私は湿気がキライ。
頑張って手入れしても髪にクセが出ちゃうし、何より原稿がダメになる。
女の命である髪より、漫画の原稿にウエイトがかかっているのは自分としてもどうかと思うけど――
いいじゃないか、オタクだもの。
その上、腐女子だもの。
なーんて割り切れたらステキなんでしょうが、私はまだ世捨て人にはなりたくないっス。
小早川さん岩崎さんという友人もいるし(まあパティ隊長は旅立った先でも一緒だけど)当分は猫被ってますとも。
なんだかんだで現実に未練があるんスね。それはあくまでも人として、で、女としては微妙なとこスけど。
登校時間も近いし、いつまでも髪をいじくってるわけにもいかない。
結局ところどころハネを残したまま、自宅からスタコラサッサした。
「う~~ネタネタ」
今ネタを求めて全力疾走している私は高校に通うごく一般的なオニャノコ。
強いて違うところを挙げるとすれば、同人活動をしてるってとこかナー。名前は田村ひより。
……さすがにおふざけが過ぎました。自重しろ私ッ!
アラタメマシテ。
私、田村ひよりは慢性的なネタ不足に悩まされています。
兄や部長は「漫画家なんてみんなそう」と言うが、みんなと同じだからってのはフォローにならないっスよ。
実際、その弱点にこれまで何度泣かされたことか。それでも漫画を続ける私を、誰か褒めてください。
でも、そんな私の悩みを解消してくれそうな人が現れた。それと同時に、新たな悩みをも与えてくれた。
その人は私にこう言った。
――俺、実はポニーテール萌えなんだ。
湿気の強い日っていうのは厄介なもので、早朝は肌寒くても昼過ぎになるとやけに蒸し暑くなる。
せめて朝くらい涼しさを堪能したいっスけど、こう走ってたら「うん、それ無理♪」なお話で。
しかし、この苦しみも前方を行くあの自転車に追いつくまでの辛抱っス……おーい、せんぱーーーーーーーーい!
「おう、田村か。おはよう。じゃ」
「おはよっス……ってストップ! 待って待ってWAIT!」
大声を出してようやく先輩は自転車を止める。いかにも訝しげにこっち見てますが、そりゃないでしょう。
後輩が息切らしてかいがいしく追って来たんスから、もっとリアクションが欲しいっス。
「例えばどんな?」
「乗せてってやるZE☆的な」
「……この先の坂、えらく急なんだが」
渋面をつくって頭を掻くけれども、結局は「わかった、乗ってけ」なんだから先輩は人がよろしい。
ま、これくらい面倒見が良くないと涼宮先輩の女房役は務まらないっスよね。キョン先輩?
私は「了解っス」と荷台に跨り、自転車でしか味わえない風を浴びた。あー、涼しい。
「さー、スピード出していきましょう!」
「……やれやれ」
私が煽っても、キョン先輩は決して危険な速度を出さない。
もしかしたら、私が「利き手は絵描きの命」なんてほざいたのを覚えていてくれてるのかもしれない。
私は、キョン先輩に(一方的に)合わせて遅刻ギリギリに家を出る。
「目、赤いな。また徹夜したのか?」
「ええまあ。夜中の2時あたりで急発進しちゃいまして」
「ああ……確かにあそこは魔の時間帯だな」
私の周辺人物では、先輩は同人活動に理解のある方だ。というか、何でも許容してくれる気がする。
これも涼宮先輩を相手にするが故に身についた包容力なのか、それとも本質なのか。
拒絶される心配がないので、だからついつい、漫画のことで相談してしまう……一応、801は伏せて。
「今回は、キャラの髪型で迷ってるんスよ」
「髪型ね……ポニーテールとかどうだ」
「それ、先輩の趣味っスか?」
「ああ。俺、実はポニーテール萌えなんだ」
へー、そりゃ知らなかったっス。だって先輩の周りにポニテの人がいないもんスから。
というか、先輩が節操なさ過ぎるんスよね。
だって先輩のハーレムっていろんな属性の人が入り混じってるから好みが見えてこないし。
「すごく無責任で失礼な妄想してないか?」
「気のせいっスよ」
その後も懇々と漫画談義を続けて、
帰りもまだ話の続きがしたいので、一緒に帰ってもらう約束を取り付けた。
先輩とネタづくりしてるときは、楽しい。
ネタに詰まっても先輩がいれば、すぐに解消っスよ。
ここで一気に昼休みに飛ぶっス。
あ、ありのままに今起こったことを話すぜ!
何とか遅刻せずに済み安心して机に突っ伏していたら、いつの間にか午前の授業が終わっていた……!
何を言ってるのかわからねーと思うが、俺だってわからねえ。
まどろみとか居眠りとかチャチなもんじゃねえ、もっと恐ろしいモノの片鱗を味わったぜ……!
