未明。空間管理局所属艦。

「・・・・・・と言うわけで、報告を終わります。」
 部隊の女性用制服に身を包んだ隊員が、報告を読み終える。ブロンドのロングヘアがゆれ、報告書からターコイズ色の瞳が顔をあげた。
「・・・・・・なるほど。で、聞いてました? 隊長。」
 女性用制服とは一部が異なった男性用の制服を着た隊員が、彼らの隊長が座っている椅子を見る。そこには何か深く考え込んでいるようにうつむいている男性の姿があった。
 女性隊員はふぅ、と溜息をつくと、つかつかと男性―隊長の前に立った。隊長はそれにも気づかない様子で、うつむいている。
「隊長。5秒以内にこっちを向いてください。5・・・4・・・321!」
 べぎん
 拳が後頭部に当たった。なんかきっと骨とかがやばいことになるとこんな音がするんじゃないだろうか。
 男性隊員は、カウントの取り方に不正はあったものの、きっと結果は変わらなかっただろうから黙っていることにした。
「どぅお! ・・・・・・なんだ!? あ、わかった! 渡辺の野郎あのゲーム借りパクしたからって寝込み襲いやがって・・・・・・」
男性隊員はやれやれ、と額に手を当てて目をつむった。女性隊員は呆れた顔を表情に出さないように気をつけ、悶えながら馬鹿なことを言っている隊長に聞いた。最も、明らかに答えはわかりきっていたが。
「・・・・・・隊長、聞いてました?」
「・・・・・・ん、何だって? それどころじゃねぇんだ。あいつ自分がオレから金借りてるの忘れて・・・・・・って、あれ? 渡辺は・・・・・・」
 艦長席で居住まいを正し、自分の置かれた状況を飲み込もうとした。
「・・・・・・オいコラ隊長・・・・・・」
 報告の最中に居眠りこくとはこの隊長はホントに・・・・・・。
「今さっきわたしが言ったこと、わたしの声の愛らしさも含めて全部復唱してみろやゴルァ。」
 隊長は、
「・・・・・・・・・・・・」
 女性隊員も、
「・・・・・・・・・・・・」
 そんな二人を横から見て、
「はぁ・・・・・・この二人は。」
 男性隊員は呟いた。
 刹那に女性隊員の、開幕テンションMAX覚醒必殺が確定ヒットした。
「ぐひぇぶじゃぐさぷきあべしひでぶ!」
 見かねた男性隊員が必死で止めに入り、ようやく死体攻めを終える。
「はぁはぁ、はぁ――あ・・・・・・・」
「・・・・・・あぁ、こりゃ死んだかもな・・・・・・」
 返事がない。ただの屍のようだ。
「いっぺん死ね!」
 肩で息をしながら、女性隊員が荒く言い放つ。
「・・・・・・うぅぅ・・・・・・き・・・・・・さ・・・・・・ま。たい・・・・・・・ちょうに・・・・・・対して・・・・・・このよう・・・・・・な・・・・・・」
 死体が動いて、息もたえだえというか、なんかそんな感じで恨めしそうに女性隊員を見おろす。
「はい、無視して、空間管理局O.S.Wの任務の説明を続けます。」
「了解。」
「・・・・・・むしするのか――!」
 今まで死体を演じていた、一応船の天井を蹴りつけてブリッジに降り立つ。それを黙ってみていた女性隊員は、冷たく静かに笑みを作る。そして言った。
「わたしの話、復唱。」
「・・・・・・スンマセン。ちゃんと聞くから、もっかいおせーて下さい。」
 女性隊員は白い目で睨んでいた。が、やがてふぅとタメ息を吐くと、
「・・・・・・ったく。めんどくさいけど、しょうがないからもっかいだけ、教えてあげます!」
 と、首をふった。
「やたーわーいおねーちゃんだいすき!」
「変なキャラ作ったらコロス!」
「は、申し訳ありません。」
 やれやれ、と敬礼する隊長とぶつぶつ文句を言っている女性隊員を見ながら男性隊員は呟いた。和やかというか、マイペースというか、いつもの艦内の風景。だが、フッと見慣れない人物が、男性隊員のブラウンの瞳に映った。セキュリティの完璧なはずの艦内に、いるはずのない人物がいる。一体いつの間に・・・・・・! 男性隊員は驚愕した。
 白衣のポケットに手を突っ込んで、その人物は言った。
