◆/MVRKnvFNgさんの作品です。
キョン君が少しおかしい。あたしにはわかります。
表面的には、SOS団はいつもと同じ。あたしの表面的な役割も変わりません。
コスプレは少し恥ずかしいけれど、キョン君が見てくれるならそれでもいいと思っていました。
でも、最近変なの。キョン君があたしを見てくれないようになってしまったの。
『朝比奈みくるの略奪』
「――だいたいお前はなぁ――」
「――何よキョン! あたしのやり方に文句あるわけ? ――」
また今日も喧嘩してる。あたしはお湯を沸かしながら耳を傾けていました。
最近は、よく二人で口喧嘩することが多い。もう五分以上やり合っているのかな?
そろそろお湯がいい温度になりそう。……ということは、そろそろこの口論もおしまいですね。
「――ああ、もう話にならんな」
「本当、時間の無駄だったわ」
そう言ってキョン君は涼宮さんの元を離れ、古泉君とチェスを始めました。涼宮さんは不機嫌そうにパソコンを触っています。
これだけ激しく言い争って涼宮さんの機嫌が悪くならないのかな? と思っていたけれど、古泉君が言うには、
「涼宮さんは彼と議論を交わすことでストレスを発散しているのですよ。最近、閉鎖空間がほとんど現れませんからね。
僕としてはありがたいことです」
ということらしいです。古泉君のことはどうでもいいんだけれど、要するに涼宮さんはキョン君と会話を楽しんでいるのは間違いないみたい。
……いいなあ、キョン君とあんなにお話できて。あたしは火を止めて、お茶の葉の準備を始めました。
今日のお茶は玉露のかりがねです。さすがに本物は手が出ないけれどかりがねなら味も本物に近いし、あたしにもなんとか買えます。
「参りました。また僕の負けですね」
「いい加減駒の取り方を覚えたらどうだ? ルークを犠牲にしてポーン取っても損するだけだろ?」
「いや、まさかあそこでクイーンが出てくるとは」
「俺の効き筋を見てなかったな?」
「お恥ずかしい限りです」
丁度ゲームが終わったみたい。あたしは人数分のお茶を持って配ります。まずは涼宮さん。次にキョン君です。
「どうぞ、お茶が入りました」
「あ、ありがとうございます。朝比奈さん」
キョン君は盤から目を上げて、あたしに微笑みかけてきました。あたしはこの瞬間の為だけにお茶を汲んでいるようなものです。
「熱いから気をつけてくださいね」
キョン君に湯呑を手渡します。キョン君は湯呑を受け取り――そのまま視線は盤に戻ってしまいました。
なんで? 少し前なら、さりげなくあたしの胸元を見てきたのに。最近はちっとも見てくれなくなってしまいました。
どうしてだろう? 古泉君と長門さんにお茶を配りながら、ついついそのことに考えがいってしまいます。
お茶汲みが終わると、あたしはいつものようにぼーっとキョン君を見て過ごします。
涼宮さんはずっとパソコンで何かやっています。長門さんは読書。キョン君は古泉君とずっとゲームをしています。……暇、です。
キョン君があたしに話しかけてくれるパターンはだいたい決まっています。
一つめがお茶を手渡す時。二つめは、あたしが涼宮さんに虐められている時。今日、涼宮さんはあたしをかまってくれないみたい。
ということは、あたしがキョン君と話すためにはもう一度お茶を汲むしかありません。パイプ椅子に座りながらじっとキョン君の手元を見ます。
「参りました。今度も僕の負けですね」
「いい加減お前の相手は飽きたな」
「そうですか? なら、僕の代わりに誰か……」
そう言って古泉君は立ち上がりあたりを見渡します。涼宮さんはパソコン、長門さんは読書に夢中です。
あ、古泉君と目が合いました。あたしは椅子から立とうとして――
「長門、相手してくれ」
結局、立ち上がることはできませんでした。あたしの代わりに長門さんは立ち上がり、古泉君の席に座りました。
――あたしのが暇だと思うんだけれどな。あっいけない。あんまり握りしめるとエプロンにしわがついちゃいます。
「ルールはわかるか?」
長門さんは首を小さく横に振りました。
「そうか」
そう言ってキョン君はルールの説明を始めました。いつでもお相手できるようにあたしも長門さんと一緒にルールを聞きます。遠くから。
「参った」
「……そう」
三戦目で長門さんが勝ちました。こんなに早く上達するなんて、やっぱり長門さんはすごいです。
「もう少しくらいは勝たせてもらえると思ったんだけどな」
キョン君が頭をかきながらお茶をすすりました。いけない。早く次の準備をしないと。
ゲームが終わり長門さんは読書に戻りました。キョン君は仏頂面をしていました。古泉君も席に戻り、そんなキョン君に話しかけます。
「そんな不機嫌になるなら何故長門さんに相手を頼んだのです? 彼女を相手取ればどうなるかくらい予想はついたはずですが」
「あいつは放っておくとずっとひとりでいそうだからな。ちょくちょく声をかけてやらないといけないのさ。ま、勝ち負けはその次だな」
ずっとひとりでいそうだから。だから長門さんは声をかけてもらえます。
でも、ずっとひとりでいるあたしにキョン君は声をかけてくれません。なぜですか?
