みゆき「はい、高良と申します。どちら様でしょうか?」
くじら『あ、奥様ですか? 私、塾の――』
みゆき「……」
みゆき「お待たせしました。どちら様でしょうか?」
立木文彦『あ、奥様でいらっしゃいますか? 新聞の集金に――』
みゆき「……」
みゆき「はい、高良でございますが――」
くじら『あ、奥様。旦那様はまだお戻りになっていませんか?』
みゆき「……」
ゆかり「はいはい高良ですー。えっ? あーっ、私がそのお母さんですよ~♪」
みゆき「……」
「……ということがありまして」
珍しく沈んだ顔で高良はため息をつき、対する泉、柊姉妹は苦笑がちに「ああ」と言いたげな表情になった。
真っ先にフォローに入ったのは柊つかさで、
「ゆ、ゆきちゃんはほらっ、落ち着いてるからだよっ」
なるほど、柊妹の慌てっぷりを見ていると、確かに高良の大人びたところが強調されるな。
しかしそれは決して老けているという類のものではなく、むしろ賞賛の対象であって落ち込む必要はないと思うぞ。
「そうそう、老けてるっていうのはキョンのことを言うのよ」
「いらん横槍を入れない!」
うちの団長の暴言に、すかさずツッコミを入れる柊かがみ。やはりツッコミ役が多いと助かるぜ。
こちらの面々ときたら、無口、天然、イエスマンとまるで戦力にならないからな。
「どうもすみません」
「改善する気ゼロの笑顔で言われてもな」
そういえば、古泉は『落ち着いてる』を絵に描いたような奴だな――まあ本人は演技らしいことを仄めかしているから当然かもしれないが。
いっそ、そんな風に割り切っちまえば、いちいち気にすることもなくなるのかね。
「ながもんはさー、落ち着いてるっていうよりは別の静かさがあるよねー」
と、長門に擦り寄っていく泉の首根っこを柊姉が鷲づかみして、
「さ、脱線はほどほどにしな。試験対策の続きやるわよ」
「うあー、そんな殺生な……私とながもんのスキンシップを邪魔してまですることかヨー」
「半分はあんたのためにやってるってことを自覚しろ!」
そのままズルズルと元の位置に引き戻されていった。合掌である。
「他人の心配をするなんて、ずいぶん余裕じゃない。キョン?」
……すごいプレッシャー!
「半分はあんたのためにやってるってことを自覚しなさい!」
ハルヒは柊姉の台詞をそっくり引用し、引用元に「真似するな!」と怒鳴られた。
ケンカするほど何とやら……小さく嘆息し、俺はよっこらせと年寄りくさく腰を挙げる。
「逃げる気!?」とハルヒが噛み付いてくるが(比喩だ)、誤解するな、御手洗いを借りるんだよ。
さて、何を今更な感は拭えないが、我がSOS団は泉や柊姉妹を交えて高良邸にお邪魔している。
団長曰く、本日の活動は試験対策の勉強会だそうな。夏休みの一件で味をしめたのかね。
で、クラスメイトの柊姉も、友人の泉のために勉強会を開く予定だったそうなので、こうしてご一緒させてもらっているわけだ。
正直、渡りに舟だったね。柊姉と高良――トップクラスの成績保持者である彼女らは心強い味方になること請け合いだからな。
それにハルヒ相手じゃまともに教わる気にならない――なんてことを言おうものなら、市中引き回しの刑にされるので絶対に言わないが。
トイレを後にしてすぐ、高良邸に電話のコール音が鳴り響いた。
確か、高良の母親であるゆかりさんは、この時間帯はドラマの再放送あたりに見入っているはずなので出ないだろう。
高良にしたっていちいちここまで来るのは骨が折れるだろうし、一番近い俺がとって問題ないはずだ。
……なんて言い訳を思いついたのも、電話をとってからだった。ほとんど条件反射に近い速度でとっちまった。
引っ込みがつかないし、とにかく電話に出るしかないか。
「……もしもし、高良です」
ひとの家の電話に出て、ひとの苗字を名乗るってのは妙な高揚感があるな。
『あ、もしもし。旦那様でいらっしゃいますか? 失礼ですが、奥様は――』
なんという勧誘臭。いや、それよりも高良家のご主人に間違われてしまったぞ。
俺の声ってそんなに老けているのだろうか……微少のショックを受けつつ、どう返答したものかと悩んでいると、
「どちらからですか?」
救いの女神が現れた。高良みゆきさん、全てを丸投げしてもいいですか?
相手に「ちょっと待ってください」と告げ、通話口を手で押さえてから高良に向き直る。これが正しいマナーのはずだよな。
「少なくとも俺は知らない……えーと、中年ぐらいの女性なんだが、たぶん勧誘で……すまん、代わってくれ」
これは情けない。やっぱり、不用意にひとの家の電話に出るもんじゃないな。
高良は「わかりました」と、不躾な俺を非難するような態度は微塵も見せず、受話器を受け取った。やっぱり、落ち着いてるよなあ。
「はい、お電話代わりました……あ、いえ……」
何とも言えない、といった表情の高良。また『奥様』と間違われたのだろうか。
……そういえば、電話先の相手は『奥様』に用があるんだったな。うーん、高良には悪いことをしてしまったか。
「えっ? ……まあ、ありがとうございます」
はて、どんな流れになれば勧誘相手に「ありがとう」なんて出てくるんだ?