「おもしろそーじゃん。あたしにも聞かせてよ。」
 隊長と女性隊員は、突然の声に驚く。
 人間が生きていく上で最低条件以上の設備は整っている艦内とはいえ、その人物は白衣にスカート、そのうえあまつさえサンダルなんて格好で乗り込んでいた。
「・・・・・・!」
 ただただ驚いて、言葉のない女性隊員。
「・・・・・・! あ・・・・・・あなたは・・・・・・!」
 男性隊員はその正体に気づいて、叫んだ。
 隊長はそれまでのふざけた雰囲気を消して、かわりに静かに警戒の構えを取った。
「なぜあなたがここに?」
 白衣の女性はそれを見て、いやだなぁ・・・と苦笑した。ゆっくりというか、のんびりとポケットから缶コーヒーを取り出す。宇宙空間にも関わらず、楽にごくごくと飲み始めた。一気に飲み干し、
「別にあんたたちをどーこーするつもりはないよ。今暇なもんだから、遊びに来ただけ。そしたら何か面白そーな話してるからさ。きかせてきかせて。」
 女性を見ながら、隊長は静かに構えを解いた。隊員の二人は困惑する。
 隊長はふっと笑い、言った。
「・・・・・・ま、あなたにばれてしまっては、我々にどうすることもできないでしょう。上層部も黙認するでしょうし・・・・・・仕方がない、お聞かせましょう。じゃ、よろしく。」
困り果てている女性隊員の肩をぽん、と叩く。女性隊員ははっと我に返ったように隊長を見ると、微笑を返された。女性隊員はまだ考えている様子だったが、それじゃあ、と再び報告を読み上げる。
「それでは・・・改めて空間管理局・O.S.W.6番隊第2分隊の、今回の任務を説明します。」
そして事件は幕を開ける。一人の少年と一人の少女を巻き込んで。



「ふー、今日も疲れたなぁ・・・・・・。」
 ぼくは机の上のノートと教科書を閉じると、いすの背もたれに体重をあずけた。うーん・・・・・・と伸びをする。新しくは無いイスは、貧弱にもギシギシ音を立てる。
「んんっ・・・・・・んー。はぁ――」
 まだ袖を通してから3ヵ月も経っていない制服。袖はまだぼくの手を隠していたが、そこから手首を出す。頭の上で手を組んで、窓の外を見た。
 まだ明るく、日も高い。時計を見ると、針は3時半頃を指していた。特に急ぐ用事も無いが、早く帰れるならそれに越したことはない。
 がらがらがら・・・・・・
 担任の高島先生が、前の扉から教室に入ってきた。高島先生は教卓に立つと、教室によく通る声で言った。
「はいはーい、みなさーん。席について下さ――い。」
 ぱん、ぱんと手を鳴らす。まるで子犬を呼んでいるみたいだ。
「はい、帰りのHRを始めますよ――。」
 本日最後の授業を終え、束縛から放たれて感動をかみしめていた少年少女を、真の開放へ向かわせるために誘(いざな)う。要するに、お前ら騒いでないで席につけってことだ。

「せんせ――。」
「はい、吉(きっ)川くん。何でしょう?」
「朝はおろしたてとかのスーツだったのに、何でレオター・・・・・・」
「はい、廊下に立ってなさい。」

「それでは、帰りのHRを始めます。」
なぜか、ピッチピチでギリギリのラインがやばいレオタードの先生の言葉で、日直が号令をかける。
「はーい、では始めまーす。」
どこか鼻にかかるけどクセの無い、ロリっぽい声でSHRを進行する。背も低くて、とてもとても若く見えるけど、本当の年齢は誰も知らない。そんな先生だ。
「はい、それでは終わります。今日の掃除はチーム・ヴァルヴァロッサですね、前回みたいに他のクラスの捕虜をとってやらせるようなことはしないようにね? それじゃ、おしまーい。」
日直がさようならを言う。それとともにクラスはわいわいがやがやと言いながら、各々の行動を始めた。
ぼくはそんな群れから一歩引いて、カバンを持つと帰ろうとした。
そんな所に、
「よぅ空、終わったな。」
と、友人の修ちゃんが声をかけてきた。
「うん。・・・・・・さすがに今日のレオタードには、ぼくが突っ込もうと思ったよ。」
