この中学校には、魔の13階段という噂がある。
階段を上がっていくと、12段の階段が1段増え、13段になっている。
それは異次元の階段で、その段を踏むと悪魔に突き落とされる、という噂。
放課後、そんな噂の流れる北側の階段に向かう2人の生徒。
1人は眼鏡をかけた小柄な男子「
碓氷冬雪」。
もう1人は三つ編みをした大人しそうな女子「
渡辺春花」だ。
彼らは噂から生じた「アヤカシ」と戦う「
ホーリーメイデンズ」。
ホーリーメイデンズは、四神をその身に降ろす巫女であり、女にしかできない仕事だ。
したがって男である冬雪の体は変身した時、女性化する。
階段を黙々と上がっていく春花に、冬雪は不安そうに尋ねる。
「ねえ、やっぱり夏月や秋綺なしじゃあまずいんじゃない?」
それに対して、春の陽気のように穏やかに返事をする春花。
「仕方ありませんよ、2人とも『アレ』の日ですし」
途端に顔を赤らめ、冬雪は狼狽し始める。
具体的に言わなくてもわかる、女の子特有のもの。
「そ、それは聞きましたけど……なんでそれが駄目なの?」
敬語と普通語交じりで質問する冬雪。
春花の肩に乗っている蒼い蛇「青龍」が欠伸をしながら答える。
「ふぁ~あ。それはなあ、血が力を弱めるからじゃよ。
人間とアヤカシの中間なのに、これではアヤカシ側に傾いてしまう。
女が古来より穢れた存在と認識されているのはそのためよ。
ホーリーメイデンズもアヤカシ同様人の心から生まれた存在。
悲しいかな、人の心に未だそういう考えが残っているということじゃ」
悲しそうに目を伏せる青龍。
「アレ」……血がたくさん出るもの。
少なくとも冬雪はそう認識している。
考えただけでもぞっとする、自分の体からたくさんの血が出るなんて。
それは気弱な冬雪を恐怖させるに十分だった。
以前女の子になった時は1日だけだったが、そんなことがあるんだったらもう2度となりたくない。
そんなことを考えているうちに、目的地である噂の階段に到着した。
「ひひひひひひひひひひひひひ……」
窓から夕陽が差し込む階段の踊り場が歪む。
と、同時に現れる角の生えた人間大の白いワニ。
口から出た、血のように紅く、長い舌は人間の手の形をしている。
「13階段の悪魔、男女を突き落とし、その魂を入れ替えた罪は重いですよ!」
厳しい表情で悪魔を指差す春花。
悪魔はその猛禽類のような目をクリクリと動かしながらせせら笑う。
「ああ怖い。俺はただいたずらをしただけだぜ。誰も死んじゃいないだろ?
クックックッ、それで殺されるんじゃあ割に合わないな……」
「確かに可哀想ですねぇ……」
「って、春花さん!?」
無表情で相槌を打つ春花に思わずツッコミを入れる冬雪。
「ですが、他人の人生を奪う権利はあなたにありません!