まあやっちゃったものは仕方ないので、友人3人と机を合わせて弁当をつついている次第っス。
「田村さん、最近キョン先輩と仲良いよね」
「え? ああうん、まあね」
「ねえ……つ、つきあってる、の?」
もじもじしてる小早川さんはやっぱり可愛いなァ。それはともかく、ナイナイっスよ。
キョン先輩とはお付き合いもしていないし、そんな関係に発展させるつもりもない。
第一に、涼宮先輩を初めとする方々に太刀打ちできるとも思えないし。
へたに争奪戦に参加したら、牽制とか出し抜きとか忙しくなって、キョン先輩と会話する機会が減る。
それはもったいない。せっかく、いい感じでよろしくやってるのに。
「それに、先輩だって私になんか興味ないよ」
先輩だけじゃない。私のようなオタクに好意をもってる男子なんて、てんで見当がつかない。
まあ、どうせ私なんかじゃ「……いい」
「ん? 岩崎さん、何て言ったの?」
「田村さんは可愛い」
全世界が停止したかと思われた。
……ってのはウソぴょんで、間髪入れず小早川さんとパティ隊長が第2撃をしかけてきた!
「そうだよ、田村さん髪キレイだし!」
「イグザクトリィ! ヒヨリは自分を過小評価しすぎデース。コスプレの資格は充ぶ」「シャラーーーップ!」
とにかく「ありがとう」と言って、その場は収めてもらった。いやあ、恥ずかしかった。
――私が可愛い、か。
毎朝毎朝、髪を整えているのは、世間様に溶け込むための工作と自分に言い聞かせてきた。
でも本心では、女を捨てきれてないだけなのかも。いや、それを間違ってるとは言わないスけど。
みんなに可愛いと言ってもらったときは嬉しかったし、妙な期待も生まれた。
先輩も、そう思ってるのかな?
……いやいやいやいや。だからどうしたというのか。
か、仮にっスよ? 仮に先輩と……私とのフラグが成立してたとして、私はそのフラグを折らなきゃならない。
だって、私はこの青春を漫画に捧げると誓ったから。
そ、そうそう、漫画っス! 私が先輩と過ごすために時間を割いてるのは、ネタ詰まり解消のため。
ただそれだけなんス。他意はないんス。いやあ、忘れるところでした。
――なんで忘れてたの?
それは……あれ、何でだろ。あんなに苦しんでいたネタ詰まりに関係することを見失うなんて。
忘れるのは楽しいことから――以前、漫画で使ったフレーズが脳裏を過ぎる。
私、いつの間にか、ネタが詰まるのを楽しみに……?
いかん、段々わからなくなってきた。そんな時こそ、
――描きまくれッ。
それしかないって。
「闇に隠れて生きる、私ら腐ったオトメなのさ♪」
「ひよりん。その替え歌、人前で歌うなよ?」
アニ研での部活を終えて、帰り支度をしているとこうちゃん先輩が寄ってきた。
今、歌ってたのか……全然気づかなかったっス。
「末期だな……幸せなのはわかったから、今度は自重を覚えな」
「幸せ? 慢性的なネタ詰まりの私を幸せとおっしゃいますか部長閣下」
「誤魔化すなって。で……どこまで行った? 先輩にこっそり教えてみ?」
ああ、まぁたその話っスか。あのですねえ、クラスの人にも口酸っぱく言ってるんスけどね、
全ッ然そんなんじゃないスから。一般的な青春を謳歌なんかしてないっスから。
もう本当、オタク道一直線ですから。なめないでいただきたい。
「ちぇーっ。もうとっくにキスまで済ませてる読みだったんだけどなー」
「お生憎様っス」
「私、ひよりんが今年中に貞操捨てちゃう方に賭けちゃったんだからしっかりしてよ」
「はいはい――って何勝手に賭け始めちゃってるんスか! しかもそげな内容で!」
冗談冗談、とからから笑うこうちゃん先輩ですが……あなたならやりかねないと疑う私は、釣られ過ぎスか?
これ以上からかわれたら敵わないので退場するに限る。スタコラサッサだぜい。
そう、私は慌しく部室を出た。だから、
「ひよりん」
去り際に部長に言われたことなんて、
「我慢し過ぎるのはオススメしないよ」
全然聞こえてなかったんスからね。
……ないもん。
約束どおり、キョン先輩は自転車小屋の前で待っていてくれた。
「お待たせっス」「お疲れさん」
挨拶を交わして、ごく自然に隣り合って歩く。他の好意むき出しのお嬢さん方じゃ、こうはいかないでしょ。
端からすればくだらない、でも私にとっては大いに参考になる討論を繰り広げつつ歩くこともできないかもしれない。
そう考えると、他の人に何と言われても、やっぱり私はこのままでいい。
――だけど私は、気づいてしまった。
「なあ、田村。前々から言おうと思ってたことがあるんだが」
不覚にも、ドキリとした。こんなコテコテの、使い古された……告白フラグに。
みんながあんな風に言うせいだ――責任転嫁はいくらでもできるけど、この胸の高鳴りはどこにも嫁にやれない。
「なんスか」そういう自分の声が微かに震えているのがわかる。これは期待? 恐怖? それとも――
「一度、漫画を見せてくれないか?」
……力、抜けた。
お前初めてかここは、なんて言われるまでもなく。
「そのうち、お見せしますよ」
はぐらかしつつ、証拠はないけど確信に近いものを得た。やっぱり先輩は、私になんか……。
だけど私の方は気づいてしまった。自分の奥底に潜むモノの正体に。
「それと、もうひとつあるんだけど」
友人たちに。こうちゃん先輩に。
気持ちを抑えるための、自重という鎖を。
「お前、ポニーテールにしてみないか?」
全部、解かれてしまった気分だった。
私は湿気がキライ。
風呂あがりでクセだらけの髪を眺めて、ふと、お似合いだな――と思った。
先輩への気持ちを整理しきれてない私は、ストレートになんかなれるはずがない。
「……洒落にならないなぁ」
そもそも、私はどうして髪の手入れに必死になっている?
