キョンは静かに暮らしたい

泉どなた ◆Hc5WLMHH4E氏の作品です。


「ひどすぎる……なんてヒドイ目にあう一日だ」

俺は出来ることなら『静かなる人生』を送りたいと思っていた
デパートの戦隊ショーで、アカレンジャーに入ったオヤジを目撃したわけじゃないが
宇宙の遥か彼方……光の国から僕らの為に飛んで来る超人とか
世界の平和を守る為、街を走る珍走人間ならぬ改造人間だとか、
そんな奴等の助けが必要なほど、怪獣や悪の秘密結社の方々が沢山いる世界なんて、
とても『心の平穏』とは遠く離れたもので、そんな生活を送るよりは
頭をかかえるような『トラブル』や、夜も眠れないといった不安もない
ごくごく普通の高校生活を送りたいと常日頃から考えていた
一体何故か? それは俺がごく普通の平凡な人間だからだ
所詮凡人は凡人、蛙の子は蛙
日本のどこにでもあるような家庭に生まれた俺にとっては
この普遍的な日常生活が一番居心地の良いものであって、
常識を覆すほどぶっ飛んだ世界を俺は望んでなどいなかった

なんとも物語の主人公らしからぬ冷めた心を持っていた俺なのだが
そんな心は、あの御方と出会った瞬間に脆くも崩れ去ってしまった
そいつは俺とは逆に普遍的日常生活を居心地の悪いものだと感じており、
先に俺が否定した奴等の登場を今か今かと心待ちにしていたのだ
しかし、相手もそう簡単に出て来てはくれず、そこで達した結論とは
出てきてくれないのならこっちから探すといういかにもアイツらしい単純明快なものであった
しかしそんな奴等が居たとして、一体何があるっていうんだ?
『そっちの方が面白いじゃん!』
ハルヒは目を輝かせ嬉しそうに話していたが、俺にとってそれが面白いものだとは到底思えない
だが俺の人生のレールは、その時既にハルヒの思う面白い方へと進路を変えていたわけである
さらば俺の平穏な日々よ、フォーエバー♪


「これは一体どういうことか説明してもらおうか」

放課後の文芸部室 もう既に日が落ちかけ、薄暗くなった校舎
学校の裏手に位置するこの部室棟は、そのせいか普段自分達がいるクラスより寒く感じる
季節は冬である。 今でこの寒さだ、これからもっと寒くなるのかと思うと
まだ遠い春の訪れに、儚い想いを馳せてしまう
そんな想いを嘲笑うかのように、冷たい風が身体の体温を奪っていく

人体の防衛本能の働きによって、背中を丸めては小刻みに震えながら、
俺は目の前で下を向いて立っている、成長期というものを忘れてしまった少女に
いつもより少し強めに言葉を投げ掛けた。 機嫌が悪いのかと聞かれると否定はしないが
それとは別に声を強めに出さないといけない理由があるのだ
「えっと」
言われたこなたはまさにシュンとした様子でモジモジとしている
体格のせいもあり、その姿は先生に怒られている子供のようだな
そんなこなたを見ていると少し気が重くなるが、俺にはそれを気にするほどの余裕は無い
さて、虫も殺さぬ優しい心を持った俺が、何故こうもこなたに対して厳しくなっているのか
そして何故腹から声を出しているにも関わらず、まったく迫力が感じられないか
その理由を、今ここで諸君等に説明しておこうと思う次第である


退屈で憂鬱な授業が終わり、いつものように部室に向かった俺は
自分で淹れたお茶を啜りながら、一人寂しく皆が来るのを待っていた……

「ズズズ……」
音を立ててお茶を飲むのは行儀が悪いと思われがちだが、啜ると言うくらいだし
うどんやソバといった麺料理同様、音を立てることに問題はないだろう。
それに何よりもまず、今まで沸騰していたお湯で淹れたお茶を口に含もうとすると堪らなく熱い
だから息を吹きかけながら恐る恐る口に運んでいるのである
喉元過ぎれば…とは言うが、お茶の熱が食道を駆け巡り、やがて身体の隅々まで行き渡る
寒さに収縮していた筋肉も緊張を解かれ、すっかり身体の力が抜けた俺の元に眠気が襲ってきた
襲ってきたとは言ったが、それは授業中や深夜の試験勉強中に近づいてくるものとは違い
まったく敵意の欠片も感じられないものだった
しかし寝るにしてはちと寒いと思った俺は、苦労して運んだ思い出のある
なんとも感慨深いあの電気ストーブのツマミを、贅沢にも800Wに合せた
「来い来い来い……」
ここで始めてこのストーブを点けた際もこうやって煽っていた気がする。
小さく唸るような音と共に二本のガラス管に巻かれたニクロム線の灯が
俺のかざした手を赤く染め、その掌に放射熱が伝わってくる
しかし、この放射熱が当たっている面はもちろん温かいが
それ以外の部分は冬の冷気に晒されているわけで、そんな気休め程度の暖を取りながら
未だ誰一人として現われない団員を待つ間、穏やかな眠りに付いたのだ
そして眠りから覚ますと、目の前にはほくそ笑むこなたがいて……

「なんだこなた…ってなんだこれは!?」
目覚めてすぐは、きっと寝惚けているのだと思っていた
街で見かける看板広告に載った女優の顔ぐらいと表現すれば分かりやすいだろうか
今こちらに向けられているこなたの笑顔がとてつもなく大きかったからだ
しかし、それはこなたが大きくなったわけではなく、どうやら俺の方に問題があったようだ。