「みくるちゃん! 沸いてる! 沸いてるって!」
「わきゃあ!?」
涼宮さんの声で沸騰しているやかんに気がつきました。慌てて火を止めます……冷めるまで使えませんね。
「どうしたのみくるちゃん?」
「いえ、ちょっとぼーっとしちゃってて……」
「萌えるわ! とうとうみくるちゃんもわかってきたみたいね!」
誤魔化し笑いを浮かべると、涼宮さんが後ろから抱きついてきました。手が胸に伸びてきて、おもいっきり掴まれます。
「ああわわわうー、やめてくだしゃーいい!」
これがキョン君の手だったらよかったのに。 そう思って視線を向けると、ちょうどキョン君がこっちへ歩いてきていました。
「おいハルヒ、やめろ!」
力強い手があたしの肩にぐっとかかり、涼宮さんは離れて行きました。
「何よキョン、あたしとみくるちゃんのスキンシップを邪魔する気?」
「どう見ても嫌がっていただろうが! まったく、朝比奈さんはお前のおもちゃじゃないんだぞ?」
「みくるちゃんが可愛いのがいけないのよ!」
「どういう理屈だよそりゃ……」
またキョン君と涼宮さんの口論が始まりました。あたしは置いてけぼりです。
二人はさっきと同じようにふいっと顔を背けて元の場所へと戻って行きました。あたしもパイプ椅子に座ります。
キョン君は古泉君とまたゲームしています。今度は囲碁です。涼宮さんはまた画面とにらめっこしてます。長門さんは本を読んでいます。
あたしは……お湯がもう少し冷めるまで暇です。
あたしはSOS団、いえ、キョン君にとってどんな存在なんでしょう? 時々考えます。
キョン君にとって涼宮さんは、仲のいいけんか友達みたいな感じでしょうか? 毎日あれだけけんかしても険悪な雰囲気にはなりません。
確かに、キョン君も涼宮さんもそれを楽しんでいる感じがあります。
長門さんは……保護しなくちゃいけない小さい子でしょうか? キョン君はいつも長門さんの事を気にかけています。
古泉君はキョン君の友達ですね。なんだかんだ言っていつも一緒にいる気がします。
三人が三人とも、キョン君の中ではかけがえのない存在だということは簡単にわかります。
――じゃあ、あたしはキョン君にとって何なのでしょう?
少し前までは、あたしはキョン君にとっての『目の保養』係をしていました。
あたしはキョン君に見られるのは好きだったからそれはそれで嬉しかったです。
けれど、最近は見てくれません。
自発的に話しかけてもくれません。
あ、お湯が丁度良く冷めました。あたしはお茶を淹れ、再び配りに行きました。
「どうぞ、キョン君」
「ありがとうございます」
キョン君は一度あたしに微笑んで、また碁盤へと視線を戻してしまいました。
――ねえ、それだけなんですか?
涼宮さんとはたくさん話すし、長門さんのことはたくさん気にかけてるし、古泉君とはたくさん遊んでいるのに、あたしには何もないんですか?
結局、今日の活動ではこれ以上キョン君と話すことはありませんでした。
メイド服を脱いで制服に腕にを通します。みんなが出て行ってから着替えるので、あたしはいつも最後です。
ひとりぼっちで廊下を歩いていると、声が聞こえてきました。あ、キョン君の声です。
ひょっとしてあたしを待っててくれたのでしょうか?ちょっとわくわくして角を曲がりました。
「――ていうことなんですよ」
「なるほど、さすが高良だな。勉強になったよ」
キョン君、誰ですか? その人。
「あ、朝比奈さん、今帰りですか?」
「ひゃっ……はい。着替え終わったので帰ろうかと」
「そうですか。お疲れさまでした」
キョン君と一緒にその人も微笑んで頭を下げてきました。なんか、勝ち誇ったような嫌な笑みです。
「そうそう、早くしないと泉さんたちに怒られてしまいますよ?」
「なに? もうそんな時間か。朝比奈さんすいません、これからちょっと用事があるんで」
「そうですか……ああ、気にしないでください。あたしも鶴屋さんにちょっと用事がありますから」
途中まで一緒に帰りませんか? 一番言いたかったことは言えなくなってしまいました。
「それでは失礼しますね、朝比奈先輩」
その人は優雅に一礼して、キョン君と歩いて行きました。
「それにしても今日は蒸しますね。もう夕方ですのに」
「た、高良! はしたないからやめないか!」
「あら、あたしったら……ごめんなさい、キョンさん」
制服の胸元をパタパタとするのをキョン君が諫めています。でも、あたしはしっかりと見ちゃいました。
キョン君、目線が胸元に行っていました。あの女、あたしを見てうっすらと笑っていました。
「そっかぁ……」
キョン君があたしを見てくれない理由が分かった気がします。こいつのせいだったんですか。
こいつがあたしからキョン君を奪ったんですね?
