『師走』
この言葉は今のウチにピッタリやと思う。
語源についてはいろいろあるみたいやけどな。
教“師”であるウチは今“走”っている。
何で走ってんのかっていうとやな……
ちょいと長くなるんやけどまぁ聞いたってくれ。
12月も終盤に差し掛かり、忙しく走り回っていたお坊さんもそろそろひと息ついた頃。
店先の窓ガラスにはスノースプレーによってソリに乗ったサンタのシルエットが白く映され
キラキラと輝くイルミネーションが幻想的な夜を演出している。
今はまだクリスマス真っ盛りといった町並みやけど、
聖なる夜が終わりを告げると、それまで西洋の文化にどっぷりと浸かっていた人達も
皆が皆一斉に掌を返すように十字架に掛けられたキリストに背を向け
すぐにお正月ムードに染まっていくやろうな。
そんな和洋折衷な年の暮れの出来事
爽やかな朝日に照らされた寝室。目覚まし時計がウルサク鳴いている。
誰もがこの不快なサウンドに殺意を覚えた事があると思う。
ブロンドの髪を当り散らして眠っていた私、黒井ななこもその一人で、
今まさに夢の世界から現実世界へと引き戻され、朝からフラストレーションを溜め込んでいる。
「だぁー!ウルサーイ!」
悲痛な叫びと共に繰り出される手刀。ちょうど時計の頭にヒットし、
眠りを醒ますべく発せられていた高音の電子音がピタリと止まった。
「機械の分際で人間様に楯突くからこうなるんや」
自分でアラームをセットしといて言う台詞やないけどな。
毎朝恒例の攻防戦に見事勝利したからといって、また夢の世界へ旅立つわけに行かず、
力の抜けた重たい身体をゆっくりと起こし、ベッドの上でしばらく睡眠の余韻に浸っていた。
「ふぁああぁあ」
眠い、とにかく眠い。
教師というのは一日の授業が終わり生徒が帰った後も、学校に残って仕事をしないといけない。
気付けにコーヒーを飲んでカフェインを補給しながら毎日の仕事に励んでいる
やっとこさ仕事を終え、帰宅してベッドに入る頃になると、
それまで効果を発揮しなかったカフェインがようやく作用し始め、
すっかり覚醒した意識をもてあましてしまい、ノソノソとパソコンに向かう。
そして画面上に映し出される仮想世界の中でモンスター相手に剣を振り回している。
そのせいで貴重な睡眠時間が削られてしまうというわけ。
パジャマ姿のまま、ボサボサの髪をドライヤーで整える。
寝不足で若干荒れた肌を気にしながら、
まるでパテを当てるかのように荒地をファンデーションで隠していく。
最後に口紅を塗り、唇を動かして馴染ませ……
「はい!お化粧終わり!」
教師という立場上、普段から少し薄めの化粧を心がけている。
そのため一般的な女性に比べると、それにかかる時間は短い。
しっかり睡眠を取っていればスッピンでもええくらいや。
美人には化粧なんていうまやかしは必要ない。
「いってきまーす」
返事があるわけないと分かっていながら、誰もいない家に挨拶をしてしまうのは何でやろ?