なんと俺の身体が、その10分の1程度にまで縮んでいた
『そんなベタな……』と思った諸君
では聞くが、諸君等は自分の身体が小さくなったことがあるだろうか
恐らく、というか絶対にそんな経験はしたことがないはずだ。 だが俺は違う
俺はこれ以外にも常識というルールではかれないような経験をしてきた
だから今回も、本来なら驚くべきことが自分の身に起こっているというのに、
ある種の免疫というものが出来上がってしまったがために
マンガやアニメの世界ではある意味お約束である『身体の収縮』が
今の今まで降り掛かって来なかったことを不思議に思っていた
俺の身体には既にハルヒの毒が全身に廻り、すっかり麻痺してしまったのだろうな
とにかく起きてしまったことはしょうがないとして、
不幸中の幸いは身体と一緒に服も小さくなっていることか
そうしないと、こなたに生まれたまんまの姿をバッチリ見られていたからな

俺が最も恐れていた事態は免れたが、不幸であることに変わりはない
しかしそれがよく分かっていない奴が、目の前にいるこなただ
「可愛いからいいじゃん」
「わかったから突付くな掴むな頬を摺り寄せるな!」
こなたは俺を軽々と持ち上げると、頭を撫でながら
大きな石の付いた金属のリングを指にいくつもはめ、
高級なネコを愛おしむ貴婦人のように、俺を自らの頬に摺り寄せている
そりゃこなたのフニフニとしたホッペの感触は心地良いものだが
この大きさだと、それがいくら柔らかいとはいえ結構な衝撃があるんだよ
「ちぇ…はい、降りて」
こなたの“大きな”手から机へと降り、胡坐をかいて座る
この大きさだ、この机もいつもの何倍もの広さに感じられる
今ならここでサッカーでも何でも出来そうだな

どうして俺は小さくなっているのか、まずはそれを解明する事が先決だ
こなたが何か知っているのなら、是非それを教えて貰いたいんだが……
「おい聞いてんのか?」
こなたは腕を組みそこに頭を擡げ、まるでマジックで線を引いたかのような目をして
俺を指で突付いて遊ぶ。 当たり前だが、こんなに大きな指に突付かれたことなど一度も無い
まさかこれほどまでに不快だったとはな……いつかデパートのペットコーナーで
今のこなたのように突付いて遊んだハムスターよ、俺は今本当に申し訳ない気持ちで一杯だよ
「ずっとこの大きさでいいのに」
お前はそれでいいかもしれんが、俺はそうはいかない
考えてもみろ、こんな身体でこれからどうやって生きていけばいいんだ?
今の俺にとっては出会うもの全てが脅威になるんだ
もしここにゴキ☆ブリが出てきたりしたら、俺は舌を噛み切って自害するね
「Gは大きさに関わらず怖いからね」
だったら俺がどれほどの危険に晒されているか分かるはずだ
いや……どうやら突付くのに飽きてしまったのか
今度は俺に息を吹きかけてくる様子を見ると、まったく分かってないな

ここで部屋の空気が不穏なものに変わりつつあることを感じ取った俺の身体が
身震いひとつでそれを知らせてくれた。 今までいろんなことがありすぎたお陰か、
俺は人並み外れた危険予知能力を身に付けたようで、
それにより自身に迫る危機をいち早く察知することができたわけだ
遠くのほうから段々と近づいてくる、意気揚々とした軽快な足音をな
しかしそれが分かった所で何も出来ないというのが現実
逃げようにも、たとえば部室の隅に隠れるにしたって
俺は普段の10倍近く長い距離を走らなければならないわけで
そうこうしてる間に“奴”が俺を見つけ出すのは目に見えている
どうする? 足音はもうすぐそこまで来ているぞ!

「キョーンいるー?」
ドアが勢いよく開かれ、ハルヒが部室に入ってきた
咄嗟にこなたが俺を掴み、お腹辺りから制服の内側に入れる
いくら慌てていたとはいえ、そこに隠すのは何かと問題がある気がするぞ
仮にも女の子だろ? 少し恥じらいというものをだな……
その恥じらいの無いお陰で身を隠す事は出来たが、もう一つ注文させていただくと
可能であればもっと丁寧に扱ってほしいものだな
「さ、さぁ何処だろうネ? ここにはいなーいヨ」
「こなた以外誰もいないじゃないの。 まぁいいわ、見つけたらあたしが探してるって伝えといて」
そう言い残し、ハルヒはドアを開けっ放しで出て行ったようだ
冷たく凍った空気が、部室の温度を急激に下げていく
「ふぅ、キョンキョン大丈夫?」
俺を制服の中から引きずり出したこなたが、心配そうな目を向ける
「大丈夫じゃないが助かったよ」
少々乱雑な扱いを受けたが、素直に感謝すべきだろうな
万が一ハルヒに見つかるような事があれば、今より状況が悪化することは目に見えている

ハルヒに発見されるという災厄に見舞われるのは免れたものの
そもそもの問題が解決したわけではない。
俺は元の身体に戻りたいのであって、それにはまず原因を探るのが先決だ
物事には必ず原因があり、それにより結果が生ずる
それが当てはまらない出来事っていうのは、理由として二つ考えられる
一つはハルヒの力によるもの、もう一つは宇宙人の仕業だ
結局このどちらかが当てはまるんだろうが、こなたは何も知らないのか?
「それが……」

誰も居ない部室にやって来たこなたは、一人寂しくみんなが来るのを待っていたという
しかし時間的に考えて既に俺は部室で寝ていたはずだ
その証拠に、机の上には湯気を昇らせる飲みかけのお茶が置いてあり、
綺麗に収められているはずの椅子が、そこだけ引き出されていたそうで
俺がそこに居たという痕跡は間違いなくあったのだ
それもそのはず、仕方がないのでその椅子に座ろうとしたところ
上に良く出来たフィギュア……つまりは俺が居たというわけだ
「だからあたしが来た時にはもう小さくなってたんだよ」
なんだ、それならこなたにとって責められる謂れはないのか
あのほくそ笑んだ顔を見て、てっきりこなたが一枚噛んでると思い込んでいた
さっきは悪かったな、強く当たってしまったようだ
「いいよ、逆に面白かったし」
そうか、あれはシュンとして下を向いていたんじゃなく
単に笑うのを我慢してただけなんだな?
「いやーもう少しで吹き出しそうで危なかったよ」
謝って損した気がする