「いいんだよ、吉川にやらせときゃ。そんなことより、今日もこれから公園に? お前も好きだよなー。帰宅部め。」
 修ちゃんがやれやれと首を振る。ぼくは笑いながら、言った。
「修ちゃんはこれから部活?」
 修ちゃんは剣道部で、家も道場だったりする。
「あぁ、まーな。大会近いし、サボれ無いんだよなー。テストも近いってのに・・・・・・。って、あ。そーいやお前、テスト勉強してるか?」
修ちゃんはイジワルな顔をすると尋ねてきた。ぼくはちょっと困った顔で、ははは・・・・・・と笑う。修ちゃんとぼくは同じ桜ヶ丘小学校出身で、お互いのことをよく知ってる。
「一応、しなきゃな・・・・・・とは思ってる・・・・・・。」
「うんうん、だよなぁ。わかるぞ、お前の気持ち。」
ぼくの肩に手を乗せて、大仰にうなずく。
「ま、結果が全てじゃねーんだし、うまくいくことばっかりじゃねーんだからさ、楽に行こうぜ? じゃーな! また明日!」
「うん・・・・・・じゃあね!」
修ちゃんと別れると、教室を出る。放課後の学校はにぎやかで、ぼくはそんな空気を楽しみながら外へ出た。
大きく傾いた日の光を浴びて、ぼくは家と学校の間あたりにある、公園へと寄った。
そこは桜ヶ丘公園といって、ぼくの住んでいるここ、桜ヶ丘のシンボルとも言える公園だ。桜ヶ丘はその名の通り小高い丘につけられた名前で、この公園は春になると、丘一面が桃色になる桜ヶ丘で、ひときわ目立つ。それは公園が丘のてっぺんにあることと、丘の桜の多くは後に植えられたものであるのに対し、この公園の桜は原生のもので、太さや高さ、大きさがケタはずれなためだ。
その大きな原生の桜の木の中で、さらにでかい桜の樹があった。まわりにある木の中でも一回りも二回りも大きなその樹こそ、この公園が存在する理由といってよかった。公園は、この樹を中心に置くように作られているんだ。
ぼくはその樹の下に行くと、いつもするように見上げた。何があるわけでもない。桜の花の咲く季節は過ぎている。今はただ、青い葉を風に揺らせてさわさわ・・・と囁いてるだけだ。だけど、それが心地いい。
ぼくはしばらく何も考えずにボーっとしていた。やがて樹の根元に腰を下ろすと、カバンを横に置いて、その太い根に体を預けて目をつむった。


「ふぃ――終わった――!」
授業の終了を告げるチャイムと同時に叫ぶ。立ち上がると、机の上と中の教科書ノート筆記用具全部カバンの中に突っ込んだ。先生はあきれた顔でわたしのことを見て、言った。
「あのなぁ勇貴、気持ちはわかるけどな? まだ数学の授業は終わってないんだ。」
わたしはそんな事は意に介せず、教室中に聞こえるくらいの大きな声で言った。
「日直、早く!」
先生は苦笑すると、諦めたのかチョークをおいて、教科書も閉じて言う。
「お前なぁ、そんなに早く帰りたいのか?」
「それはもう。」
即答する。
「たく、しょうがねーなー。じゃあ、日直。勇貴のために号令してやってくれ。」
先生がクラスのどこかにいる日直に、わたしに対する皮肉を込めながら言った。ぜんぜん気にしないけど。
「きりーつ、きをつけー、れい」
日直が言い終わるか終わらないうちに、わたしは数学の先生に叫ぶ。
「ほら、伊藤先生。帰りのHR!」
さっきまで数学をやってた担任の伊藤先生は、
「ったくしょうがないヤツだよほんと。一回職員室に戻って、何か無いか聞きに行かなきゃならないんだ。待ってろ。」
そう言って教室から出て行ってしまった。
「なぁに――! ぐぅ~、あんの役立たずめ!」
わたしは毒づくと、いつでも帰れるようにスタンバイする。
先生がいなくなったわずかな時間に、教室のほかのクラスメイトも帰る支度を始めた。がやがやとにぎやかに蠢きながら、わたしほどではないにしろ、活気にあふれる。と、一人の女の子がわたしの隣にやってきた。
「ねぇ海ちゃん、いつにもまして今日は急いでるね。どうしたの?」
そう不思議そうにたずねられる。別に隠すほどのことでもないので、わたしは意味も無くふっふっふ・・・と含みをもたせてから言った。
