「コッペパンを要求するわ!」
その少女の顔を見て愕然としたのはハルヒも一緒だった。
「ちょっと、かがみ! アンタ一体、こんなところで何やってんのよ!」
そう、その少女は知り合いも知り合い、SOS団メンバーの一人、かがみだった。
まあ、こなたがいるって時点で、何となくこいつもいるんじゃないかと俺は思っていた
わけだが、しかし、まさかこんなところで強盗紛いのことをやっているかがみに会うとは
思わなかった。将来の夢は弁護士だと語っていた彼女に正義感のようなものがないわけが
ないのだろうから、一体全体、どんな理由があるのかと思いをめぐらしかけた時だった。
かがみが、目を細めて胡散臭そうに俺たちのことを見て
「アンタたち……誰?」
と、驚愕の一言を吐いたのは。
「何言ってんだ、かがみ! 俺たちのことが分からないのか!?」
その言葉に対して、かがみは暫く考える顔をしてから、より一層、怪訝そうな顔つきになって
「んー、やっぱり覚えがないのよね。何処かで会ったことがある?」
と、まるで本当に俺たちが初対面の赤の他人ででもあるかのような返答をしてきやがった。
「ちょっと、かがみ、あんたまさか本当に覚えてないわけ? それに強盗だなんて……」
「いや、だから、ホントに覚えてないんだってば。」
そうだ。俺の知っているかがみは例え冗談だろうが、要求がコッペパンだけという
どうしようもなくショボいものであろうが、強盗なんてするようなヤツではない。
それにしても、俺たちのことを忘れていることといい、何かがあるのか……?
「アンタたちがどこで私の名前を知ったのか、知りたいところだけど」
ジト目でそういうとかがみはこちらに向けて腕を真っ直ぐに伸ばして
「まあ、いいわ。邪魔しなければ見逃してあげるから、とっととどっか行けば?」
そう冷たく言い放つ。
「とにかく、強盗だなんて許さないわ! 団長命令よ! 今すぐやめなさい!」
「……邪魔する、ってわけね?」
その瞬間、俺の頭の中で何かが警報を鳴らす。何だか分からんがヤバい。
「キャッ! ちょっと、キョ――」
ハルヒの短い悲鳴。次いで――爆音。遠巻きになっていた野次馬達から上がる悲鳴。
ハルヒを突き飛ばして一緒に地面に伏せた俺は、ほんの一瞬前まで俺が突っ立っていた
場所を炎が薙いだのを見て背筋が凍った。今のは……まさか、かがみがやったのか?
「ふぅん。今のを避けるなんて、なかなかやるわね。でも次はどうかしら?」
かがみはあくまで冷たく、まるで何の感情も持っていないかのように、こちらに再び手を向けて――もう一度、避けなければ――立ち上がろうとした俺の、右足に走る激痛。どうやらさっきハルヒを突き飛ばしたときに、少し捻ったみたいだ。クソッ!
立ち上がれねぇ!
顔を上げればかがみの手に紅色の光が集まっているのが見える。
――絶体絶命、そう思ったときだった。
「大丈夫。任せて」
長門の、その澄んだ声が俺の耳に響いたのは。
かがみの手から炎が迸ると同時、長門の体に仄かな虹色の燐光が集まって
その奔流が赤の一撃を真正面から受け止める。
そういえば、長門も一緒にいたんだっけな。そんな薄情なことを思っていた俺に長門の
何故か俺の頭の中から響いている気がする声が届く。
『瞼を閉じて』
何が何だか分からないまま、俺はその指示に従って目を瞑る。
次の瞬間、瞼を閉じているにも関わらず、感じることができるほどの強烈な閃光。
目を開けると、目の前には、どうやら気を失って倒れているらしい、かがみの姿があった……。
「強烈な光と音で気絶させただけ」
長門はさらりとそんなことを言ったが、それって確か閃光手榴弾と同じ原理では?
「ただし、今使ったのは幻惑の魔法だから、効かない相手には効かない」
「気絶してるってだけで、かがみはなんともないのよね?」
「そう」
「それにしても、かがみは何だってこんなことしたのかしら……」
ともかく、何時までも、かがみを地面に倒れている状態にしておくわけにもいかないので
俺はかがみを背負う。年中ダイエットしなきゃと言ってる割に案外と軽いんだな、コイツ……。
ふと横を見ると、何故かハルヒが不機嫌そうな顔をしている。何だよ?
