次の日の朝、通学路にて。
「おはよーございますっ!! 斗的師匠!!」
「ああ、おはよう」
熱したアスファルトの道を歩く斗的の後ろから、小柄な少年が声をかけてきた。青と緑色をしたチェック地のズボンに、半そでのワイシャツというスタイルから、植物(うえもの)高校の生徒だということがわかる。
斗的のクラスメイトである「成城磨智(せいじょうまとも)」だ。同じ二年生なのに、斗的をロボトルの師匠として尊敬している。
磨智は、早速斗的を労わる。
「いやー、今日は暑いっスねー! 師匠、暑いの苦手だから大変でしょう?」
「ああ、こんなに熱いのは始めてだなぁ。冷凍食品コーナーの冷蔵庫に入り込みたい気分だ」
「あはは! 確かに、あそこ涼しそうっスよね~!」
「でもやめとく。前にやってあそこの店員に目付けられてるんだ」
「実践済み!?」
「だってさ~、暑くて溶けそうなんだよ~……」
斗的の言う通り、この陽気は異常だ。朝だというのに、銀色の光をジリジリ放つ太陽が、オーブントースターのように照り付けている。アスファルトからは陽炎が立ち上り、ジージー鳴き喚く蝉の声すら鬱陶しい。
「そうっスよねー、暑いっスよねー? こんな時に厚着しろって言われたら、死んじゃいますよねー!」
「ああ~、そうだな~」
磨智はピタッと足を止める。
「――なのにどうして、師匠は冬服着てるんスか?」
「へ?」
磨智の言う通り、斗的は長袖のシャツを着て、紺色のブレザーを羽織っている。のみならず、目にはグラサン、口にはマスク、頭には髑髏マーク入りの紺色帽子という完全武装だ。あ、帽子は元からかぶってたか。
夏が嫌いな斗的が、こんな格好をしているなんて考えられない。それに、どことなく声がいつもより高いような……。
斗的は、口をもごもごしながら言う。
「いや、これはその……あれだ。オレ、紫外線浴びると体が溶けちまうんだ」
「どこのドラキュラっスか!? てか、メルヘンやファンタジーじゃないんだし、吸血鬼なんているわけないっスよ!!」
「お前、物知らないにもほどがあるぞ? あいつらにやられると、傷口がかゆくてかゆくて――」
「蚊じゃないっスか!!」
「まぁ、お前のおつむが弱いことはともかくとして、」
「いや、僕の許可無く不名誉な設定つけないで!! 成績だけなら師匠よりいいっスから!!」
「蜜柑の電話番号知らないか?」
「え……蜜柑?」
思ってもみなかった名前が出たので、磨智は少々面食らう。斗的にとって、蜜柑は天敵のような存在であり、避けるべき相手。なのに、その蜜柑の連絡先を斗的から聞くとは……やっぱり、今日の斗的はどこかおかしい。まるで、斗的じゃない別の誰かと話しているよう。
「いや、あいつに用があるんだけどさ、考えてみればあいつの家に電話かけたこと無いから。お前、蜜柑の幼馴染だから知ってるだろ?」
「いや~、無理っスね。あいつの家、電話ないから」
「マジで!?」
「ええ。あいつ、『そんな余計なもの買うくらいならメダロットのパーツ買うね!』って言ってたから」
ちなみに、蜜柑は極度の機械オタの上、超ド級貧乏だったりする。
「いや、研究所なら電話のひとつでも置いとかなきゃまずいだろ!!」
「ところで、蜜柑がどうしたんスか?」
「昨日あいつの家に行った時、メダロッチ忘れてきちまって――」
斗的がそう口に出したのとほぼ同時に、二人は足を止める。目の前に、数人の高校生に取り囲まれている小学生がいたからだ。
「金出せ坊主」
「金出せ坊主」
「金出せ坊主」
小学生からなんて大した額を搾り取れないはずなのに、リーゼントで口ひげを生やした高校生三人組が、金を要求している。
「うわぁ……今時あんなことする連中いるんだ……」
「ああ、そうだな。――さて、」
「ちょっ、斗的師匠!? なに回り道しようとしてるんスか!?」
摩智は、ガッシリと斗的の肩をつかみ、引き止める。
「だって巻き込まれたら嫌だし。覚えてるだろ? オレのモットー」
「『激しい喜びも深い悲しみもない、植物のような人生』っスよね?」
「わかってるじゃねぇか。オレは夜も眠れないといったトラブルや、敵を作るのが大嫌いなんだよ。従って、ここはスルーする。以上」
先程まで摩智の心の中で大きくなっていった疑問が、あっという間に氷解した。というよりも、一瞬にして蒸発した。ここまで自分勝手なのは、この地球上において、自分の師匠たる斗的しかいない。
