泉どなた
◆Hc5WLMHH4E氏の作品です。
廊下の窓から見えたのは、絵に描いたような、それはそれは素晴らしい空だった。
学び舎は日光を反射して白く輝き、カラリと乾いた校庭を、巨大な雲影が悠々と泳いでいる。
チチチチ……チロチロチロ……
小鳥達が羽をバタつかせながら、身体のサイズに相応しい高く短い鳴き声を響かせ、俺の視界を横切って行った。
この国が本当に平和なんだと実感できる長閑な空の景色が、窓を隔てて広がっている。
世の中の全ての悲しみを包み込んでくれそうな今の光景を見れば、どんな人間も足を止めて見惚れてしまうだろう。
だが今の俺には、それがいかに清々しい春の景色であったとしても、流れる雲を優雅に眺めて
「良い天気だ……」などと呟くような時間的な、精神的な余裕はどこにも無いのだ。
俺は十秒と空を見上げることなく、廊下を小走りで駆け抜けた。
この地球という惑星の表面に住む、ありとあらゆる生命体の中で、
自分達こそ生物種の頂点に君臨した、万物の霊長なのだと勝手な思い込みをし、
得意げな表情で大地をのさばっている我等ホモサピエンス。
俺はその中には大きく分けて二つの種類があると考える。
すなわち、誰かをパシリに使うようなヒドイ人間と、逆に誰かに使われる可哀想な人間である。
では俺がそのどちらに属しているかは言わずもがな、後者ということになる。
今このようにブツブツと独り言を呟いていることこそが、それを証明しているではないか。
「えーっと、メロンライスにガムライス……じゃなかったメロンパンとコロネパンか」
お昼時の食堂はというと、昼食を求める飢えに飢えた人々でごった返しとなっていた。
どの学校でも比較的同じような光景を目にすることが出来るとは思うが……。
その凄まじさといったら、ここが学校であることを忘れてしまいそうなほどだ。
これは何かの暴動か? それとも学生運動か? はたまた軍のクーデターか?
とにかくいつ非常事態宣言が発令されてもおかしくないほどの込み具合なのだ。
ここで俺が自分の昼食を買うだけの為にここへやって来たとするなら、
蠢く人の群れを傍から眺めただけで、今日一日ぐらい昼食を抜いたって死にはしないと、
その中に足を踏み入れることなく、一目散に退却することだろう。
しかし俺は今まさに群衆の一部と化し、左手で財布を握り締め、右手で人波を掻き分けながら、
眉間に皺寄せ歯を食い縛るといった、まさに必死の形相でメロンパンとチョココロネを探している。
それぞれがハルヒとこなたのリクエストである以上、自分の昼食は無いとしても、
彼女たちに献上するパンは是が非でも手に入れなければならないのだ。
もし俺が手ぶらで帰ってきたとなれば、二人は憤怒し、非難の嵐を受けること間違いなしだからな。
神か仏か知らないが、誰かが俺に哀れみを感じ救済の手を差し伸べてくれたのか、
必要とするパンはまだ売り切れてはおらず、さらに俺自身の昼食もゲットできた。
あとは飲み物を購入すれば依頼の品は全て揃い、俺も意気揚々と部室のドアを開けることが出来る。
代償として知らない奴に足を数回踏まれ、さらに二回ほど肘打ちを食らってしまったが、
あの御二方の逆鱗に触れることに比べたら、足や横腹の痛みなど蚊が刺したようなものだ。
「さてと……ん?」
乱れた服装を正しながら、戦場となった食堂から数メートル離れたところにある自販機へと向かう。
するとそこには、ちょうどお尻をこちらに突き出すような格好でジュースを取り出す、
俺たちの学年のクラス担任および世界史の教師である黒井先生の姿あった。
その姿を目の当たりにして、俺の思考はしばらく停止してしまう。
いつもは小豆色のスーツを着ている先生だが、クリーニングにでも出しているのか、
今日は灰色のキャリアスーツを着用しており、これぞ女教師と呼ぶべき姿をしていた。
そのヒップラインが強調されるタイトなスカートから伸びるのは、
黒のストッキングを履いた、一見スレンダーでありながら適度に肉好きの良い脚。
ふくらはぎの辺りは肌が薄く透け、その艶かしさを際立たせていた。
それは俺のような健全な青少年にとっては、目の保養を通り越して刺激の強すぎる光景で、
俺の視線はそこへ縫い付けられてしまい、思わず呼吸をすることも忘れるほど心奪われ、
まるで美しく香り立つ一輪の花に眩んで、ユルユルと羽ばたく蝶々のように、
まるで光をも取り込む大質量ブラックホールに捉えられ、徐々に引き寄せられる宇宙船のように、
何か大きな力に背中を押されるような感覚を抱きながら、先生の元へ近づいていった。
俺が送るスケベな視線を察知したのか、それともただ足音に気が付いただけなのか、
