「わー、綺麗…」
かがみはずっとそれを見つめている。
ショーケースに入れられた物言わぬマネキンの首に掛けられたネックレス。
男で特に興味の無い俺でも黒光りするネックレスのパーツに惹かれる。
今日は所謂デートって奴だ。……付き合ってはないが。
駄目元でかがみを誘ってみたら、あっさりとOKを貰った。
日曜日。何という在り来たりな設定か、とも言われがちだが構わんだろ。
久々に出来た休みだしな。
先日、予定が出来た時に何処を回るか話し合ったが、返事はお互い「任せる」だった。
俺は一昨日まで練った挙句、最終的な案が何か気に入らなかったのでかがみに謝り、許された。
結果、『街中を歩こう』って簡単な計画となったのだ。
とは言っても、やはり流行に詳しいのか女性としての性格上か立ち止まるのはかがみばっかりで。
いや、不満は無いぞ。楽しそうだし。
しかし気付けば午の刻は過ぎてる。
綺麗なのは解るが、かがみ、飯食おうぜ。
「え?…ああそうね。何処行く?」
近くに美味いレストランがあるのは一昨日までにリサーチ済みだ。
俺はかがみの手を取って暖かい日の下を歩く。……別にいいだろ?
かがみは照れ臭そうに握り返してくれる。
「あのネックレスのゲルマニウム…だっけ。やっぱりいいのか?」
ネックレスに『大人気☆』と痛々しく羅列された褒め言葉のカードが付いてて気になった。
「んーまぁねー。純度高いし」
純度?
「文字通りよ。その物質の純粋さ」
そうなのか。
ゲルマニウムってチタンネックレスみたいなもんじゃなかったっけ。一時流行ってたな。
俺はアレが効くとは思ってなかったが。
「私も思ってなかったわよ、」
少し狭い路地に入る。
住宅街の中の店の為、ご家庭の昼飯が香ってくる。
いかん、腹が更に飢えてしまう。
足が速くなる。
路地を抜けて、右を見ると綺麗な装飾の看板があった。
俺はかがみに「ここだ」と言って、自動扉の中へ行く。
中は如何にもなレストランで(当然だが)奥様方はほとんどだった。
古泉より安心感を持てるスマイルをする店員に案内されて、窓のある席に座る。
俺はハンバークステーキセット、かがみはナポリタンを頼んだ。
店員さんは「畏まりました」と一礼して厨房へ歩いて行った。
「あー腹減った」
注文受付序でに持って来た水を半分程飲む。
「こんくらいならいい具合に回ってるでしょ、少し待てばいいのよ」
頬杖をついて、かがみもコップに口を付ける。
ここに来る時かがみも腹の音は鳴ってたからな。まぁ言わないでおくが。
「はぁ、にしてもゆっくりするのって久しぶりよね」
表では車が忙しく行き交い、"時間"がずっと流れている。
かがみはその光景をただ眺めている。
「そだな…」
俺はポケットに手を突っ込み、確認してから、携帯を取り出す。
こなたからメールが届いてる。
まぁ中身は皮肉を込めた応援メールだったが。
かがみが俺に何してるのか問い質して来たタイミングで料理が運ばれた。
鉄板の上で油が魚のように小さく跳ね続けている。
スパゲティとハンバーグステーキなんざ一緒に来るようなメニューでも無いんだが、同時に来たのは気遣いか。
俺とかがみは手を合わせて、食事の挨拶をして互いにフォークを手にする。
「この後どうする?」
ナイフが柔らかいハンバーグステーキを切断していく。
「そうだな…かがみは何処…」
そういやお互い無かったんだな。
言葉を詰まらせて、頭の中で行けるような場所を探索する。
「あー、私さー…」
スプーンの上でフォークを回転させながら、頬を赤らめる。
俺は口に入ってる付け合せのポテトを飲み込んでから問う。
「こんな時間から何だけど……」
既にフォークにはパスタは絡まり切っている。
俺は再度問う。