人間と少年少女文庫、そしてエコロジーの使者、ホーリーメイデンズが退治してくれます!」
「なんか、肩書き増えてません?」
しかも、少年少女文庫の使者というほど貢献してはいないだろ……。
それはさておき、冬雪と春花はオーヌサステッキを構えた。
「古(いにしえ)は天地未だ剖れず、陰陽(めを)分れざりし時、
渾沌(まろが)れたること鶏子(とりのこ)の如くして、ほのかにして牙(きざし)を含めり。
……時に、天地の中に一物生(ひとつのものな)れり。
伏葦牙(かたちあしかひ)の如し。すなわち神となる。国常立尊と号(もう)す」
言霊を唱え、意識を集中させる。
途端に、冬雪の周囲は海のように蒼い光で満たされる。
絹のような柔らかさを持つ髪が腰までふわりと伸びていき、頭には大きく蒼いリボンが現れる。
元々少女のような顔には耳までを覆うゴーグル。
手足がどんどんと白く、華奢になり、その小さな手には白い手袋がはめられる。
学ランは浅葱色の着物に変化していき、小さいながらも胸にふくらみが出てくる。
ズボンの裾は一体化していき、蒼いミニスカート状の袴となる。
無駄な肉付きのない小鹿のような脚を、柔らかな白いストッキングが覆っていく。
最後に蒼いブーツが足に現れ、変身は完了した。
側には、緑を基調とした衣装の春花がいる。
「奏でよ風の協奏曲! 疾風!」
ステッキを構えた春花の手から放たれる勢いのある風。
悪魔は素早く飛び上がり、やもりのごとく天井に張り付く。
その口から弾丸のように放たれる舌。
春花はステッキを回転させ、風の盾を作る。
舌を戻した悪魔は橙の光の中にすうっと消えていった。
「あいつ、カメレオンのように色を変えられるんだ……」
思わず、辺りを見回す冬雪。
だが、オラクルゴーグルにも反応がない。
いつもと変わらぬ階段だ。
その階段を一気に駆け上がる春花。
「全体が見渡せるところからやつを探しましょう!」
「危ない!! 階段の上はやつのテリトリー!!」
叫んだ時にはすでに遅く、階段を登りきった春花の前に、突如悪魔が現れた。
「くらえええええええええいっっ!!」
勢いよく突き飛ばそうとする悪魔。
だが、春花の表情には余裕が。
「くす、必ず現れると思っていましたよ」
「ば、ば、馬鹿な!? おびき出されただと!?」
狼狽する悪魔、この至近距離では避けきれない。
ステッキを構える春花。
「死への旅路を彩れ! 風の鎮魂歌!!」
たちまち、悪魔を包む竜巻。
「ぐげええええええええええええええええぇぇっっ……!!!」
断末魔の悲鳴を上げながら消滅する悪魔。
「やりましたわ!」
そう言って笑顔でガッツポーズをとる春花の背中を、紅く長いものが押した。
悪魔の舌だ。
「え?」
キョトンとした表情で落下していく春花。
「春花さん!?」
階下の冬雪は、急ぎ春花を受け止めようとする。
次の瞬間、頭に走る鈍い衝撃。
どうやら、冬雪の前頭部と春花の後頭部がぶつかった様子。
途端に訪れる漆黒の闇。
目を回し、2人の少女は気絶した……。
「……冬雪さん、冬雪さん」
誰かに体を揺さぶられ、冬雪は目を覚ました。
春花じゃない、声変わりしていない少年の声。
「う……んん……」
うっすらと目を開ける冬雪。
すぐ目の前には、眼鏡をかけた少年の顔が。
それは紛れもなく、冬雪自身の顔。
「うわあああああああああ!!?」
大きく飛びのき、壁に背中をつける冬雪。
「ああ、起きましたか。よかったあ、そのまま起きないなら口付けしかないと思っていましたよ」
にこやかに微笑む冬雪の顔をした少年。
「ほら、よく言うじゃないですか。お姫様は王子様のキスで目覚めるって♪」
キス……思わず仮死魔との戦いを思い出し、紅くなる冬雪。
だが、今はそれどころではない。
一体何者だろう。
まさか、新たなアヤカシ……?
勇気を振り絞り、質問をする冬雪。
「き、君はだぁれ?」
冬雪に言われ、キョトンとする少年。
その横から、顔を出すぬいぐるみのような亀。
玄武だ。
どうして玄武があっち側に、まさか自分がわからないのだろうか?
