「ちょっとキョン!そんなところで突っ立ってないで、さっさと中に入って! 邪魔よ邪魔!」
後ろからいきなりハルヒの声が聞こえた。
「はいはいわるうござんした」
とりあえず適当にあしらい、席に着いた。しかし、ハルヒには今の言葉が癪に障ったらしい。
「罰ゲーム、今日だけにしてあげようと思ったけど、一ヶ月に延長しようかしら」
待て! それだけは辞めてくれ! こっちにもある種のプライドってもんがあるんだよ!
一ヶ月も執事なんかやってられっか! いや、土下座でも何でもするからそれだけはやめろ!
「……冗談よ。なに本気になってんのよ」
お前の場合、冗談にきこえねぇよ。
ハルヒはそれっきり、黙ってしまった。
さて、俺にとっては地獄の始まりの放課後がやってきた。一歩一歩がものすごく重い。十三階段をのぼる死刑囚というのは
今の俺みたいな心情なのだろうか。だが、死刑囚は上りきったら後は執行を待つだけ。だが、俺は違う。
たどり着いた後のほうが恐怖なのだ。何の漫画だったか、恐怖が訪れるまでの時間がもっとも怖い、というような台詞が
あった気がするが、その通りだ。
さて、部室に入るとハルヒが突っ立っていた。フフン、といった感じで仁王立ちを。
「さーて、キョン? 覚悟はできてるわよね?」
「はいはい……」
「ちゃんとわかってるじゃない。とりあえず、着替えるだけはしてよね!あんた、どうせまともな着方もわかんないでしょ」
言い方はむかつくが、何も反論できない。
「とりあえず、適当に着替えたら、呼びなさいよ」
そういってハルヒは部室の外に出た。
どうしようもないので、俺は黙って着替えることにした。
ハルヒの指導はものすごいやかましかったが、実際にその通りにやってみたほうが、ずいぶんまともだった。
こいつには、本当に天性のものがあるのだな、としみじみ痛感する。
「よし。そこそこサマになってるじゃない。さすが私ね」
最後の一言はともかく、確かにそこそこまともになっているとは自分でも思う。
「はぁ、めんどくせぇ。で、なにをすりゃいいんだ」
「まず、私をお嬢様と呼びなさい」
「はぁ?」
「それと、敬語を使って話なさい。あとは、みくるちゃんのやってる仕事は、全部あんたがやること!」
おい、ちょっと待て。そりゃあ無いだろ。朝比奈さんの仕事を変わりにやるのはいいとして、お前に敬語を使うのは絶対に御免だ。
「なに? 御主人様に逆らう気? だったら一ヶ月間執事姿のほうがいい?」
お前という奴は……。
今日だけ我慢すれば、後はいつもどおりの団活に戻れるんだ! 我慢するんだ! 俺!
「…………」
「どっちにするのか早く決めなさいよ!」
「……承知しました、お嬢様……」
ああ、不幸だ。こんな奴に敬語を使うのは古泉くらいだろう。あいつと同レベルか。それも不幸だ。
「いい気分ねー。あ、みんな、入っていいわよー!」
そういうと、朝比奈さんと長門、古泉が入ってきた。
「わー、キョン君、すごく似合ってますよ」
「……悪くない……」
「いやあ、すごいじゃないですか」
朝比奈さんに褒められただけで、さっきまでの不幸が吹き飛んだ気分だ。ありがとう、朝比奈さん。やはりあなたは天使だ。
長門は、ある意味予想通りだった。でも、一応褒めてくれているのだろう。古泉、お前は黙っていろ。
「そうでしょ! 私がコーディネートしたのよ!」
お前はいちいち余計なんだよ。
「じゃ、さっさとお茶入れなさい! 早く! あくまで紅茶よ!」
こんなに態度のでかいやつをお嬢様と呼びたくないが、仕方ない、今日限りだ。
「キョン君、紅茶は緑茶とはちょっと違って……」
朝比奈さんは、俺に紅茶の作り方のノウハウを教えてくれている。素人の俺でもめちゃくちゃわかりやすく。
ああ、天使だ。むしろ、女神だ。ああっ女神様。
「あ、そうそう。ちゃんと御主人様にはちゃんと奉仕しなさいよ! いい? お茶を入れ終わったらまずマッサージよ!」
前略。
やはり俺にはこいつの執事は難しいようです。
朝比奈さんのおかげで、紅茶はそこそこよい、という出来らしい。
それはよかったのだが、今回の来客は不幸を呼ぶ来客だった。
「やっほー。遊びに来たヨ」
「あら、珍しいじゃない」
泉だ。……やはり、こいつには教えないほうがよかったかもしれない。
「キョンキョンがねー、今日執事になるからってことを教えてくれたからね、遊びにきたんだよー! いやはや、それにしても似合ってるよ!」
こいつに褒められても、何かいい気はしない。