「別に」
やはり、不機嫌なようだが、何が原因なのか全く分からんな。まあ、コイツの不機嫌は
俺には全く原因不明なことが多いんだが。
「ところで、これからどうすりゃ良いんだ?」
「今さっき、泉こなたに連絡を取った。私たちはこのまま医師の所へと向かう。
そこで、彼女と落ち合えば良い」
連絡を取ったって一体どうやってだ? 携帯があるわけでもないのに。
「テレパシー」
再びさらりとそう言って、長門は黙って道案内をするためスーッと俺たちの前へと飛び出す。
その医師のところってのはここから近いと良いんだがな。
ものの十分ほどで、俺たちは診療所へと着いて、そこでこなたと合流した。
「たぶん、何らかの魔術による精神操作を受けてたんだろうネ」
医師の診察が終わり、かがみをベッドに寝かせてから、こなたはそんなことを言い出す。
精神操作って……一体、誰がそんなことを!?
「ちょ、ちょっと、キョンキョン! そんな凄まれても私に分かるわけないじゃん……」
そうだ。ここでこなた相手に怒りをぶつけてもどうしようもない……。
「精神操作って……後遺症みたいなものはないの?」
「ああ。それに関しては大丈夫だヨ。医者の先生もお墨付きをくれたし。
暫くすれば目も覚めるだろうって」
「そう……」
あの冬の山荘のときもそうだったが、ハルヒは割りと団員の健康には気を遣うんだよな。
それにしても、あの山荘での出来事が去年の年末のことだってのに大昔みたいな気がするな……。
「まあ、精神操作って言っても、記憶の混乱とちょっとした思考誘導だけだったみたいだしネ。
掛けられたのもほんの数日前みたいだし。それに、程度が軽かったからかがみんは
コッペパン強盗だなんて情けない犯罪しかしなかったんだろうし、使った魔術も
ながもんの弱い防護の魔法で防げたんだろうしネ」
「有希の魔法ってそんなに弱いものなの?」
「私の使える妖精の魔法は幻惑や幻影を作り出すことに特化している。そのため
防護の魔法の力はとても弱く、半人前の魔術師が放った魔術を受け止めるので精一杯程度。
本職の魔術師の攻性魔術を受け止められるほどの強度は全く無い」
「……ふーん」
何とはなしに部屋に沈黙が流れる。
そのままポツリポツリと会話を交わしているうちに、時間が経ち。
「ん? アレ……? ここは……?」
「良かった。目が覚めたんだネ、かがみん」
「ん……アレ? こなた……?」
「俺のことは分かるか? かがみ」
「キョン……くん? それにハルヒも……」
俺たちは相談の上で、かがみが精神操作を受けていたらしいってことを隠すことに決めた。
精神操作とやらを受けてやったことに関しては、かがみに非は全く無いし、そのことで
かがみが苦しむことがあれば、それを見るはめになるのは辛いだろうからだ。
目を覚ましたかがみに、何故こんなところで寝ているかについて街の往来で倒れていた
かがみをこなたが見つけてここまで連れてきたと嘘の説明をした。
その後、かがみがこの世界に来てからどうしていたのかということについて尋ねた。
かがみはどうやら、三ヶ月前にこの世界に着いて、とある村の親切な老人に助けられて
今まで、生活していたようだ。
「でも、アタシ何でそんなところで倒れてたんだろう?」
……やはり、少しだけ罪悪感があるな。
「確か、この街で職を探そうと村を出て、それで、道中で誰か知り合いに
会ったような覚えはあるんだけど……」
「知り合い? 誰なの?」
「んー、それが分っかんないのよねー。一体誰だったのかしら?」
もしかして、そいつが……?
かがみの話からでは結局、かがみが誰に会ったのかは分からなかった。
「それで、結局、あたしたちはこれからどうすればいいのかしら?」
そんな話が出たのは、かがみが目を覚まして一段落してから、こなたが
現在住んでいる家とやらに着いてからのことであった。コイツのことだ
物で溢れてるんじゃないだろうな? などと考えていたのだが、存外に綺麗で
置かれている荷物も少なかった。それにしても、一戸建ての家
全てを借り切っているとは、こなたはこの世界では金持ちだったりするのだろうか?
