ハンター78号「前原ナオ(まえばらなお)」は、ハンター本部の近くを歩いていた。バットを引きずり、荒い息を吐きながら。

 「はぁ……っ…………はぁ……」
 年はおよそ17。髪は耳にかからない程度。高校生らしく、近所の高校のブレザーに身を包んでいる。
 その後ろを付かず離れず付いていくのは、ハンター82号「羽入紫苑(はにゅうしおん)」。ナオの世話係りの少女だ。
 セーラー服を着ており、年はナオと同じくらい。背中まである髪に、白いリボンをちょこんと留めている。
 「ナーオっ!」
 「うるさい、黄色い声で話しかけるな」
 先程から紫苑が話しかけた回数は、124回。しかし、ナオはまともに取り合ってくれない。
 紫苑は大きな溜息を吐く。白い息は、キラキラしたダイヤモンドダストとなり、外気に溶けていく。
 「――あのさぁ、ナオ。そんな目を血走らせながら金属バット持ち歩いてたら、警察に補導されるよ?」
 「うるさい。んな連中が来たら、オレのバットが火を噴くぜ」
 「いや、火を噴くのは相手の拳銃だから! とりあえず、仕舞おうよそのバット。心のドアに」
 「うるさい。オレの心のドアは、そんなしょっちゅう開けられないんだよ」
 「どうでもいいけど――あんた、文頭に『うるさい』って付けなきゃあたしと会話できないの?」
 「うるさい」

 そんな他愛ない会話を続けながら、二人は街路樹の並ぶ小道を歩いていく。落ち葉には霜が下り、踏みしめるたび、スナック菓子の上を歩くような感触が返ってくる。
 「――大体、なんでお前が付いて来るんだよ? 華代被害者を元に戻すくらい、オレなら1500秒で遂行できるな」
 「私が、ナオのお目付け役だからに決まってるでしょ! あんた一人だと、なにしでかすかわかんないじゃん」
 腰に手をあて、紫苑は言ってのける。
 むっと眉をしかめるナオ。しかし、事実だから言い返せない。
 「それに、あんた守れるのは私だけだし」
 調子に乗って、紫苑は言葉を続ける。
 「オヤシロ様の祟りから」


 刹那、
 ナオは足を止める。

 肌を刺すような北風が、サァッと紫苑の髪を撫でる。
 ハッと紫苑は口を押さえる。――が、全ては後の祭り。


 ――失敗した。


 「オヤシロ様」は、ナオの前では禁句。特に「札流し」の日である今日、絶対口にしてはいけない言葉。
 でも、全ては後の祭り。時間を戻すことなどできない。つくづく、自分の愚かさが嫌になる。

 ちらりとナオに目を移す紫苑。
 背中を向けたまま、ナオは屹立している。

 ――これは、相当ショックを受けてしまったか……。

 恐る恐る、紫苑はナオに呼びかける。
 「あ、あのさ……ナオ……」
 「か……」
 ナオはぷるぷる体を震わす。

 「か、かぁいいよぉっ!! タコさんかぁいいよぉっっ!!!」

 ナオは目を細め、一方向を指差しながら両腕をバタつかせている。
 指差された方向を見れば、たこ焼き屋の屋台が。
 さらに目を凝らせば、油でギトギトになったプレートの側に、鉢巻を巻いたタコのぬいぐるみがチョコンと置いてある。恐らく、あれのことを言っているのだろう。

 「おも、おも、おも――……おっ持ち帰りぃぃぃいいいいいいっ!!!」

 言うが早いか、たこ焼き屋へ脇目もふらずに駆け出していくナオ。去った後には、土煙がもうもうと立ち込めている。
 紫苑は、呆れ果てたように顔を押さえる。
 「はぁ……あんた、相変わらず可愛いものに目がないね。男の癖に」
 そう。ナオは、可愛いものを見つけると、衝動的に飛びついてしまう癖を持っているのだ。それこそ、お人形から少女まで。一度行きずりの少女に飛びついて、お巡りさんのお世話になったこともある。

 まぁとにかく、

 ――さっきの言葉、聞いてなくてよかった……。

 紫苑は深々と胸を撫で下ろし、ナオの後を追う。
 電信柱の陰から、二人の様子を伺っている存在がいるとも知らずに。



 「おっちゃん、たこ焼きふたつ!」
 「あいよっ!」
 ねじり鉢巻を締めたおじさんが、ほくほく顔でたこ焼きのパックを手渡す。
 ふんわり白い湯気が広がり、ソースの匂いがぷぅんと香ってくる。
 「はい、ナオの分はこっちね。紅しょうが抜きのやつ」
 「あ、ありがと……覚えててくれたんだ」
 「そりゃ、私はナオの」
 「お世話係だって言うんだろ?」
 たこ焼きのパックを両手で持ち、ナオは紫苑の言葉尻を奪う。
 「だけど、あんまガキ扱いするんじゃねぇよ。この前なんて、ちょっと疲れたって言ったら、タクシー呼びやがったよな。基地まで五分くらいの距離なのに」
 「はいはい。――あ、熱くないよう、ふぅふぅしてあげようか?」
 「それがガキ扱いだって言ってるんだよっ!!」
 二人は口論を続けながら、近くのベンチに腰掛ける。木陰にあるため、心なしか肌寒い。