「返してもらわなくちゃダメですよね」
盗られたものはきちんと返してもらわないと。その役目はあたしのものだったんですから。
ふと、自分が拳を握ったままでいることに気がつきました。石膏みたいに真っ白になっています。
――どうすればキョン君を返してもらえるのでしょうか?
丁度その時、あたしの中のTPDDが反応しました。なんでしょう? あたしはそれに意識を傾けました。
「はぁ……」
涼宮さんの言いつけで着替えをしなければいけないから、毎日一番早く部室に来て一番遅く部室を出ます。
こんなことにも慣れてしまいました。溜息をついた時、床にほこりをみつけました。
どうせ誰かがくるまで――いえ、誰かが来てもあたしは暇なんです。ついでにやっちゃいましょう。
ロッカーから箒を取り出して、さっさと掃きます。ちりとりに集めてゴミ箱に。まだ誰も来ません。
「キョン君と……かぁ」
未来からの指令。次の日曜日、キョン君と共に行動せよという命令です。行き先、時間、すべてが決められていました。
それも最優先コードです。何故そんなことをしなくてはいけないのでしょうか?
理由を申請したのですがリジェクトされてしまいました。あたしには知る権限がないみたいです。
それでも、キョン君を誘える大義名分ができたのはうれしいです。とてもうれしいのですが――
「……はぁ……」
専用のパイプ椅子に座ります。最近、溜息をつくことが多くなりました。
未来の指示のこと、キョン君のこと。材料はいくらでもあります。
――キョン君ともっと話したいです。キョン君に気にかけてもらいたいです。キョン君と遊びたいです。
みんなにはできてあたしにはできないことばっかりです。誰でもいいからあたしと代わって欲しいな。最近強く思います。
この時代でお友達を作るということはあたしにとって『禁則事項』です。
だから、どれだけ望んでもお友達になることはできません。
涼宮さんは監視しなくてはいけない人。長門さんと古泉君はちがう組織の人。
鶴屋さんとでさえ、これ以上仲良くなることを禁止されています。
でも、それは『禁則事項』だから仕方がないんです。
――だけれど、キョン君だけは違います。
涼宮さんのカギとなる人だから……なのかもしれませんが、キョン君への接触だけは制限が他の人に比べてずいぶんと緩くなっています。
あたしは、この時代ではお友達を作ることができません。でも、あたしはこの時代で生きています。
あたしはこの時代で頼れる人はいません。ただ、キョン君だけは例外です。
いつのまにかキョン君に気持ちが傾いていたとしても、それは仕方のないことなんです。
「……ふぅ……」
どれだけ溜息をついても気が晴れそうにないです。あたしにはキョン君しかいません。
だけど、キョン君の周りにはたくさんの人がいます。だから、あたしはキョン君に近寄ることはできません。
どれだけ望んでも、あたしの心にかけられた『禁則事項』の鍵があたしを縛っているからです。
この時代で頼れるただひとりの人なのに、あたしには近寄ることができません。
唯一心に壁を作らなくてもいい人なのに、キョン君はいつも壁の向こう側にいます。
だからいつしか、あたしと彼の間には必要のない壁ができちゃいました。
酷いですよね。これならいっそ――
「朝比奈さん?」
突然横から、声がしました。
「えっ、あっ。ふぁ、はい!」
立ち上がる時にうっかり箒を取り落としそうになりました。あわてて抱きとめます。
「ああっ。キョンくん……いつの間に……?」
「いつの間にって、ちゃんとノックもしましたが」
いつもは涼宮さんと一緒だからすぐに気づくんだけれど……嫌だ、恥ずかしいです。
「え。そうなの? やだ、全然気づかなくて……ご、ごめんなさい」
顔がカーッと熱くなるのを感じて頬を隠そうとして、まだ箒を握ったままだということに気付きました。
「ちょっと考え事を……そのぅ、してました。やだ、ほんと」
キョン君の視線から逃げるようにロッカーに駆け寄り、手に持っていたものをしまいます。
そのまま深呼吸……よし、だいぶ落ち着きました。キョン君の方を振り向きます。
なにやら、難しそうな顔をして唸っていました。――そんなにあたしとふたりだけっていうのは面白くないの?