ジュースを取り終えた先生は後ろを振り返り、頭に血が昇ったのだろう、
その僅かに紅く染まった顔に、八重歯付きの微笑を浮かべた。
何もそれは特別なものではなく、男女問わずどの生徒に対しても向けられる笑顔で、
あくまでも一人の教育者として心に抱く、一種の母性とも言うべき感情から生じるものなのだろうが、
それでも俺の姿を確認して笑いかけてくれるほど、先生と親しくなれたというのは嬉しいことだ。
「なんや、キョンも飲みモン買いに来たんか?」
「そうですけど」
「それはラッキーやったな」
「何のことですか?」
いまだに頭を離れぬあの後姿……確かに男としてはこれ以上無いというほど良い思いをさせて頂いた。
しかし黒井先生はまさかそのことを指して「ラッキー」だと言っているのではないだろう。
どこか怪しく見えるその笑顔の裏には何かしらの罠が仕掛けてありそうだ。
「ほら、これやるわ!」
ちょっとした不信感を抱いていた俺に向かって、先生は依然として笑顔を崩さぬまま、
つい今しがた自販機から取り出したジュースを、勢い良く放り投げた。
それは緩やかな放物線を描いて飛んできて、ちょうど一回転して俺の手の中に落ちた。
自販機の取出口へ落下した際の衝撃か、長細い紙パックはカドが少しだけ潰れている。
「これ今買ったやつじゃ……」
「ちゃうねんちゃうねん、ウチのはコレや」
そう言いつつ掲げられた先生の手には、確かに全体が黄緑色をしていて
そこに白い字で「緑茶」と書かれた紙パックが握られている。
水戸黄門の印籠のようにしてお茶を見せ付ける先生の、その威厳ある御姿。
思わず「ははぁー!」とこの場にひれ伏してしまいそうだ。
「コレ買うたらクジで当たってんけどな、2つも飲まれへんし」
やたらと嬉しそうに語る先生を不思議に思いながら、何気なく視線を落とす。
自分の手の上にある物体を見て、先生が何故ずっと微笑んでいたのか、
その理由を多少なりと理解することが出来た。
『イチゴミルク抹茶オーレ』
適当に言葉を羅列したと思われるだろうが、これこそが俺の受け取った飲み物に与えられた名称だ。
ここで商品名を前後に分けて考えてみると……「イチゴミルク」に「抹茶オーレ」と、どちらも単体で存在している。
恐らくこれは「イチゴ+牛乳」が成立し「抹茶+牛乳」が成立するのであれば、
「イチゴ+抹茶+牛乳」も当然成立するはずだという安易な発想から生まれた飲料なのだ。
なんというか、麻婆豆腐と麻婆茄子を合わせて麻婆豆腐茄子とするようなものだろう。
しかしそれが本当に成立するのか?
俺にはどうも……夫と妻と二号さん、もしくは間男が一つ屋根の下で暮らすような、
考えただけで恐ろしい、昼ドラ顔負けの三角関係に思えてくる。
俺はこの飲み物が、塩素系洗剤+酸性洗剤をも上回る壮絶な破壊力を持っているような気がして、
ついパッケージのどこかに「まぜるな危険!」の表示が無いか探してしまった。
「何を一人でブツブツ言っとんのや?」
「いえ、なんでも」
さて、ことの経緯が何となく分かってきたところで、
数分前にここへやって来た先生の様子を想像してみることにしよう。
学食の入り口より数メートル離れたところにある、当たりクジの付いた自動販売機。
街で良く見かける、同じ数字が三つ揃うともう一本タダで貰うことができるというものだ。
その自動販売機でお茶を買った黒井先生だったが、大して期待はしていなかったものの、
見事に番号が揃い、まるで祝福してくれているかようにチカチカとボタンが瞬いた。
そこで先生は「どうせ当たったのなら……」と目を瞑り、適当に選んでみることにした。
手探りで左右バラバラに二つのボタンを選び、指先に力を込めて押す。
やがて音を立てて落ちてきたものが、ゲテモノらしさを前面に押し出した怪しい飲み物だった。
「こんなん不味いに決まっとるやんけ……でも捨てるのもなぁ」
本当にそう言ったのかは知らんが、それに近いことを思いつつ眉間にシワを寄せたはずだ。
するとそこへ何も知らない一人の男子生徒、つまりこの俺が、
鼻の下を伸ばしに伸ばしたマヌケ面を引っ提げてフラフラと近づいて来た。
先生にとってそれはまさにグッドタイミング。 俺はまさに飛んで火に入る夏の虫だ。
貰う物は夏も小袖と言うように、もしかすれば俺が喜んで貰ってくれるかもしれないし、
そうすれば先生も捨てることによる罪悪感に苛まれることなく、一石二鳥で丸く収まる。
そのような魂胆をどうしても隠すことが出来ず、だから先生は嬉しそうに笑っていたのだ。
「つまり俺に押し付けようというわけですね」
「分かっとんのやったら話は早いな」
「丁重にお断りしたいんですが」
「え、何? ありがとう? そーかそーか、喜んでくれたならウチも嬉しいわ!
