1583年 覇王の後継者


明智光秀の突然の謀反により織田信長は本能寺に散った。
その後、羽柴秀吉との戦いに敗れた光秀は敗走中に死亡。光秀を討ったことにより後の清洲会議でも立場上優位に立ち、信長の嫡孫である・三法師を跡継ぎにすることに成功する。織田家筆頭家老・柴田勝家は清洲会議で秀吉の城・長浜城,信長の妹・お市を娶る。だが長浜城に置いた養子の柴田勝豊が秀吉に寝返ったため両者は決裂。勝家は信長の三男・織田信孝,滝川一益と結び秀吉との戦を決意する

有力大名

羽柴家:天下統一に最も近い大勢力。

柴田家:秀吉の天下統一最大の敵。

織田家:信長の死後、急速に弱小化している大名。

徳川家:柴田羽柴両家に与さず、黙々と関東制圧している。
最終更新:2007年02月08日 16:32