話題を振らなくてはいけないと思っていても、キョン君におもしろくない顔をされるのが怖くて適当なことは言えません。
どうすればいいんでしょう? あたしはどんな顔をして何を話せばいいの?
――あ、そうだ。日曜日のことを話さないと。
「涼宮さんは? 一緒じゃないの?」
未来からの指示は、涼宮さんがくる可能性があったら話せません。まず、確かめます。
「あいつなら掃除当番ですよ。今ごろ音楽室で盛大にホコリをまき散らしていることでしょう」
「そうですか……」
肩をすくめるキョン君を見て、話すなら今しかないと思いました。
「キョンくん、あの、お願いが……」
かちゃり。ノブをひねる音が聞こえました。あわててそちらに目を向けると、長門さんがいました。
「……」
長門さんと目が合いました。「あなたが何故彼と話しているの?」と言われている気がして、少し怖くなります。
あたしはキョン君からそそくさと離れました。
「あ、そうだ。お茶、お茶いれますね」
あたしは冷蔵庫を開けました。そこにはお茶をいれるためのお水が――ありませんでした。
「あや……。お水が切れてる……。ううん、汲んできますね」
あたしはやかんを持って部屋を出ようとしました。今、長門さんと同じ所にはいたくありません。
だって、きっとキョン君は長門さんに取られてあたしはひとりぼっちになるから。
同じひとりぼっちなら、お水を汲みに行った方が気が紛れます。
「俺が行きますよ」
キョン君の手があたしの持っているやかんに伸びました。
「外は寒いですし、その格好は他の生徒には目の毒です。関係者以外に無料で見せるもんじゃありませんよ。
水飲み場はすぐ下だから、これからひとっ走り……」
「あ、あたしも行きます」
キョン君はあたしのことも気にかけてもらえてる。とても嬉しかったです。
でも、長門さんとふたりっきりになるのはとても怖いです。それに、あたしはキョン君に話さなくてはいけないこともあります。
あたしはやかんを持って部屋を出るキョン君の後を追いかけました。
「あ……待ってくださぁい」
キョン君の歩幅は大きくて、ついていくのが大変でした。
「キョンくん」
意を決して、やかんにお水を注ぐキョン君に話しかけました。
「今度の日曜、ヒマですか? 一緒に行って欲しいところがあるの」
未来からの指示のことはまだ秘密にしないといけません。
――キョン君に拒否されたらどうしよう。あたしは震える手を握り締めました。
「もちろんヒマです」
キョン君はそう答えました。ということはキョン君、一緒に行ってくれるの?
「ええ、もちろん」
そう答えた後、急にキョン君の顔が強張りました。ひょっとしてダメなの?
キョン君の顔は何か苦いお薬を飲んだようになりました。これは涼宮さん絡みでなにかがあった時の顔です。
――あ、ひょっとして。
「いえ、大丈夫です」
あたしは手をパタパタと振り、急いで否定しました。
「過去にも未来にも行きません。ええとね。デパートまでお茶の葉を買いに行きたいの。キョンくん、一緒に選んでくれる?」
――もし、キョン君があたしを嫌っていたら、涼宮さんが関わっていないと知れば一緒に来てくれないでしょう。
心臓があたしの胸の中で跳ねまわっているみたいです。
それでもキョン君は、ほっとしたように表情を緩めて頷いてくれました。――よかったぁ……。
「みんなには、内緒で……。ね?」
あたしは人差し指を口に当てました。キョン君があたしとお出かけをしてくれる。それだけであたしは幸せでした。
この後の活動ではキョン君もみんなも話しかけてくれませんでしたが、日曜日の事を考えるとあたしの心は躍るようでした。
「――うふふふ」
みんなが帰った後、あたしは着替えながら、さっきのことを思い出していました。
日曜日、何を着て行こうかな? この時代のファッションには疎いですから、鶴屋さんに助けてもらおうかしら?
着替え終わって、メイド服をハンガーにかけました。それからカーテンを開けます。
「あ……」
キョン君達が帰って行くのが見えました。となりにはあの女がいます。
楽しそうに帰っていくキョン君達を見て、あたしはなんだか悲しくなってきました。
あたしはキョン君にあまり話しかけてもらえません。わかっています。
だってキョン君のまわりにはいつも人がいて、あたしが入り込む場所はないのですから。
でも、それはSOS団の中「での」話だと思っていました。
けれど、ちがいました。キョン君は、SOS団の中「でも」みんなの中心だったんです。
あたしは、SOS団の中だとみんなの中で「ひとりぼっち」。SOS団から離れてしまうと本当に「ひとりぼっち」。
あたしが「ひとりぼっち」にならなくていいのは、キョン君とふたりっきりのときだけなの。
――あの女のことを考えると、心が濁っていくような感じがします。
キョン君を盗っていくのが許せません。けれど、あたしにはあの女に干渉する権限がないのです。
キョン君が盗られて行くのを、ただ指をくわえてみているしかないんでしょうか?
