笑い声が消えると同時に、春花はその場にへたり込む。
「な、夏月ちゃん……」
ゴーグルの奥にある翠がかった瞳から、とめどもなく熱いものがこみ上げてくる。
――知ってました? 冬雪君と三四郎さんって、両思いだったんですよ。嘘だと思うなら、そこの窓から覗いてみてください。仲良くしている二人が見えるはずです――
昨日、夏月に言った言葉。闇に飲まれていたとはいえ、まさか、あれが最後の言葉になるなんて。
そんなの、嫌だ。また会って、話をしたい。ごめんねって、謝りたい。せっかく、冬雪や秋綺とも仲良くなれたのに。戻ってきてよ。戻って
「大丈夫だよ、春花さん」
頭上から響く、緩やかな声。ふと、顔を上げると、そこには。勝気な表情を浮かべる。
「夏月ちゃん!?」
「え?」
瞬きをした時、そこには、冬雪の顔があった。途端に、春花は目を背ける。
「な、なんでもありません……」
自分でもわからない。なんで、冬雪と夏月を間違えたのだろう。
「俺も、碓氷に同感だ。あいつらの目的は、メイデンズ殲滅。だったら、人質として手元に残すはずだ」
秋綺が、極めて冷静に言い放つ。
「すごい……そこまで考えられるなんて。秋綺の方が、ずっと水の巫女らしいね」
「あれ? お前も同じ考えじゃなかったのかよ」
「うん、なんていうか……夏月なら大丈夫かな、なんて思ったから」
「お前、相変わらずお気楽なやつだな」
そんなやり取りを見ながら、春花はうつむく。
自分は、なんて身勝手なんだろう。一番辛いのは、冬雪のはずなのに。
そうだ、冬雪のためにも、いや、自分たち四人のためにも、アヤカシの本拠地を探さなければ。
春花が決心を固めた、その時。
「あのお……」
三四郎が、腰を低くして、話題に入り込む。
「あなた達は……春花さんに卜部さん、それに、冬雪君ですか?」
途端に、冬雪と秋綺は、気まずそうな表情をする。それ横目に、春花は三四郎の前に一歩進み出る。
「はい、そうです!」
春花はそう言って、ゴーグルをはずす。
「やっぱり……。もしやとは思っていましたが」
腕組みをする三四郎の反対側で、冬雪は困惑した表情を見せる。
「は、春花さん。どういうつもり?」
「ギブアンドテイクです。私達はメイデンズのことを話す。そして、三四郎さんにはダークメイデンのことを話してもらいます。もしかしたら、アヤカシの住処を探す手がかりになるかもしれません」
そう、夏月を救うためには、ひとつでも情報がいる。だったら、出来るだけ情報を。
「じゃあ、場所を移しましょう。丁度私の家、今日も親がいませんし」
にっこり微笑む春花の後ろで、秋綺は背中を向ける。
「ちょっと、家に戻るわ。アヤカシに関する資料、持ってくる。もしかしたら、あいつらのねぐらがわかるかもしれないから」
冷めた口調で言う秋綺に、冬雪はこっくりうなずく。
「はい。ごめんなさい、バレるの嫌がってたのに……」
そう言って手を合わせる春花に対し、冬雪と秋綺は、笑顔で返す。
「いいんじゃねえ? 確かに、恥ずかしがってる場合じゃないし」
「だよね! じゃあ、春花さんの家で」
こうして秋綺は、春花の視界から去っていく。
――本当にありがとう、私なんかの意見を受け入れてくれて。
春花は心の中で、再び二人に手を合わせた。
「うっ……ううっ……。や、やっぱり、サーラ対鋼はいつ見ても泣かされるなあ」
畳の上であぐらをかき、テレビの画面に食い入る中年男「山川夏夫」。よれよれになった袖で、しきりに涙をぬぐう。
「いい年して、泣いてるんじゃねえよ」
耳に飛び込む冷ややかな声……秋綺だ。
山川は、重そうに体を動かし、秋綺をたしなめる。
「こんの不良娘が。今までどこほっつき歩いてたんだ?」
「とりあえず、俺がいなくなってるにも関わらず、のんきにアニメ見ながら飯食ってたあんたには言われたくないな。ていうか、もう朝飯かよ」
山川は、ちゃぶ台の上にあるどんぶり飯を、得意げに箸で指し示す。
「ああ。メイプルシロップを湯で割った『楓ジュース』に、馬肉入りコンビーフをご飯に乗せた『葵丼』。これが本当の姉妹丼ってか? だーっはっはっはっはっは!」
「あんた、浮いた話もないのに、オヤジ化だけは進行してるな」
