――気がつくと、僕「
碓氷冬雪」は霧の中を充てもなく歩いていた。
ここは、どこなのだろう? 右もまっしろ、左もまっしろ、全部まっしろ。ただただ惰性で歩いているだけ。深い霧の迷路は、ずっとも続いている。どこまで行っても、景色は変わらない。寒々とした純白の世界が広がるだけ。
なんでこんなところを、僕は歩いているのだろう? いつから霧が出ていたのか、いつから迷い込んだのか、記憶にない。
濃い霧の海を一足踏み出すたびに、心細さは増していく。
――秋綺、春花ちゃん……夏月。誰か、いないの?
心の中で、親しい友の名を呼ぶ。けど、返事は返ってこない。
やはり僕は……ひとりぼっちなんだ。
「ひくっ……うっ……うぅ……」
じんわりと、目じりに涙が浮かぶ。寂しさが、切なさが、心細さが、次々と溢れてくる。だけど、歩みは止まらない。
もう、歩くのをやめてもいいんじゃないか? 多分、僕は霧の中から一生出ることなんてできないだろう。だったら、ここで休んでしまった方がいい。なのに、僕は歩くことを止めない。足は、勝手に歩き続ける。
どうして? 希望なんて、欠片すら見えないのに。
その時。
「――冬……くん……」
今にも消え入りそうな声が、耳を突く。
空耳?
「――冬……くん……」
――確かに聞こえた。幻聴なんかじゃない。
僕は、声のした方向へずんずんと歩き出す。
助かった。助かったんだ。多分、声の主は夏月。きっとそうに違いない。必死に呼びかけ、僕を待っているはず。ぎゅっとしてくれる。おかえりって言ってくれ、
「冬雪くぅん!!!」
突如、僕はたくましくて太い腕に抱きとめられる。
「ふ、ふぇええ?!」
僕は、反射的に情けない声を上げてしまう。全身がカァッと熱くなり、肌が火照ってくる。
え!? 一体なに?!! 夏月じゃないの!!?
「いやぁ……よかったです……本当に。冬雪君が、帰ってきて……――やっと……やっと、僕の愛が通じたんですね……」
感涙にむせび泣く、背の高い眼鏡少年「桃ノ木三四郎」君。な、なんでこんなところに……?
「あ、あのさ……もしかして、さっき僕を呼んだ声って……」
「はい、僕です♪」
三四郎君は、あっけらかんと答える。にこにこと笑みを浮かべた顔は、爽やか過ぎて気持ち悪いくらい。
そっか、三四郎君か……へぇ……夏月じゃなかったんだね。ガチャガチャをやって、持っている人形と同じものが出てきた気分。
……と、いけないっ! 三四郎君は、わざわざ僕を助けにきてくれたんだよね。感謝しなきゃいけないこと。うん、やっぱり三四郎君は、いざという時にとっても頼もしい。今度、なにかお礼をしなきゃ。
などと、思考を巡らせている僕の腕を、三四郎君はガッチリとつかむ。
「そんなことより、すぐに始めましょう! 時間も、押し迫っていますし!」
「……へ?」
始める? なにを?
そういえば、三四郎君の服装がいつもと違う。純白のパリッとしたスーツを着ている。スラッと背が高い三四郎君に、よく似合う。胸元には、名探偵コ○ンがつけているような蝶ネクタイが。なんだか、タキシードみたい……ていうか、タキシードそのもの。
三四郎君は、ニパッと白い歯を見せて言う。
「なにをおっしゃるウサギさんっ! 君と僕の――結婚式でぃす!!!」
瞬間。ピシッという音と共に、僕の思考回路は凍りつく。ぽかぁんと口を開け放ったまま、呼吸すら忘れてしまう。頭の中は真っ白で、なにも考えられない。
……そして、時は動き出す。
「えぇぇえええええええええええええええええええええええッ?!!」
素っ頓狂な声を上げる僕。三四郎君は、キョトンとした目をしている。なぜ、僕が大声を上げるのかわからないみたいに。
「きっ……聞いてないよ!! そんな話ぃ!!」
僕は、必死に抗議する。大体、僕には夏月という素敵な恋人が。
「もぅ、見苦しいよ冬雪っ! そんな姿で今更!」
霧の中からひょこっと顔を出す、ポニーテール少女。僕の幼馴染、「
坂田夏月」。真夏の太陽みたいにキラキラ輝く瞳から、勝気な性格がにじみ出ている。ピンク色のドレスに身を包み、うっすらと化粧をしている。
ていうか、僕の姿? 言われたとおり、しげしげと自分の姿を見てみる。
僕は、スカートの裾が床ほどもある、純白のドレスを着ている。透き通るような真珠色の生地は、雪であつらえたよう。上半身には透き通ったヴェールがかかっており、背中まである髪は、アップにまとめられている。雪の結晶みたいな模様が胸元に刺繍されており、手にはブーケを持っている。
えぇと……もしかしなくてもこれは…………――ウェディングドレス?
