第13章 佐々木の憂鬱 その2

1

明晰夢と呼ばれる類の夢がある。
……そう、「これは夢だ」と夢の中ではっきり自覚できる夢のことだ。
夢の中では、どんな不条理なことが起きていようとも、なぜか深く考えずスルーしてしまうものだし
妙に理性やら自制心が緩くなっていることもあって、現実世界じゃ絶対に言ったりやったりしない
ことを言ったりやらかしてしまうものだ。皆の衆、覚えがあるだろう。
だから本来、今、目の前で起きている出来事についても、そう深く考える必要はないのだろうが、
なにせあまりに「不条理」なことなので、俺の中の理性が、それをはっきり夢だと自覚してしまった
ようだ。
「ふふっ、キョン。どうしたの、さっきからポカーンとしちゃって」
……佐々木は男の前で女言葉なんか使わねえ! しかもなんだ、この甘ったるい口調と声は!
古来から「夢はその人間の願望を具現化する」なんてことが言われるが、つまりなんだ、これは俺の
願望ってことなのか?
まあ……佐々木から異性として見てもらえず、異性として意識されることをやんわり拒絶された
過去を持つ俺としては、それをはっきりと否定できないのが悲しいところだ。
「なあ、佐々木……今日はその、どうしたんだ。いつもの男言葉はどうしたんだよ」
「あれはもう……やめることにするわ。そうしないとキョン、私のこと女の子だって意識して
くれないし、私もう疲れちゃった。意地張るの、止める」
そういって、組んだ腕に力を込めて引き寄せてくる佐々木。胸が……いよいよもってこりゃ完全に
夢の中だな。
まあ、夢ならそんなに構える必要もない。夢の中でまで気を使ってたら早死にしちまう。
「そうか……ならいい。そういう佐々木も……可愛いと思うぞ」
「そう……よかった」
嬉しそうな顔で俺を見上げる佐々木。いや、こいつが美人なのは周知の事実だが、夢の中でも
見事に美人だ。いや当たり前か。何を浮かれてんだ俺は。


2

佐々木と俺はどうやら、街中をデートしている最中らしいのだが、街の風景はなにやら薄い靄が
かかっていて、太陽の光とも違う妙な明るさがある。町並みは辛うじて分かるが、すれ違う人や
車らしきものは、気配はするのだが、その細部まではよく分からない。
ただ、信号やネオンはきっちり光り、ちゃんとその存在を示している……変な風景、ま、夢だからな。
「ここ……でいいかしら、キョン。こういう場所って、あちこち歩いて探し回るようなものじゃ
ないと思うし、そんな時間ももったいないでしょ」
佐々木の声にふと我に帰って気づくと、正面にあったのは……紛れも無くラブホテルだった。
ええと、つまり……そういうことなのか。いやまて、そもそも俺とお前はいつからそんな関係に
なったんだ。俺には……
胸の奥から湧き上がってくる衝動を抑えつつ、俺は必死に冷静さを装いつつ言った。
「な、佐々木、今日はそういう気分じゃなくてな……俺としてはおまえとゆっくり話がしたい」
「キョン……女の子に恥をかかせる気?」
……覚えているやり取りはここまでだ。気づいたときには、ベッドからずり落ちそうになっていた。
なんて夢だ、やれやれ。

とまあ、ある夜に見たこの夢が、事の発端だった。

3

この日以来、俺は毎晩、靄のかかった妙な夢世界で、佐々木とデートしている夢を見続けている。
夢の中の佐々木は、それはまあ、しぐさも言葉も反則的に可愛く、毎回、デートの最中に必ず、
まあ、そういう雰囲気になるのだが、夢でしかありえないとはっきり分かる状況だけが辛うじて
俺の「理性」をつなぎとめていた。
そんな場合も佐々木は、無理強いに迫ったりすることは無く、ただ悲しそうな顔をしながら、

