『魔法屋書店』と書かれた木造建築の店内で、俺は一心不乱に書物を立ち読みしていた。
…やはり今後の為にも…回復魔法は会得するべきだよな…。
低レベルなものでも、会得していれば姐さんが怪我をした時などに応急処置だけでも出来るようになる。
やはりあるのとないのでは大分違うだろう。
俺は息を吐き出し、『超簡単☆闇魔術特集~Vol3回復魔法~(初級編)』をパタンッと閉じる。
…呪文は頭に叩き込んだ。
魔力の練り方も…多分完璧だ。
しかも都合のいいことに、足元(俺に足は無いが)には『丁度いい感じに怪我をしたネズミ』が転がっている。
…よしっ…。
『イマコ・ネミヘ・クオヨット…大地の恵、トヨウケヒメ!』
俺は呪文を唱えた。
………。
……………。
…………………。
………………………何も起こらない。
「ちゅー?」
ネズミは傷口をペロペロと舐めながら俺を見る。
…くそっ…次だ次!
『イマコ・ネミツ・テゴオ…命を紡ぎし者、オオゲツヒメ!』
………。
……………。
…………………。
………………………やはり何も起こらない。
「お客さん、買うの?買わないの?」
フと横を見ると、本屋の店主が俺を見ていた。
『………』
俺は黙ってちょうど持っていた数枚のコインを店主に渡す。
「毎度あり」
ローブのフードで顔は隠れていたが、店主は笑っていたに違いない。
『イマコ・ニト・メク…供応の神、ウケモチ!』
…やはりネズミの怪我は治らない。
「ちゅぅうー?」
ネズミは傷口を舐めながら小首を傾げる。
何故だ…。何がいけないんだ…!?
「ちゅーちゅー」
ネズミは前足をパタパタとさせた。
…何だか励まされているようで、返って気分が悪くなった。
赤い目をして、白地に黒い斑の小さなネズミは、日が暮れるまで俺に付き合ってくれた。
…で、結局………。
「ナワウモリウ…」
ポゥッ…と淡い光に包まれて、ネズミの怪我が治る。
「まったく…」
モモは少し冷ややかな目で俺を見た。
「黄泉君、あんまりネズミさんみたいな小さな生き物にメーワクかけたらダメじゃないの」
…ガキに窘められるとは、俺も堕ちたものだ。
………恥を承知で言おう。
俺は疲労でぶっ倒れたのだ。
「ちゅ?」
ネズミはマジマジと俺を見る。
『…やはり俺に…回復魔法は合わん…』
俺は溜息と共にポツリと言った。
結局、俺は回復魔法をひとつも会得しないまま、姐さんの家へと帰った。
「黄泉、おかえりー」
姐さんがパタパタと玄関まで小走りで来る。
「…ってあれ?そのネズミどーしたの?」
姐さんは小首を傾げた。
振り返ると、あの斑ネズミがいるではないか。
『…なんだ貴様、付いて来てたのか…』
…こんな小動物の気配も読めんとは…いよいよ堕ちたな、俺。
「ひょっとして黄泉のこと気に入ったんじゃないの?」
姐さんはフフッと笑う。
『…馬鹿言わないで下さい』
そのようなことがあるわけない。
そもそも一個生命体を名乗る権利があるのかすら怪しいこの俺が小動物に好かれるなど…あるわけがない。
ところが姐さんはフフッと微笑んで
「私は別にいいよ、そのネズミ飼っても」
などと言い出す。
「ちゅぅう?」
『………』
姐さんとネズミを見比べて、俺はハァッと溜息を付いた。
結局、ネズミは俺の傍から離れようとしなかった。
「随分懐かれたのね」
姐さんはさらさらとネズミの絵を描きながら言う。
『…そうですか?』
「うん。きっとこのネズミちゃんにも黄泉のいい所が分かるのよ」
…俺のいい所とは何処なんだろうか。
「ちゅうー」
ネズミは俺に擦り寄ろうとして、地面に頭をぶつける。
…馬鹿か、俺は粒子の塊。擦り寄れるはずがなかろう。
「…ちゅう?」
「黄泉、ネズミちゃん困ってるでしょ」
『………』
姐さんに言われたのなら仕方が無い。
俺は粒子を結合し、凝結させ、固体化した。
「ちゅう」
ネズミは俺に擦り寄った。
『………』
………。
…悪い気はしないな。
ネズミが苦しみだしたのはその夜のことだった。
喉を掻き毟り、激しく悶え、ネズミは辺りをのた打ち回る。
『お…おい!お前…ど…どうした!?』
「黄泉ー、どうしたの?」
姐さんがタオルで頭を拭きながらひょっこりと顔を出す。
『あ…姐さん…そ…それが…こいつが…!』
「………!?」
姐さんはバッとネズミに駆け寄り
「…黄泉、『キメラマウス』って知ってる?」
急にこんなことを言い出した。
『知りません』
正直に答えると姐さんは
「ネズミってね、白ネズミと黒ネズミが子供を作っても、灰色ネズミが生まれるだけで、斑にはならないの」
と続ける。
『…え?』
でも、目の前でのた打ち回ってるネズミは斑だ。
白地に黒斑のちっぽけなネズミだ。
「…キメラマウスってのは色素の違う皮膚細胞を移植したネズミのこと。…つまり、この子は多分どっかの生物実験用のネズミってことね、白地の体に黒い皮膚を移植されたのよ」
…それで合成獣(キメラ)か。
「生物実験用のマウスには色々と種類がいるらしいけど…多分この子、病原菌の調査用でもあったのかもしれないわ…」
姐さんはネズミの足に付いたタグを俺に見せる。
「ほら、識別用の札…」
そして姐さんはポツリと
「生物実験が必要っていうのは分かるけど…やっぱり辛いよね…」
と呟いた。
…つまり、何か?