「遊園地、行きたいな…って」
俯いてポツリと呟いた。
両側頭部の大きなリボンの下から見える耳も赤くなってる。
「子供っぽい」とか言われるとでも思ってるのかね。
通り掛けのおばさん、煩いぞ。何もしてねぇよ。
と、間を長く取ったものの、だ。俺の返事は決まってる。
「ああ、行くか」
少し性格とは違う感じだったか?まぁいいか。
ていうか俺が断る筈も無し。ハルヒが連れ回してるんじゃないしな。
「ありがとっ」
かがみはにこっと笑う。
すまん、ストレート過ぎるぞ…。
「どしたの?」
「なんでもない」
自分の笑顔の魅力にぐらい気付いて欲しい…とは思うが気付いたら気付いたで何か困る気がする。
気のせいだろうけど。
「なんで遊園地だ?」
「別にー。中学の時も後半は忙しくて行けなかったしさ。ふと思っただけよ」
俺もテーマパーク関連はほとんど行ってないな。
映画館はたまに谷口が誘って来るから行くけど。
まぁ子供時代に帰るのも良いかもな。
気付けばかがみのナポリタンは殆ど無くなっている。
「あ、ゆっくり食べていいわよ?」
かがみは最後の一口を食べて、口を優しく拭いて水を飲む。
俺は微妙に早く食べ、ちゃっちゃと店を後にした。
支払いは個人持ちだった。俺としてはどっちでも良かったんだが。
ここらで最近の遊園地はバスで一本のルートだ。
とりあえずバス停を見つけてから時刻表を見て、しばらくベンチに座って待つ。
遊園地はこの辺りだと、都会の方にある。
とは言っても、やはり山が見えるような場所にはあるが。
俺達は学校の教師の事や授業に関してのかがみ先生の講座というまぁ休日の空気があまり無い会話をしてた。
待ってると、2人の子供を連れた父母がやって来る。
挨拶をするワケでも無いが、こういう光景はやはり日曜日か。
父に高く持ち上げられてはしゃぐ子供を見てかがみも静かに笑ってる。
すると母親が見ているのに気付き、お辞儀をしてくる。
俺達は自然と頭を下げ返す。
その母親は「あらあら」と口に手を添えて慎ましく笑う。
その行動にかがみはまた赤くなり、死角の脇腹に肘打ちをしてきやがった。
お陰で俺が赤面する事は無かった。
かがみが目を閉じて深呼吸をして自身を落ち着かせる。
かがみって何気に純粋だよな。こういう所は誤魔化せなくて面白くて可愛い。
「ねーおねーちゃん」
かがみの足元でもう1人の子供がロングスカートを握っている。
「ん、どうしたのー?」
かがみは前屈みになり、頭を撫でる。
「おねーちゃんとこっちのおにーちゃんって付き合ってるのー?」
漫画で表すなら『ぼんっ』って音がしたに違いない。
かがみの顔が瞬時にトマト色に染まる。
かがみの顔は見えないが、子供の無垢な顔はクエスチョンマークを付けている。
撫でる手も止まってる。
しゃーない。
俺は腰を上げて、子供の横に屈む。
そして、かがみの肩を手にして寄せる。
「へっ、キョ…」
「お兄ちゃん達はな、付き合ってるんだ。お前も大きくなったら…コイツみたいなイイ子と付き合えよ?」
有無は言わせない。かがみは俺の彼女だ。文句あっか。
「…………バカ」
はいはい、バカですよ。
子供の頬もほんのり紅潮していく。
「あ……うんっ」
子供は元気よく拳を握って答えた。
俺も歯を噛みながら笑い返した。
バスが一台到着する。
俺達の行き先とは違うバスだったが、さっきの家族の行く先はこのバスのようだ。
母親が俺と喋ってた子供を呼び、もう一度お辞儀をしてバスに入っていく。
「ばいばーい」
子供が手を振るので俺は扉が閉まるまで手を振り返してやった。
「…………」
かがみは俯いて腿に手の平を押し付けている。
照れてるんだろうな。
「かがみー?」
「………カ」
はい?