これまでにないほど哀れみに満ちた視線を、秋綺から向けられる。それは、今までのどの攻撃よりも鋭く、山川は打ちひしがれる。
そんな山川のことを、全く気にしていないかのごとく、秋綺は自分の机の上のファイルを手に取る。
「んじゃ、行ってくる。今日は学校、行かないから」
「ファイル、大事に扱えよ。俺が必死こいて集めてきたやつだから」
「あんたには、本当に感謝してる。色々ありがとう」 くすりと笑みを浮かべる秋綺。その柔和な笑顔は秋桜のよう。
秋綺が出て行き、扉が閉まると同時に、山川は腕組みする。
秋綺は中学生とは思えないほど魅力的だ。ピンで留められた、耳までかかるショートカット。陶磁器のように白くなめらかな肌。スレンダーでありながら、出るところは出ている体つき。それにプラスし、女性特有のしなやかさが加わった気がする。まあ、こんなことを当人に話したら、ぶっとばされそうだが。
「ん~あとニ、三年ってところかな?」
「お前も相変わらずだな、山川」
ざらざらとした顎を撫でながらにやつく山川に、声変わり前の少年の声がかかる。ふと、扉のところに目を移すと、そこには小柄な少年の姿が。
「どうした? 俺と一緒にアニメでも見に来たか? 丁度ここに『どどめ色の通行人』があるし」
「なんだよ、その虹色トレイルのパクリみたいなやつ。いらねえよ」
つれない少年の態度に肩をすくめ、山川は不適に笑う。
「そっか、まあいいや。ところで、随分中途半端な形で物語に関わっているじゃないか? お前だろ、あの四人引き合わせたの? その上、主要キャストに毎回ちょっかいかけるなんて、どういうつもりだ?」
「三四郎先輩はオレだけど、メイデンズはちげーよ。ただの偶然だ」
「へぇ、となると、虫の知らせってやつかね? ふ~ん、あの三人がね~」
腕を組み、感慨深げにうなずく山川。それを、少年は鋭い口調で責め立てる。
「お前こそどうよ? アヤカシの目的、白虎の巫女に教えやがっただろ」
「ん、もしかしてそれを注意しに? 俺はいいんだよ。俺はなんにも束縛されずに生きてるから。それに、俺は材料をやっただけで、答えにたどり着いたのはあいつだ」
少年は、小さく舌打ちをし、顔に不快の色を浮かべる。
彼がこのような顔をするのは、本当に快感だ。
そう思いながら、一層ニヤついた表情を、山川は浮かべる。
「なあ、お前何者だ? 人間じゃねえだろ」
「ん? 俺はただの新聞記者だよ。違ったとしても、お前に話す気はサラサラねえし」
少年は、無言で山川を睨みつける。そして、
「邪魔したな」 とだけ言うと、背を向けた。山川は、その背中に声をかける。
「別にいいんじゃね? 関わってもよ。どうしても我慢できなきゃ、そんな信念捨てちまえ。俺あ信念なんて、やりたいことを妨げる荷物ぐらいにしか思ってないから」
「お前のように思えたら、どれだけ楽だろうな」
少年は背中を向けたまま、木製のドアを開け、部屋を出て行った。
あとに残された山川は、棚からコーラキャンデーを出して、口に含める。その瞬間、甘ったるい味が、口一杯に広がる。
――やれやれ、そんなに人間が嫌いかよ。
「まあ、別にいいけど」
山川は、小さく呟くと、ところどころ虫食いのある畳にドテ寝した。
「――そっか。あの娘、桃ノ木君の」
ここは、春花の住むマンション。そこにあるソファーに、冬雪達三人は腰掛けている。
「ええ。終里ちゃんは、僕のことをとても慕ってくれました。確かにちょっと浮いてました。けど、終里ちゃんだけです、一日も休まず、誰よりも早く来るのって。よく気がつくし、頑張り屋の、とてもいい娘だったんです。だから……」
三四郎は、そこで言葉につまり、うつむく。その瞳は、事実を享受し切れていない。
言わなくても、冬雪にはわかる。よっぽど、仲がよかったのだろう。その目は、三四郎への告白を見た、自分と同じ。
「全部……嘘だったんですね。僕を慕っていたのも、単に利用しようとしただけで」「そんなことない!!」
三四郎の言葉を遮り、冬雪は叫ぶ。
「ダークメイデン……いや、終里さん、言ってたよね? 三四郎先輩と出会えて本当によかった、って。利用してた相手に、そんなこと言わないよね?」
三四郎の顔を覗き込み、その肩に、冬雪は自分の手を乗せる。
「信じようよ、自分の好きな人のこと。ね?」