「それにしても寒いな、それもあまり役に……あれ?」
視線をこなたが座る椅子の横に向けると、あることに気が付いた
赤々と灯っているはずの電気ストーブが消えていたのだ
スイッチが『切』に入っているから当然といえば当然だが
「寒いんだから消さなくても良かったのに」
「え? あ、うん」
なんだか歯切れが悪いな、まるでそんなこと知らなかったみたいじゃないか
こなたが消したんだろ? 俺は寝てたんだからそれしか考えられない
「け、消したよ」
まったく、自分のやったことくらいは覚えておけよ
「……もんが消したのかなぁ」
こなたは顎に手を当て、ブツブツと独り言を言いながら考え事をしているようだった
様子がおかしい気がするが、こなたも俺の姿を見て動揺しているんだろうな

原因が分からないということだが、第一発見者として協力してもらおう
状況が状況だけに、俺一人の力ではどうしようも出来ないからな
こういうときは事情を知ってそうな人物に尋ねるしかない
その人物の名は、最早ここで述べる必要も無いだろう
「こなた、長門を探すぞ」
「オッケー」
こなたは俺をそっと掴むと、部屋を飛び出し颯爽と駆っけっ抜っけって!
おいこなた、走るのはいいが手を振り回すな! 脳が、脳が揺れる
「え? 胸?」
お前の耳は一体どんな構造をしているんだ? 脳だよ
それに揺れるような胸というのは朝比奈さんやみゆきさんのことを言うのであって
こなたの場合、揺れるどころか僅かな膨らみさえ無いじゃないか
「キョンキョーン? チミを今ここで握りつぶす事も出来るのだよ?」
「で、出来るって、もうやっ…てんじゃねぇ……か」
あれだ、諸君等も貧乳を怒らすと怖いということをよく覚えておくように
テストには出ないだろうが、今後役に立つこと間違いなしだぜ

俺はこなたに掴まれていて歩くことは出来ないが、
部室を出てすぐの階段を下りながら長門への思いを巡らせる
ここにいないとなると、図書室にでもいるのだろうか
「ん~でも学校じゃ部室以外ではあまり見かけないしなぁ」
というより授業にちゃんと出ているか疑うほど、部室に顔を出すと
必ず定位置のパイプ椅子に座って本を読んでいたんだがな
兎には角なんて生えてないが、とにかくブラブラしていてもしょうがない、
図書室に行ってそこにいなければ、その時はまた考えようぜ
「そうしよう……あ、ながもん」

踊場で方向転換してすぐ、階段を下りた先に長門が突っ立っていた
案外簡単に見つかるものだな。 探さなくとも向こうからやって来た。
これで一安心、事態の半分以上は解決に向かっているといってもいいだろう
あわよくば、長門の力を持ってすれば今ここで元に戻る事も出来そうだ
「……出来ない」
長門、もう少し夢を見させてくれてもいいだろ?
「夢を見るのは勝手。 でも出来ないものは出来ない」
俺の希望的観測は長門の一言で一瞬にして崩壊した
それならどうすれば元の身体に戻れんだ?
その前に、まずどうして俺の身体は縮んでしまったのかを教えてほしいものだ
「わからない……恐らくは涼宮ハルヒの力」
便利がいいもんだなハルヒってのは。 変なことが起きて原因がわからなければ、
とりあえずアイツのせいにしておけば全て説明が付く
「元に戻る方法はある」
思わずゴクリと喉を鳴らして続きを待つ俺だったが
長門はミリオン単位の賞金がもらえる某番組の司会者のように
それはもうすさまじい溜めを見せてくれた。 ファイナルアンサーはもう出ているぞ?
もったいぶらずに早いとこ解決法を教えてくれ
「戻る方法は……」



「マジで言ってんのか?」
「……マジ」
これは喜ぶべきなのかそれとも嘆くべきなのか
その解決法というのは、俺と比較的近い位置にいる女子
つまりここにいる二人も含めた、我等がSOS団と関わる女の子全員
朝比奈さんにみゆきさんに、かがみにつかさ……以下略
彼女達の身体のある部分に触れなければならないというものだった
それはどこかというと、食物を摂取するために必要不可欠な消化管の最前端
その上下に位置する紅く柔らかなヒダ、唇である。
簡単に言うと、みんなにキスしてもらえってことだ
「キョンキョン良かったジャン」
その良かったというのは解決法が見つかったことか?
それとも、キャワイイ女の子ともれなくキスできるってことか?
「どっちも」
だが待てよ長門、一体何故キスをすると元に戻れるんだ?
乙女のキッスというのはそれほどの力を持ってるというのか?
「もちろんだよ。 カエルしか治らないけどね」
こなたには悪いが何の話かまったくわからん。
質問ばかりで申し訳ないがもう一つ、ハルヒはどうなる?
アイツからもキスしてもらわないといけないのか?
「恐らくは」
それは実に困ったことだな。小さくなった俺を見たハルヒが元に戻そうとするわけがない
ましてやキスしてくれなんて言ったら床に叩き付けられかねんぞ
ここはまずハルヒ以外の全員を片付けてから、
最後にハルヒをどうにかするという流れが良いだろう
見つからずに口に触れることが出来るといいんだが……
ってことで、まずは目の前にいる君達にお願いしようか
先に言っておくが、元に戻るために仕方なく依頼しているのであって
俺は別にそんな気があるわけじゃないが、だからといって無いわけではないというか
「はいはい、わかったわかった。 それじゃながもん、行くよ?」
「……」
こなたの手の上に立つ俺の顔に、両側から吐息がかかる。
位置的に言うと右がこなたで左が長門だ。 『んっ』と小さな声が二人から漏れたかと思うと、
なんとも形容しがたい柔らかさと、少し湿った唇の温もりが頬に伝わる
俺も年頃の男だ、可愛らしい少女の唇にサンドイッチされて嬉しくないわけない
こんな目にあったんだ、これくらい許してくれてもいいだろ?