ならいっそ――
「――いけない、いけない」
ついつい暗くなってしまいます。こんなときは「えいえいおー」です。
ぐっとやる気のポーズを取って自分をはげまします。
一生懸命頑張ればいつかはキョン君もあたしをみてくれるはずです。いつの間にか
空にはお星さまが出ていました。
きらきらと光っているのが、あたしに話しかけてくれている気がしてすこしうれしかったです。
「少し早く来すぎちゃったかな……?」
あたしは駅前でぽつんと立っています。時計を見ます。ここに来てからもう四時間経ちました。
「キョンくん、遅いなぁ……」
時計を見ます。この時代の時計の読み方もだいぶ慣れました。
「どうしちゃったのかなぁ……」
時計を見ます。待ち合せの時間まであと三十分です。
「来てくれるかなぁ……」
時計を見ます。あと二十分です。待ち合せ時間が近くなるにつれて、時計を見る回数が増えて行きます。
――今日は一日キョン君と一緒にいられる日です。あたしとキョン君だけの一日。本当、夢みたいです。
おしゃれにも結構気を遣っちゃいました。キョン君、よろこんでくれるかな?
温かい格好をしているけれど体はだいぶ冷えちゃいました。待ち合せまであと何分だろう?
あたしは時計を見ようとして、こちらに向かってくる人に気付きました。ほっとして手を振ります。
「すみません、お待たせして」
キョン君が微笑みました。
「いえ……」
そう言いながら視線を少しずらして駅前の時計を見ました。待ち合せ十五分前です。
大丈夫ですよね? 約束の時間よりも早く来てくれたんだから、嫌々ここに来たっていうことはないですよね?
「あたしもさっき来たとこ……」
ようやく笑顔が作れました。まずはデパートに行きます。お茶を買いに行かなくてはいけません。
部室で使うお茶の葉がそろそろなくなりそうでしたから丁度いいですね。
キョン君とうなずきあって一歩踏み出しました。となりを見ます。
――誰もいませんでした。そのまま体を半回転してうしろを見ます。キョン君はあたしの一歩後ろを歩いていました。
あれ、キョン君の歩くペースってもっと早いはずなんだけれどな。
「さぁ、行きましょう」
すこしペースを落としました。キョン君も同じようにペースを落とします。
――あたしのとなりを歩いてはくれないの?
何度もうしろを振り返りましたが、キョン君は決してあたしのとなりにはきてくれません。
あたしの一歩後ろを歩くキョン君を背中に感じながら、少し悲しくなりました。
デパートのお茶屋さんでも、いっしょに並んで選んでくれません。
あたしから距離を取って不機嫌そうにお店を眺めているだけです。
ねえ、キョン君。あたしといるのはそんなにつまらないですか? こころが折れそうです。
せっかくキョン君と二人っきりだっていうのに逃げてしまいたいけれど、お茶屋さんを出る時間も決められています。
「せっかくですから」
――そんな時は「えいえいおー」です。あたしは自分を励まします。
「お茶、飲んでいきませんか? ここ、お団子もおいしいんです。買ったばかりのお茶も淹れてくれるし……」
キョン君が頭を縦にふってくれました。ほっとして、お店のおじさんにお団子とお茶を注文しました。
あたしとキョン君はお店のテーブルでお茶を囲みます。みたらしのお団子に今日買ったのと同じお茶です。
キョン君は黙々とおだんごを頬張り、お茶をすすっています。話しかけていいのでしょうか?
あたしにはそんなこともわかりません。
涼宮さんならどうするかな? きっとキョン君が何をしていても平気で話しかけられそうです。
長門さんは? キョン君の方から話しかけてくれます。
古泉君は……同じ男の子同士だし、キョン君に話しかけるタイミングをしっかりわかっているみたいですよね。
――あたしは涼宮さんや古泉君みたいにキョン君に話しかけることも、長門さんみたいに話しかけられることもありません。
はじめにその壁をつくっちゃったのはあたし。その壁を壊せないのもあたし。
あたしは、黙々とお団子を食べることしかできません。
「うまい団子ですね。お茶もいい。さすがは朝比奈さんの選んだお茶です。いやぁ、おいしいなぁ」
しばらくしてキョン君が話しかけてくれました。
どことなく大げさによろこぶ姿をみると、よろこんでいいのか悲しんでいいのかわからなくなります。
――キョン君、なんでそんな他人行儀な笑顔をあたしに向けるのですか?