「どうするも何も、とりあえず元の世界に帰らなきゃならんだろうが」
「元の世界に帰るって言ってもその手段が問題なんじゃない。“門”とかいうのは
魔王が持っているんでしょ? その魔王ってのがそれを貸してくれるようなヤツなら
問題ないんでしょうけど……違うでしょ? こなた」
「うーん。まあ、その通りなんだけどサ」
「で、その魔王ってのに力づくで言うことを聞かせられるわけでもないんでしょ?」
「それも、その通りだけど……」
「じゃあ、今のところ、元の世界に帰ることなんてできないんじゃないの?」
「うーん……」
こなたが返答に窮して、暫くの間、俺たちのいる部屋を静寂が覆った……。
暫くの後、こなたは考える素振りをしてからこう言った。
「じゃあサ、取りあえず、占いおばばの所にでも行こうか?」
こなたはそんな提案をしてきた。だが、占いおばばって何だ?
「占いおばばってのはネ。人の役割を文字通り占ってくれる人のことだヨ」
ああ、そういえば、役割なんてもんがあったな。
だが、それを占ってもらうことが何の役に立つんだ?
「んとサ、元の世界に帰る方法を探すにしても、何にしても、とりあえずこの世界で
生きていくことが必要になるわけでしょ? そうすると、この世界ではサ、役割を
知っておけば、自分にできることが分かるからサ、この先々で色々役に立つんだヨ」
「ふーん、なるほど」
何かを納得したような顔になったハルヒ。
「アンタにしてはまともなこと言うわね」
「ちょ、かがみん、それは酷いんじゃないかな?」
つい数時間前と変わらない、だが、彼女たちにしてみれば既に数ヶ月が
経ってしまったハズの、こなたとかがみの掛け合い。
だが、その変わらない感じが、俺に少しではあるが、安心感を与えてくれた。
このメンバーなら、この先何が待ち受けていても何とかなるんじゃないかってな。
出かける支度を整えながら、ハルヒがちょっとした質問をした。
「ところで質問があるんだけど、役割ってどうやって占うの?」
「占いおばばってのは職業みたいなもんだから、人によって違いがあるわね。
私のときは、アレは確か八卦て言うヤツだったかな? それで占われたけど。
こなたはどうだった?」
「私のときは、水晶玉占いだったヨ」
ハルヒの質問に対してかがみとこなたがそう答える。
「ところで、その役割ってのが何なのか、まだ今一つ分からないんだが……」
「役割ってのは前にも説明したけど、ゲームで言う職業とかジョブみたいなもんだヨ」
「この世界だと人は役割に応じて、色々、能力が与えられたりするみたいね」
「役割に応じて与えられる力は、その役割に応じて千差万別。役割によっては
何の訓練、学習を経ることなく、魔術を行使したり、体術に秀でたりすることがある」
やっぱり、何となく要領を得ないな。いや、何となくは分かるんだが。
「んー、まあ、難しいことは特にないわよ。別に占われた役割に関することが
得意になるってだけで、役割に関係ないことが出来なくなるわけじゃないし」
「そうそう。魔術師って診断されなくても頑張って勉強すれば魔術も使えるようになるしネ」
「ただ、やっぱり、得意なことを伸ばすのが簡単なのは確か、ね。
でもって、その得意なことが何かっていうのを簡単に判別してくれるのが役割なのよ」
かがみやこなた、長門がそう説明してくれるが、やはり何となくイメージしづらいな。
横を見るとハルヒは何やらしたり顔で笑っていやがるのが何となく癪に障るんだが。
「ん、まあ、占ってもらって、そのあと実感してみるのが一番早いわ」
「とにかく、占ってもらえば、その内何となく分かるって」
まあ、そんなもんか。ここは二人の先達の言葉に従っておくことにしよう。
「そういえば、かがみんの役割は結局、何なの? 当然、占ってもらってるんだよネ?」
占いおばばの所へと行く道を歩いているとそんな質問がこなたから出た。
「かがみんって言うな。……アタシの役割は四大元素魔術師、らしいわ」
魔術師か、なるほど。それであんな火球を放てたりしたわけだな。
「ところで、四大元素ってのは何なんだ?」
「四大元素。火、風、水、地の四つを指し、この世界ではその結合によって万象が
生じるとされている。一般的に四大元素魔術はこの四大の最も根源的な形態を扱うのに長け
また、この魔術を扱うものは一般的にこの四大のどれかを専門としていることが多い」
……長門。相変わらず、辞書をそのまま引用してきたような説明だな……。
とりあえず、俺たちの世界のゲームや小説なんかで出てくるものと変わりはないみたいだな。
「ちなみに、アタシは火の元素の専門よ」
何故だか誇らしげにそう言ったかがみであった。
「ハイ、到着だヨ!」
俺たちの前にあるのは予想外にでかいお屋敷。占いおばばなんていうから
もっとこじんまりとしたところでやってると思っていたんだが。
「アタシが占って貰ったところはそんな感じだったわよ」
「まあ、ここは王都だしネ。利用者が多いから、占いおばばも何人も集められてるし
そのせいで、やっぱりある程度は門構えを大きくしなきゃならないんだヨ」
そんなもんなのか。
屋敷内に入り、暫く待ち合わせ室みたいなところで待たされると
俺とハルヒ、二人とも同時くらいに声がかかった。
ただ、占い自体はどうやら一人一部屋で一人ずつやるらしいな。
「じゃあ、私たちはここでまってるからネ」
そんな声を背にして、俺は占いおばばの部屋へと一歩、踏み出した……。
聞き覚えのある声。
彼女に会うのはもう数ヶ月振り以上になるだろうか。
まさか、この世界で会うことになるとは思わなかった。
もしかして、あなたが占いおばばをしているんですか?
