「再審開始の旗を用意していたが、使えませんでした。ただちに特別抗告します」
去る7月31日、東京・霞が関の司法記者クラブの会見場。「本庄保険金殺人事件」八木茂死刑囚(65)の弁護人、松山馨弁護士は悲痛な面持ちでそう言った。同席した他の弁護人たちも怒りと落胆が入り混じった表情で、場の空気を重たくさせていた。
一貫して無実を訴えている八木死刑囚が申し立てた再審請求の即時抗告審で、東京高裁(村瀬均裁判長)はこの日、再審を開始しない決定を下した。
八木死刑囚は「無罪」? 弁護側の主張
最大の争点は、1995年に川で遺体が見つかった被害者の元工員、佐藤修一氏(当時45)の「死因」だった。確定判決では、八木死刑囚は3人の愛人女性と共謀し、トリカブト入りのあんパンで佐藤氏を「毒殺」したうえ、遺体を川に流し、自殺を偽装したとされている。弁護側はこれに対し、佐藤氏は川で自殺したのだと主張。それを裏づける新証拠として、佐藤氏の死因が「溺死」だとする2人の法医学者の鑑定書を提出していた。
さらに東京高裁が直々に実施した別の法医学者による死因鑑定でも、佐藤氏は「毒殺」ではなく「溺死」だと判定されていた。この経緯から弁護側は再審開始を確信していたため、今回の決定にショックを隠せなかったのだ。
「東京高裁の決定は、専門家(法医学者)が慎重な準備、検討のうえで出した結論に対し、素人(裁判官)が疑問を指摘しただけ。疑問があれば、専門家の証人尋問をすればいいのに、それもしていない。不当だと言わざるをえません」(松山弁護士)
もっとも、こうした事実経過を伝えても、八木死刑囚は無罪だという弁護側の主張にピンとこない人が世間の大半だろう。捜査段階に大々的な犯人視報道が展開されたせいで、八木死刑囚の世間的なイメージは今も「真っ黒」だからだ。
しかし事実関係を検証してみると、この事件の実相は報道とずいぶん異なっているのである。
黒いイメージ
埼玉県本庄市で金融業を営んでいた八木死刑囚に関し、保険金殺人の疑惑が報じられるようになったのは1999年の夏だった。取材が殺到する中、八木死刑囚は愛人女性たちの営む小料理屋やパブで連日、「有料記者会見」を開催。報道陣に「逮捕は100%ない」と豪語し、キックボードに乗ってみせるなどのパフォーマンスを繰り返した。八木死刑囚はこの特異な言動により、マスコミの反感を買い、世間にも「いかがわしい人物」と認識されたのだ。
結果、八木死刑囚は共犯者とされる愛人女性3人と一緒に2件の殺人、1件の殺人未遂の容疑で検挙される。そして2008年に最高裁で死刑が確定。この間、一貫して無実を訴えていたが、有罪に疑問を呈する報道は皆無に等しかった。
では、この事件の実相が具体的にどのように報道と異なるのか。確定判決では、八木死刑囚は保険金詐取目的で計3人の男性を殺傷したとされている。まずはこのうち、前出の佐藤氏の事件に関する報道と実相の違いを見てみよう。
報道された証拠はことごとく虚構
八木死刑囚に毒殺されたとされる佐藤氏だが、実は1995年に遺体が川で発見された当初は「自殺」として処理されていた。当時の警察捜査では、司法解剖の結果に基づき、佐藤氏の死因が「溺死」と断定されたうえ、遺書も見つかっていたからだ。
ところが、4年後に八木死刑囚の保険金殺人疑惑が持ち上がると、警察は佐藤氏の死の原因を調べ直す。そしてまず、死因を従来の「溺死」から「不明」に変更。紆余曲折を経て、最終的には「佐藤氏は八木にトリカブトで毒殺された」と結論づけたのだ。
当時は連日、こうした警察のストーリーを裏づけるような情報が洪水のように報じられていた。
たとえば、産経新聞(東京本社版)は2000年3月31日朝刊31面で「佐藤氏の遺書は本人の筆跡ではなく、偽造された可能性がある」(要旨)と報道。朝日新聞(同)に至っては、10月20日夕刊27面で「捜査本部が筆跡鑑定を行った結果、佐藤氏の遺書は本人の筆跡と明らかに違い、八木死刑囚の愛人女性の筆跡とほぼ同じであることがわかった」(同)と断定してみせた。さらに読売新聞(同)も10月20日朝刊1面で「捜査本部は八木死刑囚や愛人女性3人の関係各所からトリカブトを押収している」(同)とクロを決定づけるようなことを書いている。こうした報道により、八木死刑囚のイメージは真っ黒に染まっていったのだ。
