mida /// / 聖:2 \
sid \ [
vetyolom ] \
リディアの
アティーリや
アルバザードシェルトにおける概念からすると、聖とは神聖だけでなく、穢れなく正義であることも考慮した上での概念で、聖=神=
アルテ・
アルシャ(
アルデ)とは限らない。当然、邪=悪=
テームス・
デームスというわけでもない。神にも悪い者がいるし、悪魔にも情けはある。
アティーリで書かれる悪魔たちは人間や神の視点で初めて悪魔であり、彼らにその自覚はない。あるとすれば人間から見て自分らが悪であるという相対的な自覚のみである。だからこそ
ミダンと
ヴェンシートは聖と共に邪を司る。邪が悪魔を即座に意味しない裏づけでもある \ なお、
ヴェンシート自身は邪悪を司るが、本人は邪悪ではない。
ミダンも聖人というわけではない。司るがゆえに、
ヴェンシートは邪悪に飲み込まれることがなく理性を保つことができ、
ミダンは聖であることに徹せず、行動を束縛されない。このことから、聖邪はひとつの属性であり、どちらにも欠点はあるということが伺える。聖=善とはなるかもしれないが、聖=良と手放しではいえない。もちろん、邪に飲まれればそれは即座に悪だろうが、善にも飲まれ縛られると良くないという考えが受け取られる。飲まれずに善を操り、邪については飲まれずに退けるのが最もであるとされるのだろう \
最終更新:2007年05月25日 18:43