相変わらず残暑が厳しいが、今日は久々に曇りで比較的過ごしやすい気温である。
陽射しも強くないので、夕方になる前に飼い犬の散歩を済ませてしまうことにした。
……そう理屈を並べて、なんとなく期待を抱きながら出発する。
「あら、みなみさん」
庭から出たところで声をかけてきたのは、私が姉のように慕う高良みゆきさん。
今日は薄着のワンピースを着こなしている。相変わらず何でも似合う人だ。
……私もワンピースを着てきた方が良かっただろうか。
そう思いはすれど、その発想がなかったのだから仕方が無い。このノースリーブと短パンで行く他になかろう。
「お散歩ですか?」
「うん……今日は涼しいので」
「ちょっとそこまで、ついていってもいいですか?」
「……どうぞ」
ちょっと想定外だが、みゆきさんが一緒の方が心強い。なにしろ、これから会うのは、
「よう、ふたりで散歩か?」
みゆきさんの同級生の……本名不詳の通称キョン先輩だからだ。
「奇遇ですね」
先輩にじゃれつこうとする我が飼い犬を制しながら、予め用意していた台詞を口にした。
つまり、私はこの時間にこの人がここを通るのを知っていた。
実のところ、今日早めに散歩をしようとした真意はこの人にある。
今までも鉢合わせすることはよくあった。あったのだが、大抵は、あいさつを交わしてそれで終わり。
しかし犬を連れていれば、散歩という用事があれば……あわよくば「いっしょにどうですか?」の一言も出てきそうなものだ。
少々強引かもしれないが、手持ち無沙汰でいるよりは上等だろう。
「奇遇というか、最近よく会うよな」
「あら、そうなんですか?」
「岩崎とはな。高良とここで会うのは初めてか……」
「ところで、キョンさん」
まず、早めに白状しておくと、私は女性として重要なある部分が著しく貧相である。胸だ。
おそらくは平均以上のみゆきさんと比べてみると、その圧倒的な差がよくわかってしまう。
お互い薄着をしている今日は特に、だ。だから、
「その……あまり見つめられると……」
「……すまん」
キョン先輩の視線が、みゆきさんに釘付けなのも無理はないことだとは思う。
……ところで先輩、私もノースリーブで薄着なんです。
胸はありませんが、あなたの前で二の腕を晒しているんです。
誰とも会わないならいざ知らず、あなたが来ることを承知の上でこの服装を選んだんです。
コメントはなしですか、そうですか。
「どうしたんだ岩崎」
「……いえ。別に」
いっしょにどうですか?
そんなことを言う気力も失せてしまった。もういいです、みゆきさんとよろしくやっていてください。
「それでは」とだけ言い捨てると、上級生ふたりを残して私と犬は駆け出した。
犬は先輩らと遊べなかったのが名残惜しそうだったが、さすがに付き合いの長い私の方を立ててくれるらしい。
先輩はともかく、みゆきさんには後で謝っておかないと。
しばらくして、雲行きが怪しくなってきた。これは一雨来るかもしれない……せいぜい夕立だろうけど。
そういえば午後からの降水確率は70%といっていた。
降り始める前に散歩できて良かった。
と、思っていたのが5分前。
私は土砂降りの中で立ち尽くすはめになっていた。
そんなまさか。いつもなら余裕で帰れていたはず……いつもより歩みが遅かったということか。
だとしたら原因は、キョン先輩以外に考えられない。先輩、恨みます。
いつまでもこうしているわけにもいかない。私もこの子も風邪をひいてしまう。
適当な軒下を見つけて、勝手にだが雨宿りをさせてもらうことにした。
「おーい、岩崎」
しばらくその場に留まっていると、迎えがやって来た。傘をさし、もう1本の傘を抱えて駆け寄るキョン先輩だった。
話を聞くに、みゆきさんの差し金らしい。気を遣ってくれたと思っていいのか……だとしたら、見透かされていることになる。
「……どうも」
正直、さきほどの怒りが収まってはいないのだが、傘を持ってきてくれたのだから邪険に扱うわけにもいかない。
……そんな言い訳ができることを、内心嬉しく思っている。
いきなり何かを被せられる。
キョン先輩の上着だった。
「着ておいてくれ。その……目のやり場に困る」
そういえば、私はさっきまで雨に打たれていた。と、いうことは。
…………っ!