しかたなく自分で「いってらっしゃーい」と小さく呟いて、職場である学校へと向かった。
「せんせーおはよー」
「おはようさん」
次々と元気良く挨拶をしてくれる生徒に応えつつ、長い廊下を歩く。
もう何度目になるやろうな、こうやって学校の廊下を歩くのは。
思い出すなぁ……教育実習でのこと。
前の晩にどうやって挨拶するかなんてのをリハーサルしてたけど、
この廊下を歩く頃には、リハの甲斐も無く頭の中は真っ白。
某「☆戦争」に出てくる金色の人型ロボットのように
カチカチでぎこちなく歩いていた自分を思い出し、
生徒達に気付かれないよう、ニヤけた口に手を当てなんとかごまかした。
自分の受け持ちのクラスへと向かう途中、岡部先生のクラスを通る。
おもむろに中を覗く。窓際の一番後ろの席に頬杖をついた女の子と
後ろを向いてその子に話しかける男の子の姿が見えた。
「SOS団」……その怪しげな集団の団長涼宮ハルヒと団員第1号であるキョン
あいつも何とか言いながら涼宮と仲良くやってるな。
イヤよイヤよも好きのうちとはよく言ったもんや。
キョンはいつも嫌そうな顔をしとったけど、あれはそういうことなんやな。
幾度となく開閉を繰り返した為にすっかりスムーズじゃなくなってしまい、
この学校の古さを前面に押し出している重たい扉を開けて教室に入る。
「起立……礼」
中へ入るや否や、白石の号令で一斉に起立する生徒達と朝の挨拶を交わすと、
学級名簿を広げ出席を取る。でもそれは始まってすぐで必ず中断させられるんや。
「泉……泉ぃー、なんや遅刻か」
「ちょっとまったー!!」
ドタバタと息を切らして教室に駆け込み、休むまもなく言い訳を始める泉を見ながら、
朝のこの流れも一体何度目だろうかと、ノンキなことを考えていた。
「それじゃ気ぃ付けて帰りや。事故にでもあったら大変やからな」
放課後
家に帰る生徒もいれば、これから部活に励む生徒もいる。
そんな生徒たちを尻目に職員室へと向かう。
先に述べたとおり、授業が終わったからといって教師達の仕事が終わった事にはならない。
生徒が帰った後も何かと業務が残っている。
学生時代は、たまたま遅くまで残った時に、明々と点く職員室の光を見て
「先生は夜遅くまで一体何をやってるのか」と不思議に思っていた。
先生という立場の人間になった今、その答えが分かったんやけど。
あの頃の自分にはまさかこんなにやることがあるとは想像出来なかった。
仕事を終え学校を出る頃、頭上には真っ暗な夜空に星が瞬き、
吐く息は白くなって闇に溶けていく。
「今夜はコンビニ弁当で済ませるか」
正しくは“今夜も”なんやけどな。
ちゃんと自炊して栄養のあるものを食べないといけない……そんなことは分かっている。
しかし人間というのは楽なほうへと逃げたくなるもんで、
今夜もまた、24時間営業でとてもコンビニエンスな店へと足を運んでしまう。
別に料理ができないわけじゃないけど、
恋人がいるならまだしも、一人暮らしの食生活はこんなもんや。
「ありがとうございました。またお越しくださいませー」
マニュアル通りの店員の声を聞きながら、自動ドアをくぐり店を後にする。
寒さに肩を竦め、背を丸めて。少し遠めに駐車した車へと向かっていると、
遠くの方で、右手では肩に担ぎ左手にもう一つと、二つのカバンを持って歩くキョンに、
何やらトレードマークのカチューシャをあつかっている涼宮の姿が見えた。
並んで歩く二人の姿にちょっとしたジェラシーを感じながら、
白い溜息を吐くキョンに向かって声を掛けようと……