そんな冬雪の様子に気づいてか、呆れた表情で肩をすくめる玄武。
「やれやれ、どうやら気づいていないようだよ。相変わらず鈍いねぇ。自分の体をよく見てみたら?」
玄武に嫌味を言われてむっとしながらも、言われた通りにする素直な冬雪。
「……ねえ、なんで僕がセーラー服着てるの? 声もなんか変だし……。
それに、なんで眼鏡なしでもはっきり見えるの? ん……えええええ!?」
ようやく自分の体の異変に気づく冬雪。
穏やかな風のように上品な声。
百合の花のように白く、肌理細やかな肌。
胸にある、マシュマロのように柔らかく、豊かな膨らみ。
白樺の小枝のように細い指。
紺地のスカートから伸びた華奢で柔らかそうな脚。
そして背中まである長い三つ編み。
それは紛れもなく、春花の体だった。
ということは、目の前にいる自分と同じ姿をした少年は……。
「どうやら、冬雪さんと私の体が入れ替わってしまったようですね」
明るく笑う冬雪の顔、なんだか変な気分。
「え、でも、アヤカシを倒したらその効果は消えるはずじゃあ……」
春花の代わりに青龍が応える。
「おそらく、イタチの最後っ屁ってやつじゃろう。やつめ、この呪いに全てを込めたのだろうて」
「え、じゃあ一生このまんま!?」
サッと冬雪の背中に走る冷たいもの。
――そんな……女の子になりたくないって思っていた矢先にこれ?
第一、これから母さん達と離れて暮らさなければいけない。
これじゃあ肉体が女の子になった方がマシだ、と頭を抱え込む冬雪。
「いや、大丈夫でしょ。あいつはもう死んだんだし。まあ、一週間以内には元に戻るでしょ」
表情1つ変えずに、サラリと言い放つ玄武。
一週間……長いような短いような際どい期間。
まあ、一生元に戻らないよりはマシか。
そこで、春花のことに気づく冬雪。
「そうだ、春花さんは不便じゃないですか? その……男の体になって」
うつむきかげんで、もじもじと聞く冬雪。
春花は目を上向きにし、答える。
「んー、確かに慣れない体というのは不便ですねぇ」
そう言って、まじまじと体を見る春花。
自分は女の子経験者だからいいが、春花は初めての男の体だ。
先程まで、自分のことだけ考えていたのが恥ずかしい。
「じゃあ、ちょっと待っていて下さいね!」
そう言って春花は、自分の鞄を抱えて女子トイレに入った。
「あ、ちょ! その体で入らないでよぉ!」
学ランの袖をつかんで止めようとするが、すぐにかけられるトイレの鍵。
しばらくすると、鍵は開いた。
そこから出てきたのは紺のセーラー服に身を包んだ少女。
背中まである艶やかな黒髪には桃色のリボン。
紛れもなくそれは、冬雪女の子バージョン。
「これなら問題ありませんね、女の子の体だし」
ああ、なるほど。
そういえば好きな時に女の子になれるんだった。
とりあえず落ち込んでいないことに安心する冬雪。
「それにしてもそのセーラー服どこから?」
春花はぐいと冬雪の真正面に立ち、その今にも折れそうな手をかざす。
思わず、顔を桃色に染める冬雪。
自分の体だとわかってはいるが、女の子にここまで至近距離で接近されると……。
「ほら、私の身長と女の子のときの冬雪君の身長、ほとんど同じでしょう? 丁度、152センチくらい。
私、いつも予備の制服一式持ち歩いているんですよ、冬雪君がいつ女の子になってもいいように」
「へ……へぇ、それ春花さんの……」
しどろもどろと、返事をする冬雪。
――なるほど、想定の範囲内だったわけか。
ありがたいのかありがたくないのか、複雑な心境。
それにしても152センチだったとは……夏月が156センチだからそれより下。
秋綺より下なのはわかっていたが、夏月以下なのは正直ショックだ。
せっかく最近、約4センチほど抜かしたばかりなのに……と思案を巡らせる冬雪。
