第1章 佐々木の憂鬱

1

「佐々木か……」
声をかけた僕の方を向き、キョンが驚きの声を上げる。まあ、かれこれ高校入学以来、1度も顔を
合わせていないからね。ここでばったり会って、驚くのもまあ当然と言えば当然だね。
ただ……君は気づいていないだろうけど、僕は高校入学以来、君の姿を何度も週末に見ているんだよ、
キョン。
胸の中で、聞こえるはずもない言葉で彼に呼びかけてみる。
「学校か、それとも……私服ということは、予備校からの帰り道と言ったところかな?」
「勉強してたのはまあその通りだが……友達ん家で勉強会してて、その帰り道だ」
ちょっとぶっきらぼうな口調は中学の時と変わってない……けれど、笑いかけてくれた顔は相変わらず
優しい。ほんのこれだけの会話で、僕たちの間に横たわっていた3年という月日が、いつの間にか
溶けてくっつきそうな感じがするよ。
「久闊を祝して……どうかな、キョン。もし時間があれば久々に君と、語らいの時間を持ちたいと
考えているのだが」
「いいぜ、久々だしな」
キョンに話したいこと、聞きたいことはたくさんある。立ち話で言葉に詰まって、手短に話を切り上げ
られては……すこし心の準備が必要と、思わず強引にキョンを誘ってしまった。
迷惑ではなかっただろうか。
何を浮き足立ってるんだろう……僕は。


2

柊家でこなたたちと、あんな際どいやり取りをしたからだろうか。帰り道、いきなり佐々木に声を
かけられたとき、驚くと同時にちょっと妙な意識をしてしまった。
3年も音沙汰のなかった異性の友人が、いきなり現れたのだから、そこになんらかの「運命」でも
感じたのだろうか。俺らしくもない……
第一、佐々木との事はもう俺の中では「終わった」ことだ。終わるも何もまあ告白すらさせて
もらえなかったが。
心の痛みを感じるのに、3年っていう月日は長すぎる。

佐々木に誘われるまま近くの喫茶店に腰をすえ、話し始めればまあ、そこは親しい「友人」同士。
余所余所しさもわだかまり?も取れ、お互い頼んだ飲み物に口をつけながら、いろいろと近況を報告
し合う……といっても、専ら喋るのは俺の方で(俺が一方的にまくし立てているわけじゃない。
佐々木が矢継ぎ早に質問やら何やら発してくるからだ)、佐々木は時折相槌を打ったり、くつくつ
笑ったり、呆れ顔を見せたり……それを可愛いなあと素直に観察出来るあたり、俺も少しは成長
したのだろうか。

「それにしても……SOS団、か。いやはやキョン、君の周囲にはなかなかユニークかつ魅力的な人材が
多いようだね。君も口では振り回されているなんて言いながら、けっこう充実した時を過ごしている
みたいで何よりだ」
まさに疾風怒濤だったからな。3年になったときも、こんなピッチで活動するのかと正直ドキドキした
もんだ。意外にもハルヒの奴が、3年になった途端、課外活動自粛を宣言し、受験体制突入の名目で、
半休部状態にしたのにはビックリしたが。
「君が評するほど、彼女は非常識な人間ではないということなのだろう。
あまり悪く言うものではないよ。キョン」

一方、佐々木の近況はと言うと、水を向けてみても本人はあっさりしたもので、
「僕の方はここまで、高校生活で特筆すべき事柄ってのはないかな。まあ友人もそれなりに居て、
順調にここまで過ごしているけど……覚悟はしていたけど、勉強は思っていた以上に大変だ。
僕も君と同じところに行けば良かったかな?」
……佐々木の高校生活は、実はあまり楽しくないものなのではないだろうか。
たとえそれが事実だとしても、今の俺に出来る事など何もないのだが。
そんなことを考えながらぬるくなったコーヒーをすする。と、いきなり携帯が鳴り出した。
誰かと思って出ればお袋からだ。夕食の用意はとっくに出来ている。早く帰ってこいと。

「……キョン、あまりに楽しかったのでついつい時の経つのを忘れてしまっていたが、こんな時間まで
引き止めてしまって悪かったね。僕はもうしばらくここに居るが、君はご母堂のご機嫌をあまり損ねぬ
うちに、はやく帰り給え。」
そうか、じゃ、悪いが先に帰らせてもらう。勘定は済ませておくからな。
「誘ったのは僕の方だ。僕が出すのが常識だろう」
いや、こんなとこで押し問答するのも何だ。分かった、割り勘にしよう。俺の分の勘定は置いていく。
佐々木は意外と頑固で譲らないからな。こんなときは言い合いせず、さっさと折れて事態を収拾
するのが賢い方法だ。
「あ……あとキョン。差し支えなければ携帯の番号を教えてくれないだろうか。彼女がいるなら
流石にまずいだろうから、その場合は……」
構わんよ。ほら、携帯を出してくれ。
そそくさと番号を交換して店を出る。さ、はやく帰らなくては。