「キョン! こなたにお茶を出してあげなさい!」
その台詞はすでに予知済みだ。
俺は馴れた手つきでお茶を入れる。もちろん、紅茶だ。
「ほらよ」
泉にお茶を出した。
「こら!」
何だ。俺のやり方に文句でもあるのか。だが、そんなことを言うことはできず。
「ちゃんと敬語を使いなさい!」
……どうやら、現れた客にも敬語を使え、とのことだ。……どこまで完璧主義者なんだ。
「……わかりました」
「ところで写真とっていーい? 記念に、さ」
「別にいいわよ。ほら、キョン!」
「……かしこまりました」
ああ、不幸だ。実に不幸だ。
世の中にはこんなことわざがある。二度あることは三度ある。泣きっ面に蜂。
この後もさらに不幸なことが起こるに違いない。
「ういーっす、ようキョン、泉から聞いて遊びに来たぜー」
谷口が現れた。どうすればいい? とりあえず、ハルヒの反応を見る。
「キョン、そいつを追い出しなさい」
即答した。こいつ、谷口に恨みでもあるのか。
「ということなので、お帰り下さい」
「何だよ、けちけちすんなよ。それにしても、結構似合っ」
谷口がなにかを言い終える前に、扉を閉じた。さらば谷口。恨むなら俺ではなくハルヒを恨め。
去り際に、扉の向こうから「言いふらしてやる!」と聞こえたのは気のせいであって欲しい。
が、気のせいではなかった。
ここから谷口の逆襲が始まった。いろんな奴に言いふらしたらしい。
とにかくいろんな奴が集まってきた
「やっほー! あそびにきたにょろ!」
谷口の逆襲、一人目。鶴屋さんだ。
「おおーキョン君、いいねー。めがっさ似合ってるにょろ!」
「はあ、ありがとうございます。あ、お茶どうぞ」
「キョンキョン は レベルが あがった!」
なんのレベルだよ。
「執事レベル。執事らしい行動をすることであがるのさ」
「……人の心を読まないでいただけますか」
「いや、目は口ほどにものを言うって言うよね」
お前がそんなことわざを知っていたとはな。意外中の意外だ。
「むむ、今、心の中で私を馬鹿にしたな?」
「い、いえ、滅相も無い!」
だから何でお前はこうも人の心を読もうとするんだよ。超能力者じゃないのに人の心を読むな。
超能力者だったとしても、心を読まれたくないけどな。
「まーまー二人とも、おちつくっさ! 喧嘩なんかしたって生まれるのはなにもないにょろ!」
「は、はあ、すみません」
「むぅ……」
「まぁ、私はキョン君の正装を見に来ただけにょろ! それじゃ、まったねー!」
そういって、鶴屋さんは部室から出て行った。本当に何がしたかったんだろうか。
何を考えたのか、ハルヒは俺にチェスで挑んできた。こっちのほうが雰囲気が出る、とか言ってたような気がする。
こればかりは譲るまい、として
「さて、お嬢様の番ですよ」
「……あんたねえ、手加減ってものをしなさいよ。こっちはルール覚えたてのド素人なのよ! 御主人様のために
八百長ぐらいしなさい!」
いやそのりくつはおかしい。
「へー、お嬢様ねぇ。へぇぇぇ」
泉がこちらを見てニヤニヤしている。しまった、こいつがいるのを忘れていた。
「いいねぇ、お嬢様と執事のカップリングもありだよね。むふふ」
……やはり、一度くらい殴っておくべきだろうか。先に行動したのはハルヒだった。
「こら! こなた!」
「ふにゃ! じょ、じょうだんだってば、もう」
お前の場合は冗談に聞こえないんだから、少しは自粛しろ。
「よ、こなた。虫の知らせを聞いてきたよ」
「あ、キョン君。すごく格好いいよ」
谷口の逆襲、二人目+三人目。柊姉妹だ。
「そうでしょ? あたしがコーディネートしたのよ!」
どうでもいいことだが、コーディネートした、というより強要した、のほうが正しいような気がしてきた。
「それはともかく、お茶をどうぞ」
そう言って二人にお茶を差し出す。
「あ、ありがとう。気が利くのね」
「あくまで、執事ですから」
「おおー、やはりひよりんの貸した漫画の影響か」
……お前は黙っていろ。
「おいしー。キョン君、お茶入れるの上手だね」
「みくるちゃんが教えたのよ。キョンの腕じゃないわ」
お前はさっきから余計なことを……
「で、でも、ちょっとアドバイスしただけでここまでできるのはすごいと思います」
ありがとう、朝比奈さん。俺のフォローをしてくれるのはあなただけです。
だけど、アドバイスどころか完全にノウハウを教えて下さった気がします。
「そうだ! キョン、何か芸は無いの!?」
おい。いきなり何か芸をやれって言われても、俺は出来ねえぞ!