「おーい、キョ」
キョンを呼ぶ声は途中で途切れた。
涼宮が道路に出た瞬間、彼女の立っているあたりが急に明るくなり、
そしてその光に照らされたキョンの目が大きく見開かれるのが見えた。
直感的に何が起きているかを理解して、買ったばかりの弁当が入った袋を放り投げ
一心不乱に走り出していている自分がいた。
冷たい夜の風が一気に熱せられるほど空気を震わせて伝わってくる、
耳が割れるようなクラクションと、悲鳴のように響く大きなスキール音。
「す、涼宮!」
重たい鉄の玉を地面に落としたような「ゴン」という乾いた鈍い音がして、
暗闇でも目立つ黄色のカチューシャがふわりと宙を舞った。
気が付くと何も無い真っ白な空間に立っていた。
上下左右全てが白く、広いのか狭いのかさえ分からない。
「どこなんや?ここは……夢を、見てるんか?」
だとすれば、20年以上生きてきて明晰夢を始めて見た。
どうせ見るならこんな白いだけの夢じゃなく普通の夢が良かったな。
それなら瞬間移動したり空を飛んだりといった芸当ができる。
今も可能なのかもしれんけど、こんな精神と時の部屋みたいなところでやってもちっとも面白くない。
少し残念に思い、どうやったらこの夢が醒めるのかを考えていると、
遠くから何か音がしているのに気付いた。
その音は軍隊行進の足音のように一定のリズムで、段々と大きくなっている
音のするほうを見ると、実際に自分の後方から大勢の人がこちらに向かって歩いて来ている。
その列はずっと遠くまで続いており、アリの大群のようにゾロゾロと蠢いていた。
もう先頭はすぐそこまで来ている。異様な光景に逃げ出したい程怖くなっているのに、
その恐怖のせいで身体が言う事を聞かず、ただ震えていた。
行列はそんな私を避けて通り過ぎて行く。
よく見てみると色んな人がいる。
杖を突いた老人
寂しげな顔をした少女
スーツ姿のサラリーマン風の男性
サッカーボールを追いかける男の子までいた
まさに老若男女、皆が同じ方向を目指し歩いている。
とりあえずこの人たちに付いて行こうと、訳もわからずその行列に加わった。
「どこまで行くんや~」
だいぶ長い時間歩いたにも関わらず、景色は一向に変わらず白いまま。
この目的地の分からない遠足は終わる事がないように思えた。
「あ、あの」
「……」
なんとなく隣を歩く男性に声を掛けてみた。
でもその男性は虚ろな目をして視線を斜めに落としたままで、こちらを見向きをしない。
他の人に声を掛けても結果は同じ。皆が皆、伏目がちで何も言わずに歩き続けている。
その不気味な雰囲気に不安を募らせながら、
どうしていいかわからず、ただただ群集に紛れ歩を進める。
白い世界にこんなにも大勢の人が列をなして歩くなんて
現実には絶対にありえないことなんやけど、何故か妙にリアルで
本当に夢であるか疑ってしまうほどだった。
どのくらいの距離を歩いただろう。
恐らく夢のせいもあって身体の疲れをまったく感じない為
余計に分かり難いけど、とにかく沢山歩いたところで
「止まりなさいっ!」
その何処から発せられたか分からぬ声にビクリと身体を震わせ、
言われた通り立ち止まってしまった。
「……あれ?」
ハッとしてあたりを見回すと、さっきまでいた行列は一瞬にして消えてしまい
誰一人として存在しない白い空間に戻った。
いや、一人だけ残っている。
どうやら叫んだのはその人のようだった。
「そっちに行っては駄目です」
そう言いながら近づいてくる人を見て私は思わず言葉を失ってしまった。