その手を、突如春花は握る。
滑らかで、柔らかい感触が冬雪に伝わる。
穏やかに微笑む冬雪の顔……中身が変わるとこうも印象が違うとは。
「それじゃあ、帰りますか?」
「え?」
「私の家にですよ! 大丈夫、うちは両親とも夜中まで帰ってきませんから。
お互いこの体を満喫しましょうね、春花さん?」
そう言うと、ぐいと腕を引っ張って廊下を走っていく春花。
スカートを勢いにたなびかせ、2人の少女は玄関まで失踪していく。
それを呆れ顔で見る玄武。
「やれやれ、夏月に流され、母親に流され、そして春花にまで流されるとはね。水属性なだけあるね」
「おいおい、なんとかしないのか?」
そう言って玄武をたしなめる青龍。
「君がしたら? 四聖獣の筆頭だろ?」
「ふぁ~あ、わしは眠いからもうだめじゃ……」
まぶたを閉じる青龍。
その横を玄武はとことこと去っていく。
「ま、どうでもいいことだけどね」
玄武は相も変わらず興味がなさそう。
「広っ……」
それが春花の部屋を見た時の冬雪の第一声だった。
春花の家は10年くらいに出来た高級マンションの一室だ。
冬雪の家の2倍もあるテレビ、大きなソファー、そして部屋全体を包み込む暖かな橙の光。
「さぁ、ソファに腰を降ろしてください」
「え、あ、うん……」
思わず部屋に見とれているうちに声がかかったので、少々呆気にとられる冬雪。
スカートを押さえながらソファの上に腰を降ろす。
その柔らかな感触に驚き、思わず立ち上がってしまう。
「今、飲み物つぎますね」
そう言って、奥にあるキッチンにいく春花。
「あ、ありがとう……」
礼を言い、その間天井をボーっと眺める冬雪。
考えてみれば、友達のうちに行ったことなんてほとんどない。
せいぜい、最近秋綺の家に行った1回くらい。
夏月とは数え切れないほど遊んだけど……。
そういえば、キッチンの方からなにか話し声が聞こえる。
一体なんだろう?
そう思っていると、ようやく春花がキッチンから顔を出した。
「お待たせしましたあ、ちょっと飲み物取りに行くついでに冬雪さんの家に電話をかけさせていただきました。
今夜泊まるって。大丈夫、ちゃんと冬雪君になりきりましたから」
「あは、ありがとう。……母さん、なんか言ってなかった?」
上目遣いで聞く冬雪に、春花は眼鏡の奥の目をにっこりさせて答える。
「ああ、なんか喜んでいましたよ。『キャアア、女の子に戻ってくれたのね~』とか言って転がっていたようです」
「こ、ころ……」
母の喜びように、思わず絶句する冬雪。
男に戻った時、大した興味がなさそうな顔をしていたからもう吹っ切れたのかと思っていたが、
娘を持つという願望をどうやら捨てたわけではなかったようだ。
チラッと春花、つまり自分の顔を見る冬雪。
客観的に自分の体を見れる今だからこそ、それは無理のない気持ちだと思う。
まるで絹糸のように柔らかく、艶やかな黒髪。
縁なし眼鏡の奥には、紫がかった宝石のような瞳。
さくらんぼのように瑞々しく、柔らかそうな唇。
胸にあるエンジ色のスカーフは、微かにある膨らみで隆起している。
紺色のソックスに包まれた細い足は、まるでみぞれのように白い。
特別に可愛いというわけではないが、全体的にバランスのとれた小動物のような可愛さを持つ。
自画自賛かもしれないが、本当に自分の体とは思えない。
「まあ、かえってよかったかもしれませんね、入れ替わって。技の特訓も一緒に出来ますし。
確か、気の流れが見えるようになってからは夏月ちゃんと一緒に特訓しているのですよね?」
夏月との特訓を思い出し、苦笑をする冬雪。
「はい、夏月も力の使い方さえわかればあとは男も女も関係ないって言って教えてくれようとしたんですが……。