「私って……そんなに魅力ないかな?」
「……キョンは他に誰か、好きな女の子でもいるの?」

などと、こちらの目を見つめながら呟くのだった。それでも俺はなぜか、夢の中だと分かっていても、
佐々木に手を出す気にはなれなかった。

俺だって思春期真っ盛りの健全な男子高校生であるから、柄にも無く女の子とイチャイチャする夢を
見ることもあるし、それ以上の……まあ……エロい夢を見ることだってある。
だが、毎晩毎晩、同じ相手とデートして、図ったように最後は怪しい雰囲気になる夢など見たことは
ない。これはやはりおかしい。
なにかの非常事態か、あるいはハルヒか誰かの力が関わっているんじゃないのか?
これまでの高校生活で、ハルヒ絡みの珍騒動に散々付き合わされたこともあって、どうしてもそんな
考え方が抜けきらない。
……とはいえ、もしハルヒ絡みなら、古泉の奴が真っ先に気づいて動くなり、俺に注進したりするはず
だ。それがない以上、この夢にハルヒが絡んでいるということはまず無いはずだ。
誰かに相談するにしろ、古泉だとまた、あの忌々しいにやけ顔で、1ダースくらい嫌味を言いそう
だ。
おまけにこんな妙な話をして、佐々木も「ハーレム」に入れる気かと勘違いされ、要らぬ説教を
されるのも癪だ。
ハルヒやこなたたち、女性陣に話すのももっての外だろう。私たちだけじゃ満足できないのかと
ハルヒやかがみあたりに殴られたうえ、ヤリチンだのケダモノだのと罵られるのがオチだ。
後者は完全に否定できないのが悲しいところだが。

……とまあ、かくたる対処策も見つからず、というより見つける必要など感じられず、とりあえず俺は
この件については誰にも相談せず、何もしないことにした。
俺はフロイト先生のような精神分析家ではないが、まあ、俺の夢判断をあえて自己流にやってみれば、

受験も無事終わり、あとは結果待ちと卒業式を控えるだけの身になって、心理的抑圧が消えて、
彼女候補の女友達が出来、濃厚なお付き合いをすることで、中学時代の失恋トラウマも癒えたので、
こんなありもせぬ夢を見られるくらい、心理的に余裕が出来たのだ。

ってところか。ま、当たらずと言えども遠からずってところだろう。
明日は久々に、6人揃ってのお楽しみタイムだ。埒もない思索は程々にしてはやく休むとしよう。


4

夢の中のキョンはすごく優しい。
私もいつもみたいな男言葉じゃなく、自然と女言葉が口をついて出てくるし、躊躇することなく
キョンの腕を取ったり、身体をくっ付けたりして甘えることが出来る。
ただ……とてもいい雰囲気になって、その、そういうことになるのかな……という場面になると、
キョンはなぜか逡巡して、私に何もしてこようとしない。
その度に私は、胸の奥に痛みを感じながら、彼の「初心さ」をからかう振りをしながら、自分の
溢れる感情を押し殺すのだった。
毎晩見る、キョンとの幸せで、悲しい夢。
毎朝目覚めるたびに、かすかな陶酔感と、重く澱む沈痛感で、私の胸はいっぱいに満たされる。

あの予備校での冬期講習の日から、私はずっとキョンと、涼宮さんたちとのことを考えている。
端から見ても、今の私は何かに思い悩んでいるように見えるのだろう。
橘さんにはいろいろと心配をかけてしまった。
彼女はおそらく、私が何で悩んでいるのかを知っている。あえてそのことを問い詰めて来ないのが
彼女の優しさなのだろう。
2月に入って自主登校になってしまうと、私はますます内に篭るようになってしまった。
寝る前にキョンを思い浮かべて自分を慰め、毎晩、キョンの夢を見る。
あれ以来、キョンとはまともに話をしていない。
無事、受験を終えたという連絡はメールで貰ったが、そのキョンは今頃、なにをしているのだろう。
……考えるまでもないか。涼宮さんたちと、SOS団の人たちと、遊んだりデートしたりしているの
だろうね。
涼宮さんに釘を刺され、それでなくとも今更キョンときちんと向き合う勇気もない私は、こんな
夢を見ることでしか、自分を慰めることが出来ない。
今は考える時間が十分あることも、ただ、悲しい。


