20××年、冬の旭川市。北海道の北部にあるこの街は、寒さも上位に位置する。今年も旭川の名に恥じず、街や川、草木は白一色に塗り替えられている。
 旭小学校の通学路には、まだ七時にもかかわらず、大小さまざまな足跡が雪面に刻まれている。そんな通学路の途中に、旭中学校三年生「碓氷冬雪」の家はあった。
 「冬雪ぃ!! は~や~く~っ!! このまま外に突っ立ってたら、あたしら冬まつりの氷像になっちゃぅ~~!!」
 冬雪の家の前で、拡声器を使ったかのような大声を上げるポニーテール少女。冬雪の幼馴染にしてクラスメイト、「坂田夏月」である。身を包む紺色のセーラー服から除く手足は、寒さのせいで真っ赤になっている。
 「ひょ、ひょっほはっへぇ……」
 家の中から、マヌケな返事が返ってくる。恐らく、口の中に食べ物を一杯に詰め込んでいるのだろう。
 「んもぉ!! とか言って、絶対ご飯お替りしてるよっ!! どんぶり5杯くらいっ!!」
 夏月は両手にホットミルクのように白い息を吹きかける。細い指先が、じんわり温まっていく。いくらコートを着ていても、この寒さ。息を吸い込めば、体の芯まで凍りついてしまいそう。
 夏月の隣にいるショートカットの少女「卜部秋綺」は、大きな溜息を吐く。夏月のクラスメイトで、友達。きつい目つきをしており、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
 「はぁ……あいつは三年生になっても、食欲だけは変わらないな。」 肩をすくめ、呆れたような視線を玄関に送る秋綺。夏月とは対照的に、モデルのようにスレンダーな体には、震え一つ見えない。
 「……ねぇ、なんであんたはこの寒さで平気なわけ?」
 ギュッと身を縮めながら、夏月は秋綺にジト目を向ける。
 「お前ら道産子は軟弱なんだよ。ちょっと寒かったら暖房やストーブたくじゃねぇか。関東だとな、コタツひとつで冬乗り越えるんだぜ? 隙間風が入ってくる部屋でな」 そういえば、秋綺は埼玉から転校してきたんだった。いや、それよりも今――
 「……あんた、今、北海道の全住民に喧嘩売らなかった?」
 夏月は青筋を立て、秋綺を睨みつける。秋綺は少しもひるまず、口を開く。
 「事実を言っただけだろ? それくらいのことで、一々喧嘩売ってくるんじゃねぇ。本当に猪みたいなやつだな。冬眠でもしてろ」

 瞬間、

 ――ぷちん

 夏月の堪忍袋の尾が、音を立てて切れる。

 「ぬぁんだってぇええええ!!! もう一回言ってみなさいよ、秋綺ぃいいい!!!」
 夏月は、秋綺の胸倉を勢いよく掴む。ゴゴゴゴゴという音を上げ、夏月の心は燃え上がる。気温は10度くらい上昇し、周囲の雪が溶け出す。
 熱血リーダータイプの夏月とクールな一匹狼の秋綺。二人がぶつかり合うのは、必然かもしれない。
 秋綺は、面倒くさいと言わんばかりに顔を背け、吐き捨てる。
 「はぁ……碓氷が遅いからって、俺に当たるんじゃねぇよ」
 「うぐ……っ!!」
 秋綺に、居合い抜きのごとく切り捨てられ、夏月は口をつぐむ。冬雪のせいで苛立っていた上に、この寒さ。確かに、八つ当たりじゃないと言えば嘘になる。
 けど……。
 「ったく、不毛なことしてるんじゃねぇよ。朝のさわやかな気分が台無しだろが」
 「む、むぐぅぅううぅぅうううううう……ッ!!」

 ――毎度の事ながら、秋綺に負けるのは、なんか悔しいッ!!

 顔を真っ赤にし、夏月は拳を握り締める。
 と、その時。
 「うふふふふ。とか言って……本当はホッカイロをどこかに隠してるんじゃありませんか?」
 春風のように柔和な笑顔で、秋綺の肩を抱く少女。長い髪をひとつに束ねた三つ網が、微かに揺れている。同じく冬雪のクラスメイト「渡辺春花」である。
 「たとえば……こことか?」
 「はぁんっ! ――って、なにしやがる?!」
 ふにっと、秋綺の豊かな胸を鷲掴みにする春花。秋綺は真っ赤になって春花の魔手から逃れようとしている。が、万力のようにガッチリつかまれ、逃げられない。
 「あれぇ? ありませんねぇ……それとも、ここですか? あ、そちらですかね?」
 「は、はひぃ――……ぷっ、あははははっ!! ひゃ、ひゃめろ渡辺ぇ!! うくっ、きゅむっ、ひゅひひひひひぃっ!!」
 春花のこちょばし地獄。効果は抜群だ! ――というナレーションが思い浮かぶほど、雪の中で転がりまわる秋綺は、苦しそうだった。
 夏月は思わず苦笑する。確か、春花はお嬢様キャラのはずだったが……最近では、すっかりネタ要員になってしまっている。

 「ひぃ……ふぁ、あはは――けほっ! けほっ! はぁ……はぁ……――も、もぅ……らめぇ……」
 春花の攻撃が終わり、秋綺は、ぐったりと雪上に寝転ぶ。目じりに浮かぶ涙は、笑いすぎによるものなのか? 悔しさなのか?
 「秋綺ちゃんのは、主題のすり替えです。夏月ちゃんは確かに苛立っていましたが、北海道を馬鹿にしたのは秋綺ちゃんですよ? そこらへん……わかってますよね?」
 にっこりと微笑む春花。穏やかな笑顔の下では、どす黒いなにかが渦巻いている。
 秋綺は、力なくうなずく。
 「は、はひぃ……わ、わかりました……はるかさまぁ……」
 調教された!? 確かに秋綺とは仲が悪いが、そのままの君でいて。
 丁度その時、背中まである長い髪にリボンをとめた眼鏡っ娘が玄関から顔を出す。冬雪だ。満腹らしく、この上なく幸せな表情をしている。
 「ふぅ……食べた食べた。……あれ? 秋綺、なんでそんなとこで寝てるの? 風邪引いちゃうよ」
 ぽえっとしたマヌケ面で、冬雪は疑問を投げかける。春花は、ニコニコと笑い、すっとぼけている。
 「……はぁ」
 夏月は、大きな溜息を吐く。相変わらず、濃い朝だ。今日一日が思いやられる。
 などという夏月の不安を、冬雪は全く気にしていないよう。相変わらず、いじめたくなるようなオーラを放っている。夏月は、さらに溜息を吐く。
 吐く息は、瞬く間にダイヤモンドダストへと変わる。寒空の下でキラキラと舞い、包み込むような朝の光に溶けていった。


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最終更新:2007年04月06日 10:51