「うん……」
いたたまれなくなってお団子に視線を落としました。
キョン君、なんで他のSOS団のみんなとあたしに見せる顔がちがうんですか?
別にキョン君と特別な関係に……なれたらいいなとは思うけれど、そこまでは望んでいません。
でも、せめて、他のみんなと同じように扱って欲しいんです。
あたしだけ仲間外れは嫌なんです。なんでわかってもらえないんですか?
――あ。
あたしの中のTPDDが呼びかけてきました。まだ任務が終わる時間ではないのに……。
でも、いいです。あたしはこの空気から逃げるように、TPDDへと意識を傾けます。
――提案コード? 最低のランクに位置する指示です。こんなランクの指示を受けるのは初めてです。
能力が低いあたしでも拒否できる……つまり、現場の判断で実行するかしないか決められるくらい重要度の低いコード。
なんで? 今、最優先コードの実行中ですよね? なんでこのコードが送られてきたのでしょうか?
あたしは提案コードの中身を確認しました。
――心臓がとまるかと思いました。
提案コードには実行する手順、実行する理由、すべてが詳細に記されていました。こんなのは初めてです。
そして、その内容の恐ろしさにあたしは凍り付きました。
頭がぐらぐらとします。手が震えそうになります。そして、何より恐ろしかったのは……。
――あたしは一瞬、そのコードを魅力的だと思ってしまいました。それが一番恐ろしかったです。
冷え切った体を温めようとしてお茶を飲みました。
体がぽかぽかとしていくにつれて、あたしの中の凍った部分が融けていくようで心地よかったです。
気付けば、そろそろデパートを出なくてはいけない時間になっていました。
あたしは財布を取り出します。キョン君も立ち上がり、ポケットに手を差し込みました。
「いいんです。今日はあたしのお願いで来てもらったんだから。ここもあたしが」
あたしはキョン君を止めました。
「いや、そういうわけには、ちょっと」
キョン君は渋い顔をしました。
「本当にいいの。だって、いつもキョンくんには奢ってもらってるもの」
そう、キョン君はいつもあたしたちに奢ってくれています。だから、たまにはあたしが出してもいいでしょう?
「それは……」
それでもキョン君はお金を出そうとします。――あたしに奢られるのは嫌なんですか?
「お願い」
お願いします。あたしの事を嫌っていないなら……
「あたしに出させて」
あたしは祈るようにキョン君を見つめました。
キョン君はなんとかうなずいてくれました。……よかった。あたしは財布を握りしめ、レジへと向かいました。
支払いを済ませ、あたしは早足でデパートを出ました。悪いものから逃げるように。
その後もあたしは提案コードを振り払うように町中を歩き続けました。
余計な考えが浮かばないように、時計と手順だけに集中します。キョン君はきちんとついてきてくれています。
川沿いの道を歩き、県道に出てました。今のところ、時計通りに進めています。
踏み切り近くの交差点が赤色に灯っているのも規定事項です。あ、青に変わりました。あたしたちは渡ろうとして……。
うしろから子どもがぱっと飛び出しました。一目見ただけでわかりました。
あの子はあたしたちにとって、ものすごく大切な人です。
その子に向かって、くすんだ緑色の自動車が走って行きました。あたしは雷に撃たれたように動けませんでした。
はっと気づいた時にはみんな終わっていました。キョン君が間一髪その子を助けて、大ごとにはなりませんでした。
「これだったんだわ……」
運動が得意ではないこともありますが、あたしではこの子を助けることはできませんでした。
「だから……そうだったの。それで、あたしをここに……」
だってあたしは未来人だから。過去を変えるのは、その時代に生きている人じゃなければいけないから。
だからキョン君と一緒じゃなくちゃいけなかったんだ……。
――なんで、こんなに大切なことを教えてくれなかったんですか?
