面白い事をやっててさ」
 その日はとても、楽しい時間だと感じていました。
 やがて、あっという間に時間は過ぎていって――
「国木田さ~ん」
 受付から響く声に、
「はい」
 彼は返事をして、もたれていた壁から離れてしまいました。
 ――国木田さんってお名前なんですね。
 そっと覗き見た、彼の診察券に書かれた漢字を記憶する。
「それじゃ、お先に」
「はい」
 国木田さんの姿が診察室入っていった後、私は彼が診療を終えたら帰ってしまうという
事を今更ですが思い出しました。
 いつもの私なら、また偶然会えればそれでいいと思ったと思います。
 でも……何故かその時はそうは思えなくて、
「高良さ~ん。高良みゆきさん」
 私の名前を呼ぶ歯医者さんに、
「すみません! 急な用事ができてしまったので、診療はキャンセルさせてください」
 私は頭を下げながらそんな事を言っていたんです。
 
 
「あ、こんな所に居たんだ」
 歯医者のある建物の前に居た私の姿を見つけて、彼は驚いた様子でした。
「高良さんの急用が出来たって声、診察室の中まで聞こえてたよ?」
 そ、そうだったんですか。
 彼の言葉に、今更ですが顔が赤くなってしまいました。
 ……何で、こんな事をしてしまったんでしょう? 
 そう落ち込む私を、彼は何も言わないままじっと見守ってくれています。
 自分でもわからないんです。
 突然待ち伏せておいて、これからどうしたいのか、何をしたいのかも。
 初めてなんです……こんなに、何かに執着するのって。
 ただ、混乱する感情の中でも1つだけ解っていたのは――
「あの! また、会ってもらえませんか?」
 思わず口から出てしまった私の本心。
 出会ってまだ数日で殆ど面識も無く、しかもこんな形で不躾に……きっと変な人だと思
われたと思います。
 でも、どうしてもこれで終わりにだけはしたくなかったんです。 
 驚いた顔の彼から視線を外せずに、じっと返事を待っていると
「うん、いいよ。でも、歯の治療はちゃんと続けたほうがいいと思うな」
 彼は照れ笑いを浮かべて、受付に忘れてきていた私の診察券を手渡してくれました。
 
 
「いいなぁ……ドラマみたい。ねぇ、それから二人はどうなったの?」
 えっと……その、御恥ずかしながら。
「その後は、お互いに予定を合わせ、同じ日に歯医者の予約を取るようにしました」
 私の返答に、何故か泉さんは真剣な眼差しで
「みゆきさん。つかさが聞きたいのはそーゆー事じゃないと思うよ?」
 え? そうなんですか?
 つかささんは、少し恥ずかしそうに胸元で指先を合わせながら
「あのね? 今の話を聞いてて……ゆきちゃんとその人って、もしかして付き合ってるの
かな? って思って」
 お付き合い……ですか。
「……どうなんでしょう。私には、よくわかりません」
 確かに、一緒にお話していて楽しいとは思うのですが……。
 どこまでが友達で、どこからがそれ以上なのか。
 その判断ができない私には、明確は答えは出せませんでした。
「それにしても、みゆきが興味を持つ男の人ねぇ」
 何故か溜息をつくかがみさん。
「おんやぁかがみん、みゆきさんに先を越されて焦ってるのかな?」
「んなわけあるか。ねえみゆき、その人とは歯医者以外でも会ったりしてるの?」
「はい、図書館で一緒に勉強をしたりしています」
「え” その人みゆきさんと一緒に勉強できるくらい頭もいいの?!」
 ええ。
「私より、国木田さんの方が理解力があると思いますよ」
「恋愛フィルターかけてるにしても、みゆきさんにそこまで言わせるとは凄いねぇ」
 れ、恋愛フィルターですか……言い得て妙ですね。
「……ねえみゆき。今度その国木田さんと会う時にあたしも一緒に行っちゃだめかな? 
遠くからでいいから見てみたいんだけど」
「あ、ゆきちゃんあたしも行きたい!」
 私の返答を待ち、とても楽しそうにしているお2人。
 ……そう……ですね。こんなお話を最後まで聞いて頂いたんですし
「えっと……。はい、いいですよ」
「やったぁ「かがみんつかさちょっと待ったぁ!」
 喜ぶお二人の声を掻き消すように、泉さんの声が教室に響きました。
「な、何よこなた。急に大声出して」
「お二人さん、みゆきさんの顔をよ~く見てご覧なさい」
「え?」
 わ、私ですか?
 皆さんの視線が私の顔に集まる中、
「みゆきさんは優しいから断らないけどさ、この顔はできれば二人っきりの時間はそっと
しておいて欲しいなって顔なのですよ」
 泉さんのその指摘を、私は否定できませんでした。
 な、何で解ってしまったんでしょう?
「ゆきちゃん。そうなの?」
「……えっと……その」
 つい口篭ってしまう私を見て、
「驚いた。どうやらこなたが言ったのが正解みたいね」
「あたしくらいエロゲーをやってると、表情から気持ちを推測するのなんて簡単なのだよ」
「エロゲーってところが無ければ尊敬できるのに」
「凄いね~こなちゃん」
 ありがとうございます、泉さん。……でも、
「すみません、こんな話に付き合って頂いたのに我が儘を言って」
 本当に申し訳ありません。
「ちょちょっと。みゆきが気にする事なんて何もないよ?」
「そうだよみゆきさん。何も気にせず、関係に進展があったらこっそり教えてくれるだけ
でいいからね」
「あんたは本当に一言余計だな」
「ええ、必ずお知らせします。」
 --それが、どんな形の報告になるかはわかりませんけれど……。
 性格のせいなのか、思い浮かぶのは悪い結末ばかりなのですが……それでも、会いたい
という気持ちを止められないんです。
 自分の中で目を覚ました、この強く切ない想い。
 もしかして……これが、恋なのでしょうか?
 
 
 「睡眠」 ~終わり~
 
 

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最終更新:2009年03月26日 21:40
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