「バカッ!バカバカバカバカァ!」
いつも学校では絶対に見せない殴り付けを喰らわせて来た。
肩パンを喰らってる様で地味に痛い。
「わ、悪かったって」
悪気は無いが、本当に謝罪する気も無い。
「………ばか…」
握られた拳は開き、俺の服の肩の部分を強く握り、頭を俺の肩に押し付ける。
「…すまん」
握られてない手を頭に乗せる。
シャンプーの匂いが少し離れててもほんのり香る。
「…なんで言ったの…そんなこと…」
「ん、少なくとも俺はそう思ってたんだが…違ったか?」
「ちっ!」
かがみは反射的に顔を上げる。
「ち」とだけ言って、かがみは口を開けて硬直して。
「…もういいわよ、バカ。」
そっぽ向いてそう言った。
へいへい。
俺達の乗るべきバスがやって来た。
「ん~…」
バスが目的地に着いて降りると、かがみは大きく伸びをしている。
バスは所々座れる感じだった。
俺とかがみは2人座れる席にずっと座っていた。
座り過ぎてた所為で少し腰が痛い。
「年ね」
喧しい。
少し遠くを見れば、観覧車が見える。
俺達は真っ直ぐソレを見ながら遊園地に向かう。
ポケットがゴツゴツするのは大丈夫な証だな。
俺達は中々若い受付嬢から入場券を購入して、券を機械に通して入場する。
フリーパスにしても良いんだが、時間が時間だ。
俺は基本的にもう今何が楽しいかも解らんし、何回も乗りたいと思う歳じゃない。
要はかがみについていくつもりだ。人任せ主義な性格を許してくれ。
「で、何のアトラクションに行くつもりなんだ?」
3時を過ぎた辺り、小学生だけのグループや親子連れもまだ沢山いる。
バスに揺られたお陰で少し脳が眠りそうだ。
小さい欠伸をする。
「えっとね…」
かがみは作り笑いをしながら頬を掻く。
「あれ」
と指差したのは、俺達がココに来る為の道標となってくれた巨大建造物。
観覧車。
「こっ、子供っぽく…て…い、嫌、かな…?」
いやいや、俺に否定する由も無し。
観覧車か。遊園地に行っても少し背も伸びる歳になると乗りたいのは思えなくなったっけ。
いや、表現が悪いか。
高い所は好きだ。アスレチックとか半端な高さではなく高層ビルの屋上とか。
不謹慎だが一度行ってみたいとは思う。あの高い所から下を見れば人はどう見えるのか、とか。
ヘリ中継とかでたまに見るが、生で見るのがささやかな願望だ。
乗りたいと思えないのは周囲の目ってヤツだな。今はあんまり気にはしないが。
「いいな、乗ろうか」
「え?いいの?」
何でそんな顔をする。俺があっさりと肯定したら駄目か?
「へっ? …ううんっ」
かがみが小さく首を横に振る。 ツインテールが前後する。
「じゃあ乗ろ!」
かがみは活発な表情で俺の左手を取って駆け出す。
「おっ、おい!」
「早くしてよっ、結構あの観覧車人気あるんだからっ」
気持ちは解るが俺の方も察してくれ。…無理か。
俺の体に引っ張られる右手に力を入れて、ポケットに突っ込む。落ちないように。
でもこれすると走りにくいんだよな。仕方ないけど。
かがみは最短ルートで俺を連れて行く。
その足は止まる事知らずで、俺が先に体力的にへとへとだ。
観覧車の下へ着くと、『最後尾:約30分』と書かれたプラカードを持つ女性が立っている。
かがみは並んでから、初めて膝に手をついて肩で息をした。
夢中になってる間はしんどくは無いんだよな。
「はぁ…良かった……」
多分30分くらいってのは早い方なんだろう。
列の半ばでは父親がソフトクリームを買って列に並び直していたりする。
数分と経たない内に後ろでもカップルが並び始める。
確認してないが後ろの声を盗聴する限り長い事付き合ってるようだな。
俺もそうなる事を祈るべきか。
「ねぇキョン」
かがみがくっ付いて来る。
「……いや、なんでもないわ」
と言われると余計気になるんだが。
「なんでもないから気にしないで」
「そうか」
追及しても良かったが、ガラじゃないしそこまでして知りたくないので止めた。
しかし、夏ならこの立ち呆けは汗だくになるだろうし冬なら凍えてしまうだろうな。春で良かった。
かがみは眉間に皺を寄せてずっと何かを考えているようだ。