「きかれたからには答えよう! 美里ちゃん、今日わたしは桜ヶ丘公園に行くんだけど、何でだかわかる?」
美里ちゃんは、へ? と驚きながら言ってからう~んとしばらく考える。天井を睨んで、ん~と、ん~と、と一生懸命答えを出そうとする美里ちゃん。わたしはそれを待つことはせず、
「ブー、時間切れ。」
自分で問題をふっておきながら、さえぎった。えぇ!? と驚く美里ちゃんを無視して答えを言う。
「なんと! あの『びっくりたこ焼き』の屋台が公園に帰ってくるんだよ! この機を逃したら、今度はいつ食べられるか・・・・・・」
そしてわたしは、あの『びっくりたこ焼き』の味を思い出す。やべ、よだれがでてきちゃうよ。そんなわたしを、苦笑しながら見ていた美里ちゃんは、尋ねた。
「そんな情報、どこから入ってくるの?」
「あぁ、それはね、わたしの友達の小学生の翔太君が・・・・・・」
・・・・・・と、そこで伊藤先生が教室に入ってきて、生徒たちがみんな席に戻った。美里ちゃんも、それじゃ、と小さくいうと席に戻る。
「じゃあ帰りのSHR始めるぞー。」
教卓の先生に向かってわたしは言った。
「遅いです! 先生!」
「そういう余計な茶々を入れると帰りが遅くなるけどいいのか?」
「全面的にわたしが悪かったです。急いでください。」
「んじゃ日直。」
結局たいしたお知らせも無く、SHRは終わってしまった。
「なんだ! 一回職員室に戻る必要なかったじゃん!」
わたしは怒鳴るが、先生はすまして言った。
「そりゃ結果論だ。あの時点でお前にわかったのか? と言うかいいのか、こんな所で無駄に時間使って。」
「は! そーだ。早く終わらせて。」
「じゃ・・・・・・あ、そーだ、今日の教室掃除は5班だからな、急いでるからって勇貴、サボるなよ? じゃ終わります。日直」
「な・・・・・・なんだって――!」
「きり――つ! きょ――つけ! さようなら!」
わたしの叫びは、日直の気合の号令にかき消された。

「おい、勇貴。ちりとり・・・・・・ってわぁ! 勇貴じゃない! ・・・・・・一ノ宮、お前2班だろ?何で掃除してるんだ。というか勇貴はどこ行った。」
「うぅ・・・・・・勇貴ちゃんが、『美里ちゃん、代わりによろしくね?』って言って、私の返事も聞かずに帰っちゃったんですぅ・・・・・・。」
「あんの野郎、つーか言うこと聞いてマジメに掃除してるお前もお前だけどな。」
「え? 先生、じゃあ帰ってもいいんですか?」
「いや、ダメだ。お前は貴重な戦力だからな。勇貴の代わりなんてもんじゃない。あいつの掃除はスポーツだから。ほら、伝説のほうき捌きを存分にみせてくれ。」
「そんなぁ・・・・・・」
「わぁい、美里ちゃんがいてくれれば、時間が三分の一で済むぞ!」
「そういうこと、諦めろ。その点は勇貴に感謝してやるが・・・・・・明日説教だな。」


「ふぁー、よく寝た・・・・・・。」
腕の時計を見ると10分くらいしか経ってない。けれど、この桜の樹の下で眠ると、時間に関係なく不思議とぐっすりと眠ることができる。これがまたとても気持ちがいい。
ぼくはむっくりと立ち上がり、背中とお尻をぱんぱんと叩いて制服についたほこりを払う。それから、どこへ行くでもなくぶらぶら公園内を歩いた。
公園内はかなり広い。外回りを一周するだけで一時間以上は軽くかかる。中には子供向けの遊具や、植物園、鯉やなんかのいる人口の池、何かのイベント用の広場など、様々な施設があった。
「さて・・・・・・どこに行こうかな。」
と言いながらも実際には何も考えず、足の向くままにさまよう。いや、考えてはいた。別のことを。
(テストか・・・・・・憂鬱だ。また比べられるな・・・・・・。)
うつむきながら、自分の靴を見ながら歩く。さっき眠ったおかげで、頭の中はスッキリしていた。そのため、深く考え込むことができる。マイナス思考だけど。
公園の中央付近の並木道はまっすぐで、そんなぼくにはちょうど良い道だった。まわりの木々のざわめきも、やたらとはしゃぐ子供の声も、ぼくの耳には届かない。自分の歩く足音も。ゆっくりしたペースで歩く足からは、そんなに大きな音はしないのだけれど。