5

「ふっふ~ん、それじゃ、まずはあんたらのロストバージンの話から聞かせてもらいましょうか?」
受験終了記念の打ち上げ、と称して集まったラブホテルの一室で、ハルヒの奴が第一声を挙げた。
キョン君はというと、お預けを食らった犬みたいに、ポカーンと面食らった顔をしている。
「おおハルにゃん。これはキョンに対する羞恥プレイの一環ですネ」
……いやこなた、これって、話す私らも恥ずかしいでしょうが!
「そうだね、恥ずかしいよね」
「そうですね」
ハルヒが私たち4人の「最後までしない」という約束を蹴散らして暴走してくれたお陰で、私たちも、
キョンと関係を持つ踏ん切りがついた。前提条件を同じにしないと勝負にならないし、原則、個人
攻撃は禁止なんだけど、その……初体験の時だけは、個々人でキョンを誘うことをオッケーにした。
私たちはその約束をしただけなんで、お互いがどんなシチュで、キョン君と初体験を済ませたのかは
知らないけど。
分かっているのは、私ら5人とも、その……キョン君が……はじめての相手、ってことだけで。
「女性経験7人、うち処女が5人。大きいのや中くらいのや小さいのや……はたまた姉妹丼まで!
いやはやキョンさん、大したご乱交ぶりですナ!」
「ホント、女には興味ないみたいな顔して、こんなドスケベ野郎だとは思わなかったわ!」
こなたとハルヒの連続攻撃に苦笑いのキョン君。でも、ドスケベって人の事言えないわよね。
現に私たち、今ここにこうして居る訳だし。ね、みゆき。
「確かに、ちょっと前までの私たちなら考えられませんよね」
「みゆきさんもキョンみたいな悪い男に惚れて、すっかり悪い子になっちゃったネ」
思い返せば去年の夏……か。半年しかたっていないのに、随分昔に感じるわね。
「ねー、お話しするなら、お風呂入りながらにしない」
珍しくつかさからの提案。ま、私もとりあえずは身体洗いたいし、文字通り裸になってあけっぴろげ
に話をするってことでいいんじゃない。
……ま、キョン君はすこし匂う方が興奮するみたいだけどね。つかさもこないだみたく、シャワー
浴びる前に襲われたりしたいんじゃない?
「あう……でも、ちょっと強引なキョン君ってのもいいかも」
「つかさ、こんど無理矢理あんなことされたら、遠慮なくキョンの顔にぶっかけてやりなさい!
キョンみたいな変態にはちょうどいいお仕置よ、あたしが許すわ!」
おいこらハルヒ。ぶっかけるとかいうんじゃないの。
つかさも人の顔にオシッコしたりするんじゃないわよ。
「ちょ……そんなことして、キョンが<禁則事項>に目覚めたりしたらどうするんだヨ、ハルにゃん。
私、用を足しているトコ見せるくらいがギリギリのラインだヨ、それ以上はちょっと……」
「キョン君って……そういうのがお好きなんですね。私、努力します……」
受験が終わってハイになっているのか、序盤から暴走気味の私たち。一方のキョン君は……
「なんだかいつも以上に、激しく責められている気がするのは俺の気のせいか?」
とぼやいている。キョン君、今からそんなんじゃ、身体もたないわよ!


6

「こなた……アンタ、学校でしたわけ?」
そうですヨかがみん。学校での制服エッチは学生の特権。卒業してからじゃただのコスプレだしネ。
でも迷ったのが場所なんだよネ。ベッドがあるところって言うと保健室なんだけど、ハルにゃんが
攻略済みだし、私がキョンとした日には保健の先生が中に居たしね。
……野外でってのも考えたんだけど、流石に冬は寒くてムリだったヨ。
「お外でエッチって……その……どうやって……」
物陰で立ったままとか、ベンチに座って上に乗ったりとか、いろいろやり方があるのだヨつかさ。
ま、それはさておき、結局さ、学内の運動部専用の宿泊部屋があるじゃん……そ、別館のね。
そこ見たら1室、鍵かけ忘れてる部屋があったんで、そーっと忍び込んで、二段ベッドの下の段を
使ってしましたヨ。
けど……あそこのベッド硬いんだネ。ちょっと身体痛かったヨ。あと汚さないよう気をつけてたん
だけど……ね……気が付いたら結構汚しちゃって、後始末が大変だったヨ。結局落ちなかったし。
「で……やっぱりこなたも痛かったわけ?」
そりゃ痛かったですヨ。私のサイズがちっちゃいってのもあるけど、キョンの大きいしね。
おかげで一戦交えた後は内股歩きですヨ。いやー、周りに気づかれないかって気が気じゃなかったよ。
「私もー、なんか挟まってる感じがして、普通に歩けないよね」
ホント、女の子って大変だよネ。嬉しかったけど。
「いや、俺もその、擦り剥けてけっこう痛かったりしたのだが」
「へー、男の子ってただ気持ち良いだけなのかと思ってたわ」