3

「あっさり番号を教えてくれたということは、彼女は今のところまだいない……のかな?」
去っていく彼の背中を見つめながら、心の中で呟いて見る。
彼と話をしたのは確かに中学卒業以来だ。けど、私は高校入学以来、彼の姿を追い続けていた。
高校入学後、彼を最初に見かけたのは、梅雨真っ只中の6月だったと思う。
日曜の午前10時、たまたま駅前を通りかかった私は、待ち合わせをしていた高校生らしき男女の
グループの中にキョンの姿を見かけたのだった。
声をかけようか……と思ったが、友人たちとの待ち合わせに水を指すのも野暮だと思って、少し離れた
ところから様子を伺うことにした。
キョンは黄色のカチューシャリボンをつけた、活発そうなショートカットの女の子になにやら酷く
怒られているようだった。彼も仏頂面でなにやら弁解しているようだったが、女の子に1つ、頭を
はたかれると、やれやれといった感じでおし黙ってしまった。
キョンはああいうタイプが好みなのだろうか。確かに顔立ちも可愛いし、胸も結構大きいし。

それにしても、見れば見るほど不思議なグループだった。
キョンの他にも男子が一人……この彼は随分背が高く、かつなかなかの美形で、いつも笑っている。
さぞかしモテると思われるのだが、なぜ集団デート紛いのようなことをしているのだろう。
そして黄色のカチューシャリボンの子の他にも、女子が二人いる。一人はとても小さくて可愛らしく、
なおかつグラマーで、キョンもこの人と話すときは、若干、鼻の下が伸びているようだ。
……それにしてもその胸は反則だろう。キョンもあまりデレデレしてるとみっともないよ。
そしてもう一人。とても綺麗な顔をしているが、いつも本を手放さない寡黙な女の子。
表情も変わらないしほとんど喋らない。彼女は何故こんな集まりに参加しているのだろう。
見たところ、あまり楽しそうでもないし。

ひとしきりやりあった後、彼らは連れ立って駅前から移動し始めた。
彼らは何をするのだろう、どこにいくのだろう……と気にはなったが、ついて行くのは憚られた。
私は呆然と立ったまま、彼らの背中を見送ったのだった。

キョンの姿を見かけた時、最初に感じた感情は「悲しさ」とも「嫉妬」ともつかぬ複雑な感情だった。
キョンと別れ、別の高校に進学し、私の周りの風景はすっかり色あせてしまった。
遅ればせながら、私はキョンという存在が、自分の日常生活の中でどれだけ大きな位置を占めて
いたのかを、身をもって知ったのだ。
私はいつしか、「キョンも私と同じように、なにか満ち足りない高校生活を送っていて欲しい」と願う
ようになっていた。
これはとても醜い感情だ、と自分でも思う。自分が満たされていないから、相手もそうあって欲しい。
相手だけ楽しく過ごしているなんて許せない、というのは身勝手以外の何ものでもない。

中学時代、キョンは私に好意を持っていてくれた。
これは決して自惚れじゃなく、間違いないと思う。キョンは普段ポーカーフェイスを気取っているが、
根が正直な人間なので、よく観察していると、思っていることや考えていることが結構分かるのだ。
そんなキョンに対して私が言ったことといえば……

「恋愛というのは一種の気の迷い、精神病みたいなものだ。そんなものに心を奪われて、理性を
曇らせたいだなんて、そんな気持ちは僕には理解できないね」
「僕たちの関係を周囲はとやかく邪推するが、あまり気にしない方が良い。人の口には戸は立てられぬ
と言うしね」
「せっかくの友情関係を、愛だの恋だという幻想で壊してしまうなんて、愚かしい限りだと思うよ」

キョンの好意に気づいた私は、徹底してキョンを言葉で牽制した。思い余って告白などされたら、
これまで築き上げてきた友情も信頼関係も、愛だの恋だのという陳腐なものにすりかえられてしまう。
当時の私はそう思っていた。
そして、こんな言葉で何気なくキョンを牽制し、キョンが意気消沈するのを見て満足感を感じるという
やや倒錯した感情を「楽しんで」いたし、一方でキョンが私の牽制にめげず、告白してきてくれるのを
ひそかに期待してもいたのだった。
思えばこの頃の私は、自分の中の気持ちと正直に向き合えず、混乱して屈折していたのだと思う。
……私もいつしか、キョンのことを好きになっていた。
そんな事実に気づいた時には既に遅く、キョンは私の手の届かないところへ行ってしまったのだった。

毎週、日曜日の朝10時。
私はキョンの姿を一目見るだけのために、駅前に足を運ぶのが日課になっていた。


4

変化がおきたのは夏休みが明け、新学期、9月に入ってからだった。
グループの人数が増えたのだ。それも女子だけ4人も。
頭頂に大きなくせッ毛のある、高校生とは思えないほど小さな子。
背が高くてスタイルもいい、そして胸の大きなメガネをかけた子。
残りの2人は…おそらく姉妹なのだろう。タレ目でリボンをかけたおっとりしてそうな子と、髪を
両脇で結わえた、目つきが少しきついけど綺麗な子。
元の女子メンバー3人も可愛いが、この4人の子も負けず劣らず可愛い子ばかりだ。
男女比2対7、このグループがいったい何を目的としているグループなのか、ますます分からなくなって
きた。
ただのお遊びの集まりなのか、それともいけない遊び……いや、キョンに限ってそんなことはあるはず
ない。
私の心のなかのモヤモヤは、その後も晴れることはなかった。

今日、キョンに会えたのは収穫だった。キョンのいる集団について、3年越しの謎が解けたのだ。
SOS団のこと、その「団」にいるメンバーのこと。
なのに…知りたいことが分かった筈なのに、心の中のモヤモヤは晴れるどころか……
僕はどうしたら良いのだろう、何がしたいのだろう……教えて欲しい、キョン。

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最終更新:2010年04月25日 21:58
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