「ふ、冬雪君……」
肩にかけられた手を、そっと握る三四郎。瞬間、手と手の間に春花の手刀が振り下ろされる。
「汚い手で……冬雪ちゃんに触ってるんじゃねえよ」
満面の笑みを浮かべる春花の瞳は、少しも笑っていない。
――相変わらず、怖いよお。
サーッと血の気が引いていき、冬雪と三四郎は、引きつった笑みを浮かべる。
「あ、あはははははははは! じゃ、じゃあ、トイレお借りしますね! あははははははははは」
渇いた笑いを残し、三四郎はトイレへと逃げる。
――う、うまく逃げた……。それにしても、今。
「ね、ねえ春花さん。今僕のこと……冬雪『ちゃん』って」
そう言った途端、春花は顔を紅潮させ、わたわたと慌て始める。
「え、いや、その……ふ、冬雪君が夏月ちゃんに。いえ、そうじゃなくて、あの!」
正直、ここまで狼狽するとは、思わなかった。
作り笑いを浮かべ、冬雪は両手を左右に振る。
「い、いいよ! 冬雪ちゃんで。春花さんの好きなように呼んで。その代わり……その」
仄かに頬を桃色に染め、冬雪は上目遣いで春花を見る。
「僕も……春花さんのこと、春花『ちゃん』って呼んでも、いいかな?」
「は、はい。私は構いません」
「じゃ、じゃあ……呼ぶよ」
冬雪はふっと春花に体の正面を向け、その小さな口を動かす。
「春花……ちゃん」
お互いの目が合う。冬雪と春花は恥ずかしげな笑みを浮かべ、両手をつなぐ。
「冬雪ちゃん」
「春花ちゃん」
「冬雪ちゃん」
「春花ちゃん」
「冬雪ちゃん!」
「春花ちゃん!」
その時、玄関の戸が開き、短パンTシャツ姿の秋綺が入ってくる。
「おーい、鍵開いてたぞ? 無用心だな」
「「あ、秋綺ちゃんだ!」」
二人は、同時に声を揃える。
「いや、誰が秋綺ちゃん?」
ソファーに腰掛けた秋綺は、手早く目の前のテーブルに資料を広げる。
「これ……全部秋綺ちゃんが?」
「俺の力じゃねえよ。新聞記者の友達が、探してくれたんだよ。それから、その名前で呼ぶの、や、やめろよ……」
顔を紅葉色に染め、恥ずかしそうに、秋綺は顔を背ける。
――こうして見ると、秋綺も普通の女の子だなあ。あ、そういえば男の子だったか。
「これは、古事記ですね?」
机の上の本をつまみ上げ、神妙そうな顔をする三四郎に対し、秋綺は不敵な笑みを浮かべる。
「さすが桃ノ木、怪談好きなだけあるな。そう、日本最古の歴史書。こいつは勿論、複製版だけど。その序文は『古(いにしえ)は天地未だ剖れず、陰陽(めを)分れざりし時』」
「それって、メイデンズに変身する言霊!」
素っ頓狂な声を上げる冬雪に、秋綺はこっくりうなずく。
「天地開闢について示した部分……つまり、万物の理を表す。この言霊を通して、俺達は四聖獣と一体化する。問題は、こいつだ」
秋綺は、パラパラと素早くページをめくりながら、説明を続ける。
「お前らも一度は聞いたことがあるだろ? 英雄スサノオの化け物退治。その化け物は治水工事のメタファーから生まれたって話だけど、やがて話が一人歩きを始め、最初で最強のアヤカシとなった」
冬雪は「メタファー」というのがどういうものか知らない。だけど、その怪物は知っている。
「魔獣『八岐大蛇(やまたのおろち)』。古事記の表記では八俣遠呂智だけど、まあ、同じだな。そいつを倒すために生まれたのが、五人の巫女」
「私達の、先輩ですね。私も青龍さんから聞きました」
「うちの玄武は、なんにも教えてくれなかったけどね。初めて知ったよ」
そう言って冬雪は、床の玄武をジト目で見る。
それにしても、五人? 四聖獣なのに。
「高次な存在である聖獣は、人間の女の体を通して力を発揮する。まあ、そのお陰で大蛇は、めでたく別次元に追いやられたわけだ。だけど、その戦いで特異な力を見せた巫女は、迫害された」
「なんで……そんな?」
冬雪は、思わず口に手をやり、驚愕の色を浮かべる。
巫女達は、みんなを救ったはずなのに。
「人間は……人並みはずれた存在を受け入れることが出来ないんですよ。昔からそうやって、多くの人が殺されてきました」
秋綺の代わりに、三四郎が目を伏せながら答える。
冬雪には、理解できない。
なんで、手を取り合って生きてはいけないのだろう? 相手を大事に思う気持ちだけでは、駄目なのか?