「あ、それならひとつあるよね!」
こなたが何か言い出した。こなたはどこからとも無くテーブルクロスらしきものを取り出し、机の上にかけた。
その上に、本棚から何冊か適当に取り出し、クロスの上に重ねて置いている。
……嫌な予感がする。間違いなくこの予感は的中するだろう。
「今、この積み上げた本のタワーを、キョンキョンは崩さずにテーブルクロスだけを引き抜くってさ!」
やはりだ。だが、これだけは言わせてくれ。 無理だ。
「おい、古泉。どうにかしてくれ」
古泉に近づき、小声で話す。
「がんばって下さい。こういうときは気合で何とかするものです」
できるか!
だが、やれという空気があるからにはやらねばなるまい。
恥を忍んで、俺はやることにした。
「はぁっ!」
テーブルクロスを思いっきり引き抜く。ああ、神様。この無様な俺を笑って下さい。
何のいたずらだろうか。俺が引き抜いたテーブルクロスの上に載っていた本は、直立不動で立っていた。
そういえば、さっき長門が本のタワーを見ながら何かをしていた。長門が情報統合思念体のちからでどうにかしてくれたのだろう。
後で、長門に礼を言っておかなきゃな。
何はともあれ、成功したことにみんな驚いていたようで、最初は少しばかりの静寂があったが、今は、みんな俺に拍手をしてくれている。
「すごいじゃない、キョン! こんな特技があるなら最初っからやりなさいよ!」
こいつは拍手もせずに俺に突っかかってきた。
「まさか、成功するとは……」
一番驚いていたのは、こいつだろう。多分、ジョークのつもりだったんだろう。
「すごーい。キョン君すごいよー」
多分、一番まともな反応をしていたのはつかさだろう。こいつは素直に喜んでいる。
それはいいとして、本の後片付けは俺がすることとなった。やはり、不幸だ。
「長門、さっきはありがとな」
本を片付けるついでに、長門に礼を言った。
「いい。ここで成功させたほうが、涼宮ハルヒの感情を正の方向に動かせると思っただけ」
どういう意図があろうと、こいつのおかげで場を切り抜けられたのだから、感謝するに決まっている。
「それじゃあ、私たちはこれで帰るね」
「じゃあね、キョン君」
柊姉妹が帰っていった。俺としては別にもう少しいてもらいたかったのだが、あの二人にも都合があるのだろう。
「さて、キョンキョンは私とオセロでもしようよ」
「ダメよ。あくまでキョンはあたしの執事よ。それに、今はあたしとチェスをやってるの。だからダメ」
泉は俺を誘ってきたのだが、どうやらハルヒは頑なに拒否した。どうしてそこまで言う必要がある。
「仕方ないなあ。まあ、そのほうがお似合いだからね。ふたりの幸せな時間を邪魔しちゃ悪いし、古泉君とオセロでもやるとするよ」
……冗談のつもりで言ったのだろうが、やはり冗談に聞こえない。俺は軽く泉をたたいた。
「痛ッ!」
「そういう冗談は、おやめ下さい」
あくまで、冷静に言ったつもりだ。うん。
一応、泉も反省したようで黙ってくれた。
「えっと失礼しま……うおあっ!」
「ハロー! 遊びにキマシタヨー!」
谷口の逆襲、四人目以降……一年生勢。
せっかく来てくれた4人には失礼だが、もはや褒め言葉はデフォルトとなってしまったため、ある意味ありがたみが薄れている。
どうやら、小早川と岩崎は、二人についてきただけで、何もやることが無いらしく、二人で話している。
田村とパトリシアは、どうやら俺と写真を撮るのが目的で、腕に抱きついたりしている。
正直、ある意味天国なのだが、あまりうれしくない。後ろのほうから団長サマが睨み付けているからだ。
さっきからオセロをしている泉も、飽きてきたのか、俺と写真を撮り始めた。
それと、小早川と岩崎も、こちらを見ている。頼むからこっちを見るな。
泉が二人に野本に駆け寄り、なにやら話をしていると思ったら、二人を連れてこっちに来た。
「いやあ、この二人も一緒にとりたいんだって」
マジですか。いや、冗談だろ?