あたしはそんなに役に立たないんですか? あたしのいるべき場所からも見限られた気がして、とても悲しく思いました。
どこをどう歩いてきたのかまるで覚えがありません。気づいたら、キョン君に連れられて公園にいました。
ふたりでベンチに座ります。あたしは、キョン君にもたれかかった、自分の情けなさを吐きだし続けました。
今日キョン君を誘った理由、あの子のこと。あたしが能力不足だから誰の役にも立てないこと。
話せば話すほど自分のなさけなさが悲しくなります。
あたしには何のとりえもありません。ただ、上の命令でこの時代にいて、何かあったらキョン君に助けてもらうだけの存在です。
キョン君のためにできることといったら、着替えてお茶を出すくらいしかないんです、あたしには。
だから、キョン君に見られるのはうれしかった。あたしが認められているように思えてたまらなくうれしかったんです。
でも、最近は……。
キョン君はしっかりとあたしの言葉を聞いてフォローしてくれます。なぜでしょう、なぐさめられると悲しくなります。
本当、あたしはダメダメです。
「それに、あの時だって、あたしは何も解らないまま……」
記憶を掘り返すと泣きたくなることばかりです。あの時、十二月十八日。
結局あたしは何も知らないままキョン君に教わる様な形で過去へと行き、過去のキョン君が刺されたのに動転して、
気がついたら長門さんのマンションで寝ていました。
あたしが眠っている間にすべて決着がついてしまっていて……本当、未来人失格ですよね。
「違います」
キョン君の言葉に、あたしはドキッとして振り返りました。
さっきまでのようなお客さん用の声色ではなく、キョン君自身の――涼宮さんや長門さんに向けられているような声。
それが初めてあたしに向けられています。とても驚きました。
キョン君は何かを言おうとして口をつぐみ、そして口を開いて考えこみ、一言「そうか」と言いました。
なにか伝えなくてはいけないことなのにうまく言葉にできない。そんな感じに見えます。
「朝比奈さん」
「はい?」
ものすごく真剣な目です。キョン君が大事なことを言おうとしているのは、それを見るだけでわかりました。
「ええと、ですね。実は……朝比奈さんは……何というか、けっしてハルヒのオモチャ代わりではなくて、あー、なんだ。
水面下というか、背後でというか、えー。うう」
そこまで言って、キョン君の顔に困惑の色が浮かびました。焦っているようにも見えます。
なんか、言うことを無理やり探してるんじゃなくて、言ってはいけないことを除こうとして何も言えなくなっているみたい。
「あのですね……いや……」
あたしにも覚えがあります。『禁則事項』として制御されている内容は、けっして表に出すことはできません。
だから、言いたくても言えないという悩みはものすごい身近にあります。――ああ、きっとキョン君もそうなんだ。
なんとか言葉をひねり出そうと頭を抱えるキョン君を見て、あたしの憂鬱は少しづつ晴れて行きます。
「……うーむむ」
とうとうキョン君は腕を組んで黙ってしまいました。
「キョンくん、もういいです」
そう言うと、キョン君は慌てて顔を上げました。あたしはキョン君に向かって笑顔を作ります。
いつのまにか、あたしの憂鬱はなくなっていました。
「もういいです」
繰り返しました。キョン君がそんな気まずい顔をすることはないんです。
「わかりましたから、キョンくん、その……」
あなたが何かを知っていて、それはあたしに言ってはいけないことなんですよね?
でも、あたしを救ってくれる言葉がそこにあるんですよね? なら、いいんです。
それを伝えようとしてくれただけで、あたしは十分です。
「何も言わなくていいです。それで、もう充分だから」
言葉ではなく、心で伝わりましたから。
「あ、」
キョン君の顔に理解の色が浮かびました。
「うん」
あたしはしっかりとうなずきました。もう大丈夫。キョン君にそう伝える代わりに深く、大きくうなずきました。
「そうっすね」
キョン君も笑顔で応えてくれました。――それも、いつものとはちがう自然な笑顔です。
初めてキョン君と通じあえた気がして、とてもうれしかったです。
そうか、やっぱりあたしはキョン君とふたりきりでなくちゃいけないんだ。
ふたりっきりならキョン君とたくさんお話ができます。ふたりっきりでいたから今、キョン君と心が通じました。
あたしは、久しぶりに感じた、本当に久しぶりのしあわせに体が浮いちゃうみたいでした。
「あら、キョンさんに朝比奈先輩。こんにちは」
あたしとキョン君だけの時間は唐突に打ち切られてしまいました。体は、急に重力を思い出したみたいに重くなります。
――誰なんですか、なんであたしとキョン君の邪魔をするんですか、どうして放っておいてくれないんですか。
あたしは振り返り、そして凍り付きました。
こいつ、なんでここにいるんですか?
「おう、み……高良。奇遇だな。どうした?」
「ちょっとお散歩していたんです。この公園は近所ですからね」
そう言ってこいつはこちらに向かってきます。来ないでください。
あたしとキョン君の間に割り込まないでください。――あなたが壁になって、またキョン君が壁の向こうにいってしまうじゃないですか。
それでもこいつ――高良さんはにこにこしながらこちらへと歩みよってきます。
ふたりっきりの時間はまるで夢のように朧げで、あっというまに覚めてしまうものでした。
「あっと……」
なにかにつまづいたように、たからさんは前のめりになって、こちらへと向かってきました。
あたしは避けることができず、そのまま――
足を踏まれました。おもいっきり、ぐりっと。ものすごく底の硬い靴でした。
「いたたた……」
高良さんはその場に座りこみました。なにか落し物を拾うみたいに。――キョン君、だまされないでください。
「おい、大丈夫か?」
「ごめんなさい、つまずいちゃって……」
高良さんは左足首をさすりながらそう答え、キョン君はそれに駆け寄りました。
――うそ。本当にひねったのなら、ただの事故なら、あたしの足がこんなに痛いわけないじゃないですか。
「痛……」
「どうした?」
「足をひねっちゃったみたいで……」
高良さんはこちらをちらりと見てきます。それにつられてキョン君の視線もこちらに向きました。
うそ、うそ。あり得ないです。足を挫くような踏み方じゃない。あれは絶対狙ってやったんです!
