第2章 古泉一樹の贖罪 ― 笑顔の苦労人のモノローグ

1

「……ええ、彼は涼宮さんの事が好きなのだと思います。まあ、お二人とも素直じゃありませんから、
端から見るとなかなかそうは見えないかもしれませんが、僕にはよく分かります」
人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて……なんて言いますけど、かがみさんたちの彼に対する気持ちを
知っていてこんな事を言うのですから、本当に僕のような奴は、馬に蹴られて死ぬのが分相応だと
思います。
ただ、これは今になってこそ、そう思うことが出来るわけで、当時の僕は予想外のSOS団加入者の
存在にただ動揺していました。涼宮さんへの影響を考えると、どうしても彼女たちには釘を刺しておく
必要があると考えたのです。
「そっか……涼宮さんとキョン君って、なんか噂にはなっているみたいだけど、実際のところ
どうなのかなって……ちょっと気になっていたんだよね。
キョン君に聞いても、『ハルヒとはそんな関係じゃない』って言うし、涼宮さんのキョン君に対する
態度を見てても、とても好意をもってると思えないし……」
かがみさん、こんなことを聞いたのは別に他意はない、とでも仰りたいのでしょうが、がっかりして
いる様が見て取れます。
「まー、愛の形は人それぞれってことなんだろうネ」
泉さんののんびりとした声も、少々沈み気味に聞こえるのは、僕の気のせいなのでしょか。
「ハルちゃんも、もうちょっとキョン君に優しくしてあげればいいのにな」
「あのお二人は、聞かん気の強い妹さんと、懐の大きいお兄さんという感じなのでしょうか」
つかささんと高良さんも、先のお2人の言葉に引かれたように、ポツリと呟きました。
女性の悲しそうな顔を見るのは辛いのですが、事が涼宮さんに関わる以上、仕方ないと割り切るしか
ありません。
力に目覚めて以来、僕はずっと、そうやって周囲の人間や物事を割り切ってきたのですから。

SOS団は、とても繊細なパワーバランスの下で成り立っている組織です。
涼宮さんの持つ「力」の保全・観察・安定という目的で、本来、利益が相反し、対立が起きても
可笑しくない各組織が手を結んでいるのです。
各々の組織を代表し、僕、朝比奈みくる、長門有希の3人が、涼宮さんの監視に当たっています。
そして、涼宮さんの力をコントロールする「鍵」として彼が……キョン氏がいるわけです。
僕らはいずれも「一般人」ではありません。彼にしても、涼宮さんに及ぼす影響力を考えたら到底
一般人の範疇には入らないでしょう。彼が聞いたら、異議を唱えるかもしれませんが。
こういう性質上、SOS団には僕たち5人以外の団員は必要なく、むしろこれ以上来てもらっては困ると
いうのが、僕や朝比奈みくる、長門有希の所属する組織の共通認識でした。
涼宮さん絡みの案件では、僕たちは臨機応変に動くことが出来なくてはなりません。
他の組織の人間が入ってくると利害関係が複雑になり過ぎますし、一般人に僕たちの正体や力が
知られるのは好ましいことではありません。
……ということで、涼宮さんのかなりの無茶にも、僕たちはつとめて異議を唱えることはしません
でした。彼女の逆鱗に触れては適いませんし、SOS団が奇矯な活動をしているという評判が立てば、
わざわざ入部しようなどという物好きも寄って来ないでしょうし。
その分、中にいる僕たちが周囲から色眼鏡で見られることになるのでしょうが、それはそれで仕方
ありません。仕事ですから。
……まあ、キョン氏にとってはいささか気の毒ですがね。ふふっ。


2

それと平行して、僕たちは何とか涼宮さんと彼を結び付けようと、様々な策を弄しました。
涼宮さんの力の安定と収束のためには、この2人が結ばれることが、もっとも良い選択肢だという点
でも、僕らの組織は共通の理解を持っていました。
それに僕の見たところ、お二人の相性はなかなかよろしいようですし、お互いに気にしてもいるよう
に見えました。いや、見えたというよりも、当時の僕は本気でそう思っていました。
「涼宮さんとキョン君は出来ている」という噂を、校内にそれとなく広めたのは僕です。あの2人、
何だかんだ言っていつも一緒ですし、根拠のない噂に信憑性を持たせるのは、さほど難しいことでは
ありません。それに周囲からそう思われたり、見られたりすることで、お二方ともそんな気になるかも
しれませんし。
……彼にはこのことはまだ話していません。いずれはきちんとお話して、謝らなくてはなりませんね。
結果として涼宮さんにも、むごい事をしてしまいました。
任務とはいえ、古泉一樹、一生の不覚です。