幸せは長くは続かないというのがこの世の理なはずだが、少し長すぎないか?
お二人さん、もうそろそろ口を離してもいいと思うぞ
「……」
ゆっくり口を離した後、長門が見せてくれたいつも通りの無表情が
俺の心臓の動きを活発なものにする。 そんなに無垢な顔で俺を見つめないでくれ
それからこなた、お前はいつまでやってんだ!
「も~これからだったのに」
一体俺の身体をどうするつもりだ!? お婿にいけなくなったらこなたのせいだからな
「そしたら責任持って私が貰ってあげるから安心したまへー」
そうかいそれなら一安心だな。 ありがとよ、こなたさん
何? 気持ちが込もってないだって? あたりまえだ気持ちを込めてないからな
「なんだいキョンキョンつれないね」
俺に対する批判は身体が元に戻ってからにしてくれ

よし、そろそろ行こうじゃないか
SOS団に関わる女の子ということだったが、聞くところによると
岩崎やゆたかもそうらしいが、なんと黒井先生まで頭数に入ってるそうじゃないか
これは少し急がないと間に合わなくなるぞ!
今はもう放課後だし、早くしないとみんな帰ってしまうからな
「そんじゃーながもんありがとね」
「……いい」
多分お礼なんていらないという意味でそう言ったのだろう
心なしか長門が嬉しそうに見えたのは気のせいだよな、きっと


「まずは、かがみとつかさを探そうよ」
なるべく揺れないように、廊下を静かに歩きながらこなたが呟く
この際順番はどうでもいいが、こなたがそう言うのならそれに従うしかないな。
「キョンキョンも何とか言いながら乗り気だね」
乗り気だって? これでも必死なんだよ!
一応言っておくが、キスしてもらいたい訳じゃなく、元に戻りたくてだからな
まったくどうして俺ばかりがこんな目に会わないといけないんだ?
そんなに日頃の行いが悪いわけでもないだろうに
誰か代わりたい奴がいたら是非名乗り出てくれ。 その時は俺が喜んでバトンを渡してやろう
谷口辺りが俺と同じ状況になったら、それはもう幸せの絶頂といった反応を見せるに違いない
アイツなら元に戻りたいなんて言わないだろうな
むしろ小さくなったのを良いことに、色んな軽犯罪を犯しそうだ

谷口の陰口をたたきながら……別に洒落じゃないぞ?
かがみ達を探しているが、これがなかなか見つからない
「もう帰ったんじゃないのか?」
「いや、まだ残ってると思うんだけど」
これでもし二人が帰宅していたら、たとえ他をクリアしたとしても
今日俺は元の身体に戻れないということになる。 その逆も然りだがな
そうなったら、今夜俺はどうやって過ごせばいいんだ?
こなたに運んでもらって家に帰ったとしても、危険な箇所は沢山ある。
ハルヒ並みの爆弾である我が妹に加え、ネコ目の小形動物までいるからな
「その時は家に来ればいいよ」
それは助かるが、先ほどの不安の種が芽を出す事になりかねん
こなたに全身を隈無く調べられそうだな。
そうすれば本当にお婿に貰って頂かないと困るぞ
「実に夢のある話だね」
「そりゃよかった」

「こなた、何一人でブツブツ言ってんのよ」
その声は俺達が今まさに捜し求めていたものであった
こなたが声のしたほうを振り向くと、不思議そうな顔をしたかがみと
その後ろで訳もなく嬉しそうに微笑むつかさがいた
といっても俺は今こなたの手の中にいるわけだから、そんなにハッキリと見たわけではないがな
そんなことはどうでもいい。 二人が見つかったところで、早いとこ事情を説明して事を終えてもら……
「フッフッフ」
おい、何だその大げさな笑いは!? さては何か企んでやがるな?

「じゃーん! 見てこれ」
こなたに強く握られ、息が出来ず声も出ない。
柊姉妹は小さな俺を見て、狐につままれたような顔をしている
「なによこれ?」
「新しく買ったフィギュアだよ」
「よくできてるね。 見せて見せて」
……とてもマズイ状況になった。 これでは魔女がパンを運ぶお話に出てくる黒猫と一緒じゃないか
俺は街中で見かけるピエロの格好をしたパントマイミストのように、
あたかも自分が人形であるが如く身体を硬直させなければならない
俺もさっさと白状してしまえばいいんだが、言うに言えない状況になってしまった
こなた、後で覚えて置けよ

「これってなんだかキョン君に似てるね」
そのキョン君本人なのだから似ていて当然。 質感までそっくりだろ?
こんなに精巧なものは他に無いだろうな。 なんせこの人形は生きてるんだからな
「うん、それ高かったんだよ」
何がそんなに珍しいのか知らないが、つかさは俺の身体をベタベタ触りまくる
少しくすぐったいのだが、ここはジッと耐えるしかない
「つかさ、あんた触りすぎよ」
とか言いながら、かがみも興味津々で眺めているじゃないか
しかしつかさもいい加減その手を止めてくれないだろうか
「すっごくリアルなんだよ」
「だからって……でもホントね」
ついにはかがみまで俺に手を伸ばしてきやがった
「す、すごいわね」
えっとかがみ、あんまりその辺はまさぐるなよ
そのままだと男の大事な部分に到達するわけで……
「うひゃぁ!」
いくらガマンしていたとはいえ、股間を押さえられては
こんなオカマのような声が漏れてしまうのも不可抗力というやつだ
それにしてもかがみの奴、真っ先に股間辺りに触れなかったか?