小柄な身体、そして青く長い髪、その姿は紛れも無く……
「泉! 泉やないか!?」
見知った人が出て来てくれた事に少し安心したのも束の間
「黒井せんせ」
「え?」
名を呼ばれたときどこか違和感を感じた。
この泉と思われる人物は自分の知っている泉ではない。
そう思えて仕方なかった。
声はどこか落ち着いた口調で、普段の子供っぽさがまったくと言っていい程感じられない。
そして頭には触覚のようにピンと立った髪の毛が無い。
決定的に違う所がもう一つだけある。
それは、背中からまさに天使のように翼が生えていた
「えっと……」
「うちのこなたが、いつもお世話になってます」
「え?泉の……お母さん?」
「はい」
「そんな」
泉の母親は、彼女が幼い頃に亡くなったはず。
そのため会ったこともなければ話したことなど無い。
でも今目の前にいる泉の母親、泉かなたさんは
どこか本物であるような気がした。
「先生には待っている人がいます。だからまだこの先へ行っては駄目」
“この先”その言葉の意味するものが、目の前にいる小柄な天使を見てやっと分かった。
虚ろな目でゾロゾロと歩く人達の存在が何であるかも。
あの人達は皆、もう……
「どうやったら帰れるんですか?」
「それは……」
かなたさんの指差すその先に見覚えのある姿が見えた。
「キョン!」
声が届かないのか、暗い顔をしたキョンが俯いて立っている。
「彼だけじゃない、みんなが先生の帰りを待ってます」
「みんなが?」
「まだ間に合うわ!早く行って!」
かなたさんに促され、遠くで立つキョンを目指し駆け出す。
走りながら振り返るともう後ろには誰もいなかった。
きっとかなたさんは遥か彼方へ消えたのだろう。
走っている途中、かなたさんの声だけが頭の中に響いた。
『ホントはもっとお話したかったけど、それはまたの機会に』
『黒井センセ、こなたを……よろしくお願いしますね』
キョンはもう背を向け歩き出していた。
走るスピードを速める。
「まって!……キョン!」
いくら叫んでも声は届かず、
いくら走ってもその距離は縮まらない。
とにかく置いて行かれないようにと必死で走っていると、
キョンの歩く先に、こんなに白い空間に居るにもかかわらず
それでも分かるほどまぶしい光が見えてきた。
その光のせいで段々キョンが見えなくなってきている。
「まって!」
再三の呼びかけも虚しく、キョンは光へ向かって歩き続ける。
このままでは置いて行かれる、帰れなくなってしまう。
逸る気持ちを何とか落ち着かせ、息を吸い大声で叫んだ。
「キョ……
……ォン!」
やっと夢から醒め、叫びと共に身体を起こすと、
ドラマなんかでよく聞く規則的な機械音が響く部屋
病院のベッドに横たわっていた。
扉を開ける音と「おいハルヒ!」という声が聞こえた。
恐らく病室を飛び出した涼宮をキョンが追いかけたのだろう。
病室には泉・柊姉妹・高良の4人と、
たった今出て行った涼宮とキョンを除いたSOS団の面々がいた。
どうやら無事に帰って来れたらしい。
やっぱりあれは夢やったんやな。
「せんせぇー!」
最初に声をあげたのは泉だった。
「よかった……先生死んじゃうかと思った」
失礼なやっちゃな、勝手に殺すな。
そう簡単にくたばってたまるかいっ!
「だって、だってぇ!」
胸に抱きつき泣きじゃくるこなた。
その姿を見て、不覚にも少し涙腺が緩んでしまい、
みんなにバレないようにそっと涙を拭った。
柊つかさも高良も朝比奈も、目を赤くしていた。
ウチのために涙を流してくれたんかな?