7

そんな感じで私たち4人、キョンとの初体験を暴露しあった。それにしても、つかさが私たちのいない
時にキョン君を家に上げていたとは思わなかった。みゆきがキョン君のご両親と妹ちゃんがいない
時に、キョン君の自宅に乗り込んだというのも意外だった。積極的ね、みゆき。
かく言う私はというと、あれこれ悩んだ挙句、結局はラブホを使うことにした。人目につかないという
ことを考えると、意外と場所って限られてくるし、音とかその……後の始末とか考えると、やっぱり
ラブホ使うのが一番便利だし。
そして……行きの電車の中では、混雑してたのをいい事に、キョン君と痴漢プレイをして遊んだ。
知らない男の人に痴漢されるなんて絶対イヤだけど、キョン君なら……
すっごく興奮して面白かったよね。キョン君ったら、固いのお尻にグイグイ押し付けてくるし、
前だけじゃなくて後ろにも指入れてくるし、耳を舐めてくるし……くれぐれも他所で知らない女の子に
やっちゃダメよ。


8

最初こそ女性陣のテンションに押され気味だったが、熱気を浴びているうちに俺も調子が出てきて、
まあそうなればそこは男と女、いまさら恥ずかしがる仲でもなし、心ゆくまで5人との戯れを堪能し、
すっかり心も息子も満足した。
ホテルを出て5人と軽くファーストフードで食事をした後、そのままカラオケボックスに繰り出し、
先ほど繰り広げた戦いの疲れもなんのその、思う存分歌ってストレスを発散、帰路につく頃には、
時間は午後の9時を回っていた。
で、このままつつがなく終わってくれればいい1日だったのだが、災難という奴はこういうときにこそ
突然やってくるものだ。
そいつは俺の自宅の、すぐ前に居た。

「お久しぶりですね、キョンさん」
……こんな待ち伏せをするような知り合いといえば古泉くらいのものなのだが、その影が発した
声は紛れも無く女性のもので、しかもそいつとは面識がある程度で、さほど親しくもないとくれば、
ここで思わず身構えてしまったとしても、それを誰が責められよう。
「橘京子です。予備校の冬期講習で、佐々木さんと一緒にお会いしましたよね」
「ええっと……橘さん。ここでずっと待ってたのか」
「はい、折り入ってお話したいことがありまして」
……まさか告白じゃないだろうな、と一瞬思ったのは内緒だ。
「それで……なんの話だ?」
「佐々木さんのことです……というより、貴方が毎晩見ている夢について、と言った方が正確だと
思いますけど」
……その言葉を聞いた瞬間、ああ、俺はまた厄介ごとに巻き込まれるのだな、と本能的に悟って
しまったのが我ながら悲しい。
例の夢のことを知っているとなると、この橘ってのもおそらく、只者じゃあるまい。
未来人なのか超能力者なのか、はたまた宇宙人か異世界人なのか?
何を言うのか分からんが、おそらく事態は俺1人の手には余ることは間違いない。
とにかくこの場は穏便にやり過ごして、対処策を古泉や長門と相談すべきだろう。
動揺を悟られないよう、すばやく頭の中で思索を巡らせる。この辺りは経験もあって我ながら慣れた
ものだ。


9

私はこの人の事があまり好きではありません。
本当はこんな形で、彼を頼ることはしたくなかったです。
佐々木さんの情緒不安定の原因になっている人ですし、いかにも朴念仁と見せかけておいて、複数の
女の子と身体の関係を持っている人なんて、どう贔屓目に見ても、好意に値するとは思えません。
ただ、残念なことに佐々木さんは彼のことが好きなようですし、今の佐々木さんを立ち直らせることが
出来るのは彼だけでしょう。私の力ではどうすることも出来ません。
佐々木さんのことを考えたら、私の彼に対する個人的感情など微々たるものです。
「まず最初に言っておきますけど、キョンさん、あなたが毎晩見ている夢は厳密には夢ではないです」
黙ったまま私を見つめている彼。私は言葉を続けます。
「佐々木さんは一種の断絶した空間を作り出して、そこに毎晩、貴方を呼び込んでいるのです。
貴方が呼び込まれていることは分かっているのですが、どうも佐々木さん、第三者に邪魔されるのを
嫌がっているみたいで、貴方と佐々木さんの存在を、その空間内では補足することが出来ません」