「ちょっと何なのよこれ!?」
当然のリアクションではあるが、何ってかがみ
キミはこんなに良く出来た人形がこの世にあると思うか?
まさかこれで擬似AIを搭載した、科学の粋を結集させて造られた
超高性能人型フィギュアだと思う奴はいないだろう
「プクク……」
こなた、何がそんなに可笑しいんだ? 俺にはとても笑えるような状態じゃない
自分の身体を双子姉妹にいいように弄ばれた挙句、大事な息子にタッチされたんだ
これほど精神的ダメージを受けることはそうそう無いぞ
「なになに? お姉ちゃん何したの?」
「し、知らないわよ!」
「いやぁ実はね……」
ったく……最初からそうやって説明してればよかったんだよ

「そ、そうだったんだ」
ここで、いや既に不思議に思っている人も多いのではないだろうか
知り合いが急に小さくなったと聞いて、さらにその人を目の当たりにして
今のかがみのように『そうだったんだ』の一言で済ますはずが無い
普通なら慌てふためくか、疑ってかかるかの二通りの反応を見せるものだ
それがまったく無いのはどうしてかというと、
今回のような摩訶不思議なことが起こりうるということを
ここにいないみゆきさんを含めた仲良し四人娘がよく理解しているからである
つまりハルヒや、あの御三方の秘密を知っているということだ
だからこういうことに対し、多少なりとも耐性があるというわけ
そもそも何故秘密を知っているかについては俺に聞かないでくれ
とにかく知っているのは確かなんだし、それ以外に重要な事は無い
恐らくは四人が、何の因果か知らないがSOS団に入団した後
最初にやって来た不思議探索での班分けの際に、午前は長門と
午後からは朝比奈さんと古泉のグループになったことを考えると
そこで真相を打ち明けたという考えが妥当だろう
あの時こなたが見せた意味深な笑顔がそれを物語っている
いかん、話がそれてしまったようだな、わかってもらえた所で話を元に戻そうか

「かがみったらキョンキョンの股間に一直線だもんなぁ」
「そんなに俺の身体に興味があったなんて知らなかったよ」
「ウルサイ! キョン君まで!」
そうは言うがな、一番かわいそうなのはこの俺だ。
訳のわからんうちに縮小させられたあげく、戻るためには
皆と口付けを交わすという『大“変態”変』恥ずかしい思いをしないといけないんだ
「うぅーん」
つかさはいつまで目を丸くしてフリーズしているんだ?
まさかまだ事態が飲み込めて無いなんていうんじゃないだろうな
確かに飲み込めってほうが無茶な話ではあるが
「この小さいキョン君はキョン君でしょ?」
ちょっと言葉に難ありだがその通り、良く分かってるじゃないか
「じゃ大きいキョン君はどこ行ったの?」
申し訳ないが、つかさが何を聞きたいのかサッパリ分からん
恐らく自分でもよく分かっていないんだろうな
古泉ないしみゆきさんでもいたら状況を噛み砕いて説明してくれそうだが
俺にその役は到底無理な話で、答えることはできないな
「分かりやすく言えば、キョン君は魔法を掛けられたのよ」
「それでキョンキョンを元に戻すには、キスすれば良いってわけ」
さしずめ白雪王子とでも言うべきか? いや違うな……
訳あって七人の小人と出会い、一緒に暮らしていた白雪姫は
毒りんごを食べて倒れてしまい、王子様の口付けで甦る
あれは確かそんな感じの童話だったはずだが、大きく違うところは
りんごをかじった覚えがないのと、俺が小人になっていることくらいか

「あ、わかったー」
しかし流石普段からつかさに接している二人だけある
どういう風に説明すればつかさが理解できるかを良く心得てるな
「それで誰にキスしてもらうの?」
いや、そうでもないな。 これは教わるほうに問題があるようだ
「わ、私たちよ」
「そっか……ってえー!?」
どうやらつかさは分からなくなった時や驚いた時、こうやってフリーズするみたいだ
こんなに驚いた人を見るのは、いつぞやか忘れ物を取りに来た谷口以来だ
奴の言葉を借りるわけじゃないが、つかさにとってまさに驚天動地の大事件なんだろう
「でも、でもでもハルちゃんはどうなるの?」
やはりというべきか、こう来ると粗方予想していた内容の質問を投げ掛けてきた
「もちろんキスしてもらわないといけないわよね?」
まったくもってその通りだが、先ほど述べたようにアイツには見つからずにやりたい

「確かに、一番の危険人物よね」
「お、お姉ちゃん」
つかさが不安そうな顔をしてかがみを呼ぶ
どうしたんだろう? 何か問題があるのなら早く言ってくれないと困る
「いや、あの……後ろ」
かがみとこなたが同時に振り向くと、その目線の先には
腕を組んで仁王立ちになり、ニヤリと笑う団長がいた
つかさは俺を握っていることに気付き、ハッとして胸元から中へ入れる
なぁつかさ、これはさっきこなたにも言ったことなんだが
いくら慌てていたとはいえ、もう少し恥じらいというものをだな……
ちゃっかりつかさのブ○ジャーに捕まっている俺もどうかと思うが
そうしないと落ちてしまうんだ。 これは仕方がないことだろう
大きくなったみたいでいいじゃないか。 つかさ、そうだよな?

「かがみちゃーん、あたしが何ですって~?」
つかさの制服の中にいる為、外の様子は分からないが
ハルヒの不気味な声が徐々に大きくなっていることから予想するに、
少しずつこちらに近づいて来ているのだろう
いつもいつも、どうしてこうタイミングが良いんだよお前は
「な、なんでもないわよ! ねぇこなた?」
「そーだよそーだよ」
俺からしても何か隠し事をしてるのがバレバレだぞ、その反応
ましてや勘のいいハルヒは、それはもう麻薬捜査犬ばりの嗅覚だからな
「つかさ、かがみが何か言ってなかった?」
まさか自分に振られるとは思わなかったのか
蛇に睨まれた蛙よろしく身体を硬直させ「ひっ」という声にならない声を漏らす
その拍子につかさの鎖骨辺りが振るえ、その衝撃が直に伝わってくる
ここでつかさに狙いを定めるのは、残念ながら正解のようである
押しに弱いつかさのことだ、ハルヒの気迫に負けてうっかり口を滑らせかねんからな
「な、何も知らないよ」
これでは証拠が挙がりに挙がった後の取調室と同じだ
犯人が口を割るのも時間の問題、もう一押しというところか?
刑事長、カツ丼を頼む必要は無さそうですぜ
「正直に言いなさい!」
「知らないよ! キョンくムグッ!」
たまらずかがみがつかさの口を押さえたが、ハルヒの耳には俺の名が伝わったようだ
何故見えないはずなのに分かったのかだって? それはこの隙を突いて
かがみが俺をつかさの服の中からそっと抜き出し、こなたに渡したからだ
この緊迫した空気の中、よくハルヒに見つからずやってのけたもんだ
「キョンがどうかしたの?」
「うぅ……」
つかさは今にも泣き出しそうな顔をしているが、ハルヒはそんなことは気にしない
これでは追い詰められた獲物と、それに牙を剥き飛び掛らんとする猛獣だ

