1.どういうことがあったのかと申しますと。

 つい先日のことです。私は出張に出ておりました。飛行機の隣の席には同じ学校、同じ寮で学生時代を過ごした先輩が同行しており……いえ、実を申しますと、私の方がお供をしておりました。
 目的地までの無聊を慰めるのに、学生時代の思い出話は非常に有効な手段でございます。いろいろと語りあううちに、先輩がこんなことを話し始めました。

「俺さ、あの寮で、幽霊に会ったことがあるんだよな」

 まさかそんな、と笑い飛ばす向きもあろうかと存じますが、私は笑いませんでした。なにせその寮はいろいろとその手の話の尽きない場所でございまして。事故で亡くなった先輩、冬休み中に肺炎でひとり寂しくベッドで死んでいた先輩、サーフィンに海へ出たまま戻らなかった先輩、あるいは学外者ですがふられた傷心のあまり寮の食堂前の松の木で首をつっていた女の子……。と、いろいろ暗い過去のある寮だったのです。
 私の在学していた時に、ひとつ下の学年に霊能力に長けた(と自称する)学生がおりまして、なんでも人に見えないものが見えるらしく、例えば風呂(共同でした)に入っているときに、
「そこの湯船の脇に一人と、あそこの洗い場に一人、窓際にもなんか居ますね」
 とか、食堂で食事をしているときに、
「そこの2列後ろを歩いてる気配、しません? わりと分かりやすいと思うんですが」
 とかいう話を日常的にしてくれていましたしね。ですから先輩の言うことも、ウソだなんて思いません。
「どんなのだったんですか?」
 と、私は問いかけてみました。


2.先輩の体験というのはこうでした。

「ある夜のことだ。その時、俺は部屋に一人で寝ていたんだが」

 説明いたしますと、寮は相部屋だったのです。部屋を入ると両側に2段ベッドが置いてあり、それぞれのベッドにはカーテンが付けられています。廊下から見ていちばん奥は窓になっていて、窓の前には机が二つ、並べておいてあります。その手前、ベッドと机の間に、部屋によって左右は違いますけれども、片側に縦長の衣装用のロッカーが4つ並べて置いてあり、反対側の壁際にはもうひとつ机が置いてあります。設計としては4人が暮らせる部屋なのですが、我々の頃には寮生は少なかったので、ひとつの部屋を2人、あるいは3人で共有するのが常でした。ただ週末ともなりますと外泊する寮生もいましたので、一人になることも多かったのです。

「夜明け前くらいにさ、ふと気がつくと、誰かがカーテンの隙間から覗いていたんだ」

 元が相部屋ですからプライバシーなんてあったものではありません。いちいちノックなんかせずに行き来するのは当たり前のことだったのです。もっとも、夜明け前にこそこそ侵入するなんてのは、ちょっとニュアンスの違う行為ですけれどもね。

「あの寮には入り口に鍵なんかなかったし、また誰か性悪の同級生でもイタズラに来たんだろうと思って、寝たふりを続けていたわけなんだな。そしたらさ、そいつは暫くじぃっとこっちを覗いていたんだけれども、そのうちにそこを離れて机の方に歩いていったんだ。それでよ、なんかゴソゴソやって、ひとの荷物を探ってるのよ」

 それは、いくらなんでもやり過ぎです。

「頭くるだろ? 俺もカチンと来たから、とっ捕まえて文句を言ってやろうと思った。カーテンはすこし開いててさ、俺の寝てるところからドアがバッチリ見えるんだ。2階だったから他に出口はない。目もしっかり冴えたし、取り逃すはずはねえ」

 そうですね。侵入者も間抜けですよね。

「そいつはしばらく荷物を漁っていたかと思うと、そーっと様子を伺いにきたり、また机の方に戻ってごそごそしたり、そんなことを長い間繰り返していた。だが、見えるところには出て来ない。だんだん部屋も明るくなってきて、夜があけてきた。すると」

 ……すると。

「いつの間にか音がしなくなって、気配がしなくなったんだ」

 ほほう。

「絶対に見逃したはずはない。はっきり音がしたから誰もいなかったはずもない。じゃあ、そいつはどこへ行った? いや、そもそもそいつは何者なんだ?」

 ……さあ。

「俺は、ちょっと怖くなってきた。寝てる場合じゃない。でも誰かに話しに行くにしても、時計を見ると5時半だ。まだ誰も起きている筈はない」

 ですねえ。

「俺は、じりじりしながら時間が過ぎるのを待った。その間も物音はもうまったくしなかったし、ドアから目を離さなかったがもちろん誰も出て行きはしなかった。待って、待って、待って、やっと7時になって、廊下に人の歩く気配がした。俺はベッドから飛び起きて、真っ直ぐドアに飛びついた。そして振り返ってみた部屋には」