サァッと全身から血の気が引いていく。なんで? さっきまで、普通の服を着ていたはずなのに。
刹那、霧が晴れる。と同時に、十字架に貼り付けられた、イエスキリストの像が目に飛び込む。気がつけば、僕と三四郎君は、ステンドグラス煌びやかな教会に立っていた。辺りは、瞬く間に拍手と歓声に包まれる。
「おめでとうございます、冬雪ちゃん!」
「俺も、負けないようにがんばるぜ」
「くすくす、お幸せに」
等と、全然めでたくない賛辞の言葉が次々に送られる。
――――ていうか、誰か止めてよ!!
もう、わけがわからない。なにが、どうなってるの?
状況に翻弄され、オタオタとする僕の両肩に、三四郎君はポンと手を置く。
「冬雪君……うぅん、冬雪さん。僕は、あなたを――幸せにしてみます!! ひとりの女性として!!」
「いや、なんの罰ゲーム!? ちょ、やめてよ三四郎君!! 僕、元は男だよ!! 知ってるでしょ!?」
「過去は、二人で協力して乗り越えればいいのです!!」
「僕の気持ちを無視してる時点で、協力もへったくれもあるかぁあ!!」
僕が、息を切らせながらツッコミを入れまくっている横で、河童みたいな頭をした神父さんが咳払いをする。
「コホン! アノ、よろしですか? 桃ノ木三四郎、碓氷冬雪。あなた方は、互いを将来の伴侶とし、日本が沈没しようが妖星が地球に衝突しようが、あの世までも寄り添いあっていくことを、誓いますか?」
「はい!! 冬雪さんも同じです!!」
「ちょ、勝手に決めないでよ!! あ、神父さん!! 異議アリッ!!」
「よろしい。では、誓いのA、B、Cを」
全然よろしくない!! ていうか、BやCは早いって!!
…………え、もしかして、この場所で!?
ふと、三四郎君に目を移せば、カチャカチャとベルトをはずしている。思い切りがよすぎ!!
「さぁ……冬雪さん――観念してくださぁああああああいいッ!!!」
手をわしゃわしゃと動かし、三四郎君は迫ってくる。いや、観念って――目がやばいんだけど!! いや、ちょ、心の準備が……。
「ひぅっ!! …………さ、三四郎君……やめ――――」
獣のように迫り、ウェディングドレスの胸元に手をかける三四郎君。紙が破れるかのように、ドレスは一気に引き裂かれる。
宙に放られるブーケ。
スカートのから露出するふともも。
あっという間に押し倒され、僕は身動きが取れなくなる。
「安心してくださいねぇ? 最初はちょ~っと痛いかもしれませんが、直に気持ちよくなりますよぉ~。僕が……女の喜びってヤツを、冬雪さんに教えちゃいますからぁ。げひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃあぁぁあああああああッ!!! あびゅらぼひゃげひょッ!!!」
三四郎君は、もはや人語すら忘れている。目は血走り、口内では赤い舌がチロチロとうごめいている。その迫力は、アヤカシを三割増くらい上回っていた。
そして、そのまま三四郎君の顔が、すぐ目の前まで接近し――。
「――――きぁぁあぁぁぁああああああああああああああッ!!!」
僕は、喉が張り裂けんばかりの叫び声を上げ、布団からガバッと飛び起きる。
「はぁ……はぁ……」
トクントクンと心臓が波打つ。全身は汗びっしょり。息をするのがとても苦しくて、全力疾走直後のよう。
ふと、周りをぐるりと見る。見慣れた木目の天井、所々塗装のはげた机や椅子。どうやら、僕の部屋らしい。
「はぅ……夢、かぁ……」
ガックリと首を垂れ、僕はうなだれる。なんで、あんな夢見たのだろう? 僕が生きてきた人生中、最悪の寝覚め。しばらく、三四郎君とは口が利けそうにない。
「冬雪~~、早く準備しないと遅刻するわよ~~?」
階下から響く、母さんの声。あぁ、もうそんな時間か。早く制服に着替えなきゃ。
僕は、くしくしと目をこすり、階段を下りていった。
最終更新:2007年04月06日 10:53