やれやれだ……ハルヒは本当に恐ろしいくらい鋭い奴だ
だがな、俺達にはまだ伝統的な戦いの発想法があってだな
ひとつだけ残された戦法があったというのを忘れるな
「オルテガ! マッシュ!」
こなたが叫んだ際に、かがみとつかさを交互に見ていたということは
二人に対して呼びかけた言葉なんだろうが、こんなときに訳のわからんことを言うんじゃない
ちなみにオルテガの時はかがみ、マッシュの時はつかさを見ていたな
だからってその二人を知らない俺からしたら、そんなことはどうでもいいがな

「行くよ二人とも」
「えぇ、わかってるわ」
「え? なに?」

「に、逃げろぉ~!」
脱兎の如く逃げ出すとは、まさにこのことを表しているのだろう
予想通りつかさが後れを取ったものの、こなたのひと声で三人は一斉に駆け出した
「コ、コラ! 待ちなさい!」
お陰で不意打ちを食らったハルヒとの距離を離すことが出来たが
しかし相手はあのハルヒだ、こなたも中々運動神経の良いほうだが
そう簡単には逃がしてくれないだろう。 これは長期戦になりそうだな
「キョンキョン、ここに捕まってて!」
こなたは俺を胸元に持ってくると、走りながら制服のリボンに結びつけた
手に持たれるよりは遥かにマシだが、こんなに激しい揺れは生まれて初めてだ
脳がシェイクされて頭がおかしくなりそうだぜ

「待てー!」
「待たなーい!」
目まぐるしく通り過ぎる廊下の景色を見ていると、
こなたがどれほど速いスピードで逃げているかが良く分かる
壁に貼ってある『廊下を走ったらあかんで!』と直筆で書かれた張り紙が
二人が通り過ぎた後、それにより巻き起こった風に吹かれ靡く
黒井先生、一体いつあんなの書いたか知りませんが
そんな当たり前のことは小学生にでも分かります
しかし、事件は職員室で起きているのではなく、現場で起きているのです
それにこの事件には先生だって少なからず関わっているんですよ

三人で逃げていたはずなのに、つかさは早い段階で脱落してしまい
かがみの姿も見えなくなったが、ハルヒはそれでも執拗に追いかけてくる
ここでこなたをロックオンしたのは、またしても正解だよコンチクショウ
一体この追いかけっこはいつまで続くのだろうかと、こんな危機的状況の中
他人事のようにノンキに考えていたところ、その終わりというものは突然やって来た
しかも状況はさらに悪化したといっても過言ではない

「あっ、ヤバッ!」
折角ハルヒとの距離が広がって余裕が出てきたというのに
『ビタン!』と音がしそうなほど、こなたは見事に転んでしまった
身体の疲れ、特に走っているときの疲労というのは、
当たり前のことかもしれないが足にやってくる。 急激な筋肉の酷使に
段々と動きが鈍くなって足がもつれ、このように平地でも躓いてしまうのだ。
こなたの下敷きになって平面ニンゲンキョン吉さまにはならなくて済んだが、
リボンに結ばれていたにも関わらず、そこから放り出された俺は、今まさに宙を舞っている
だが背中にパラシュートは背負われていないし、落下地点にはエアマットなんて敷かれてない
硬い無機質な床が、ただ俺の落下を待っているだけである。
ここから落ちたら間違いなく死ぬな……冗談じゃない!
こんなことで俺の人生が終わるなんてあってたまるかよ! と威勢だけは一人前なんだが

「ど、どうすんだよー!?」
慌てふためく俺の目が捕らえたのは、綺麗なピンク色のロングヘアーと
蛍光灯の明かりを反射させ、キラリと光る眼鏡だった
「み、みゆきさーん! それ受け止めて!」
「え? な、なんですか~?」
こなたの叫びに、みゆきさんがビクリと身体を揺らす
するとその揺れが二つの膨らみに伝わり、俺はそれを見てピンときた。
先ほど俺はエアマットなんて敷かれていないと言ったよな?
確かにそうだが、俺の目にはそれよりもっと柔らかいものが見える
あそこに落ちたら逆に跳ね返ってしまうんじゃないか?

今の俺にとっては大き過ぎるその胸に向かって、俺の身体は放物線を描き飛んでいく
かの名高き怪盗の孫みたいなポーズでダイブしたいところだが
俺はあんなに器用に縞々のトランクス一丁にはなれない
とにかくみゆきさんが迫り来る俺に驚き、身体を翻して避けることがないよう祈るだけだ

「キャッ!」
急な衝撃に倒れてしまったみゆきさんだったが、俺はその胸の上に無事落下することが出来た。
しかし、俺がホッとした次の瞬間! さらに驚くべきことが起こってしまった!
……なんと、俺の身体が元の大きさに戻ったのである
これはとても喜ばしいことで、晴れて俺は『静かなる人生』を取り戻したわけだ
そう言えたらいいのだが、俺はそれを取り戻したのではなく
やっとの想いで手にしたというのに、ヘドロのたくさん溜まったドブに落としてしまった