また次も当たったらキョンにやるさかい、楽しみにしとってなー」
「あ、ちょっと!」
先生は早口で捲くし立てると、コツコツと踵を鳴らし半ば逃げるような足取りで去っていった。
他人の意見には聞く耳を持たず、自分の意見を押し通し、加えて他人の迷惑を考えない辺り、
今ごろ貧乏ゆすりでもしながら俺の帰りを今や遅しと待っているであろう、依頼主二人によく似ている。
とりあえずコレをどうするかはさておき、なるべく急いで部室に戻るのが懸命か。
きっと売れ行きがあまりよろしくないのだろう、手の中のイチゴミルク抹茶オーレは良く冷えていた。
「キョンキョンって結構チャレンジャーだね」
コロネパンを早々と食べ終え、牛乳を一気に飲み干したこなたは、
俺を……と言うより、俺の前に聳え立つゲテモノ飲料を指差しつつ言った。
我関せずと、ただひたすら本を読み耽る長門を例外として、
「うわっ……」
「珍しい飲み物ですね」
「お、美味しいのかな?」
結露して表面がすっかり水滴に覆われたソレを目にした、かがみ、高良、つかさは
それぞれ三者三様のリアクションを見せつつ興味津々といった様子で、
特にかがみなんぞは、生まれて初めて納豆を目にした欧米人のような表情へと変わってしまった。
概ね黒井先生から受け取ったとき、俺が一番最初に感じたのと同じ印象を持っているんだろう。
しかしただ一人、黙って三人の様子を見ていた朝比奈さんだけは違う感想を持ったようだ。
「それ結構美味しいんですよ」
「え? みくるさん飲んだことあるの?」
すかさずこなたが身を乗り出して、朝比奈さんに食い付いた。
あまりの気迫に圧倒されてか、朝比奈さんは多少オドオドしている。
「はい、あの……ここじゃないんだけど」
「そうなんだ」
「他にも色々あったんだけど、忘れちゃいました」
そう言って朝比奈さんは、チラリと俺のほうを伺い、少しはにかんだ。
ここではないとは恐らくこの時間平面ではないと言いたいのだろう。
ということは、未来はコレに引けを取らないような怪しいグルメで溢れているのだろうか?