俺は何とも言えない虚しさを抱え込みながら約30分を待った。
アルバイトであろう若い青年が扉の開閉をしながら搭乗客を案内する。
勿論俺達もそのマニュアル通りにされる。しかしその笑顔は古泉を思い浮かべるな。
蛍光色の黄色が劣化した低めの円柱を倒したような乗り物にかがみの後に乗る。
なんとなくかがみの向かい側で、凭れ易いように端に座り壁に凭れた。
ごぅん、と機械が動く音が部屋に響き、動いているのが解る。
後ろのカップルも次の部屋で入っていくのを見下ろせる。
で、かがみは、というとだ。
未だ何かを考えてる。躊躇ってる表情にも取れる。
折角なのに、とは思ったが、権利はあるからな。俺が拒ませる理由も無し。
隅に凭れて、対角線に景色を見る。
その景色は下から見るのとは大違いで。
少し先には木が茂り、遠くには青々とした海がある。
正直うっとりしてしまう。
………………
「キョン?…おーい」
頬をぺちぺちと叩かれる。
「ん…」
呼ばれて周りを見れば、早く乗りたそうにしてる子供が見える。
眠ってたのか。
「ぐっすりと、ね」
かがみが俺の手を取って、早く外に出させる。
日向に出て、直射日光をもろに喰らう。
風景が目に上手く映らない。
「目、覚めた?」
「ん…ああ」
目を幾度か擦り、やっと映った空の色はオレンジに染まり、夕暮れを示す。
「悪いな…折角二人きりだったってのに…」
「私は良いんだけど…」
頬に変な感触がある。
凭れてたからかね。
「ね、キョン」
返事をして、一度大きな欠伸をする。
そういや上着のポケットは未だ重みに堪えてくれてるようだ。感謝したいね。
かがみは少し躊躇ってから手を繋ぐ。
「…帰ろっか」
「…そだな」
俺達は遊園地を出て、行きと同じバス停へ行く。
俺達がバス停着いてから乗ったバスは準急だった。
帰宅ラッシュの手前なのか、未だ座席は空いている。
また2人席に一緒に座る。
「ふわ……」
かがみが小さく欠伸をした。
「眠いのか?」
失礼ながら俺は寝てたわけだが。
「ちょっと、ね…」
そのまま潤んだ目を擦る。
口数が少ないのは寂しいが我慢だ我慢。……俺が喋る事が無いのも事実なんだが。すまん。
「何謝ってんのよ?」
いや、観覧車に二人きりで乗ってたのに…寝ちまったから、な。
「なっ、何を考えてたのよアンタ」
いや、別に。そのままの意味だ。キスとかじゃなくてだな。
「…それならいい…んだけど」
かがみの様子がおかしい。
「そういやかがみ、ずっと何考えてたんだ?」
「!」
俺が握ってるかがみの手に力が加わる。
「な、なんでもないわよっ」
かがみはそのまま俺にそっぽ向き、ツインテールを見せる。
首を傾げるくらい反応が不思議に思えたが、気にしないでいることにした。
「あっ、着いたっ。ほら、早く出て出て!」
俺に今の事を忘れさせたいのか急かして来る。手は握りながら。
出ようとしてた人に先を譲り終えてからバスを降りる。
ここからだと俺の家よりかがみの家の方が近い。俺の家はバスで更に1つ走るのが最寄りのバス停になるからな。
バスから降りると、見渡す限り既に暗く、街灯がちらほら点き始めてる。
冷たい風も吹き始めた。
「さぶ…」
かがみが不意にそんなセリフを吐く。
冬至もとうに終え春めいたこの頃とは言え、流石に薄着は不味かったか。
上着でも掛けてやるのがセオリーだったかも知れんが生憎かがみよりは暑がりな俺も薄着だ。
服を抜けて地肌が冷える。
「温かい飲み物でも買うか」
「そうね……オゴリ?」
構わんが。
自販機で俺はエスプレッソ、かがみにはカフェオレを買う。勿論ホットだ。
肌に当てて暖を取り、暫くしてからタブを持ち上げて飲む。
「休みって早いわね」
「そうだな…。楽しかったら尚更…だな」
どっかの祭りみたくゆっくりと小さく歩みながらでも、かがみの家には近付いてる。
時が止まれば良いのに、というのは実際に思うもんなんだな。
ハルヒの願望で止まらないだろうか。
マナーモードにしてた携帯が震え出した。
「すまん、かがみ」
繋いでた手を離して、ポケットにある携帯を取り出す。
……近くにいるんじゃないだろうな?