「結局、巫女は死んだ。そのことを特に嘆いたのは、中央を司る大地の聖獣。それかららしいぞ、そいつが二度と人間には手を貸さないようになったのは。話によると、あの世とこの世を行き来することも出来るらしいけどホントかね?」
そう言いながら、秋綺はその涼しげな瞳を向ける。
「さて、ここからが問題だ。これを見てくれ」
そう言って、秋綺は机の上に黒いファイルを広げる。そこには、セピア色に変色した、新聞記事が。内容は「中学生少女 トイレで自殺」というもの。その顔写真を見た途端、冬雪はアッと声を上げる。
「は、花子さん!!」
間違いない。ある日突然少女になっていて、自殺した元少年の霊。その原因は、最後までわからずじまいだった。
「こいつがなあ、珍しいニュースだったもんで、新聞に取り上げられたんだよ。ほら、ここの部分『女の子になる前日、紫の大蛇が夢に出てきたって』。これ、八岐大蛇のことだよ」
「ということは、この少年が性転換したのは、アヤカシの仕業ってことですか? なんで、そんなことを……」
「連中は、巫女を探してたんだよ」
春花の疑問に、秋綺は間髪入れずに答える。
「八岐大蛇は別世界に追放された。再びこちらの世に召還するには、媒体が必要だった。だけど、人間を救うのが目的の聖獣と違って、人間に理由もなしに危害を加えるアヤカシの味方をする馬鹿は中々いない。だから、クラスの中でも浮いた存在のこいつを性転換させて、心を闇に染めようとしたんだろ? だけど、利用する前に、さっさと自殺をした」
冬雪は腕組みをし、頭に血を巡らす。
紫の蛇……確か、春花が利用された時、その周りを取り巻いていたのも、そうだった。そういえば、花子の武器もダークメイデンの武器も、同じ鎌。じゃあ、やっぱりダークメイデンとアヤカシは、八岐大蛇を復活させようとしているのか。
秋綺は、そこで、一息置く。
「ところで、なんでアヤカシは性転換能力を持っていたと思う?」
突然の質問に、冬雪は困惑する。
そんなこと、考えもしなかった。春花と三四郎も、同じように頭をひねる。そんな三人を見かねてか、秋綺は口を開く。
「これはあくまでも推測だけど、あいつらには終里の意思が入り込んでるんじゃないのか? つまり、強い願望」
そこまで言われ、冬雪はハッとする。
「あいつは恐らく、俺や碓氷と同じ」
秋綺は目を一層鋭くし、言葉を続ける。
「つまり……男だ」
しばしの沈黙が、辺りに流れる。部屋には呼吸音だけが聞こえ、時折クラクションの音が遠くから聞こえてくる。
「終里ちゃんが……男?」
三四郎は、呆けた表情で呟く。
信じられないのも無理はない。冬雪の目から見ても、違和感のようなものは全く感じなかった。
「多分、それに関することで、アヤカシと手を結んでるんだろ? やつは、桃ノ木に噂をばらまかせる一方で、実際にアヤカシを出現させ、人々に認知させた。そうすることで、現実と虚構の境界を曖昧にしたんだ。そうすることで、大蛇を引っ張り出しやすい状況に持っていった」
「終里さん、言ってましたね。もうすぐ、復活するって」
サラサラとした髪を人差し指で玩び、秋綺は苛立たしげに答える。
「ああ、阻止しなきゃいけない。だけど、場所がわからないんだよ……アヤカシのアジトが。一応、この町の北東辺りだってことは押さえたけど、どこだか」
「旭小学校七不思議。十二時きっかしに校門をくぐると、黄泉の国に行ってしまう」
突如呟く冬雪の声に、全員が顔を向ける。
「旭小学校……確か、北東!」
「冬雪君、すごいです! 僕だって、一つひとつの学校の七不思議なんて把握していないのに!」
目を輝かせ、三四郎は感心する。
知っていても、おかしくはない。そう、そこは、冬雪と夏月が通っていた学校。
あの時の夢は、もしかしたらこういうことだったのかもしれない