やれやれ……未来人の味覚というものは、洗練されすぎたのかもしれない。
過去に生きる俺たちにとってそれはあまりに先鋭的すぎて、理解に苦しむものなのだろう。
「あぁこなた、それ飲みたいなら飲んでいいぞ」
「ホント?」
「貰いもんだからな」
「そっか……うん、じゃ頂戴」
てっきり「不味そうだから要らない」と言うかと思ったが、こなたはしばらく考えた後、
一度だけ頷いたかと思えば、好物でも与えてもらったような顔でストローの包装を破き始めた。
きっとこなたの中では、マズイかもしれないという味に対する不安より、
未体験ゾーンに足を踏み入れることへの好奇心の方が圧倒的に勝っているのだろう。
そういう奴だからな、泉こなたという女の子は。
とはいえ捨てるか、帰ってシャミセンに飲ませてみようかと考えていた俺にとって、
喜んでもらってくれるというのは実に有難いことだ。
「あっ結構イケるよ、ほら」
こなたは二回ほど喉を上下させると、俺にジュースを差し出した。
どうも不味いのを我慢しておいて、ワザと飲ませようと企んでいるような気がしてならないが、
俺自身、味が気になることは気になるし、怖いもの見たさが無いわけでもない。
先程の黒井先生と同じ意味深な笑顔が引っかかるが、一口くらいなら飲んでみてもいいだろう。
そんなことを考えながら、まさに今ストローに口をつけようとした矢先、
唇がそこに到達する前に、ジュースはスルリと俺の手元から離れていった。
あまりに突然のことで、長門が超能力でも使ったのかと疑ってしまったが、
長門は相変わらず手元の本に視線を落としているだけで、こちらを見向きもしない。
考えてみればワザワザ超常的な力を使ってまで、俺の少しばかりの好奇心を妨害する理由も無く、
ごく単純なことに、団長席から俺の傍まで近づいてきたハルヒが取り上げたのだった。
「どうしたんだ?」
「め、珍しい飲み物ね……私にも飲ませなさい」
「ちぇ、もう少しだったのにぃ」
何故かこなたが頬を膨らませ、ストローを咥えたハルヒを凝視している。
しかしハルヒは素知らぬ顔で口を窄め、喉を動かす。
「う~ん不思議な味ね」
こなたは「結構イケる」で、ハルヒは「不思議な味」
二人が特に不味そうではないところをみると、メーカー側も販売するに当たって
それなりに万人受けするような味に仕上げているのかもしれない。
それぞれの感想を聞いて、ますます口にしてみたくなった。
「はい、いいわよ」
ハルヒはジュースを手に持ったままで、ストローだけを俺に向けてくれた。
後は口をつけて飲むだけだが、俺にはそれ以外に、先程から少々気になっていることがある。
それは何かというと、長机の右端に座っている俺の正面にこなたがいて、
ハルヒは俺の横に突っ立っているというのが今の状況なのだが……どういうわけか、
長門を除いたそれ以外の者は俺達三人の方を凝視し、ずっと黙りきっている。
まるでハルヒの手にする物が爆弾の起爆スイッチであるかのような表情で。
「ほら早くしなさいよ!」
「あぁ」
もちろん俺の目の前にあるのは文字通りタダのジュースで、決して起爆スイッチなどではない。
俺がこれを口にしたところで、なにも爆発するわけではないのだ。
ということで気を取り直してもう一度……
「ちょっと待って! もう一口!」
「コ、コラ!」
またもや俺の唇がそこへ到達するより前に、今度はこなたがジュースを取り上げた。
こなたは少し焦ったような顔をして、ゴクゴクと喉を上下させている。
ハルヒはそんなこなたを虫の居所が悪そうな顔で、じっと睨みつけていた。
それからというもの、二人に起爆スイッチではない別のスイッチが入ってしまったのか、
「はいキョン!」
「はいキョンキョン!」
甲高い声で名を呼ばれて流石に耳が痛くなるのもお構いなしで、
ハルヒが俺に差し出せばこなたがそれを取り上げ、こなたが俺に差し出せば逆にハルヒが取り上げ、
もはやジュースは俺の手に渡ることすらなく、二人の間を行ったり来たり。
俺はその後を追って、右へ左へと首を動かすことしか出来なかった。
そして溜まらず、隣に座るかがみへ質問を投げかけることにした。
「なぁ」
「ん? なに?」
机の上にある鞄は四次元へと繋がっているのだろうか、
かがみはいつの間にかチョコレートプリッツを咥えていた。
「これは一体何が繰り広げられているんだ?」
「えーっと……二人が何をしたいのか、本当に分からない?」
「あぁ、さっぱりな」
「あっそ、多分わからないのはキョン君だけなんじゃない?」
かがみが意味ありげなことを言い、俺が頭に疑問符を浮かべている間にも、
依然二人はものすごい剣幕とものすごいスピードでジュースを奪い合っていた。
この争奪戦はきっと中身が無くなるまで続くことになるだろう。
そして……。