正直『あーもう、あれをこーするのよ!』とか『これがあーで、あーなのよ!』とか指示語ばっかり」
「あはは、夏月ちゃんらしいですね……」
同じく乾いた笑いを浮かべる春花。
その表情を見て「自分は普段こんな顔しているのか」と新たな発見をする冬雪。
「それなら、やっぱり必要ですね、特訓。それじゃあお風呂に入りながらやりますか」
「お、お風呂お!?」
思わず素っ頓狂な悲鳴を上げる冬雪。
「あ、すみません。隣の人もいますからあまり大声を出さないでほしいのですが」
「いや、だってお風呂だよお風呂!! なんでそんなところで特訓を! 第一、年頃の男女が」
「あら、結構いいんですよ、リラックスできて。特訓といってもイメージトレーニングですよ。
それに、今は女の子同士ですし全然問題ありませんよ。頭や体は私が洗いますし」
「いや……でも」
なおも渋る冬雪に、にっこり微笑む眼鏡の少女。
思わずドキッとする。
「さっさとしろっつってんだよ、その体は私のものなんだから汚くするんじゃねえ」
「は、はいっっ!」
春花の静かなる脅しによって、別な意味でドキッとし、急いで制服を脱ぎ始める冬雪。
スカーフを持つ手も、自然に震えてくる。
まさか、自分の口からそのような恐ろしい言葉が出るとは思わなかった。
メンバー中最強なのは春花なのではないかとさえ感じる。
そういえば、女の子になってお風呂に入るのはこれが初めてだ。
戦闘中はもとより、前に女の子になった時も家に帰る前に元に戻ったし。
冬雪はそのようなことを考えながら、品のあるパステルピンクのタイルに足をつける。
ひやっとした冷たい感触が、柔らかい足の裏をくすぐるかのように伝わる。
その場に腰を下ろし、まじまじと鏡を見る冬雪。
すぐ目の前には、長い三つ網を髪留めで止めた少女が映りこむ。
まるで硝子細工のように透き通り、翠がかった瞳。
春風のように上品で、柔和な顔つき。
そして、椀ほどもある豊かなバスト。
春花には校内にも何人かファンがいるらしい。
その顔が今、目の前にあるのだ。
彼女は恋愛対象にないが、思わず心臓の鼓動が早まってくる。
「ふふ、あまりじろじろ見ないでくださいね。恥ずかしいから」
突如背中に聞こえる小川のせせらぎのような声。
春花が入ってきたのだ。
「じゃあ、まずは体を拭きますね」
そう言って、後ろでタオルを洗面器の湯に浸し始める春花。
間もなく、暖かいタオルが冬雪の柔らかな肌の上をゆっくりと拭き始める。
湯を含み、つやつやと珠のように光を反射する白く、透明感のある肌。
肩からわきへと移動していくタオルの感触により、次第に心地よくなっていく。
それは幼い頃、母と一緒に風呂に入った時に感じた暖かさの混じったもの。
手を止め、口を開く春花。
「リラックスしてきましたね? じゃあ、想像してみてください。あなたの大切な人が傷つこうとしています。
あなたの周りには河が流れていますが、それが彼女を守るところをイメージしてください」
すうっと、まるで眠るかのように目を閉じる冬雪。
どこまでも続くと思われる無音の暗闇。
そこにいるのは2人だけ、1人は蒼い巫女装束の自分。
そして、もう1人は紅い巫女装束のポニーテール少女――夏月。
幼い時からずっと一緒で、いつも困った時には助けてくれた夏月。
公園でも、口裂け女の時も、身を挺して自分を守ってくれた。
その時、暗闇からなにかが飛び出してくる。
それは、袋を持った猿のような怪人「マッドガッサー」。
甲高く、奇妙な鳴き声をあげてマッドガッサーは夏月に向かっていく。
袋を振り回す怪人の前に、夏月は立ちはだかる。
だが、あの時のように防ぐだけで精一杯。
歯を食いしばり、決して自分に近寄らせないように応戦する夏月。
また守られるだけ?
そんなのは、絶対に嫌だ!
