1586年 九州征伐


耳川で大友軍に大打撃を与え、沖田畷で龍造寺隆信を討取った島津軍は、九州制覇を果たさんと北上を開始、北九州に覇を唱えた大友宗麟を豊後に追い詰める。島津軍の猛攻の前になすすべない宗麟は、豊臣秀吉に救援を要請する。秀吉は島津軍に講和を命じるが、島津義久はこれを拒否。秀吉本隊の来攻前に九州統一を果そうと、さらなる攻勢をかける。ここにおいて、秀吉はようやく九州遠征を決断。先鋒として中国・四国の諸大名に出陣を命じるのであった。


有力大名

豊臣家:安東、結城、宇都宮、徳川、上杉、徳川と同盟。

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島津家:鍋島家と同盟。

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大友家:キリシタン大名。島津に連戦連敗して秀吉に救援を請う。

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徳川家:言わずと知れた江戸幕府三百年の開祖。

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北条家:関東の雄。豊臣家との関係は険悪。
最終更新:2007年01月17日 22:18