俺がそんな疑問を抱くうちに、高良は「はい、申し訳ありません」と電話を切ってしまった。
ご機嫌なように見えるのは、気のせいか?
「どこからだったんだ?」
何でもないように尋ねてしまったが、普通、部外者の俺が気にすることじゃないよなあ。
「キョンさんの言ったとおり、勧誘の方でしたよ。主婦層がターゲットらしくて……」
「ん? それ、ゆかりさんに用があるんだろ。高良が断っちまって良かったのか」
「母はドラマに集中していて電話に出てくれないでしょうし、この手合いの電話は先延ばしにするとずっとかかってきますから」
さすが完璧超人こと高良だ、隙がない。主婦のフリまでこなしてしまうとは。
ここまで丁寧に答えてもらっているので気が引けるが、不躾ついでに、俺の疑問も解消させてもらおうか。
「あの、ありがとうって何だったんだ?」
「はい。電話先の方が、素敵な旦那さ」
そこで突然間が入り、しまったという表情をつくって目を逸らす高良。心なしか赤くなっている気がする。
「ダンナサ?」
「は、はいっ? いえ、なんでもないんですっ」
わたわたと、皆の待つリビングに戻っていってしまった。うーん、落ち着いてると褒めたばかりなんだがなあ……。
「んふふー、うちのみゆきも可愛いところあるでしょ?」
「うわあっ」
いつの間にか、ゆかりさんがいたずらっぽい笑顔をたたえて背後に立っていた。
まったく気づかなかった……しかし今時にこんなドッキリとは、本当にお茶目な方だ。
とりあえず「子供ってやたらと気配を消すのが上手いときあるよなあ」と思ってしまった無礼な俺を叱ってくれる人を募集中だ。
「キョンくんのおかげで、みゆきの可愛いところいっぱい見られそうだわ。お母さん大助かり」
「は、はあ……?」
「期待してるわね、旦那様♪」
その後のことを少し述べると。
高良は『奥様』と呼ばれることをさして嫌がらなくなったそうな。いやあ、良かった。
代わりに、別の意味で過敏になってしまったらしいんだが……詳細は俺のあずかり知るところではない。
というか、教えてもらえないのである。そうして、その件は秘密となってしまったのだった……俺が何をした。
|,.ノ_, '´,.-ニ三-_\ヽ 川 〉レ'>/ ノ
〈´//´| `'t-t_ゥ=、i |:: :::,.-‐'''ノヘ|
. r´`ヽ / `"""`j/ | |くゞ'フ/i/ そして時は動き出す……!
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さあ、終わった終わった。長い回想だったぜ。どーれちょっくら息抜きにシャミセンの毛づくろいでも――
「長々と回想した上に猫さんの心配をするなんて、ずいぶん余裕ですね。キョンさん?」
……ものっそいプレッシャー!!
「全てはキョンさんのためにやってるってことを、自覚してくださいね?」
いつか聞いた柊姉、ハルヒの台詞をトレースしたと思しきことを言い、高良は少し照れたように微笑む。
やっぱりそういう意地の悪いことを言うのには抵抗があるのかな――とか思って見とれていると、
『何凝視してるのよこのエロキョン!』
団長さまが幻聴になってまで俺を戒めるのである。わかってますって、ちゃんと勉学に励みますとも。
さて……何でこんなことになったかというと、試験で赤点をとった俺の追試対策なワケでして。
赤点の理由を「高良があの電話のこと、教えてくれなかったから」と冗談めかして言ったのが発端だ。
それから高良が「私が責任を持って、キョンさんに追試をパスさせます」と言ってくれたからさあ大変。
俺の家には無償のうえに品行方正という、非の打ち所のない家庭教師が来てくださるようになったのだった。
「ちょっと電話に出てきますね」
コール音が鳴ると、俺を部屋に残して高良は一階へと降りていく。
――そういえば、うちに遊びに来たときの高良は、やけに電話をとってくれるようになった。
やはり『奥様』と間違われることが多いらしいが……妙に嬉しそうである。あの日以来、秘密となっていることに関係があるのだろうか。
追試が終わったら、教えてもらえるよう頼んでみるかな。
さて、カンのいい人ならお気づきであろう。台詞がまったくなかった人物がいることに。
それはなぜか? オチ要員にするために決まっているのさ。
以下、同じ日に高良家であった『もうひとつの勧誘の電話』を巡る感動巨編をお送りする。
みくる「もしもし高良でしゅ」
くじら『あらお嬢ちゃん。おばさんねえ、あなたのパパかママにお話があるの。今、おうちにいるかな?』
みくる「……ひゃ~い」