そんな時、足下の水がこぽこぽと泡立ち始める。
いつの間にか現れる河。
「お願い、力を貸して!」
すがるように繰り返しながら、河の水を凝視する冬雪。
それに応えるかのように、くっぷくっぷと音を立てる水。
マッドガッサーの素早い動きを封じるためには、縛り上げるしかない。
そのためには蛇のように動き、荒縄のように決して放さないものが必要。
動け、と全身全霊を込めて冬雪は念じる。
すると、まるで大蛇のように身をくねらせる河。
さらに念じると、動きも段々と激しくなる。
ついに水は、1体の蛟となって浮上し、一気に闇の中を駆けていく。
そのままマッドガッサー目掛けて、一気に縛り上げる蛟。
「できたっっ!!」
思わず、普段のからは想像もできないような歓喜の声を上げる三つ網の少女。
気がつくと、そこは元の風呂場だった。
だが、そんなことは今の冬雪には関係なかった。
ずっと守りたかった夏月が守れた喜び。
それが全てだった。
もう、言葉を失うほど歓喜し、その輝きに満ちた目を春花に向ける冬雪。
「ありがとう、春花さん! 僕、術が使えたよ!!」
それを受け、春花は同じく笑顔になる。
「おめでとうございます! あとはこれが戦闘中に出来るようにするだけですね」
「夏月が言ってた方法とは全然違うなぁ。やっぱり特訓って一人ひとり違うの?」
冬雪の問いに対し、丁寧に説明を始める春花。
「そうですね、夏月ちゃんはスポ魂漫画のように熱い特訓が好きなようですけど。
要は自分の属性をどのように操るかをイメージできるということですね。
名前や呪文なんかも適当でいいんですよ」
「え、あれって適当だったの!?」
思わず大声を出す冬雪に、春花はあっけらかんと言い放つ。
「はい。夏月ちゃんも私も、呪文は自分のかっこいいと思ったものを使っています。
その証拠に、卜部さんは呪文を唱えなくても技を発動できるでしょう?
ホーリーメイデンズやオーヌサステッキって名称も先代が付け直した名前ですし。
元は巫女遊撃隊とかそういう名前だったらしいですよ。
メイデンズもアヤカシ同様人の心が生み出した存在なので、時代と共に変化しているわけですよ」
「ず、随分余裕があるんですね……」
冬雪は呆れ、溜息が口をついて出る。
前回の戦いで、確かに自分は思いつきの名前をつけたが、まさか全てが適当だったなんて。
それにしても、あのダサい名前を考えたのが先代とは。
古来から伝わっているにしては、それらが横文字なことに違和感は感じたが……。
「あ、でもそっちの方が雰囲気が出て、想像力が湧くんですよ。だから、無意味というわけでもありません」
そう言いながら湯船に入る春花。
冬雪をおいでおいでと手招きする。
「入りましょう、裸のままそこにいたら風邪を引きますよ」
「う、うん……」
春花に言われるまま、湯に体を浸らせる。
風呂の中で互いにぶつかるマシュマロのように柔らかな肌。
その不思議な感覚に、まるでのぼせたかのようにボーっとする冬雪。
「女の子の体だからというのもあるかと思いますが、やっぱり冬雪君にはこの方法が合っていたんですね」
突如耳に飛び込んだ春花の声で、冬雪は現実に引き戻された。
「え、やっぱりって?」
「成功すると思っていたってことです、冬雪君って私に似てるから」
そう言って、春花はそのすみれ色の瞳を遠くにはせる。
思わず首をひねる冬雪。
清楚可憐で柔らかな物腰の春花、地味な存在で後ろ向きな自分。
この両者が同じとは思えない。
そんな気持ちを知ってか知らずか、春花はとうとうと語りだす。
「私、中学校に入るまでずうっと友達いなかったんですよ。
お父さんやお母さんは優しいけど、いつも家にいない。
だから、1人ぼっち。
そのせいで他人に距離をとるようになってしまいまして」
その時のことを思い出しているらしく、寂しく笑う春花。
「でも、夏月ちゃんと出会ってからは変われました。
夏月ちゃんが暗闇の中から私を見つけ出して、光の中に引っ張ってくれました。
こうやって過去のことを話せるくらいまでになったのも、夏月ちゃんのおかげ。
まあ、未だに敬語を使う癖だけは抜けませんけど」
春花にとっても夏月は光だったんだ。そう思い、春花が自分と似ていると言った理由がわかった。
冬雪自身も、多分夏月がいなかったらずっと1人だったろう。
太陽のように明るい夏月がいたから、光の中にいれる。
「僕、最初入れ替わったときはどうしようかと焦ったけど、色々新しいことがわかってよかった」
「私もです! 家に帰るといつも1人だったから、まるで妹が出来たみたい」
「一応同い年なんですけど……」
それに女の子でもない、と冬雪は小さく呟く。
しばらく流れる沈黙、2人の肌も白からほのかな桃色に変化している。
そんな中、急に口を開く春花。
「ねえ、冬雪君」
「はい?」
「もしよろしければ、私と付き合いませんか?」
冬雪は顔を紅潮させ、思わず立ち上がる。
なんだ、自分の何がいいんだ?