「で……でもっ! !ここで助けるのが、男ってやつでしょ!! そんなだから自己中心っていわれるんスよ!!」
「お前もいちいちうるせぇやつだな。てか、オレよりずぅっと自分勝手に生きてるやつがいるだろが」
刹那、
「おっはよー、二人とも! 今日も朝からアクセル全開?」
ほがらかな顔で手を振る蜜柑が、斗的と磨智の方に走ってきた。斗的は蜜柑を見た途端、眉間にしわを寄せる。
「よぉ、奇遇だな。たった今お前の話をしてたところだ」
「あっはっはー! いやぁ、あたしを取り合って痴話喧嘩ってか」
「どこの誰が?」
斗的は、冷たい視線をスコールのように蜜柑へと注ぐ。いつもと変わらぬやり取りを目の当たりにし、摩智は苦笑する。
「――てかさ、いいの?」
「あ?」
「道で絡まれてる小学生を見捨ててっ! そーいうのって、道徳に反するんじゃないっ?」
「――ちょッ!? おまっ……!!」
斗的が蜜柑の口を慌ててふさいだ時にはもう遅い。不良三人衆はしっかりとこちらをお睨みになっておられる。
「さっきからいちいちうるせぇんだよダボがッ!!!」
「ちょーどいい、てめぇらも金よこしやがれッ!!!」
「特別に3回払いにしてやるからよぉッ!!! 今なら洗剤も付いてきてお得だコラァッ!!!」
不良三人衆は文句を言いながら、次々と近づいてくる。
「うわぁ~、大変なことになっちゃったね~」
「ほざけっ、このトラブルメーカーが!! お前といると、いっつもロクでもないことが起きやがる!!」
「そういえばさ~、丁度洗剤ほしかったんだよねぇ。この前こぼしたバンバンジーの染みが中々取れなくて」
「それくらいスーパー行って買え!! そっちの方が確実に安いから!!」
「でもさぁ、こういう所で買った洗剤の方が、キレイサッパリ汚れが消えるとあたしは思うな!」
「キレイサッパリ消えるのはオレらの財布の中じゃあッ!!!」
そんな言い争いをしている間に、斗的達は、フルーツバスケットのように囲まれてしまう。こうなってしまっては、セレクト防衛隊(警察のようなもの)のいる派出所にも駆け込めない。どうする斗的? このまま素直に金を渡してしまうのか!?
絶体絶命の斗的は、ため息をひとつ吐くと、
「…………仕方ねぇ」
左腕を振り下ろす。
――瞬間、
一陣の風が不良三人衆の頭を撫でる。
不良三人衆は何気なく自分の頭を触る。が、返ってくるのはツルツルとした感触だけ。
「「「――ッ?!」」」
刈り上げられ、毛が一本もない地肌の感触だけ。足元には、もっさりとした髪の山が形成されている。
「ぐわァアアアアアアアアッッ!!! おっ、お助けェエエエエエエッッ!!!」
「ママァッ!!! ママァアアアアアアアアッ!!!」
会心の一撃。不良は逃げ出した。斗的は60の疲労感を得た。
「ご苦労さん、ガマン」
斗的は、電柱の陰に隠れている1mくらいのロボットに声をかける。ロボットは、西洋甲冑のような装甲に覆われており、右手に馬のデザインが描かれた盾、左手に光をまとった日本刀を持っている。
西洋騎士型メダロット「ナイトアーマー」だ。あだ名は、ガードマンを略して「ガマン」。ジジくさい喋り方をするやつで、斗的のいる場所ならどこでも駆けつける。
「なぁに、ワシは斗的坊ちゃんに降りかかる火の粉をはらうのが目的じゃからな! 坊ちゃんのためなら、たとえ火の中水の中草の中森の中」
「やめろ。ポケモンはメダロットの敵だ」
「いや、同じゲーム同士歩み合おうよッ!!」
「いやぁ、しかし斗的は相変わらず強いねぇ♪ 助かったよ!」
蜜柑は向日葵のように満面の笑みを浮かべながら、斗的の背中をバシッと叩く。
「ぉわっっ?!!」
斗的は不良を撃退できたことで油断していた。その油断が、帽子を押さえるという行為を忘れさせていたのだろう。
紺色の帽子はくるくると放物線を描き、ポスッと地面に落下する。と同時に、帽子の中に収納されていた「あるもの」が、堰を切ったかのように飛び出す。
――斗的の背中まである、シルクのように透き通った銀髪が。
…………数秒間、世界が完全に凍りついた。磨智は目を見開いたまま、蜜柑は笑顔のまま、ガマンはギックリ腰になって地面を転がっていたまま。
銀髪の少女は、そそくさ帽子を拾うと、目が見えないほどに深くかぶり直す。
やっと口を動かせるようになった磨智は、銀髪の少女に疑問を投げかける。
「…………師匠……っス、よね?」
「…………」
少女はうつむいたまま、こっくりと頷いた。
最終更新:2007年11月04日 22:54