 部屋には。

「……やっぱり、誰もいなかったんだ」


 と、こういう話だったのです。


3.それで思い出したのですが。

 もう15年も前のことになるのですね。
 ある土曜日の朝、きりかは早く目が覚めたので、寮の誰かが買ってきた少年ジャンプを雑誌捨て場からガメてきて、紅茶を飲みながらくつろいでおりました。その日は学校も休み、もちろん次の日曜日も休み。ですから金曜日の夜の次くらいに楽しい、まあ至福の時間だったわけです。

 と。
 開け放したドアのところに、一人の同級生が現れました。

「あ、おはよう」

 ところが、彼は挨拶をしませんでした。色の黒いヤツだったのですが(きりかは人のこと言えませんけど)妙に血の気の引いた顔で、普段の黒さがありません。目をキッと見開いて、口もOの字に小さく開けたままで、私の目を見て言ったことには。

「きりか。一緒に来て。オバケが出たんだよう」


 『オバケ』の中身については、省略しましょう。
 一人で寝ていたところから始まって、先輩の話とまったく同じだったのですから。


 彼の部屋は私の部屋の斜め向かいでした。私の部屋のドアは開けっ放しでしたから、そこに他の人間の出入りがあれば私だって見逃すはずはありません。にも関わらず、間違いなく、部屋の中には他に誰もいませんでした。しかし同級生のおびえ方は普通ではなく、作り話とは到底思えなかったので、ふんふんと相槌を打ちながら話を聞いたのを鮮明に憶えています。

「ほら、ここ! このコルク栓、落ちてるだろっ! これが落ちる音がしたんだよ!」
 顔を引きつらせて、彼は私に言ったのでした。

「昨日、みんなで開けたやつなんだよ! 絶対に机の上に立てて寝たんだよっ! 絶対!」



4.でも、偶然ってありますよね。

 なんだか私は怖くなって、先輩に尋ねました。
「先輩の部屋って、どこだったんですか?」

「ほら、寮には旧館と新館があっただろ? それで渡り廊下があって」
「その渡り廊下に隣接した、旧館の、2階の、北側の部屋、だったりとか?」


 途中で口をはさんだ私を、ぎろり、と先輩は睨み付けました。
 先輩のあんなに厳しい表情を、私は他に見たことがありません。


「きりか!」
 低く、でも怒鳴りつけるような調子の声でした。

「……どうして、そこだと思った?」


 二人の住んでいたのは、同じ部屋だったのでした。


 先輩と私の学年は5つ離れています。
 それだけの歳月を隔てて、まったく同じ体験をした人間がいる。
 あの部屋には、本当になにかが棲み続けていたのかもしれません。


 それで思い出したことがもう一つ。
 幸いにもきりかには霊感がなく、心霊体験なんてことをしたことはありません。だから日常的に霊が見えるという後輩のことが不思議で、あるとき聞いてみたのです。

「そうやっていっつも霊が見えてるゆうのはタイヘンやろ。落ち着いてメシ食ったり風呂入ったり出来へんのとちゃうん?」
 彼は、笑って答えました。
「いえ、そこに居るっていうだけで別になにもないですからね。食事も風呂も普通にしてますよ」
 ま、彼のいう『普通』と私の『普通』は違うかもしれませんけれどもね。


「でも」
 と、その時、彼は言ったのでした。

「新館の渡り廊下の辺は、ヤバイですね。僕は、あそこには近付きたくないです」


 私の話はこれでおしまいです。
 尻切れトンボのようですが、しょうがないですね。正体はもちろん、本当にそこにいたのかどうかも定かではありません。
 ただ、私はあそこにはやはり何かがいたのだろうな、と信じているのです。

 ちょっとは涼しくなるといい……ような良くないような。
 だって私の創作じゃないですから。「事実は小説よりも奇なり」とは申しますが、現実に空想が負けるというのも悲しいもので。

 そうそう。最後に。

 開け放した窓とか、半開きのカーテンなんていうものは、通りすがりのいろいろなものを「呼び寄せる」そうでございます。ちょっと覗いてみようか、という気にさせるらしいですね。
 どうぞ、皆様もお気をつけくださいませ。

 駄文長文失礼いたしました。 それでは、おやすみなさい。


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最終更新:2007年08月22日 21:31