かがみは妹のつかさや、いつも頼られている泉の手前か、
同じように目を赤く染めながら、
それを二人に気付かれないようにしているみたいだった。
「しかし……状況は掴めてきたけど、結局何が起きたんや?」
今まで見ていた夢の事もあるし、
自分が病院にいて意識が戻らなかったというのは理解している。
でも何故この状況になったのか、それについては正直記憶が曖昧だった。
無表情の長門と神妙な面持ちでその横に立つ古泉の方を向き、事の経緯を尋ねる。
「先生はトラックに轢かれそうになった涼宮さんを庇い、そのまま……」
答えてくれた古泉の言葉で記憶が甦った。
あの時、夢中で涼宮の元へ走った。
少し乱暴ではあったけどそんなことは言ってられず、
半ばタックルする形で涼宮を押しのけ、なんとかトラックとの衝突を避ける事ができた。
でも自分は間に合わずに……
ぶつかった時、不思議と痛みは感じなかった。
ただ身体に衝撃が走った後、緩やかに流れてゆく景色の中、
唖然とした表情で自分を見る涼宮の顔と
突き飛ばした拍子に飛んだ黄色いカチューシャが目に入った。
そして地面に落下し「黒井先生!」と叫ぶキョンの声を聞きながら、
段々と意識が遠のいていった。
「それでこの病院へ運び込まれた……というわけです」
『奇跡的に外傷はほとんどありません。しかし、意識が……』
数時間前の病室
不安を隠せない表情の皆に向かって医師は悔しそうに告げる。
『意識が戻る可能性は?』
『なんとも言えませんが、このまま戻らないということも』
キョンの問いかけに、医師は悔しそうに答える。
その瞬間ハルヒは医師の襟に掴みかかっていた。
『あんた医者でしょ!何とかしなさいよ!』
『ハルヒ落ち着け!』
落ち着いていられないのは分かっていたが、
だからといって人に当たってもしょうがない。
何とかハルヒを落ち着かせようとするも、ハルヒは医師の胸を何度も何度も叩く。
その力はとても弱く、肉体的ダメージはゼロに等しい。
だが、それによる精神的ダメージは医師だけでなくキョンの胸にも伝えられた。
『責められても仕方ありません。医者として何もできない自分が情けない』
拳を強く握り締め医師は答える。
だが彼は最善を尽くした、できうる限りのことをやってくれた
それはこの病室にいる誰もが知っていた。それでも意識が戻るかはわからないのだ。
『あたしがいけなかったのよ……あたしのせいよ』
そんなことを言うのなら自分にだって責任がある。
俺が気をつけていれば、ハルヒがトラックに轢かれそうになる事も、
それをかばって先生がこんな目に遭う事もなかった。
『俺がいけなかったんだ……俺のせいだ』
そう思い、いつしかキョン自身も拳を握り締めていた。
『ハルヒ』
『離してよ!』
そっと肩に置かれたキョンの手を振り払い、
ハルヒは声を荒げてその場に泣き崩れた。
『いい加減n……』
『いい加減にしなよ!』
キョンの声を遮って叫んだのはこなただった。
その小さな身体からは想像できないほど大きな声で。
『誰が悪いかなんて今関係ないジャン!そんなのどうだっていい!』
『こ、こなた?』
ギョッとした表情をしているのはハルヒだけではない。
『今私達にできるのはさ、先生が目を醒ましてくれる事を祈るだけだよ』
ハルヒが、そして病室内の誰もが黙ってこなたの話を聞いていた。
祈ったからって、目を醒ますとは限らない。
そんなことはこなたにだって分かっていた……
『でも、きっと私達の祈りは先生に届くはずだよ』
『……こなた』
『とにかく私達がこんなんじゃ、先生戻ってきてくれないよ?』
『うん』
『だからさ、みんなで先生を呼ぼうよ』
「そんなことがあったんや」
あの時、きっとみんなの祈りが光となって、あの世界を照らしてくれたんや。
「涼宮さんとキョン君は別として、一番早く病院に来たのはこなただったんですよ」
「か、かがみ! 余計なこと言わなくて……」
へぇー珍しいこともあるもんやな。
普段は学校に遅刻してるってのに、えらい早いやないか
「た、たまたまネトゲやってたから早かったんです」
照れ隠しでそう言う泉。
でも、どれだけ心配してくれたかは、目を醒ましたとき見せたあの涙が物語っていた。
それがたまらなく嬉しかった。自分を「待っている人」がこんなにいてくれることも。
「あんなに取り乱した泉さんは初めてみました」
「みゆきさんまで!」
「でも最後にはあのハルちゃんを黙らせてたよね」
「ま、まぁね」
つかさに褒められたというかなんというか