「それで、提案があるんだけど」
冬雪は顔を上げ、作戦を説明する。
「まず、敵の本拠地だから、アヤカシが待ち構えているはず。だから、防御が得意な僕と春花ちゃんがそいつらを抑える。その間、秋綺は終里さんを抑えつつ、隙があれば夏月を奪い返す」
そこで冬雪は、そのすみれ色の瞳を三四郎に向ける。
「そして、桃ノ木君は、終里さんを説得して」
途端に、秋綺は目をむく。
「お前……正気かよ? 桃ノ木連れてくのかよ。第一あれは、説得しても応じるタマじゃないぞ」
それは、秋綺に言われるまでもない。終里の闇がなんなのかを冬雪は知らないが、相当深いということだけはわかる。
でも。
「助けたいんだ! どうしても、助けなきゃいけないんだ。僕だって、夏月や春花ちゃん、秋綺や玄武、ついでに桃ノ木君に出会わなかったら、そうなってたかもしれない。それに、もしかしたら、友達になれるかもしれないし」
そう訴える冬雪を、秋綺は呆れた表情で見る。
「お前、相当お人よしの上、肝据わってるな。坂田が人質にとられてるってのに。やっぱ、水の巫女はお前だよ」
「え、図太いのと冷静なのは、違うんじゃ……」
そう言って頬をかく冬雪に、春花は桜色の笑顔を向ける。
「いえ、こんな時に自分を見失わないなんて、やっぱり冬雪君は水の巫女です。ますます、惚れ直しました!」
両拳を握り締め、三四郎は言う。
冬雪は思わずうつむき、顔を仄かに染める。
「そ、そんなに誉められても……」
自分はただ、やりたいようにやっているだけなのに。
「じゃあ、俺からもわがまま一つ良いか? ダークメイデンを抑えるのは、俺じゃなくて碓氷を推薦する」
突然の指名に、冬雪は目を白黒させる。
なんで、自分が!?
「俺が敵わなかったアヤカシを、お前は追い詰めた。確率なら、お前の方が高い」
「う、うん……」
そう言われても、今一自信がない。
「じゃあ、十二時まで、体力蓄えておくか……ふわぁ」
秋綺は、大きくアクビをする。思わず写真に撮りたいくらい、可愛い表情をしていた。
「ですね! あ、三四郎さん。そこの右の部屋、お父さんとお母さんの部屋なので、そこのベッドを使ってください」
そう言って指差す春花に、三四郎は歯を見せて笑う。
「いやあ、どうせならみなさんと一緒のベッドで……」
次の瞬間、三四郎は、三人の少女の冷線を食らう。そのどれもが、軽蔑に満ちている。
「……は無理ですよね。おやすみなさい」
そのまますごすごと、エロ眼鏡は退散する。
「とりあえず、夏月とうちのお母さんに『一緒に泊まってる』って電話してから寝ようよ。もう、起きてる時間だし」
「ですね。余計な心配かけちゃまずいですし」
ベッドの上で身を寄せ合い、規則正しい寝息を立てている春花と秋綺。カーテンの隙間から差し込む、かすかな日の光が、少女達の白い肌を透かしている。
その真ん中で冬雪は、壁に目をはせている。そこには、冬雪達メイデンズ四人の絵が。
夏月は昔から絵が上手だった。その絵は、今まで見た中でも、一番の出来。表情の一つひとつが、生き生きとしている。
そういえば、四人揃った時って、いつも戦う話の時だけ。このメンバーで遊んだことなんて、一度もない。
そうだ、戦いが終わったら、一緒に遊ぼう。みんなで買い物に行ったり、海に行ったり、とにかくいっぱいいっぱい。女の子だけで、連れ立って遊ぶのも悪くないかな? なんて。
チッ、チッ、チッと、時計の無機質な音が、規則正しくリズムを刻んでいる。
それに合いの手を入れるように、雀が時折、チュチュッとよく通る声で鳴く。
部屋には、薄暗闇が、静かな影を落としていた。
それにしても、終里の言葉が気になる。
「この女も、十分真っ黒だった」
あれは一体、どういう意味だったのだろう?
その時だった。突如秋綺が寝返りを打ち、その細腕で、冬雪を抱きしめる。
――ええっ!?