「キ、キョンくん、あた、あたし……」
あたしは悪くない、あたしはなにもしてない、何かをしたのは高良さんの方です!
そう叫びたいのに、声が出ません。
『禁則事項』、あたしはこの時代にいる人を傷つけることはできません。それが肉体的なものであっても、精神的なものであっても。
だから反論することもできません。言わくてはいけないのに、あたしの喉は動いてくれませんでした。
「大丈夫ですよ朝比奈さん。あなたは悪くないですから」
キョン君はあたしを落ち着かせるように、落ち着いた声で話しかけてきました。
――ちがうの、キョン君。お願いだから後ろを見て。あの女が今、どんな表情をしているのか確認して。
「ったく、仕方ないな。病院まで送ってやる」
あたしの願いが通じたのか、キョン君は再びあの女の方へと向きなおりました。
でも、そのころにはもう表情を切り替えていました。――悔しい。なんで? なんであたしばかり傷つけられるの?
あたしは誰も傷つけてなんかいないのに……。
「いえ、それなら病院よりも家の方が近いので……」
キョン君が高良さんに肩を貸して立ち上がりました。あたしは誤解を解きたいのに、口からは何も出てこず、指一本動かせません。
あたしは、『禁則事項』にがんじがらめにされていました。
「わかった。朝比奈さんすいません。高良、送っていくんで」
あたしの意志に反して頭がこくっと縦に振れました。
待って、行かないで、ひとりぼっちは嫌、行かないで、あたしは悪くない、行かないで、キョン君騙されてる、お願いだから行かないで――。
あたしはキョン君達が視界から消えるまで、ずっとそこに立っていました。
冬は、夕方が訪れるのが早いですね。もう辺りは一面真っ赤に染まっています。
「……あ、動く……」
ようやく、あたしは体が動かせることに気付きました。かじかんだ指に息を吹きかけてこすりあわせます。
全然温かくなりません。
「帰ろ……」
また明日も学校があります。キョン君に会えます。あたしは歩き始めました。
「痛い……」
一歩踏み出したところで、足がじんじんと痛んでいることに気がつきました。踏まれたところです。
なんでこんなに痛いんだろう。きっと、青くなってる。踏まれた足を踏み出す度に、痛みが電流みたいに体中を流れます。
痛みに気を取られないように別の事を考えながら歩きましょう。そう、例えば、今日のこと。
結局、今日は楽しい日でした。だって、キョン君とふたりっきりで一日いられたんですから。悪かったのは最後だけ。
待ち合わせでキョン君を待つのも楽しかった。デパートへと行く道も楽しかった。お茶を選んでいる時も、お店でお茶を飲んでいる時も――
「――あ」
思い出してはいけないことを思い出してしまいました。そう、お茶を飲んでいる時未来から指示が届きました。
提案コード。あたしが承諾か拒絶か選べるくらい、重要度の低い指示です。――あれ、あたし、なんて答えたんだっけ?
気になってTPDDに意識を繋ぎます。あった。『提案コード第872356号』。あたしの決定は……まだ出していません。
宙ぶらりんのまま、TPDDに残っている指示。
あたしは悩みました。うんと、うーんと悩みました。――そして決めました。
「承……諾っと」
ほっと一息つきました。これで未来から決定を催促されることはありません。あたしは清々しい気持ちになって目元をぬぐいました。
「ふふふ……泣き虫さんですね」
どれだけぬぐっても涙は次から次へと出てきます。あたしはそれをぬぐい続けます。
悲しくて、かわいそうなら泣いてもいいんですよね? もう足の痛みは感じません。その代わり、心が痛くなりました。
悲しくて、かわいそうで、でもあたしにはもうどうしようもなくて、つまりあたしは涙を流すことしかできません。
明日、キョン君とあの女はいなくなってしまいます。
だから、あたしはふたりのために涙を流しました。
120 名前: ◆/MVRKnvFNg 投稿日:2007/08/05(日) 20:01:01.77 ID:OKNWceqG0
みwikiさんごめんなさい。
退院した時にまだスレが残っていたら続き書きます。
(注・現在サルベージ中ですので、見つけたor続きが投下されるまでお待ち下さい。)
最終更新:2007年08月20日 10:55