やはり服が透けていた。薄着なので下着が丸見えで……確認はしていないが、下着まで透けていたかもしれない。
「……見ました?」
「……見た」
「見たんですね?」
「はい、見たんです」
じゃあ責任をとってください。
……そう言いたかったけど、生来の口下手さが邪魔をする。
いや、言わなくて良かったに違いない。自分で言うのも難だが、私の普段のイメージは冗談とは程遠い。
不用意にそんなことを言ったら本気に取られかね―――
「……その方が都合がいいかも」
「何の都合?」
「いえ、何でも」
それでいて独り言はしっかり漏れてしまうのだから仕方が無い。
そんなことより言うタイミングを完全に逃してしまった。惜しいことをした。
……何が惜しいものか。
私の胸など、見ての通り、見られても減るものではない……というか、これ以上減られたら困る。
キョン先輩だって私のぺたぺたな胸を見たところで、特に思うこともないだろう。
「そんなことはない」
いやしかし、みゆきさんの胸はしっかりと見ていたではないか。それだけで先輩の全てを判断するつもりはないが……
少なくとも胸は大きい方が女の子として意識しやすいタイプの人に違いない。
「俺だって、胸のあるなしで全てを判断するつもりはない。岩崎のことは、ちゃんと女の子して扱ってるつもりだ」
ならいいのだが。しかし私の妄想とやらもたくましい。
ありもしないキョン先輩の返事が聞こえてくるとは。
「残念ながら、実際に俺が答えている」
………………。
「岩崎――独り言には気をつけた方がいいぞ」
…………きっと私は今、とんでもなく火照った顔をしているのだろう。
何か言おうとしても、不器用な口が紡ぐのは「あうあう」ばかり。
これは恥ずかしい。というより先輩、なぜ黙っているんですか。
「いや、すまん。見入ってた」
…………なぜそんな恥ずかしいことを真顔で言われるんですか。もう「あうあう」も出ない。
「岩崎はクールなイメージがあるからさ。そういう表情もするのかと思ったら、つい……な」
はい、よく言われます。
「それに、俺の知り合いにお前とそっくりの奴がいるんだが」
はい?
「これがまた無感動な女子で……もし赤面するなら今のお前みたいになるのかな、と思うと感慨深くて」
とっちめますよ先輩。
……まあいいです。とりあえずは女の子として見てくれている、そのことがわかっただけで上々の収穫とします。
それで、次はその無感動なお方に会わせてください。
私はその人とは違う、ということを教えてあげますから。
「じゃ、そろそろ帰るか」
犬を一通り撫で回したあと、そう言って先輩は傘を差し出す。ちゃんと2本あるが、私はある決心を固めていた。
さっき言いそびれたしまった言葉。意味合いは違えど、言うのには同等の勇気を要する。
差し出された傘をそっと押し返し、怪訝な顔をする先輩を見据える。
いっしょにどうですか?
そう言おうと意を決して、ぐっと力をこめる。
しかし先輩は不意に目を細めて私から視線を逸らし。
「そうか、雨上がってるもんな」
見上げる先輩につられて視線を空に向けると、心地よいほどに青かった。
…………私のバカバカ。
しょげかえる私の横で、我が飼い犬はプルプルと水滴を払っていた。
結局、私たちは傘を無駄にして帰路についた。
しかし陽射しでいくらか乾いたとはいえ、服が濡れたのは事実。雨が強かったためか、キョン先輩もだいぶ濡れていた。
お客さんを丁寧に扱うのは当然だが……母がキョン先輩に躊躇なくシャワーを勧めたのは少々驚いた。
というより、何かを含んだような笑みをたたえて私たちを見ていたのが気になった。
言いたいことがあるならはっきり言って欲しい……私が言えたことではないのだけど。
「岩崎、先にどうぞ」
「先輩こそ」
「いや、お前の方が深刻そうだろ」
「でも……先輩はお客さまで……あ、でしたら、」
「いっしょにどうですか?」
冗談のつもりだったのだが、キョン先輩は卒倒してしまったようだ。
やはり、慣れないことはするものじゃない。
それとも、少し本気で言ってしまったのがまずかったか。
最終更新:2007年09月10日 22:26