・・・・・・たったった
ん? ずいぶんペースが速いな。それまで何も聞こえなかったぼくの耳に、足音が聞こえてきた。それもかなり速い歩調で。意識せず、速度をゆるめる。
たったったったったったったった・・・・・・
ゆるめたはずの歩調を無視して、足音は加速する。ぼくはさすがに考えを中断して、自分の歩く足の速さと音を比較する。
だだだだだだだだ・・・・・・
わかった! これはぼくの足音じゃない! 大きくなった誰かの走る音が、ぼくの足音じゃないことを理解できたのは・・・・・・
――――激しい衝撃を受けて、きりもみ状態でぶっ飛んだ空中でのことだった。

「いったた・・・・・・」
女の人の声で、目を覚ます。体を動かそうとすると、痛みが走った。ぼくは並木道の外の芝生の上に転がっていた。何でこんなところに? 考えながらも、うめきながら起き上がる。
「うぅ・・・・・・いったい何が」
起き上がって、状況確認。目の前で座り込んでいる女の子、口を開けて転がるカバン、ぶちまけられたカバンの中身、それらを見てなんとなく理解できた。
「大丈夫ですか?」
ぼくは自分に責任があったかどうかはともかく、起き上がって制服のスカートのほこりを叩いている女の人にかけよった。体じゅうが痛い。でも、我慢する。
女の人は、たぶん中学生の人だった。制服にネームプレートがついてるし。でも、ぼくの学校の女生徒の制服じゃないから、たぶん南中学校の人だろう。白を基調にしたセーラー服。ところどころ、袖口や首から胸周りのラインを青くしているのが目を引く。スカートは少し紺味がかった青。南中学校女生徒の制服だ。気がついたら、そんな所まで歩いてきてたんだ。公園は、桜ヶ丘を二分する。
女の人が、ぼくに気づいて言った。近くで見ると、ショートカットに目鼻立ちの整った顔から、活発でボーイッシュな印象を受ける。
「っつぅ、うん大丈夫。・・・・・・ごめんねぇ、ちょっと急いでたもんだから。あぁあ、めちゃくちゃだぁ・・・・・・。」
ぶちまけられたカバンの中身を見て、言った。ぼくは近づくとカバンの中のものを拾うのを手伝った。
「あ、ありがと。ホントごめんね? 大丈夫? 怪我はない?」
女の人はぼくの渡したものを受け取りながら、心配そうに言った。ぼくは、本当は体じゅうが、特に背中を打ったみたいで痛かったけど、大丈夫ですと答えた。改めてネームプレートを見る。赤い色で『桜ヶ丘南中学校2組』と書かれていた。やっぱり南中学校の人だったんだ。その下には黒い字で、『勇貴』。たぶん、ゆうきと読むのだろう。
「これで全部ですか?」
ぼくは辺りに何も落ちていないのを確認して聞く。勇貴さんはカバンに入れた物を見て、
「うん、たぶん・・・・・・ありがとう。」
そう言った。顔を赤くしている。やっぱり、ぶつかったのが恥ずかしいのかな。それにしては、ぼくの顔をじっと見ているけど・・・・・・。それはともかく、
「そうですか・・・・・・。ん? あれ・・・・・・? あ!」
何かおかしい。勇貴さんのカバンを見て思った。
ぼくのと同じ、手提げカバン。学校から支給されるタイプだ。桜ヶ丘中学校と、南中学校はもともと一緒の学校だった。ここ十数年の人口の増加から、桜ヶ丘の南側にもう一つの学校を作ったんだ。それが南中学校。小学校にも同じことが言える。そのためか、二校間の交流は親密で、文化祭や体育祭などを合同で行ったり、このように同じものを支給したりする。さすがに制服は違うけれど、カバンは同じものだ。
それを見て、ぼくのカバンは中身をぶちまけていないことに気づいた。運がよかったのか、彼女の運が悪かったのか。いや、それ以前にぼくは何も持っていない。要するに。
「ど・・・・・・どうしたの? やっぱりどっかぶつけた?」
勇貴さんが心配そうに見ている。
「い、いえ。そうじゃないです。それじゃ!」
ぼくは、くるりと回れ右すると、痛い体を動かして、走り出した。
(カバン、あそこに置き忘れてた!)