ですから、夏休みが明けて新学期を向かえた9月のとある日、涼宮さんが新たに4人の女子をSOS団に
迎え入れることを宣言された時、僕は驚愕しました。
これは朝比奈さんや、長門さんにしても同様でしょう。
最初僕たちは、彼女たちはどこかの組織のエージェントではないかと睨んだのですが、調べてみても、
怪しいところはいささかもありませんでした。正真正銘の一般人です。
しかも事もあろうにこの4人の女性、彼と……キョン氏とは随分と、親しい間柄のようです。
長門さんは……ご自身に責のないこととは言え、この4人をSOS団に迎え入れる「きっかけ」を
作ってしまったということで、少しく責任を感じていらっしゃるようでした。しかしまあ、きっかけが
どうであれ、涼宮さんが彼女たちを団員として迎えるという以上、僕たちに反対する術はありません。
「はじめまして、副団長を務めます古泉一樹です。ようこそSOS団へ……歓迎いたします」
心にもない歓迎の挨拶で、僕は彼女たちを迎え入れました。
これから起こるであろう幾多の波乱劇に戦慄しながら。


3

こうしてSOS団は男子2名、女子7名という、見る人が見れば羨ましがられる陣容の組織となりました。
……いや、僕も男ですから、周囲に華やかな女性が増えること自体は、悪くないと思います。
ただ、彼女たちの加入で、涼宮さんの「力」の安定、および彼と涼宮さんとの仲の進展という2つの
目的が著しく困難になることは、火を見るより明らかです。
ここに来て、とるべき道は2つしかありません。
彼女たちをSOS団から追い出す、もしくは自発的に辞めていただくか、我々の抱える事情をすべて話して
協力してもらうか。
状況を鑑みるに、僕は前者を採るべきだと考えました。
我々の正体や力を彼女たちに明かすのはあまりに危険すぎます。深入りしすぎれば彼女たち自身にも
害が及ぶでしょうし、正直、彼女たちに協力をお願いしたところで、かえって涼宮さんの機嫌を
損ねるだけで、とても役に立つとは思えませんでした。
……しかしこれはあくまで僕の意見です。事の決定権は組織のお偉方にありますし、また朝比奈さんや
長門さんの組織の意向も聞かなくてはなりません。
しかし、おそらくは僕が出したのと、同じ結論に至るはずです。いや、至ってくれないと困ります。
このまま彼女たちを団に留めておけば、手に負えぬほど深刻な事態を招くのは確実です。
正直この時の僕は、泉さんや柊姉妹、高良さんたちを、邪魔者としてしか見ていませんでした。

ですから、組織同士の話し合いで、現状維持、要観察という結論が出たとき、正直僕はこの決定を
下した大人たちを恨みました。現場の苦労も知らないで勝手なことを……とね。
しかし、長門さんの組織はともかく、朝比奈さんの組織もこの結論を了としたということは、涼宮さん
とキョン氏が結ばれることは、規定事項ではないのでしょうか。
まあ、聞いたところで「禁則事項です♪」なんていわれるだけで、教えてくれるとも思いませんが。
上がそう決定した以上、従わざるを得ません。下っ端の悲哀という奴です。


4

案の定、彼女たち4人の入部以来、閉鎖空間の発生する頻度が多くなりました。
彼が泉さんやかがみさんたちと親しげに話をしたり、じゃれあったりする度に、僕はいつもの表情を
維持するのに多大な労力を伴いました。涼宮さんも、彼女たちのキョン氏に対する態度に脅威を
感じたのなら、もっと素直になってくれれば良いのですけどね。
また、これまで涼宮さんの言うことに異議を唱えるのは彼だけ(で、大抵涼宮さんは耳を貸しません)
でしたが、それに加えてかがみさんなども、時折涼宮さんのいうことに意見をしたりすることが
ありました。涼宮さんほどではないとはいえ、彼女も結構、気の強い人ですからね。
それが原因で口論になり、険悪な空気になったこともよくありました。
5日連続、深夜から明け方まで神人相手に戯れる羽目になった時は、いっそのこと、彼女たちとキョン
氏の仲を煽って涼宮さんを怒らせ、彼女たち4人を強制退部に追い込むべきか、とまで考えました。
……まあ、それに伴う副作用の大きさを考えれば、到底無理な案ですが、当時の僕はこんなことを
考えてしまうくらい、かなり精神的に追い詰められていたのです。

とにかく、これ以上彼に「ちょっかい」を出さないよう、彼女たちには釘を刺しておかなければ
いけません。
なのでかがみさんたちから、「キョン君って涼宮さんのことが好きなのか」と聞かれたとき、僕は
はっきりと「そうだ」と彼女たちに言ったのです。
流石にはっきりと「彼と仲よくしないで下さい」とまでは言えませんでした。僕が言うのも変ですし、
同じ部活で活動する以上、泉さんやかがみさん辺りに、実は僕が彼のことを……なんて誤解をされても
困ります。

そう言えば……一部で僕のことを同性愛者だと誤解している方がいらっしゃるようですが、僕には
そういう性的嗜好はありません。普通に女性が好きです。
ただ、今の状況で特定の女性と個人的なお付き合いなど、到底出来かねますし、その……女性から
度々言い寄られて、その都度お断りするのも心苦しいものです。同性愛者だと「誤解」されていた
方が、そういう面倒を避けられるので、聞かれない限りは自分から否定しないようにしてるだけです。
前にキョン氏にそう話したら、なんて嫌味な奴だ、お前は地球上の全男性の敵だ、男に掘られるか神人に
踏み潰されて死んじまえと罵られてしまいました。
いやはや……僕から言わせれば、おまえがそれを言うな、ですけどね。