タジタジといった表情でこめかみ辺りをポリポリと掻くこなた。
「それにしても、キョンさんと涼宮さん……」
「私、呼んでこようかな」
「つかささん、彼に任せておけば大丈夫ですよ。この僕が保障します」
「そうよつかさ、キョン君なら大丈夫よ」
「うん、そうだね」
「……約5秒後に、二人は戻って来る」
「え?ながもん?」
長門が真顔で言うもんやから、つい心の中でカウントをとってしまう
5……4……3……
冬の凍った風が吹き荒ぶ屋上に立ち、
ハルヒは自分が轢かれかけた時のことを思い出していた。
大きな音に気付いたときには、すぐそこまで鉄の塊が迫ってきていた。
『涼宮!!』
自分を呼ぶ声を聞いてすぐ、身体を押された。
そして、道路にへたり込む自分の目の前で……
『ウソ……キ、キョン…キョン!』
『黒井先生!!』
『先生が!……い、いやぁぁぁぁああああ!!』
「ハルヒ」
キョンの声に回想から引き戻される。
「キョン……」
「何やってんだ? 早く戻るぞ」
「う、うん」
「そんな顔すんなって。先生に余計な心配かけるだろ?」
「だって」
いつもの何千何万分の一ほどの、ハルヒの元気の無い小さな声。
無理もない……目の前であんなことになってケロッとしてるわけがない。
そう思うキョンも、ハルヒと同様に責任を感じていた。
「俺が悪かったんだ」
「そんな! あれはあたしが」
こんなところでお互いが自分を責めても仕方が無い。
キョンはハルヒにそっと手を差し伸べる。
「とにかく先生が無事でよかったな」
「うん」
「それじゃ涙を拭いて、病室に戻るぞ」
少し元気になったハルヒの手を引いて病室へと戻る。
12月の冷たい風が、誰も居なくなった屋上を駆け抜けていった。
2……1……
病室の扉が開かれ、キョンと涼宮が入ってきた。
ホンマに5秒で戻ってくるとは、偶然とは恐ろしいな
「おぉ涼宮にキョン、どこ行っとったんや?」
暗い顔をしたハルヒに、なるべく元気良く声を掛ける。
「先生、あたし……」
普段の涼宮からは想像もできない、今にも泣き出しそうな顔。
「涼宮は全然悪く無い。悪いのはトラックの運ちゃんと、ウチの運や」
少しでも和ませようかと言ってみけど、効果が有るのか無いのか。
一瞬病室内の空気が凍りついたような気がした。
それはきっと冬の寒さのせいだと勝手に結論付けしとこう。
とにかく涼宮に怪我が無くてなりよりや。
生徒を守ってこそ教師というもの。
それによって自分が怪我する事があっても、
そんな小さなことは気にならへん。
「さて、時間も遅いし、みんなもう帰りや。今日はありがとな」
皆それぞれ労いの言葉をかけてくれ、病室を出て行く。
さっきの時間予告以外はずっと無言だった長門が近づいてきたときは
正直言ってちょっと戸惑った。何をするかと思えば、長門はその小さな手で頭を撫でてくれた。
なんや小さな声で早口に言うとったけど、心なしか少し身体の疲れが取れた気がするな
あれは長門なりの優しさやったんやな。
「あ、キョン……それから泉」
最後にちょうど残った二人に声を掛ける。
この二人には言っておかないといけない事があるからな。
「はい」
「なーに?センセ」
「キョン、ありがとな」
「いえ、礼を言わないといけないのは……」
急にお礼を言われたキョンは戸惑っているみたいや。
キョンのことやから、責任の一端は自分にもあるなんて思とるんやろな。
「そうやないねん」
もちろんかなたさんの存在が大きかったけど、
あの時、キョンが出て来てくれなければ、おそらくこの世界へ帰ってこれなかったはず。
そうすれば今頃はあの行列と一緒に黄泉の世界を目指して行進していたやろな。
「とにかく、ありがとう」
「はぁ」
どこか腑に落ちない表情のまま、キョンは小さく頷いた
「それから泉」
泉はウチら二人の顔を交互に見つめ、
少しでも話を読み取ろうとしていたみたいやけど、さっぱり分からずポカンとした顔。
自分の名前を呼ばれたことにさえ気付いていない。
「泉ぃ?」
「へ?あ、何ですか?」
「お袋さんが心配しとったで。いつも夜遅くまで起きてるからって」
「え?お、お母……さん?」
まさかここでかなたさんの名を聞くとは思いもしなかったようで、
さっき以上に口を開け、目を丸くしている。
「よう似とるんやな、一瞬分からんかったわ」
「でも、お母さんは私が小さいときに……」
そう、泉の母親かなたさんはもうこの世にいない。
だから初めて会っのがあの夢ということになる。
でも、あれは本当に夢だったのだろうか?
