(無題) -- seren 2007-12-03 20:27:08


はたして言語は重要なのだろうか。実際に重要なのは言語でなく言いたい内容だ。

えぇ、思春期前のインナースペースは日本語でできていましたし、そうだと思います。
結局、チエが付くとインナースペースにリアリティをもたせようとして、あれこれ画策するわけです。
その集大成がアルカやアンティスなのかも。

インナースペースにとって重要なのは、「いかに自分を騙せるか」ということ。
自分の中の認識でその世界が真であれば良い。その傍証としてリアリティを求める。
年々チエをつける少年時代。チエをつけた自分を騙すために知識をつけてリアルな世界を作る。
しかし知識をつけたことでさらに余計なチエが付き、別の綻びに気付いてしまう。
それの繰り返しなのですね。



  • 自己欺瞞がしにくい人は大変ね。あと、ついに念願の黒いトレンチコートを購入したのね。なかなか着やすそうでいい買い物だったわね。 -- mitora (2007-12-03 21:47:23)
  • 本当らしさを突き詰めた方が、他者から見ても理性的に納得できるだろうな。それが、自分の心理的な納得を導けるかどうかは別問題だが。自分にとっての現実感を追求した結果、自らが思い描くインナースペースと乖離してしまったら、元も子もない。 -- koreori (2007-12-03 21:51:19)
  • 現実を追求したら、主人公が目的達成前に死亡確定。ひぐらし並みにループで何十回も検証を試みてもことごとく死亡。当初の予定では、主人公は目的達成できたはずなのに、物語の中のリアルな設定に即してみると、どう考えても物理的に無理な無限ループとかいう悲劇もあるかも。そこもまた、話にしたら面白いとは思いますよ。 -- kakis (2007-12-03 21:54:51)
  • だから、お話の世界って神様や魔法使いや超能力者みたいな理不尽な存在が多いのね。なんとか強引にでもやらなきゃいけないもの。でも、『指輪物語』のガンダルフはほとんど魔法らしい魔法も使わないで、知力と腕力だけで乗り切るって、作者はだいぶ綿密な計画を立てたに違いないわね。それこそ何度も何度も思考実験をして、ベストな形になったのがあの物語なのね・・・・。例えば、あそこでメリーとピピンがオークに捕まってファンゴルンの森に行って、エントの行進を実現できかなかったら、ヘルム峡谷の合戦でなんとか勝てたとしても、アイゼンガルドの追加派兵で確実にローハンは滅びたわね。それに、アラゴルンルートにもあそこで分裂しなかったら、先々の決戦はみんな敗北だったでしょうね。それに、最後までゴラムを生かすというルートを取らないと確実にバッドエンド。本当に奇跡的に災い転じて福をなすの体現の物語よねぇ。 -- mitora (2007-12-03 22:04:16)
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最終更新:2007年12月03日 22:04