「――僕は、君たちと同じだった」
耳元で囁かれるような感覚に、首筋がぞわりと震えた。
目をあければそこは、だだっ広いコンサート会場、いやドームのような場所。
あたりは一面は真夜中のような暗闇だが、かろうじて、自分と同じように倒れている人たちが他に多数いることがわかる。
「理想があった。夢があった。
書きたいものがあった。紡ぎたい物語があった。
君たちと、同じように」
再び、耳元で囁かれるような感覚。
思わず、ひどく重く感じる上半身を起こす。
だが自分の近くには誰もいない。声の主を探し、周囲を見回した。
「突き抜けるような勢い。しんみりとする雰囲気づくり。思わず息をのむ描写。熱いバトル。
君たちの紡いだ物語は、それぞれに違った方向に、輝いて見えた。
生の歓びを。熱い友情を。魂の激突を。苦悩を。狂気を。――残酷な死を。
君たちが紡いだように、僕も紡いでみたかった」
目を凝らせば、ドーム状のど真ん中、ステージ状になっているその上に、誰ががいた。
全く結びつくはずもないのに、直感する。耳元で囁かれたように感じたのは、そいつの声だったのだと。
「でも――僕は、出来なかった。君たちのように、それらを魅せられるだけの技量がなかった。
僕は、君たちの紡いだ物語を享受するだけの、一人の読み手でしかなかった。
享受し、妄想だけは一人前にするけれど、それを形に出来なかったんだ。
それでも僕は、満足していた。一つの歴史に立ち会っているかのようにさえ、思えていたんだ」
男とも、女ともつかない声。僕、という一人称だけがそいつを男のように感じさせたが、断定することはできない。
誰からも遠くにいるのに、誰に対しても耳元で囁くような、か細いのによく通る、奇妙な声だった。
細身のシルエットは、微動だにせず、台本を読むかのように言葉を続ける。
「そんな僕に、語りかけてきたやつがいた。
僕は驚いた。ファンタジーやメルヘンじゃないんだから。それを夢だと思ったよ。
だが、それは本当に意志をもっていた。そして、僕の心に語りかけてきたんだ。
わかるかい。君たちだってよく知っている――いや、君たちこそがそいつの生みの親だ」
言動は不可解、意味不明。されど罵声の一つも、いや物音ひとつ、そいつの言葉を遮らない。
そいつの声だけが聞こえて、それは、静謐と評してもよかった。
「物語を紡げない僕に語りかけたのは、紡がれなかった物語だった」
そいつは、くくっと喉を鳴らすように嗤った。
「言い換えよう。そいつは、君たちが捨てた、言葉の――物語の破片だったんだ。
様々な理由で――リアル多忙だ、矛盾があった、納得がいかなくて、書き上げられなくて、
――君たちは、紡ぎかけの物語を、いくつも潰してきたんだろう?
それが僕にとって黄金を投げ捨てるようなものだとしても、もちろん君たちにとっては些細なことだ。
でも――君たちが捨てた物語は、紡がれたがっていた」
僅かに陶酔するように、そいつは天を仰いだ。
「僕は、そいつに同情した。
ゴミ箱の中で、メモ帳で眠って、日の目を見ることもなく忘れ去られていく物語のために、涙だって流した。
そいつも、物語を紡げない僕に同情を覚えたんだろう。僕らは、お似合いだった」
そいつは、ふぅと一息ついて、周りを見渡した。
「僕らは、一つになった。そいつは、僕の意識や記憶と同調した。
だから、――細かいことを言うなら、僕という一人称は相応しくないのかもしれないね。
そう、僕らは一つになって、今度こそ、物語を紡ごうと思った。
一つの物語を完成させることができれば、僕らはきっと満足できるんだろう。
でも僕らは知っていた。君たちだって――同じだろう」
そいつは、口端を歪めた。皮肉めいた笑みだ。
闇の中でも、誰もが、その表情を想像できた。
邪悪で純粋な、ませた子供のような――。
「我々は、殺し合いという舞台でしか、物語を紡げない」
声を発することはできなかったが、息を呑む音が幾重も重なった。
雰囲気に呑まれつつあった思考が、ようやく正常に戻るにつれて。
今、このシチュエーションが、何を示しているか、この場にいる誰もが、気づかないはずがなかったのだ。
「物語を紡げなかった僕と、紡がれなかった物語。
君たちと、君たちの紡いだ物語たちへの羨望は、僕らと君たちをこの場に誘い込んだ。
僕らは、君たちと、君たちの紡いだ物語の破片を繋いで、それを僕らの物語にする。
だから、告げることは一つだ。下世話な説明なんて、不要だろうからね」
そいつは、一呼吸おいて、告げた。
静寂の中、その言葉だけが宙に浮いたように――。
「君たちには、殺し合いをしてもらいます」
【主催 ――『物語を紡げない者・紡がれなかった物語』】
最終更新:2013年04月07日 18:28