10

この橘って子、まさか古泉と同じ超能力者なのか?
それに閉鎖空間……佐々木はハルヒと同じ力を持っていたのか。
思わず口に出そうな言葉を、俺は必死に飲み込んだ。ここで動揺して橘さんに余計な情報を与えて
しまったらまずい。古泉やハルヒのことは伏せておくべきだ。
「キョンさん……私の言った事、信じられないという顔をしていますね」
動揺が顔に出ていたか。誤解して解釈してくれたのには感謝するが。
「まあ、それはいいのです。今晩、私は貴方の夢に出てきますから……そうすれば信じて貰える
と思います。それはさておいて、ですね……」
一旦言葉を区切ると、橘さんは決意したように口を開いた。

「お願いがあります。佐々木さんをきちんと振ってあげてください。
今の佐々木さんは、貴方のことを諦められずに苦しんでいます。
日に日に、佐々木さんの精神状態は悪くなっています。
どうかキョンさんの手で佐々木さんの未練を断ち切って、前に進めるようにしてあげてください」


11

「ちょっと待て、お前は何を言っているんだ」
「いきなりこんなことを言われて、混乱するのは分かります。ですけどこれは……」
いや、俺は橘さんの言うことを疑っているわけじゃない。俺の見ている夢の話を知っているという
ことは、まあ、そうなんだろうよ。
俺が言いたいのは、その言い方じゃ、佐々木が俺のことを好きだったみたいじゃないか?
俺は中学時代、佐々木に振られてるんだぞ。
「知っています……中学のときの話も、事の真相も……」
そして橘さんは話し始めた。佐々木の俺に対する「想い」と、「事の真相」とやらを。

「……その話は本当なのか?」
「本当です。今夜、佐々木さんに聞いてみてください。夢の中でね」
……佐々木も俺のことが好きだった……のか。
ただ、橘さんから「事の真相」とやらを聞かされても、もう俺の心の中にはさしたる感慨はなかった。
今の俺の心の中にはもう、佐々木の姿はない。
俺は俺のことを好きだと言ってくれたハルヒ、こなた、かがみ、つかさ、みゆきの5人としっかり向き
合うと決めたんだ。だから、事ここに至って、佐々木の気持ちが俺にあるということが分かっても、
俺にはその気持ちに応える意思はない。
「安心しました。てっきり私は真実を知って、佐々木さんまで毒牙にかけるつもりなのかと」
……どうやら俺、この子には嫌われているみたいだな。
「この調子なら大丈夫そうですね。今夜、よろしくお願いします」
「送っていこうか」
「結構です。夜道を2人で歩いたら、何されるか分かりませんし」
やれやれ。


12

靄のかかった街に佐々木と2人。
毎晩毎晩同じ夢を見続けていれば、自然とそんな妙な状況にも慣れてしまう。耐性もあるしな。
正直、この空間の雰囲気は嫌いじゃない。ハルヒの出す閉鎖空間とは違って、心を落ち着かせる
効果があるみたいだ。この辺りが性格の違いという奴かね。よく出来てるもんだ。
とはいえ、今日はいつもとは勝手が違う。佐々木との逢瀬をぼんやりと楽しんでいる猶予はない。
どうやって話を切り出すべきか。愉快な話でない以上、どう切り出そうが同じことだな。
「キョン。今日はどうしたのかな。初デートの時みたいに固くなってるよ」
例のくつくつという笑い方ではなく、くすくすと女の子らしい笑い方で、佐々木が腕を絡めてこようと
する。その可愛さに一瞬負けそうになりながら、俺はやんわりと佐々木の伸ばした手を押し留めると、
佐々木と向かい合って口を開いた。
「聞いて欲しい話がある」