「もう、キョンくん。あたし、そんな歳じゃないですよ?」
……すいません。でも、それじゃあ、何であなたがここにいるんです?
「ふふ。それは禁則事項です、何てね。そんな冗談は置いておいて、今あたしがここに
いるのはキョンくんにちょっとした忠告をするためです」
忠告?
「ええ。それが必要になったときに、思い出せるように」
思い出せるように? と俺は何となく疑問に思ったことを鸚鵡返しに尋ねた。
「あまり時間がないので、手短にお伝えしますね。暗示するものは16番目――」
時間がない? どういう意味です?
「――La Maison de Dieu。悲嘆・災難・不名誉・転落を意味するもの」
彼女は俺の質問を無視し続けて、何となく元気のない顔で話を進める。
「十二分に気をつけてください。特に、よく知っていると思うもの程に」
すまないんですが、さっきから何を言っているのか、全然分からないんですが?
俺のそんな質問に対して、彼女は元気なく少し頭を左右に振って。
「こんなことしか言えなくて、本当に、ごめんなさい」
俺の思考に何故だか灰色の靄のようなものがかかってくる。上手く考えを纏められない……。
「あなたはここであたしに会ったことを、あたしの話したことを忘れてしまうでしょうけれど」
何故だか、彼女の存在が遠ざかっているように感じる……。
「必要なときには……ここであったことはきっと……思い出せます」
段々と周囲が白く霞んでいって……。
「本当に……ごめ……な……さ……」
ブラックアウト。
「そんなところに突っ立っておらんで、はよ、そこに座らんか!」
そんな怒鳴り声でハッとした俺は、少し呆然とした頭で事態を把握しようと努めた。
確か、これは……占いおばばの部屋に入って、それで誰か知り合いに会ったような……
けれども、今目の前にいるのは見ず知らずの皺くちゃのばあさんだけだ……。
「はようせんか! お前さんがそこに突っ立ってると後がつかえるんじゃ!」
頭の中に大量のクエスチョンマークを抱えながら、俺はばあさんに言われるがままに席に着いた……。
「お、出て来た、出て来た。結果はどうだった?」
「キョンキョンのことだから、女誑しとか診断されたんじゃないかな?」
「……」
占いおばばの部屋から出て、俺はかがみと長門と失礼なこなたに出迎えられた。
……というか、こなた。後で覚えておけよ?
「ま、まあまあ。それは置いておいて。で、結果はどうだったの? キョンキョン」
「……野伏って言われたんだが、何のことかさっぱり分からんのだが」
「野伏? なんだろうね、ソレ」
「えーと、確か指○物語に出てくる、アラ○ルンが、野伏って言われてたんじゃなかった?」
「ああ、ゲームとかだとレンジャーとかスカウトとかって言われるヤツのことだネ」
「野伏。中世、山野に隠れて、追いはぎや強盗などを働いた武装農民集団。のぶせりとも言う」
正直、こなたの言葉が一番参考になったというのは伏せておきたいところだな……。
「やっぱり弓が得意だったりするのかな?」
「ア○ゴルンのイメージだと、剣も普通に扱えそうだけどね」
「某ゲームのレンジャーは魔法も使える」
待て、長門。某ゲームって一体何だ?
そんな会話をしていたときだった。
「ちょっと、キョン! 聞いて! あたし……」
ハルヒが喜色満面と言った感じで、部屋から出てきて、俺たちの方へと駆け寄ってきたのは……。