時間の止まった日のこと

雪の降るクリスマス・イブ。もうすぐ二十五日になろうとしている時間帯。

俺は街中を走っていた。

ああ、そうだ。俺は何を迷い、何を躊躇っていたんだろう。
俺はアイツのために今、息を切らせて走っている。それこそが答えじゃないのか?

十二時の鐘が鳴る前に。まるで、シンデレラみたいだな。

けれど、俺が急いでいるのは舞踏会の会場から離れるためじゃない、会いに行くためだ。

だから、頼む。一分、一秒でもいい。時間よ、止まってくれ――

 

高校生活最後の冬。受験を控えた俺は塾通いをしていた。

流石のハルヒもそれを邪魔するようなことはせず
何だかんだで俺は週に1回程度しかSOS団の活動に参加しなくなっていた。

「キョンキョン~。さっきの講義分かった~?」
「ダメだ。さっぱり、分からん」
ちょっとした自販機やら何やらが置いてある雑談スペースで
俺は泉と二人で先程の講義内容に関して頭を悩ませていた。
何の因果かは知らんが、俺は泉と同じ塾に通っていた。まあ、といっても駅前にある
有名予備校は二つしかないし、うちの学校の生徒で塾通いしている人間のほとんどは
そのうちのどちらかに通っているのだから、そう珍しいことでもないのだが。

「やあ、キョン、それに泉さん。二人して頭を抱えて一体どうしたんだい?」
そこにやってきたのは俺の中学時代のクラスメイトの佐々木だ。
塾通いをすると決めたときにまさかコイツと同じ塾になるとは思わなかった。
「いやね、もうね。数学が全然分からないんだよ! 助けてよー」
泉がそんな泣き言を洩らす。
「へえ、どれどれ。ああ、ここか。いいかい、これはね――」
っと。佐々木大明神様の解説が始まるようだ。俺もしっかり聞いておこう。

そう、その冬、俺はこうして大学進学に向けて塾に真面目に通い
そこで同じ塾に通っている、泉や佐々木と一緒の時間を過ごすことが多くなっていた。

もうすぐ、終業式になろうとしていた。

 

「やあ、ここ最近はあなたと話すのもご無沙汰でしたね」
「どうしたんだ? 古泉。わざわざこっちのクラスまで来て」
「ところで、涼宮さんは今、クラスに居ますか?」
「ハルヒにも用があったのか? だが、ハルヒなら――」
「ああ、いいです。涼宮さんが居るか居ないかを確認したかっただけなので」
終業式がその週の金曜に控えた、月曜。俺はクラスメイトに外で
誰かが呼んでると言われてクラスの外に出たら、そこには古泉が居た。
「で、何の用なんだ? ハルヒに聞かれちゃまずいような話なのか?」
「いえ、実は別に大した用ではないんですけどね」
そう、いつもの胡散臭い微笑をたたえたまま、古泉のヤツは言う。
「最近、あなたも僕も受験勉強などが忙しくて会う機会すらなかったので
ちょっとお話を、と思いまして」
何だ? わざわざ昼休みに俺に会いに来てまで話さなきゃならん様なことでもあるのか?
「ですから、差し迫ったものではないんですけどね。でも何故だか聞いておかなければ
ならないような気がしたので、ここまで足を運んだわけです」
「で、それで? 聞きたいことってのは何なんだ?」
「涼宮さんとは、最近どうです?」
「……どう、と聞かれても、いつも通りだが? ハルヒのヤツがまた
あの迷惑な空間を産み出しているとでも?」
「いえ、別にそういったこともないんです。涼宮さんの精神はとてもよく落ち着いています。ただ――」
「ただ、何だ?」
ヤツは困ったような顔を見せて言う。
「ただ、あくまで僕の私的な勘に過ぎないのですが、今の状況が嵐の前の静けさのような
気がしたんです。まあ、でもあなたがいつも通りというならきっと杞憂でしょうがね」
俺はその言葉を聞いて何となく押し黙った。
「まあ、用というのは実はその程度です。それではまた」
そう言って古泉は踵を返して自分のクラスへと戻っていく。

 

古泉は一体、何をしに来たんだろうな?
そう思いながら、俺も廊下から教室の中へと戻った。
「あー、キョンキョン? ちょっと良いかな」
呼び声のしたほうを向くと、そこには柊たちと話している泉の姿があった。
「どうしたんだ? 泉」
「あのさー、24日なんだけど、塾の講義ないじゃん?」
確かに、通常の講座と冬季講座との転換のためにその日は一日授業がなかった。
「確かにないが、それがどうかしたのか?」
「えーとさ、高校最後だし、丁度予定もあいてるし、受験前に騒げるのはその日が最後くらいになるだろうからってさ、かがみたちとクリスマス・パーティをやろうって
話になったんだけどさ。どうせならキョンキョンも誘おうかなと思って。どう?」
どう、と言われてもな。その日は確かに特に予定はないが。
「予定がないならいいじゃん。じゃあキョンキョンの参加は決定で!」
「あー。泉はこういってるが、良いのか、柊?」
「別にアタシたちは構わないわよ。ね、みゆき?」
「そうですね」
「なら、別に構わないが」
「よし、じゃあ、決定だよ! 土曜は五時に集合だからネ!」
「じゃあ、泉さん、つかささん。そろそろ、チャイムもなる頃ですし教室の方に戻りましょう」
「うん、そうだねー」
「じゃあ、キョンキョン。絶対だヨ! 遅刻は厳禁だからネ!」
そう言って、自分たちのクラスに戻っていく彼女達。