しかし、裁判資料で確認したところ、実はこうした報道の多くは「虚構」だったことがわかった。
たとえば、裁判資料をひも解くと、検察は佐藤氏の遺書について、佐藤氏が八木死刑囚らに騙されて書いたものだと主張している。つまり、遺書は佐藤氏本人が書いたものであることは検察側も認めているのだ。裁判資料には、朝日新聞が報じていたような筆跡鑑定の話はまったく見当たらない。
また、八木死刑囚や愛人女性3人の「関係各所」からトリカブトが押収されたという読売新聞の報道が事実なら、検察がそれほど有力な証拠を裁判に提示しないことはありえない。しかし、そんな証拠は裁判に一切出てきていないのだ。
報道の中にしか存在しない証言者
確定判決によると、残る2人の被害者、元パチンコ店従業員の森田(旧姓・関)昭氏(同61)と元塗装工の川村富士美氏(当時37~38)は1998年の夏頃から1999年5月下旬まで連日、八木死刑囚の愛人女性から大量の風邪薬や酒を飲まされ、森田氏は風邪薬の副作用で死亡、川村氏は急性肝障害などの傷害を負ったとされている。
この疑惑に関しても、当時は八木死刑囚をクロだと印象づける報道ばかりだった。
たとえば、産経新聞(同)は2000年3月24日夕刊1面で、川村氏が八木死刑囚の経営するスナックの女性店員にもらった弁当を食べて手足にしびれを訴え、薬物中毒で入院し、一時意識不明に陥っていたと報道。さらに同紙は3月27日朝刊30面で、八木死刑囚が営む金融会社の元社員(当時49)が八木死刑囚から3,000万円の報酬などを条件に森田氏の殺害を依頼され、断ったことがあり、「自分も危ない」と語っているという凄まじい話を記事にしていた。
しかし、裁判資料で確認したところ、こうした報道も「虚構」だったことがわかった。
たとえば、裁判資料では、川村氏が弁当を食べて手足がしびれた云々の話はまったく見当たらない。川村氏が「ある薬物」の中毒者だったことや、入院したことがあったのは事実だが、入院は変な弁当を食べたせいではなく、また、入院時の意識もはっきりしていたのである。
一方、殺害依頼云々の話については、当時そういう「ネタ」を警察のみならず、あらゆるマスコミに吹聴していた男性が存在するのは事実だ。しかし、この男性は八木死刑囚の裁判に証人として出廷していない。検察がこの男性の証言を信頼していたならば、通常ありえないことだ。
なお、この男性の名は建脇保氏というのだが、実は裁判で何かと問題のある人物だったことが明らかになっている。また、「被害者」という立場にある森田氏、川村氏の2人も裁判で明らかになった事実を見ると、実は清廉潔白な人物だとは言い切れない。
トリカブトの成分は検出されたが...
捜査段階の報道を検証してみると、「虚構」ではないものの、世間をミスリードするような報道も散見された。
たとえば、当時、前出の佐藤氏の臓器からトリカブトの成分が検出されたという捜査情報がセンセーショナルに報道されていた。この情報は事実だが、トリカブトは毒草として有名な一方で、ブシやホウブシなどの名で医薬品の成分にもなっているものだ。臓器からトリカブトの成分が検出されたこと自体に大きな意味はない。
一方で、あまり報道されていないが、裁判資料によると、佐藤氏は多額の借金を抱えていたうえ、実は「胃ガン」に冒されていた。報道で「八木死刑囚=クロ」という心証を固めた人は、にわかに受け入れがたいかもしれないが、「溺死」という死因鑑定の結果や遺書の存在のみならず、あらゆる客観的証拠が佐藤氏の死の真相は「自殺」だったと示しているのである。
もっとも、八木死刑囚には、このうえなく怪しい事実があるのもたしかだ。これも散々報じられたことだが、3人の被害者は全員、八木死刑囚に対する債務を抱えており、八木死刑囚の愛人女性と「結婚」させられていたうえ、多額の保険をかけられていた。しかも、佐藤氏が亡くなった際には、佐藤氏と「結婚」していた八木死刑囚の愛人女性に約3億円の保険金が支払われている。こうした事実だけで「クロ」を確信する人は決して少なくないはずだ。
ただ、こうした限りなく怪しい事実に関しても、実は報道だけではわからない事情が色々あるのだ。
最終更新:2024年01月22日 16:35