「あ! ちょっと・・・・・・」
勇貴さんの声はぼくには届かなかった。


「行っちゃった。」
わたしは何故だか大急ぎで走り出した男の子を見送って、呟いた。
そこに一人残されて、あらためて自分の制服の砂を払う。
「ミスったなー、いたの全然気づかなかった。あの子めちゃくちゃ吹っ飛んでたけど、大丈夫だったかなぁ。大丈夫とか強がってたけど、顔色悪かったし。・・・・・・でもちょっとかわいかったな・・・・・・」
思い出す。あの制服は、桜ヶ丘中学校のものだった。2年生の自分と大して違わない体格だったし、制服も体に合わず大きかった。多分1年生じゃないかな。
「あれ、なんて読むんだったろ。ヒメイロかなあ。」
ネームプレートに書かれていた名前『姫色』。ま、もう会うこともないだろうけど・・・・・・ちょっともったいなかったかな。と、彼が吹っ飛んだ芝生に何気なく目をやる。体育の100mを14秒で駆け抜けるわたしの体当たりを受けて、よくぞ大丈夫などと我慢できたものだ。・・・・・・そんなことを思いながら見ていると、緑の芝生に、黒い何かが落ちていた。
「ん? なんだアレ。」
わたしは近づくと、その黒い何かを拾い上げた。薄っぺらい皮のような・・・・・・たぶん財布。彼が落としたものだろうか。
「あっちゃー。・・・・・・まぁ、わたしの責任だよねぇ。悪いことしたなぁ。でもたこ焼きが・・・・・・」
あの屋台は、そんなに遅くまでやっていない。彼を探して今から見つかる保証はない。どうする・・・・・・そうだ、そもそも彼が吹っ飛んだところに落ちていたからと言って、彼のものであると決まった訳ではない・・・・・・その線はかなり濃厚だけど。そう自分に言い聞かせるけど、やっぱそうだよなー、という結論。
「この中に身分証とかあればいいけど・・・・・・。ま、許して、ごめん。」
財布を開けてみる。外側には小銭入れがあったけどそこは無視。財布の中には、千円札が二枚。レシートが数枚。それと、
「あった、身分証! ビンゴ。この写真は・・・・・・やっぱりさっきの彼か・・・・・・そりゃそうだ。それにしてもかわいいなぁ。目も大きいし、女の子にしても気にならないよこれなら。あぁもう! ・・・・・・じゃねーよ。っと、ごめんね。なになに、『姫色 空』へぇ、これできいろって読むんだ。1年1組・・・・・・空くんか。しょうがないなぁ、もともとわたしが悪いわけだし、探して返してあげるか。あの体だし、そう遠くへは行っていないはず。急がないと。とりあえずまっすぐ行って、あのでっかい木まで行ってみよ。」
わたしは自分のカバンに空くんの財布を入れると、ロックをかけて走り出した。


空は最初こそ走っていたものの、やはりそれほど体力が続かず、とぼとぼと歩き出した。
「まぁそんなに大事なものが入ってるわけでもないし・・・・・・、名前も入ってるから誰かが拾ったら届けてくれる・・・・・・といいなぁ。」
楽観的に考えてみることにして、ゆっくり歩いてみた。並木道を出て、芝生にできた細い道を歩く。
あの大きな樹が見えた。回りには誰もいない。さすがにこの時間になると、この辺りにはもう子供の姿もなくなる。遊具のある広場なんかにはまだまだ残っているだろうが、ただ木しかないこの辺に来るのはもっと早い時間だ。来るとすればお年よりのじいちゃんや、散歩の人とか。でも、今日は誰もいない。
空は少し安心して、樹に近づいた。さっきまで自分が寝ていた樹の根元に、自分の手提げカバンがある。ほっとして、つぶやいた。
「よかった、あっ」「いた――――!」
空の声をかき消して、女性の声が聞こえた。
「わ、誰?」
驚いて振り返る。そこにはさっき自分をぶっとばした女の子、確か勇貴さんがいた。
「あ、さっきの・・・・・・どうしたんです?」