「ん……んんっ……」
秋綺は、その柔らかく、豊かな胸の双丘を、冬雪の胸に押し付ける。丁度、服がすれる度に、衝撃が体を駆け巡る。
「駄目だってぇ、今は女同士なんだから……ふにゃ……」
――ど、どんな夢見てるの!? ひゃうっ!
すぐ目前には、秋綺のまつげが長く、整った顔が。心臓の音が、次第に時計の音を上回っていく。
「うふふふふふふ、夏月ちゃんも冬雪ちゃんも大胆ですねえ。秋綺ちゃん、私達も負けてはいられませんよぉ」
そう言って、春花が反対側から腕を回してくる。
――は、春花ちゃんまでぇ!?
二人の柔らかいく滑らかな肉体に、サンドィッチされる冬雪。日本中の男が、どれだけ羨むだろう。そんな冬雪自身も、今は女の子だが。
二人の寝息が、交互に冬雪の耳に当たる。その度に、冬雪は身を震わせる。
――はぅう……ね、眠れないよお!!
心の中で叫び、冬雪は目をギンギンと見開くのだった。
終里が見ている世界は、いつも黒一色だった。
光もなく、人もなく、来る者を拒まない闇。
全てを包み込み、ひとりぼっちにしてくれる闇。
性同一性障害、それが終里の病名。
体は男。
心は女。
そんな彼女を、周りは「化け物」と呼んだ。
友達も、先生も、親も、みんな終里から離れていく。
――なんで、「私」じゃなくて「ボク」でなきゃ駄目なの?
――なんで、可愛い服を着ちゃ駄目なの?
――なんで、女子トイレを使っちゃ駄目なの?
――なんで、男と女って分けるの?
そうやって、終里は繰り返す。
仲間にだけは温かい、光への憎しみを。
ひとりぼっちの自分には冷たい、光への恨みを。
仲間をバラバラに引き離す、闇への賛美を。
ひとりぼっちだということを問題にしない、闇への慈しみを。
「終里!」
旭小学校への道を歩いていた終里の背中に、声変わり前の少年の声が響く。振り返ると、そこには同じクラスの「野々宮 始」が。童顔で、短めのスポーツ刈り。その小柄な体を、学ランが包んでいる
「朝っぱらからなにやってんだよ? 学校、そっちじゃないだろが」
――いよいよ儀式が始まるというのに、余計なやつが現れた。
始は、終里によくちょっかいをかけるので「グドン」の異名をとる。そんな彼を、終里は煙たがっていた。
「別にいいでしょ? 終里がなにしようと、あんたには関係ない」
――本当に、こいつは自分のすることに一々うるさい。
プイと背を向ける終里の肩を、突如始はつかむ。小さいながらも、骨ばった男の手。終里は、思わずドキッとする。
「好きだ! お前のことが」
肩の手を払い、終里は始を睨みつける。
「なんの冗談? そんなのに付き合ってるほど、終里は暇じゃないよ」
そう言って、終里は始の目を見る。睨みつけるような視線。思わず、見つめ続けてしまう。
ハッとし、終里は慌てて顔を背ける。
「そ、そんな顔しても駄目だよ! 終里なんか、終里なんか、いいところなんてひとつもないでしょ!」
そう言って、終里は逃げるようにその場を去る。
「ハァ……ハァ……」
電信柱に背をつけ、終里は息を整える。ヒューヒューと喉をかすりながら通る息。激しい動悸は、未だ止まる気配がない
あんなの、嘘に決まってる。そう、誰も自分のことなんて、大事に思わない。それに、愛なんていらない。あの女のように、縛られるなんてまっぴら。
終里はその懐から、クシャクシャになった画用紙を取り出す。そこには、クレヨンで、幼い男の子と女の子が描かれている。男の子の周りは赤いクレヨンで塗りたくられ、女の子は大粒の涙を流している。
それを見て、終里は口の端を歪める。
「くすくす、お前が絵を破いたように、バラバラにしてあげる」
ふっと顔を上げる終里。その瞳に光はなく、夜のように深い闇色をしている。
「お前の仲間をね。キャハ、キャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!」
終里は目を見開き、狂ったように笑う。まるで、天までその声を届けるように、いつまでも。
もう、光なんて求めない。
自分を受け入れない温かさなんて、必要ない。
全部、闇で塗りつぶし、グチャグチャにしてやる。
綺麗なもの、美しいものを、全部、全部。
最終更新:2007年03月11日 19:50