閑話休題。今でも僕は、同時の状況を考えれば、自分の言ったことは間違いではないと思っています。
でも、間違っていないから「良いこと」なのかと問われると、正直、言葉がありません。


5

それにしても、静かな夜ですね。
高校生の間に、こんな穏やかな日が何日も続く時が来ようとは思いませんでした。
こんな風に高校生活を振り返って、独白出来るような余裕があるのですからね。
本当に、彼女たちには感謝しなければいけませんね、それに、彼にも。

泉さんたちと、涼宮さんたちとの関係が変わって行ったのが、いつからだったのか明確なことは
覚えていません。当然、僕らは自分たちの素性や、抱えている事情については、彼女たちには一切
話していないのですが、どうやら彼女たちは、直感的に「何か」に気づいたようです。
「涼宮さんを不機嫌にさせると、どうもいろいろとまずい事があるらしい」と。
涼宮さんの提案に、彼やかがみさんが異議を唱え、涼宮さんが激昂しそうになると、そこにやんわりと
泉さんが割り込んできて、例ののんびりとした口調で涼宮さんを宥めたり、彼やかがみさんを
からかったりして、場を和ませてくれるようになりました。
高良さんは朝比奈さんに弟子入りし、お茶の淹れ方の技術ばかりか、メイド服まできっちり
着こなして、涼宮さんに「みくるちゃんの後継者が出来たわ!」とまで言わしめるようになりました。
つかささんは例のほんわりとした雰囲気を存分に発揮し、「かがみには勿体無いわ! あたしの妹に
なりなさい」なんて言われていましたし、当初、4人の中で一番、涼宮さんとやり合っていた
かがみさんも、涼宮さんを、さながら聞かん気の強い妹を扱うがごとく、上手く宥めたり裁いたり
するようになりました。
涼宮さんも楽しそうな表情をする機会が増えました。特殊な信念ゆえに、中学以来、同年代の同性の
友人がほとんどいなかった涼宮さんにとって、彼女たち4人は初めて出来た「普通の友人」なの
でしょう。
いや、朝比奈さんや長門さんが変だという意味ではありませんよ。属性的に「普通」ということです。
……おかげさまで、僕のバイトの機会も激減しました。夜もよく眠れます。


6

涼宮さんもこの3年間で、随分と人間的に成長されました。
高校3年に進級した際、涼宮さんは自ら志望して、僕のいる特進クラスに編入してきました。
長門さんも編入してきましたが、これは涼宮さんの監視という任務を考えれば、そっちの方が都合が
良いからでしょう。
高校2年間、彼とつかず離れず、同じクラスで彼の席の後ろに君臨し続けた涼宮さんが、自分の意思で
彼から離れたのです。これには僕のみならず、組織の上層部もびっくりしていました。
同時に受験を迎えたということで、SOS団の対外活動自粛を宣言し、二重にびっくりさせられました。
以前の涼宮さんなら、彼を自分の下から離すようなことはしないでしょうし、高校3年になっても
団活はフル回転、受験など歯牙にもかけず、僕ら団員を引っ張りまわしたことでしょう。
周囲の人間の事情を思いやって、自分の願望や欲望を自制できるほど、彼女は成長したのです。
それとともに、彼の心の中には自分がいないことを、この2年間の間に悟ったのかもしれません。

「キョンはホント凡庸な奴よ。でも……そんな奴が結局は、幸せを掴めるのかもね」
涼宮さんと話をしていて、話題が彼のことに及んだとき、ひとしきり彼の不甲斐なさをまくし立てた
後、彼女は取ってつけたように、こんなことをぽつりと言っていました。
自分のような人間より泉さんや高良さん、つかささんやかがみさんの方が、彼に相応しいのではない
だろうか。
僕には涼宮さんが、そんな風に考えているように見えました。
涼宮さんの守護神たる僕としては、彼女の意向を汲むのが筋というものでしょう。

「僕はどうやら勘違いをしていたようです。
以前、彼は涼宮さんのことが好きだと思う、と申しましたが、どうも彼は涼宮さんに対してそういう
感情は持っていないようです。
僕が憶測で断定したことが、貴女たちに二の足を踏ませているのだとしたら申し訳ないことです。
そもそも恋愛は自由なのですから、涼宮さんの気持ちがどうであれ、貴女たちが自重しなければ
ならない理由はありません」

……今日、やっと彼女たちに、こう言うことが出来ました。
償いにもならないでしょうが、肩の荷が下りた気がします。
とはいえ、心中すっきりしているのかというと、そうでもありません。
涼宮さんはまだ、彼のことを好きなのでしょうし。
今のままだと僕の出る幕は……

さて、そろそろ寝るとしましょうか。

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最終更新:2010年04月25日 21:59
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