空は言いながら自分のカバンを拾い上げた。勇貴さんは空のそばまで駆け足で来ると、言った。
「どうしたも何も、何か忘れたもの無い?」
空は驚いて、彼女の顔を見た。
「! そうなんですよ、すごいですね? どうしてわかったんです? ぼくがカバンを忘れてきたって。」
彼女は、へ? と空が示したカバンを見て、
「違う違う、たぶんもっと大切なもの。っていうかカバンも忘れてたのか! 危なっかしいコだなぁ。・・・・・・はい、コレ。」
そう言って彼女が差し出したのは、黒くて薄っぺらい財布だった。
「あ! それは・・・・・・」
空は見覚えのある財布を見て、制服のポケットを探る。無い。
「ゴメンね。確認のためにあけちゃったけど、何も取ってないから。空くんて言うんだ?」
空ははい、といって財布を受け取った。
「ありがとうございます、わざわざ・・・・・・」
「はは、いいっていいって! 元はと言えば、わたしが空くんにぶつかったのが原因なんだから。」
そう言って、笑った。空がそうですか、でもありがとうございます、と中身の確認もせずに制服のポケットに納めるのを見る。海はそれに少し驚いた。
「うわ、ずいぶんとわたしを信用してくれるんだねぇ、まぁ(それはそれで)いいけど。・・・・・・わたし、桜ヶ丘南中学校の2年2組の勇貴 海って言うの。君の身分証見ちゃったから、お返しってわけじゃないんだけどね。よろしくね!」
手を差し出す。
「はぁ、こちらこそ。」
空は幾分か圧倒されながら、海の手を取った。海がぶんぶん振った。
「で、空くんは何でまたこんなところにカバンを?」
手を離すと、海は空に尋ねた。空は正直に答える。
「いや、ぼく、ここで寝るのが好きなんです。それで、今日はたまたま忘れてきちゃって・・・・・・」
空の答えにあきれた表情で、海は言った。
「たまたまって・・・・・・まぁいいや。それより、こんな所で眠るの? 無用心だなぁ。」
「気持ちいいんですよ、ここで眠るの。」
空は、風に揺られ囁く葉ずれの音に耳を傾け、樹の上を見上げながら、続けた。
「いつもこうして葉っぱの、樹の声を聞きながら、ぼーっとするんです。それで、しばらくするとこうして横になって・・・・・・」
空は実際に根元に横になると、目を閉じた。
「目をつむるんです。なんだか、不思議にすごく安心できて・・・・・・気持ちいいんですよ?」
そういう空を見て、海は訝しげに聞いた。
「ホントにぃ? まぁ確かに自然はいっぱいだけれどもさ・・・・・・。」
見上げる空は、もう幾分か夕焼け空で、太陽は西へと沈みかけている。大きな樹の葉は、その光を反射して、その光が葉の緑と溶け合い、奇妙に心地よい色彩を醸し出す。
「どうです? なんだか安心できるでしょう?」
空が閉じていた瞳を開けて、海に問いかけた。
「そうだねぇ、ま、たまにはいいかも。」
そういって、空の隣に寝転がると、カバンを枕にして上を見た。
「さっき見たよりもずっときれいだなぁ。下から見ると。」
降りかかる木漏れ日が、なんとも心地よい。
「ちょっと癖になるかも。」

――――そう、呟いた時だった。
上を見上げる二人に、強烈な光が降りそそいだ。光は夕日の色ではなく、無機質に真っ白で、桜の樹の枝葉を全く無視し、二人を包み込んだ。
「な・・・・・・何コレ! この光!」
「な、いったい何が!」
突然の光に混乱し、状況が理解できない二人に、さらに異変が起こった。
「何か・・・・・・甘いにおいがする・・・・・・」
「ぼ・・・・・・ぼくも・・・・・・でも、この匂い・・・・・・何だか・・・・・・」
強烈な光と、ひどく甘い香りに包まれた二人は――――
意識を失った。


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最終更新:2007年04月02日 13:17