みゆきさんの上に落ちた俺が、元の大きさに戻ったということは
ちょうど彼女に覆い被さっている格好になるわけで
「きゃあ! キョンさん!?」
こういう反応をされても仕方がないよな。 慌てて退こうと身体に力を入れたのだが、
そこで掌に伝わるムニュっとした感覚が……ムニュだと!?
「これなんてエロゲ?」
というこなたの言葉が何を意味しているかは、俺には良く分からなかった

「キ、キョンさあぁんっ」
神のイタズラか、俺の脚はわざわざみゆきさんの両脚を挟み込み、
俺の二つの手は大きな肉まんを鷲掴みにしていた。
あだ名の後ろに付けられた敬称にはあきらかに喘ぎが混じっており、
これでは誰がどう見ても、どんなに寛容な態度で見ても完璧な強姦である。

上の人が有利であるはずのマウントポジションの体勢
つまり俺のほうが格闘技的な考え方では有利な立場であるはずだが
みゆきさんが繰り出す下からの攻撃は、俺の顔にモロにヒットした
もう季節は冬だというのに、俺の頬に大きな紅葉が出来たのは言うまでもない

「ス、スイマセン!」
「いえ、私こそつい叩いてしまって」
俺も謝るのならさっさと身体を退かせば良いのだが、
叩かれたことで胸を掴む手は離れたものの、何故か未だに覆い被さったままで、
みゆきさんもそれに対して指摘することもなく、なんとも奇妙な空気が
頬を赤く染めた(俺にとっては二つの意味で)二人の間を取り囲んでいた
しばらくそのまま見つめ合っていた俺達だったが……
「あの、キョ……」
「くぉらぁー! キョーン!」
恥じらいながら俺を呼ぼうとするみゆきさんの声は
追いついてきて、この光景を見たハルヒの怒号にかき消され
俺がそれを最後まで聞く事はできなかった
依然マウントポジションを維持したまま、声のした方を振り向くと
ハルヒが鬼よりも恐ろしい形相でこちらに向かって走って来ていた
そして地面を蹴って飛び上がったかと思うと、
コンピ研部長がSOS団に対し果敢にも決闘を申し込んだ際にお見舞いした
あの強烈なドロップキックが、今度は助走も多めに俺めがけて飛んで来た
紅葉の次は頭に大きな月見団子が出来上がってしまったよ
どうやら俺の中では、季節はまだ秋らしいな


何故みんなと口付けをせずとも、元の大きさに戻ることが出来たのか?
後から部室に戻って長門に聞いたところによると
『貴方の身体的特徴の変化に対する処置は既に行っていた』らしい
つまりキスしてもらうことで元に戻れるが、それが無くても時間が立てば自然と戻るのだから
無理して出歩かずに部室でじっとしていればよかったという話だ
だがちょっと待て、長門はハッキリ『出来ない』と言ったじゃないか
既に対処していたというのなら、そう言ってくれればよかったのだ
そうしてくれたら俺の心と身体がこれほどまでにダメージを受けることは無かったはずだ
『キスしてもらわないと』なんて言うから話がややこしくなるんだろ?
そんな風なことを長門に言ってみたところ、俺を見つめたまま黙ってしまった

一体どうして長門は、ウソとまではいかないまでも真相を隠し
わざわざ事態をややこしい方に持っていったのだろうか
何に対しても間違った判断をしない長門にしては珍しいことだぞ
黙って治るのを待っておく方が、ハルヒに見つかるというリスクを負うことも無いし
お前だって好きでもない男にキスするなんてイヤな気持ちをせずに済んだじゃないか。
「……」
今度は何故そんな責めるような目をするんだよ!
俺は別にイヤじゃないぞ? むしろ嬉しいというか何というか
だがお前はそうじゃないだろう?

「もぉキョンキョンはホントに鈍感だね」
かもしれないな。 こなたが何を言わんとしてるのか俺には分からないし
長門の考えている事も、残念ながらサッパリだ
「貴方はこういうことに関してはどこか抜けているようですね」
古泉、お前はいつ部室に来たのかは知らんが“こういうこと”とは一体どういうことなんだ?
「流石の私でも分かるわよ」
「そうだよねーお姉ちゃん」
「私も理解できました」
分からないのは俺だけかよ……もう朴念仁とでもなんとでも言ってくれ

そういえば、君達三人のキスをまだ貰ってない気がするが
どうだ? この際だから特別に許してあげてもいいぞ
「丁重にお断りさせていただきます!」
そうだろうな、かがみ
だがそこまで頑なに拒否されるとは、ちとショックだな
「キョ、キョンさん!」
あんなことがあったから、みゆきさんには冗談に聞こえなかったかもな
そんな不安そうな顔をしないでください、ジョークですよジョーク
「私は別にいいかなぁなんて……」
正直その発想はなかったよ。 まさかそんな言葉が返ってくるとはな
「つ、つかさ!」
「かがみ先越されちゃったネ」
「な、何よ! 私だって別に悪い気は……」
「残念ながら、彼はもう出て行きましたよ」
「ええい納得いかねぇ!」

まんざらでもない様子だったし、つかさの唇を堪能してもよかった……なんてな
さっきは冗談であんなことを言ってみたが、
そんな恥ずかしいことを本気で頼めるわけない。 もったいないだと?
だから言ったじゃないか、代わりたければ是非名乗り出てくれって


学校を出る頃には、既に太陽はその仕事を終えて
星達が暗い夜空を明るく彩り、丸い大きな月が煌々と輝いていた
冬は日が落ちるのが早くなるが、こんなに綺麗な夜空を仰ぐことが出来るのなら
もっと早く夜が来てくれてもいいという気になるな
だが俺は寒いのは嫌いだ。 かといって暑いのも考えものだが

「へっくし!」
疲れた身体に冬の寒さは酷なもので、こりゃ風邪を拗らせてしまったようだ
それとも、今頃誰かが俺の噂話でもしているのだろうか……?