ハルヒからのメールだった。
『明日下に書いた物を持って来なさい!
トランプ・鉛筆3ダース etc...』
せめて今朝に言えよ、と心の中で突っ込みながら、何もせず携帯を空いているポケットに入れ直す。
……………待てよ。何かがおかしい。
「…あれ?」
「どしたの?」
「…無い」
「何が」
全てのポケットに内外から触れて確認する。
結論。無い。
「キョン?何が無いのよ。財布?」
いや、財布はあるんだ。携帯も。……今日持って来たのはそれにあと1つ。
「すまん、ちょっと待ってろ!」
バス停から降りた時はあった。
という事はこの今まで歩いた道中しかない。
かがみにそう言って、俺は来た道を戻る。
「え、ちょっ、キョン!」
すまん、悪く思わないでくれ……。
「何処だ」
薄暗い中で黒い箱は見つけ難いから困る。
隅から隅まで、時には排水溝まで街灯や携帯のライトで照らしてはいるが見つからない。
「畜生」
普通に言ってもいいんだが、都合よく欲しがってたじゃねぇか。
昼前の欲しそうな顔を見ただろ。
何ならここであれを持ったチンピラが出て来ても良い。
『これを返して欲しくば幾万円寄越しな』と言って来てくれた方が有難い。
そんな漫画的でもいいんだ――俺に見つかってくれ。頼む……。
少し絶望感に浸る。かがみと握ってた手も冷たい。
「…なんなのよ」
一人残され、石垣に凭れている。
治安は良い方だが、薄暗いこの通りじゃ人は少ない。
やはり恐怖はある。
冷たい風は更に私を冷ませる。
「キョン……」
中身の無い缶も熱を失い、自身を温める物は無かった。あるのは吐息だけ。
心細い。
指が唇を這う。
彼が寝てる間に頬に触れた唇は温かったから。今も温いと思って。
ほんのりと観覧車でしてしまった行為に思い出して恥ずかしがるが、やはり温かくは無い。
この薄暗い恐怖感が嫌だ。
けれど、知り合いの誰が来ても今の私はそこまで嬉しいと感じないだろう。
今、直ぐに、彼が来て欲しい。
離れた理由は解らない。
キョンが遠ざかっていった方をかがみは見る。
一つの影が近付いてきた。
「キョンっ」
気付けば私は少し涙目だった。
「ああもうっ!何処にあるんだよ!」
バス停まで来てしまった。
ゴミ箱まで見た自分がアホらしい。何処に行っちまったんだ。
噛み締めて、バス停の近くの電柱を殴る。
手がじんじんする。さっきまで温かかった手が。
かがみには普通に言おう。それが普通なんだが。
やはり補助があればそっちに頼ってしまう。
自分が憎い。
頼る自分も無くす自分も。
もう諦めた。
一度深呼吸をして、次は走ってかがみの家のルートを通る。
「すまんかがみ…」
数分後に街灯に照らされたかがみを見て真っ先に謝る。
「いや、いいんだけど……キョン?」
息がまだ切れている所為で上手く声が出ない。
かがみの表情が少し焦っている感じだ。
「これ……」
と言いながらかがみは自分の両手を受け皿のようにしてアルモノを見せて来る。
「…キョンの…かな?」
そのまま片手でアルモノ――1つの黒い箱の下を持ってもう片方で蓋を開ける。
中身は小さな指輪だ。純度99.999%のゲルマニウムが輝く。
「ああ…そうだが…何で持ってるんだ?」
「さっきさ、ある女性に"落とし物"って言われて渡されたんだけど……」
蓋を閉める。
「『知りません』って言ったら『じゃあもう1人の方のかも知れません』って言われて、さ。
もしかしてコレ拾いに行ったのかな、って」
何ですれ違わなかったんだ…。