「えっと、お、お願いします。だ、ダメならダメでいいですけど……」
小早川が照れくさそうにこちらを見た。頼むから、その上目遣いは辞めてくれ。正直、断れない
「…………」
岩崎はなにも言わない。下を向いて……照れてるのか? だけど、何も言わずに俺のそばに近寄ってきた。
「いやー、モテモテだね、キョンキョンは。こりゃあ、団長さんも嫉妬してるんじゃないかな?」
またしても泉はニヤニヤしてる。俺は動こうにも動ける状況じゃなかったから何もしなかったが、ハルヒが何もしないのは不思議だ。
おい、古泉、これはいったいどういうことだ。
と、本来古泉がいる場所の方向見ても、古泉はいなかった。
……これは、完全にやばいかもしれん。おそらく、例のバイトに行ったのだろう。
ということはつまりハルヒがひどく不機嫌になってるってことだ。
「ふーっ、たくさん撮れたッス! ありがとうございましたッス!」
「THANK YOU。またヨロシクネ~」
どうやら、満足するまで取り続けた二人は帰っていった。
「あ、あの! ありがとうございました」
「キョン先輩、迷惑でしたか……?」
いや、そんなことは無い。別に、迷惑だなんてことは思っていない。
「そう、ですか。……ありがとうございました」
さっきの二人を追うように、小早川と岩崎も帰っていった。
谷口の逆襲は終了したようで、これ以上人は来なかった。
泉はまだ居座っていて、長門とオセロをしていた。
「それでは、お先に失礼します」
朝比奈さんは、ちょうど今帰るところだ。
ああっ女神様。あなたは俺を見捨てるのですか。
数分たって、長門と泉も帰ることにしたらしい。
「それじゃあ、お二人とも、思いっきりラブラブな時間を~」
……もう、慣れた。いや、慣れたら負けなのだろうことはわかっている。何に負けるかはともかく。
さて、部室に残されたのは俺と、不機嫌そうな面をしているハルヒだけだ。
古泉が帰った、ということは、俺はどうにかしてこいつの機嫌を良くしなければいけないみたいだ。
「なあ、ハルヒ。俺もそろそろ」
「ダメよ」
即答だった。
「まだ罰ゲームは続いてるわ。だから、まだあんたは執事なの」
要約すると、まだ敬語を使えってことなのだ。
「わかりました。では、いかがいたしましょうか」
「……チェスよ」
正直、予想外の答えが来た。そういえば、こいつは始めてから一度も俺に勝ってない。
「全力でやりなさい。あたしが勝つまで帰さないから」
「本気ですか」
「本気よ」
……やれやれ、いつまでやるのやら。
日が暮れても、ハルヒはやり続けた。俺とハルヒは途中の休憩に、家に「遅れる」とだけ連絡を入れた。
さて、7時を回って、月明かりが部室内を照らし始めたころ、ようやくハルヒは俺に勝利した。
そのときの喜びようは、まるで金メダルを取った瞬間の選手のような、純粋に喜んでるようだった。
ようやく帰れると思ったのだが、どうやらそうは行かなかった。
「ねえ、キョン。執事としてのあんたに、最後の命令をするわ」
最後の命令だけに、すさまじいものを想像していたが、予想の斜め上を行っていた。
理解するのに時間がかかったが、要約すると、「お姫様抱っこをしろ」ということらしい。
俺は命令どおりに、ハルヒを抱きかかえた。
「ちょっと、私はお嬢様なんだから、もっと丁寧に扱いなさいよね!」
わがままな奴だ。こんなこと、まったくやったことねぇんだから我慢しろ。
「まあ、悪くわないわね」
……正直なところ、結構重い。そう感じるのは、俺の筋肉が足りないだけで、ハルヒ自身は軽いのかもしれん。
「キョン。重いとか言ったらぶっ飛ばすわよ」
ごめんなさい。と心の中でひそかに謝った。
「あの、いつまで続ければいいんでしょうか?」
「ねえ、キョン」
「なんだ」
「こうしてるとさ、あんたが本当に執事って感じがするわ」
そういったとき、ハルヒは少し微笑んでいた。その言葉に、俺は、無意識に返した。だから、俺自身は何を言ったかは覚えていない。
ひとつだけ覚えているのは、ハルヒの表情だけだ。そのときのハルヒは、明るく、かつ穏やかに笑っていた。
昨日のことは忘れ、何事も無かったかのように登校。
別段、谷口が言いふらしていたことにたいした効果は無く、少しだけ安堵していた。
ハルヒも、何も言わずに席に着いた。
変わったことがあるとしたら、ひとつ。
「何でまた……」
何でまた、例の執事服がおいてあるんだよ!
「あんた、昨日、最後敬語使わなかったでしょ?だから、罰として一ヶ月間ずっと執事よ。
でも、安心しなさい。仕事はみくるちゃんと半分ずつにしてあげるから」
そういう問題じゃなくてだ。
「別にいいじゃない。減るもんじゃないんだから」
「あのな……もういい」
俺はもう、完全にあきらめた。こいつに何を言っても無駄だ。
今の俺は不幸だ。だけど、不幸であったことに後悔はしていない。