 

金曜。終業式やその他の諸々が終わって塾の講義のある夕方まで時間があったので
俺は大体一週間ぶりくらいに文芸部室に顔を出した。
何時ものようにパイプ椅子に座って本を読んでいる長門を見て何となく安心する。
「よう、長門。一週間ぶりだな」
長門は少しだけページを捲る手を止めて、こちらに顔を向けて
「そう」
とだけ呟いて、再び読書に戻る。

俺はセルフサービスでお茶を用意してパイプ椅子に座って物思いにふける。
朝比奈さんがこの部屋で、御茶汲みをしていたのも、もう一年近くも前のことだ。
そして、俺たちももうすぐここを去ろうとしている。この部室に俺の三年間が
あったのだという気がして、何となく感慨深かった。

 

「あれ? 珍しいわね、キョン。今日は塾の講義はないの?」
そう言って登場してきた、ハルヒ。こいつには三年間色々と振り回され続けてきたとはいえ
やはり、もうすぐ会えなくなるかと思うとこいつの顔にも感慨深いものがあるな。
何せ、黙っていさえすれば確かに絶世の美人で通る顔立ちをしているのだから。
「ちょっと、あんた。今何か失礼なこと考えたでしょ?」
中々に鋭い。追求の矛先を逸らすため俺は先程の質問に答えることにした。
「……今日は夕方からで、それまで暇だったもんでな」
「……まあ、いいわ。ところで、明日も塾はあるの?」
「いや、明日は塾はないが――」
「そうなの、それなら――」
「ただ、明日は泉たちにパーティに誘われたんでそれに行くつもりだが」
「え? あ、ああ、そう。ふーん、先約じゃ仕方がないわね」
「何かあったのか?」
「別に、何も」
そういってハルヒはそっぽを向く。何となく不機嫌そうに見えたが
その後古泉が来てからはいつも通りに見えたから特に気にはしなかった。

 

土曜。パーティの後の帰り道。夜十時を過ぎて、俺は泉と二人、歩いていた。
「しかし、お前も料理作るの上手いんだな、知らなかったよ」
「へへーん。伊達に毎日作ってるわけではないのサ」

何となく、話が途切れた。

「……あのさ、キョンキョンはサ」
「ん? 何だ?」
「あの……その……」
「何だ? どうかしたか?」
「その、か、彼女とかいるのかな?」
「い、いきなり何だ?」
突如、そんな話を振ってきた泉。あんまりにも突然だったから驚きで心拍数がはね上がる。
「そ、それでさ、もし居ないんだったら……もし、居ないんだったら……私と……」
ここまで言われればどんな朴念仁だって気付くだろうさ。これは告白ってヤツだってことに。
オレは今まで、自分がそんなことをされる側の人間だなどと思っていなかったから
内心、酷く焦っていた。泉と一緒に。今まで全く思いも寄らなかったことだ。
「ど、どうかな?」
「……」
泉のことは嫌いではない。むしろ好きなほうだ。
俺は彼女の気持ちに応えても良いんじゃないかという気持ちになっていた。だが――
「……すまん」

 

「あ、アハ。そ、そっかー。うん、分かった。そっか、そっかあ……」
無理してさっきまでと同じ素振りをしようとする、泉。そんな泉を見るのは辛かったが
彼女を振ってしまった俺には彼女にかける言葉はない。
「うん、ごめんネ、ありがとう」
そう、目の端に大粒の涙を溜めて言う、泉。
「じゃあ、私こっちだから……」
「あ、ああ」
「うん……」
そう言って曲がり角で別れて。泉は俺から数歩離れてからこちらを振り向いて。
「じゃあ、キョンキョン! また明日ネ!」
「あ、ああ。ああっ! また、明日な」
そう言って手を振って分かれた。

俺は泉を何故振ったのか。あの時の俺の脳裏にはある一人の顔がやけにちらついたからだ。

携帯を取り出す。気付いたからにはメールだろうが、何だろうがアイツに言いたいことがあった。

未読メールが一件あります。そう素っ気無く表示している携帯。
見慣れたメールアドレス。件名は無かった。着信時間はもう二時間以上前。
開いて、読んで、俺は――

人通りの少なくなった街を、全力で走り始めた。

 

いつもの喫茶店。駅前。高校。俺が行くべき場所はそのどこでもない。

人気の無くなった中学校。完全に肩で息をしながら、俺は校門を無断で乗り越えた。

求めた人影を見つけて、俺は口を開く。
「織姫と彦星に願いが届くまで何年かかるんだっけ?」
雪が降るほどに寒い夜空の下で、何時間待っていたんだろうか。
何かを言おうとして開きかけた口を、自分の口で以って塞ぐ。

その瞬間、俺には確かに、時間の流れが止まったように思えた。
雪の降りしきる聖夜。日付の変わる頃。俺とアイツの周りの時間は確かに止まっていた。

 

――開いたメールにはただ一行。場所も何も指定せず、ただ一言。

『会いたい』とだけ書かれていた……。

 

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最終更新:2007年11月05日 00:18
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