このちっぽけなネズミは、下らん『実験』とやらのせいで死ぬ運命にあるわけか?
ふざけるな。
『姐さん、ちょっと失礼します。すぐ戻りますから』
俺はひょいっとネズミを頭に乗せて、姐さんの家を飛び出した。
『アカサ・リフト・モィ…我、契約を欲す…ヨモツヒラサカ…!!!』
即席で描いた魔法陣の上にフワリッとネズミが浮かぶ。
『…汝、我と契約を成すか?』
ネズミは濁った赤い目でこちらを朧げに見つめる。
『…まぁ…つまりその…なんだ…』
俺はネズミを見上げた。
『お前、俺と「トモダチ」にならんか?』
まったく、俺らしくも無い話ではあるのだが。
何も言わずに、ネズミが微笑んだ気がした。
小さな首を動かして、ネズミは一度だけ頷いた。
『…契約…成立だな』
ゴゥッと一陣の風が舞う。
闇がネズミを包み込んで、やがて収まった。
ぽとりとネズミが魔方陣の上に落ちる。
『…おい、大丈夫か?』
問いかけると、ネズミはひょいっと起き上がってフルフルと体を震わせ、俺を見た。
『名目上、お前は俺の使え魔となったわけだ。一般のネズミとは格段に体力も違うことだろう…。もう痛みも無かろう?』
『はい』
ネズミは小首を傾げて微笑んだ。
『ありがとうございまチュ。ゴチュジンチャマ』
ネズミは俺に飛びつこうとしたらしい、が再びすり抜け地面に落下する。
『勘違いするな。「使え魔」というのはあくまでも名目であって、俺とお前は「トモダチ」なんだ。あとはお前の好きにしろ』
『じゃあゴチュジンチャマのことをゴチュジンチャマと好きに呼ばせてもらいまチュね』
『………』
そう来たか。
『勝手にしろ』
俺はそっぽを向いた。
『はい、勝手にしまチュ。ところでゴチュジンチャマ』
『なんだ?』
『僕…名前が欲しいでチュ』
『…名前?…名前か…』
その手のことはどうにも苦手だ。
敵の分析はすぐ出来るし、戦局を読むのも得手分野なのだが、未だに『名』の持つ意味や、そこに込められた『心』というものを理解するのは得意ではない。
困りかねてフッと目線を上げると山が目に付いた。
すでに春の陽気が漂い始めているが、山の頂には未だに雪が残っている。
しかしその頂にもそろそろ春が来るのか、すでに一部に地面が見え始め、まるでこのネズミの肌のように白地に黒斑が浮かんでいるように見えた。
…あのようなのを確か…
『…斑雪…』
俺はポツリとつぶやいた。
そうだ斑雪だ。
あの景色の名は確かそれだった気がする。
『…そうだ…貴様の名はハツレ…「斑雪」だ』
『ハチュレ…でチュか?』
ネズミはしばらく「ハチュレ…ハチュレ…」と繰り返して、気に入ったのか顔をパァッと輝かせた。
『気に入ったか?』
『はいッ!』
『そうか…なら良かった。ほら帰るぞ。きっと姐さんが心配している』
『了解でチュ!』
町の香は 花一色と なりし日に
斑雪なる 山の頂
その日を境に、アド宅にまた一人(一匹)居候が増えたとさ。
<了>
黄泉君のお話。
斑雪は「はつれゆき」と読みます。
普通に変換しても出てきませんが、漢字源とかには載ってます。
最終更新:2010年02月19日 15:16