 「んじゃ、いっただっきまーすっ!」
 紫苑は、爪楊枝を器用に使い、たこ焼きをほおばる。カリッとした皮に歯を入れた瞬間、とろりとした生地が口いっぱいに広がっていく。
 「あひゅひゅっ! はふはふぅ……――うぅん、おいし! やっぱり、ここのたこ焼きは最高だよっ! ね、ナオ?」
 紫苑は恍惚の笑みを浮かべ、隣のナオに目を移す。
 しかし、ナオは――


 「うわぁあぁぁああああああああああああああああッ!!!」


 突如大声で叫び、たこ焼きパックを地面に叩きつける。その勢いは、卓袱台をひっくり返す星一徹のごとし。
 「ちょっ!! ナオっ!?」
 「はぁ……はぁ……」
 肩で息をするナオ。目をカッと見開き、額一杯に皺を寄せるその顔は、悪鬼のよう。
 紫苑は、心配そうにナオの顔を覗き込む。
 「一体、どうして……? ――あ、まさかマヨネーズ嫌いだった? 確かにおじさんも、たこ焼きにマヨネーズは邪道だと思う。けどね、味というものは常に作り変えられるものであって、今やマヨネーズにたこ焼きは主流だと――」
 「別にたこ焼きの味にこだわってるわけじゃねぇよっ!! 俺は海原雄山かっ!!」
 「じゃ、なんなの?」
 ナオは、気まずそうに目を逸らす。
 これは、ただごとではない。

 「……聞いて驚くんじゃねぇぞ?」

 ピリピリとした空気が、ナオの言葉を介して伝わってくる。
 一体、どうしたというのだろう? 紫苑には、見当も付かない。まさか、今日のことと何か関係が……。
 紫苑は、ゴクリ生唾を飲み込む。
 そして、ナオ君がボソッと呟くことには、


 「爪楊枝が入ってて……――飲み込みそうになったんだ」


 「…………は?」
 五秒後、ようやく紫苑は声を発する。状況が理解できず、目が点になっている。
 ナオは、面倒くさそうに声を張り上げる。
 「だからぁっ!! 爪楊枝がたこ焼きの奥まで入ってて、飲み込みそうになったんだっ!!」
 「――え……いや、それだけ!?」
 あまりにも馬鹿馬鹿しい答え。そんなの、ナオの不注意じゃないか。
 紫苑の全身から、へなへなと力が抜けていく。
 「あったりまえだッ!! あの親父、事故に見せかけて俺を殺そうとした!! あいつも、オヤシロ様の手下なんだ!!」
 「いやいやいや、そんわけないじゃん!! 爪楊枝がたまたま奥まで入るなんてよくあることだし!!」
 「嘘だッ!!! それに、よく見ればお前のたこ焼きの方が俺のより大きかった!!」
 「ちょっ、ただの逆恨みっっ!!」
 言い争いを始めるナオと紫苑。やはり、食べ物の恨みは恐ろしい。微妙に論旨がずれている気もするが。


 と、その時――

 「いやいや、お二人さん! 相も変わらず仲がいいね~」
 ベンチの後ろから、間延びした声が聞こえてきた。
 振り返れば、そこにはよれよれのコートを着た三十代くらいの男が。
 「山川……」
 紫苑は、嫌悪の眼差しを男に向ける。

 「山川夏夫」。それがコートの男の名前。旭新聞の記者で、ハンター基地によく出入りしている浮浪者のようなやつ。

 山川は頭をかきながら、締りのない笑みを浮かべている。
 「やぁ、丁度よかったよ。今月さ、うちの文化部もネタがなくなってきて困ってたんだよ。よかったら、またカフェを取材させ――」
 「お断りです」
 キッパリとした口調で、紫苑は言い放つ。
 紫苑は、山川が嫌いだった。
 ヘラヘラした口元が。
 薄汚れた赤錆色のコートが。
 いつも脇に抱えているお菓子袋が。どれも生理的嫌悪感を催させる。