私が朝一番に会うのは、誰?
「だ……大体おこがましいんスよ! 私なんかが……っ!」
盛大に寝転んで、じたばたと手足を遊ばせる。
涼宮先輩、長門先輩、朝比奈先輩。部活の中だけでもそんなにいるのに、他にも……泉先輩とか。
素直じゃない人もいるけど、彼女たちは自分のキョン先輩への想いに嘘をついてはいない。
そんな人たちと戦っても、今の私で勝てるはずがない。気合が違うんス。
それに私には漫画がある。極めると誓った、漫画道。それをほっぽり出すなんてあってはならない!
勘違いも甚だしいっス。吊り橋効果でウソッパチな錯覚の上に精神病の一種っス。
「……違う……」
前から、頭の片隅にあったんだ。だからこんなにも早くその気になった。
もう隠しようがない。私は、先輩が好き。もちろん漫画だってやめられない。
二兎を追う者は、一兎をも得ず。
「…………」
いつしか手足は暴れるのをやめ、私はただ大の字になったまま虚空を見続けていた。
次の日の朝も、キョン先輩に合わせて遅刻ギリギリに登校した。
といっても、今回は髪を整えるのに手間取ったから本当に余裕がなかったのもありますが。
やっぱり、やり慣れてない髪形は急にするもんじゃないんスねえ。
そしていつも通り、自転車に跨ったキョン先輩のお出ましっス。
わざわざ待ち伏せしてあげてるのに、自転車に乗った先輩はいつも私の横を通り過ぎようとする。
「待って待ってWAIT!」などと叫びながら、私は髪を揺らして先輩の後を追う。
1つに括った髪を揺らして。
それが視界の端に入ったのか、すれ違ったとき先輩は少し驚いたような表情で。
いつもより少しばかり早く自転車を停め、こちらを振り返った先輩の一言。
「似合ってるぞ」
「ありがとうございまス」――うまく、なんでもない風に言えただろうか?
「まさか、本当にしてくれるとはな」
「ちょ……今更冗談だったなんて言わないでくださいよ?」
「いやいや本気だって。少なくとも、田村のポニーが見たかったっていうのは」
うれしいこと言ってくれるじゃないスか。苦戦しながらも仕上げた甲斐があるってもんです。
でも。
「本ッ当に、心からそう思ってますか?」「いや、似合う似合う。それは本当だ」
「ほうほう。じゃ、先輩としては満足だ、と?」
「……ああ、」
言いかけて、先輩は、表情を曇らせる。
「……三つ編みじゃなければ」
そう、私の髪は今、1本の三つ編みになってるんス。
「惜しいなあ……編まなきゃポニーだったのに」
本気で落胆しているように見えるキョン先輩。まあ、そのうちストレートなポニテも見せてあげますよ。
「ずいぶん上から目線だな」
「サーセン」
「でも」少し溜めて、先輩は言う。「やっぱりそれも似合うよ、田村」
「ふひひ、キョン先輩のお眼鏡にかなって嬉しいっス」
「何だよその笑い方」「サーセン」
ポニーテールをわざわざ編んだのは、私のささやかな抵抗。
やっぱり私は素直になれない。やることが多すぎて、恋だけに突っ走るなんて無理っスよ。
そんな私が先輩に見せられるのはここまでです。これ以上は、他の一生懸命な方々に申し訳ないっスから。
「ポニーにしてって頼んでみたらどうスか? 泉先輩とか」
「ああ、そういう手もあるな。だけど、俺はな、」
でもね先輩、あきらめたってわけじゃないんです。モーションかけてくれたら、ほどく準備できてるんスよ?
いつまでもくよくよ悩むのは、私の性に会わないっスから。明るく前向きに、がモットーです。
時が来れば、少しずつ素直になっていけると思いますから。
「俺はな、田村のポニーテールが見たかったんだよ」
どうしてもって言うなら、先輩がほどいてみせてくださいね?
風になびいてる、この捻くれたポニーテールを。
参考資料:らき☆すた5巻73Pのひよりん