そう思えてくるほど記憶がハッキリとしている。
「実はな……」
さっきまで見ていた夢、白い空間でのことを二人に話す。
その話を二人は真剣な顔で黙って聞いていた。
「先生、きっとそれは夢じゃないよ」
「なんかウチもそんな気がするんや」
あの体験がただの夢で、かなたさんの存在も自分で勝手に作り上げたものなのか。
それとも科学で解明されていないようなな理由で、自分を導いてくれたのか。
それは分からへんけどやな……
一つだけ分かった事がある。
自分のことを慕ってくれる生徒達が、
意識の戻らない私の為に必死に祈ってくれる生徒たちがいるということ。
それは自分にとってかけがえのない大切なもの。
この子達を守るためだったら死んだって構わない。
こんなことを言うと、かなたさんに怒られるやろか?
「じゃ、もう行きます」
「先生お大事にねー」
「あ、ちょっとまって」
最近めっきり寒くなってきたけど、病室は冷暖房完備で今は暖房ガンガンや。
その上ベッドで毛布を被っているから少し暑い。
悪いけど、空気入れ替えてくれへんか?
「えぇ、いいですよ」
「私開けるね……キ、キョンキョン」
窓を開けようとした泉であったが、決して高くない身長のせいで
窓の上にある防犯用の補助の鍵に手が届かなかった。
仕方なくキョンが泉の後ろから窓を開ける。
開かれた窓から冷たい風が吹き抜けた瞬間、
二人は「あっ……」と声を漏らし、じっと外を眺めていた。
「どうした?雪でも降ってんのか?」
「先生、やっぱり先生の見た夢は……」
「キョン!行くわよ!」
「こなた、そろそろ行くよー」
何か言いかけた泉の声を遮り、すっかりいつもの調子を取り戻した涼宮と、
まるで我が子に呼びかけるかのようなかがみの声が、
同じタイミングで病室の外から聞こえてきた。
二人は顔を見合わせて苦笑い。外へ向かってそれぞれ返事をした後、病室を出て行った
誰も居なくなった病室はシンと静まり返っていて、
一人になった途端、それまでより広くなったような気がした。
「ふぅ」
いろいろと疲れの篭った溜息も、無機質なコンクリートの壁に吸い込まれていく。
先ほど二人が外を眺めていたのが気になって窓越しに空を見る。
後から聞いたところによると、二人は確かに見たというのだ。
風に吹かれ、一枚の白い羽が病室内から夜の闇へ向かってヒラヒラと飛んでいったのを
二人はしばらく、星空を舞うその羽を眺めていたらしい。
キョンとこなたの見たという白い羽はもう天高く昇ってしまったようで、
星の中からそれを見つけることはできなかった。
外傷はほとんどないけど、一応大事を取ってしばらく入院する事になるやろな。
今年は病院のベッドで年を越すことになりそうや。
「ま、それもええか」
2007年も残すところあとわずか。来年はどんな1年になるのだろう?
「Happy New Year」
早すぎる新年の挨拶を一人呟き、ゆっくりと目を閉じる。
段々と夢の世界への扉が開かれていくのを感じながら、
もし次に気が付いた時、またあの白い世界にいたら
今度はかなたさんとゆっくりお話しよう……そんなことを考えていた
最終更新:2007年12月31日 13:38