それよりも、夏月のことがちらつく。
春花は可愛いが……でも。
もう、頭が壊れてしまいそうだ。
それを見て、にっこり微笑むすみれ色の瞳を持つ少女。
「冗談ですよ。私、自分より胸の小さな人とは付き合いたくありません」
同時に三つのショックを受け、うなだれる冬雪。
もてあそばれたこと、胸が小さいと言われたこと、そしてそれに対してショックを受けていることだ。
それにしても、そういう趣味?
「さあ、とりあえず髪と体を洗って出ましょう。明日は運動会ですから早く寝ないと」
運動会……今までの騒動ですっかり忘れていた。
「とりあえず、明日夏月ちゃんと卜部さんだけにはこれを報告しましょう。
もうそろそろ、アレの痛みも取れていることでしょうし」
そう言って湯船から出る春花。
「あ、ちょっと待って! よかったら……あの2人にも黙ってくれないかな。
ほら、余計な心配かけたくないから」
右手の人差し指を顎に当て、思案する春花。
「それもそうですね、わかりました。それにしても、本当に冬雪君は夏月ちゃん思いですね」
「あはは、いっつも心配ばかりかけてるからさ」
「確かに、夏月ちゃんも本当に心配性ですからね」
いつものように微笑む春花。
なぜだろう、その顔が心なしか不自然に感じるのは。
次の日の朝、グラウンド。
爽やかな空気の中、紅白帽をかぶったジャージ姿の生徒が何人かいる。
その1人の冬雪に、男子の声がかかった。
「春花さん」
声がかかり、そちらを向く冬雪。
そこには眼鏡をかけた長身の少年「桃ノ木三四郎」がいた。
「はるか? 今は純情き○り」
「いや、あんただよあんた」
そういえば、春花と入れ替わっていたんだった。
それを思い出し、慌ててぎこちない笑みを作る冬雪。
「あはは、御機嫌よう」
「春花さん、今日はいつも以上に丁寧な挨拶ですね」
「そ、そうですかねえ。て、照れますわ」
「いや、まあ、別に誉めてないんですけど」
帽子を被りなおしながら、三四郎は話す。
「ちょっと相談があるのですが、いいですか? 冬雪君と夏月さんのことです。あの2人って幼馴染ですよね?」
「は、はい。そうですけど」
三四郎は口をつぐみ、場に沈黙が訪れる。
「それが……どうかしたんですか?」
目をそらしながら、再び話し始める三四郎。
明らかに、いつもと様子が違う。
「親友である春花さんの目から見て、その、2人は、あの……付き合っているんですか?」
「え?」
一瞬呆ける冬雪。
「全然そんな事実ありませんよ」
途端に三四郎の顔に笑みが満ちる。
「そうですか……本当にありがとうございます!!」
そう言って、飛ぶように跳ねる三四郎。
なぜそんなことを聞くのだろう?
冬雪の頭の中に、1つの結論が浮かぶ。
――まさか――あの2人。
冬雪の心に、早くも一抹の不安が過ぎった……。
最終更新:2007年03月11日 19:45