団員の皆が帰った後の文芸部室。
電気が消され、暗く誰も居ないはずの部室から声が聞こえる

『いやぁ大成功だったネ』
『この成功は私と貴方の結束の固さを証明するものだった』
『うん! 良きパートナーだよ』
『……そう』
『次はさ、普通の大きさの時にやりたいね』
『その計画はもう進めている、それは……』
『ふむふむ成る程。 でもその計画の前に……』
『……採用』
『あぁ明日が楽しみだ』

月明かりに照らされ、青白く光る分厚い本を抱えた少女が黙って頷き
長い髪をしたもう一人の少女が怪しく微笑んでいた


まさに光陰矢のごとし。 時は一気に次の日の放課後まで進む
案の定風邪を引いてしまったが、それ以外に別に問題は無かったし
ましてや昨日のように小さくなったりといったことも無く、今日一日至って正常だった。
そう……少なくとも俺の身体に関して言えば、だが

今日は先に誰か来てるんじゃないか? なんてことを考えながら部室に顔を出した俺は、
中の様子を一通り見渡して、カバンを机の上に置いた後
あることに気が付いて、昨日とまったく同じ台詞を吐いてしまった

「これはどういうことか説明してもらおうか」

俺は目の前で笑っている、成長期というものを忘れてしまった少女と
同じく成長期に加え、読書以外のことを忘れたような少女に
いつもより少し弱めに言葉を投げ掛けた。 疲れているかと聞かれると否定はしないが
それとは別に声を弱めに出さないといけない理由があるのだ
「気が付いたらこの大きさになっててさ」
「恐らくは涼宮ハルヒの力」
昨日の今日でこういうことが起こるのだろうか?
俺の目に映るのは、普段の10分の1程度の大きさになったこなたと長門の姿だった
今度は二人仲良く超高性能人型フィギュアになっちまったな
しかし長門はこういうときも欠かさず本を読んでいるのか?
「……」
身体に合わせて小さくなった本に視線を向けたまま
長門はコクリと頷いたようだが、今日はそれを読み取るのが一段と難しかった
しかしよかったな、その本も一緒に小さくなって
他もそうなっていれば収納に困る事もないだろうが
どうせ昨日と同じで時間が経てば元に戻れるんだろ?

「それがさ……ね、ながもん?」
「元に戻るには、貴方と口付けを……いなくなった」
「あれ? キョンキョンどこいった!?」
「それに涼宮ハルヒが接近している」
「うそ!? ど、どうしよう?」

ドア越しにこなたの慌てた声を聞いたが、そんなことはお構いなく
俺は長門が近づいてくると言ったハルヒから逃げるように部室を後にした
面倒な事に直面したとき、また直面しそうなときは逃げるのが一番だ
意味合い的には少し違うかもしれんが、よく言うじゃないか『逃げるが勝ち』と
それにこんな言葉もあるな『触らぬ神に祟りなし』
つまりはその物事に関わらなければ災いを招くこともない
余計な手出しをすれば俺まで迷惑を被るのだからな

「あ、キョンさん」
上手く危険をかわしたことに安堵して、一人肌寒い廊下を歩いていると
その寒さを感じさせないほど、頬を紅く染めたみゆきさんが俺に声を掛けてきた
何故そんなにも恥ずかしそうな顔をしているのかは、俺には容易に想像が付く
「みゆきさん、昨日は本当にスイマセンでした」
「いえ、お気になさらず」
そう言った後、相変わらず紅い顔で俺を見つめるみゆきさんと
見つめ返すしかできない俺。 この微妙な空気は昨日と合わせて二度目だな
目が合ったことに気付き、小さな声を漏らして下を向く彼女の仕草に
まだ手に残るあの柔らかな感触を思い出してしまい、俺も顔を真っ赤にしてしまった
「あ、あの……キョ」
「そこに居たのね、キョン!」
沈黙を破るべくみゆきさんが発した少し照れたような声は、またハルヒによって遮られた
こいつはホントに人が喋ろうとすると、絶妙なタイミングで現われるな
「アンタまたみゆきに悪さしてるんじゃないでしょうね!?」
「誤解を招くような事を言うな! あれは事故だったんだよ!」
「問答無用!」
若干大股で走ってくるハルヒの姿を見て、昨日受けた衝撃が頭の中にフラッシュバックする

……時にみゆきさん、こういう状況に陥った際はどうすればいいか知ってます?
実に単純で簡単で、それでいて最も効果的なことなんですけど
「ど、どうすれば?」
「それは……逃げるんです!」
「こらエロキョン! 待ちなさーい!」
廊下に落ちていた、誰かの直筆で書かれた紙を踏ん付けたみたいだが
そんなことをいちいち気にする暇なんて、今の俺には無い
果たして運動とは無縁の俺が、ハルヒから逃げ切る事は可能なのだろうか

「私の心の中にあるこのモヤモヤはどうすればいいのでしょう…?」
騒がしい音を立ててチェイスを始めた俺達二人の様子を
唖然とした表情で眺めながら、みゆきさんは誰に対して言うでもなく呟く
無責任なことを言うようですが、俺には聞かないでください
ただ、アレがあんなに柔らかいものだということを俺は初めて知りました
それを教えてくれたのは、何を隠そうみゆきさん、貴方でした
ありがとうみゆきさん、そしてさようならみゆきさん
俺に言えることはそれだけです

あぁ今まさに俺の顔めがけてハルヒが飛んできています
こんなに上履きの裏をマジマジと見るのは、これが最初で最後でしょうね


俺は出来ることなら『静かなる人生』を送りたいと思っていた。
頭をかかえるような『トラブル』や、夜も眠れないといった不安もない、
ごくごく普通の高校生活を送りたいと常日頃から考えていた。
だが、神の見えざる手によって人生のレールが騒がしい方へと向いてしまったがために
俺の心が休まるなんてことは、恐らく一生ありえないのだ
さらば俺の平穏な日々よ、フォーエバー♪

廊下に倒れこみ、不敵な面構えのハルヒに踏まれながら
俺は心の中で、こう愚痴をこぼしていた

「ひどすぎる……なんてヒドイ目にあう一日だ」






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最終更新:2008年02月16日 13:19
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