「『もしそうならその人には迷惑掛けたかも知れません…少し回り道したんですよ』だって」
俺の苦労を返して欲しいな…。感謝するべきなんだろうけどさ。
「…でさ」
かがみが一度咳込む。
「どう見てもキョンの指のサイズじゃないしさ。しかもこの箱…けっ…結婚、指輪…とか入ってるアレじゃないの?」
かがみは再び開いて見る。
「………コレ…私に……とかだったり…………する…のかな…」
なんかずっと悶々とし続けて来たモノが瞬間的に消却されたな…。
こうなったら当たって砕ける、しかないか。
気付けば息も平常を取り戻している。
「ああ、そのつもりだ」
「……ありがと」
「かがみ」
胸が高鳴ってる。こんな事した事無いからな。
「な…何…?」
かがみも解ってる…みたいだな。
「改めて、になるけど…。 好きだ。付き合ってくれ」
今日はそれを渡して言うつもりだったんだが…。仕方ないか。
今脈拍計ったらやばい気がする。
「……うん」
かがみは唇を動かさずにそれだけ言った。
「ねぇ、この指輪…付けてくれない?」
薬指は恥ずかしいから…、とも言って。
「ああ」
俺は差し出された指輪の箱を受け取り、指輪を摘んで持ち上げる。
かがみは俺に左手を差し出す。
かがみと目を合わせ、微笑み合い、それから人差し指に通した。
「ありがと」
どういたしまして。
改めて心の中で届け主にお礼を言う。結果論になっちまったが。
「お姉ちゃーん、キョンくーん」
後ろからマフラーを着けたつかさが小走りでやって来た。
手には手提げ袋。買い物か。
「お似合いだねぇ」
つかさは嬉しそうに笑う。
さっきの流れを見たらどう思ってただろうな。
つかさから手提げ袋を取る。
「あ、ありがとっ」
無垢な表情が愛らしい。浮気じゃないぞ。
「楽しかった?」
つかさが問う。
「ああ」
「うん、楽しかったわ」
「そっかぁ…。私も彼氏欲しいなぁ」
キョンくんみたいなっ、と笑う。
「ダメよ、キョンは私のヒトなんだから」
かがみはそう言いながら腕に抱き付いて来る。
ま、まて。少し胸が当たってるぞ。
「わかってるよー」
そのセリフを聞いてからかがみは俺の腕への束縛を解く。
「ていうか、本当に付き合ったんだねっ」
かがみが赤くなった。
そういや正式に告白したのは今さっきだったな。
俺もかがみも既にそんな気分だったからな。
今の俺達に対する周囲の現状把握してなかった。
「あ、気にしなくていいよ?多分みんなそう思ってるから」
つかさが手をひらひらと振りながらさらっと言った。
「………え」
かがみの逆上せたような肌が一気に元に戻る。
「ていうかこっそりとやってるって思ってるの2人だけじゃない?」
開いた口が塞がらない。
「あ、着いた」
つかさのそんな声でしっかりとした意識を取り戻す。
「え、あ、ああ、着いたわね。キョン。袋」
かがみは呂律が上手く回らないまま強引に俺の手から手提げ袋を取る。
「ん、ああ。すまん」
「ありがとうねー」
「キョン、ありがと。でさ……」
かがみはまた咳込む。
この行動は何かを思い切る癖なのか。
「ん、どうした?」
――――――――――っ
かがみが少し背伸びをしていた。
小さな音が耳に入った。
観覧車を降りた時に感じた頬の温かい感触が理解出来た。
「~~~~~………じゃあねっ。ほら行くわよつかさ!」
足早に少し熱るつかさを引っ張って、かがみは家に入って行った。
俺は頬を撫でて、しばらくしてからかがみの行動を理解して。
時間差で悶えながら、ゆっくりと自分の帰路を歩んだ。