二人の間を何往復したのか分からないが、その時はわりと早くやって来た。
「ゾゾゾー」
「あっ!」
無意味な争いの終焉を遂げるに相応しく、マヌケで情けない音。
その反面、ハルヒの手にする紙パックは無残にも潰れ、戦いの激しさを物語っていた。
二人は唖然とした表情で、しばらくはその潰れたパックを眺めていたが、
最初に行動を起こしたのはこなたの方だった。
「買ってくる!」
「え? ちょっと、待ちなさい!」
ロードランナーのような素早い動きで出て行ったこなたに不意を付かれたハルヒは、
紙パックを放り投げ、それが地面に落下するよりも早く、こなたを追って出て行った。
勢い良くドアが閉まった後、かがみは深い溜息を付き、やれやれと両手を掲げた。
かがみが何故呆れているのか、その理由は俺にはさっぱり分からない。
高良が落ちた紙パックを拾い、床にこぼれた液体を拭き取ったティッシュと一緒に
部屋の隅に置かれた円筒形のゴミ箱に捨てて、自分の椅子に座りなおした頃、
「バタン!」
とドアが開かれ、小さな肩を上下させて立っていたのはこなただった。
その手には先程と同様、イチゴミルク抹茶オーレがしっかりと握られている。
ワザワザ新たに購入してまで俺に飲ませようとするとは、それほど美味しく、
俺にも是非この素敵な飲み物を味わって欲しいと思ったのか。
逆にそれほど不味く、俺にも是非この壮絶な苦しみを味わって欲しいと思ったのか……。
こなたは側面に貼り付けられたストローを剥がして差し込むと、
「んく…んく……はい、キョンキョン」
またも少しだけ飲んだ後、俺に手渡してくれた。
別に楽しみにしていた訳ではないが、変に焦らされたお陰か、一度は飲めないと決まったからか、
この不思議な飲み物をようやく口にすることが出来ると思うと、妙に嬉しさがこみ上げてくる。
だがパッケージに描かれたイメージ画像と、そこに記された商品名を見れば、
どうしてもストローに口を近づけるスピードがスローになってしまう。
「ちょっと待ったー!」
「……今度は何だ?」
またもや激しい衝撃音と共にドアが開き、そこには上気した顔で息を荒げるハルヒが居た。
そう……イチゴミルク抹茶オーレを片手に。
ハルヒもこなたと同じようにストローを差し、二口ばかり飲んだ後で少々乱暴に差し出した。
今俺の右手にはハルヒが、そして左手にはこなたが買ってきたジュースがある。
さらにそれぞれの手の延長上に、買ってきた本人が立っている。
ハルヒは腰に手を当て、こなたは腕を組み、二人とも妙に真剣な眼差しで俺を見ている。
「さぁキョンキョン!」
「早く飲みなさい!」
「わかってるよ」
一々中断させられる身にもなれと言いたいところだが、流石にもう大丈夫だろう。
とりあえず先に買ってきてくれたこなたの方から飲んでみることにしよう。
「……うん、なるほど」
何故か顔を紅くしたこなたが「どうだった?」と尋ねるより先に、今度は左手のストローに口を付ける。
その瞬間にハルヒが顔を高潮させたようだが、そこにどんな理由があるのかは知らん。
この二人だけでなく、皆が皆俺の感想を心待ちにしているようで、その視線がチクチク刺さる。
「どうなのよ!?」
「うん……どっちも不味い」
恐らく同じに日に、同じ工場で、同じ材料を使って、同じ人材で作られたこのジュース。
味の変わる要素は何一つとして無く、俺がこの飲み物を不味いと感じたのならば、
右手にあるのも左手にあるのも同じく不味い。
俺は何も間違ったことは言っていない……はずである。
「こんっのバカキョン!」
「蹴り殺してやるッ!このド畜生がァ―――――――ッ」
それなのに、どうして目の前の二人はワナワナと震え、俺に罵声を浴びせてくるのだ?
「はぁ……」
どうして他の連中は呆れたと言わんばかりに溜息を付いて宙を仰ぐのだ?
二人の怒りっぷりは何だ? 他の連中の呆れっぷりは何なのだ?
誰か俺に納得のいく説明をしてくれないだろうか。
結局罰(?)として、こなたから「残りはスタッフが美味しく頂きましたの刑」とやらを求刑され、
俺は否応なしに、この不味いジュースを二つも飲む羽目になった。
その間、何度も飲み比べてはみたが、いくら飲んでも結果は同じく「不味い」の一言に尽きる。
しかし一たびその言葉を口にすれば、部室全体を包んでいるこのガラスのような空気に
ミシミシとヒビが入ってしまうような気がして、ただ黙々と胃に流し込むしかなかった。
胃や食道といった内面から伝わるストレスと、二人の針のような視線といった外的なストレスを感じながら、
この元凶はジュースを貰ったあの瞬間にあるのだ。 あそこでコレを俺に渡した人物が悪いのだと、
黒井先生に怒りの矛先を向け、そこを不満の捌け口とするしか、気を静める術の無い俺であった。
イチゴミルク抹茶オーレ
是非一度ご賞味あーれ。
俺はもう二度と口にしたくない。