 が、山川は全く気にしない様子。余裕の態度を崩さない。右掌で後頭部を抑え、大声で笑う。
 「あっはっは、手厳しいな! いやぁ、怖い娘だね。ナオ君、付き合うなら相手を選んだ方がいいよ? 絶対尻に敷かれるから」
 「だっ、誰がこんな小姑みたいな女とっっ!!」
 「はっ?! こ、こっちだって、ナオみたいなガキ、願い下げだよーだっ!! んべっっ!!」
 「あー、すげー。青春ドラマみたいだな……紫苑ちゃんにナオ君、意外といいカップリングかも?」
 「「冗談はやめてくださいっっ!!!」」
 「うん、息ピッタリ」
 顔を真っ赤にし、ぜぇぜぇと息を吐く二人。
 山川は二人の様子を嬉しそうに眺め、話題を変える。
 「いやね、今回の記事『なつかしの故郷特集』で行こうと思ってるんだけどさ……よかったら、君達の故郷の話について聞かせてくれないかな?」
 「取材は結構です――と、言ったはずなのですが?」
 山川とナオの間に、紫苑はずいと割り込む。
 が、山川は紫苑を無視し、ナオに視線を向ける。
 「君の故郷――鹿骨市雛見沢村――結構面白い話とか転がってるんじゃない? 例えば、今日なんて札流し祭だよね。村の守り神にして祟神オヤシロ様を祭る日でもあり――」
 一呼吸置き、山川は口の端を歪める。

 「君の幼馴染――公由さとし君が神隠しに遭った日だ」


 瞬間、
 ナオは、カッと目を見開き、金属バットを順手に持つ。しかし同時に、紫苑がガッチリナオの手を掴み、首を振る。
 「――山川さん、その耳は飾りですか? 私は確か、お話できないと申し上げたはずですが……」
 紫苑は声のトーンを一段落とし、山川を睨みつける。瞳には鋭い光を宿し、得物を見つめる猛禽類のように、山川をガッチリ捉えて放さない。
 山川は、相変わらず得体の知れない笑みを浮かべて立ち尽くしている。

 沈黙が、数秒間場を支配する。
 それを破り捨てるかのように、紫苑はナオに手を差し伸べ、
 「――行こ、ナオ」
 公園の出口に爪先を向ける。
 「あるぇ、いいのかなぁ? このままだと俺、あることないこと記事に書いちゃうかもしれないよ」
 二人の背中に山川のおどけた声がかかる。が、紫苑はそれを振り払うかのように、ナオの左手を強く引きながら、足を動かす。

 こんなやつにこれ以上構っていられない。せっかく、ナオが過去のトラウマから立ち直りかけているのに、これじゃあ蒸し返すことになる。
 ナオには、笑顔でいてほしい。私の願いは、ただそれだけ。
 「俺、結構知ってるんだけどなぁ。――ハンター78号『前原直哉』。鹿骨市雛見沢村に在住していたが、12歳の時に父親の仕事の都合で上京。その三年後、都内の私立高校に入学し、ハンター82号『羽入紫苑』と知り合う。その縁で、ハンター組織にスカウトされる」
 山川の言葉に構わず、紫苑は大股歩きでずんずん進む。

 「――嘘だな」


 ピタリ……と、紫苑は足を止める。


 「本当は、もっと前に出会っている。――詳しく言えば、五年前のこの日」

 ――なんで、


 「前原直弥が暴行未遂事件を起こした日にね」


 ――なんで……知ってるの?


 「小学生一年生の少女が、金属バットを持った通り魔に遭遇。幸いにも怪我は無し。被害者少女の証言によると、犯人は中学生くらいのお兄さん」


 ――あれは、


 「電信柱の陰から突如お兄さんが飛び出してきて、少女を襲撃。――が、お兄さんと同い年くらいのお姉さんが少年を羽交い絞めにし、少女は難を逃れる。少女以外の目撃者は無し。結局、事件は迷宮入り」


 ――あの事件は、


 「もしかしてさぁ、そのお姉さんとお兄さんって――君と前原直弥じゃないかな?」


 ――私とナオだけの秘密だったのに……。


 紫苑の体中から、引き潮のように血の気が引いていく。
 寒い……体全体のぬくもりが、凍える外気へ散布してしまったかのように。
 一体、この男はなんだ? 数年前にナオが起こした通り魔事件は、確かに少女の心にトラウマを植えつけたかもしれない。でも、新聞という媒体に取り上げるには、あまりに物寂しく、些細なこと。
 ――いや。そもそも山川の目的は、通り魔事件ではない気がする。そう、もっと別の……。

 「……紫苑?」
 ナオが、心配そうに紫苑の顔を覗き込む。
 ……駄目だ。あんな危険な男にナオを近づけちゃ――駄目だ。
 紫苑は、ぎゅっと両拳を握り締める。
 「ナオ……悪いけど、山川と二人にさせて……」
 「ぅ……で、でも…………」
 ナオはうつむき、口ごもる。恐らく、紫苑を心配しているのだろう。
 普段は強がっているけど、本当は気弱で優しい。前原ナオは、そういう男だった。
 「……心配しないで。大丈夫――私は、大丈夫だから」
 紫苑は、腰を勢いよく捻って振り向き、山川に視線を向ける。
 山川は、相変わらずニヤニヤと下劣な笑みを浮かべている。
 「――で、何を聞きたいの?」
 「はっは、話が早いねぇ! ――じゃあ、君らがさっき座っていたベンチで仲良く座って語り合おうや」
 ベンチに深々と腰掛け、山川は勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
 紫苑は憮然とした表情で、山川の隣にドカッと腰掛けた。


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最終更新:2007年05月28日 22:50