「佐々木、俺はお前の気持ちには応えられない」
キョン、いったい何を……そう言いかけた佐々木を制して、俺は言葉を続けた。一息で言ってしまわ
ないと、最後まで佐々木が聞いてくれなさそうな気がしたのだ。
「佐々木が俺のことをずっと好きでいてくれたのは、正直、嬉しい。
ただ、好きでいてくれたなら、素直に俺の想いを受け止めて欲しかった。
佐々木、気づいてたんだろ……中学のとき、俺もお前のことが好きだったって事。
俺が好意を見せると、やんわりとシャットアウトされるから、てっきり俺はお前に異性として見られて
いないと思ってた。
でも、佐々木、素直じゃないもんな。俺もそこで怖がらずに、押せば良かったのかもしれない。
けど今更、それを言っても仕方ないよな。あの時、そういう関係になれなかったのは必然なんだ。
情けない話だが、正直、傷ついたよ」
「キョン……僕は……」
「はは、やっといつもの口調に戻ったな。やっぱりそっちの方がお前らしいよ。
佐々木とのことがあってから、俺、すっかり自信なくしちまってな……もう恋愛なんか出来ないし、
したくもないと思ってた。
だから、俺に好意を持ってくれた相手に対しても、あやうく知らない振りをしてやり過ごそうと
するところだった」
「涼宮さんや……泉さんたちのことかな」
「そうだよ。あいつらが強引に俺の殻を破ってくれなかったら、俺はずっとダメージを引きずって
この先も女の子に好意を持ったり、恋愛なんかすることもなかっただろうな」
「……僕のことが憎いかい? 嫌いかい、キョン?」
正直憎いと思ったことはあったよ。我ながら狭量だと思うけどな。
でも、今はもう憎くもないし、佐々木のことを嫌ってもいない。もう、今、中学のときの真意を
知らされても、今の佐々木の気持ちを知らされても、俺の心は何も感じないんだ。
今こそ、何の衒いもなく、佐々木は俺の親友だって胸を張って言えるよ。
佐々木も、これからも俺のことを親友だと思ってくれると、俺も嬉しい。


13

君は優しい顔をして、とてもきついことを言うんだね、キョン……
面と向かって罵られるより、嫌いだといわれるより、こういう言葉の方がずっと心に堪えるんだよ。
「……これが俺の今の本当の気持ちさ」
だろうね。君がこんなとき、本心を偽るような人間でないことを、僕はよく知っているよ。
ふふ、まさか今になって、こんな大失恋をする羽目になるとは思わなかったよ。
正直、これほど手ひどく振られたら、すんなり立ち直れる自信はないよ。
「大丈夫さ、俺も立ち直った。たっぷり3年間かかったがな」
そうか……僕のせいで、すまなかったね、キョン。
それじゃ……いたたまれないから、僕はもう帰ることにするよ。
さよなら、キョン。
踵を返した途端、佐々木の姿は眼前からふっと消え失せた。
これで良かった……のかな。


14

「ありがとうございました。キョンさん」
感慨に浸っているところに、いきなり後ろから声を掛けられて、思わずのけぞってしまった。
「夢の中に出ますよ、ってあらかじめ言っておいたじゃないですか? やっぱり私の言ったこと、
信じていなかったんですね!
……ま、それはそれとして、ちょっとキョンさんのこと見直しました。只のスケコマシじゃ
なかったんですね」
……俺が出来るのはここまでだ。後は佐々木自身の問題だ。お前も佐々木の友達なら力になって
やってくれよ。
「言われなくても力になるのです。男なんか、私がこの身体で忘れさせてやるのです!」
なにやら不穏当な発言が聞こえた気がするが、生憎、そこは俺の領分じゃないんでノーコメントだ。
俺もお暇させて貰うよ。


15

この話には一応、後日談がある。
翌日、俺は佐々木に電話で駅前の喫茶店に呼び出され、告白され、そしてその告白を断わった。
佐々木がそのときに話した俺への気持ちや、中学卒業から再会までの経緯については、俺が昨夜
佐々木特製の閉鎖空間の中で、橘さんから聞いた話と大筋同じで、やはり昨夜のあれは夢ではなかった
ことを再確認することとなった。
そして俺も、閉鎖空間で佐々木に言ったことを、言葉とニュアンスを変えてもう一度伝えた。
いや、昨日の台詞を繰り返したって良いのだが、言葉や言い回しを変えるくらいの配慮はしないと、
佐々木が自分の力やら何やらに気づいてしまうと思ったからな。まあ、そこまで気を使う義務は
ないのかもしれんが、あの橘さんも人知れず、古泉みたいな苦労をしているのかと思うと、いささか
気の毒になった次第でな。

季節は冬から、春に変わろうとしていた。
そして、俺たちは無事、卒業して大学生になった。

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最終更新:2010年04月25日 22:07
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