宵闇に紛れ私は村外れの神社へとひた走る
ただひとつの目的を果たす為に
ただひとつの目的…そう、この腐敗した絶望と怨念が渦巻く世界を終わらせること、そしてその後望むままの闇の世界を創り出すこと
その為に邪魔な存在を消し去ること…それがオロチとして覚醒した私の役目
無警戒なその館への侵入を易々果たした私は、その長い長い廊下を進み一番奥の部屋へ忍び入る
そして部屋の中央で静かな寝息を立てて眠るその者の喉元に刃を当てた
雲の切れ間から月の明りが差し込み、その者の顔を照らす
「!?」
まだ若い、幼い子供のような寝顔…その娘の顔を見て私は瞬間怯んだ
「この…娘は…」
甦る幼い日の記憶…そうか、そうだったのか
(果たしてあなたひとりでこの役目果たせるかしら?)二の首の意味ありげな言葉が響いてくる
「すべてお見通しだったというわけか…」
私も嘗められたもんだ あの者達にはまだわからないらしい…オロチとしての私の力を
世界を滅ぼした後に唯一無二の創世王となるべくこの私の力を…
まあ、いい すぐにそれを証明してやる
「だ、誰?」気配を感じた娘は目を覚ました
「騒ぐな…すぐに済む 私はお前の命を貰いにきたオロチ衆のひとり…」
「あなたは…」
私は懐剣を振り上げた
「静かに永遠の眠りにつくがいい…陽の巫女よ」
その瞬間…眩しい光が私の目を刺す
「くっ…」背中を激痛が襲う
身を引き裂かれるような痛み…私の意識は遠のいた
戦乱が続くこの時代…
一部の愚かな者達による権力闘争…殺し合い奪い合いを続ける日々
多くの罪なき民が巻き込まれ、家を焼かれ財を失いそして死に果てた
悲しみ怒り絶望のみが支配する生き地獄のような世界…
私は10の年に全てを失った 両親を殺され、財を奪われ、家を焼かれた
私はただひとり生き残った…
生きる術を失った私は同じような境遇に置かれた孤児等と共にオロチとして生きる道を選んだ
こんな腐敗した世界などいらない
愚かな人間どもを排除し、自分達の思いのままの世界を創り上げてみせる
例えそれが闇の世界であっても構わなかった
全てのものへの復讐だった…
もう何日も食べ物を口に運んでいなかった
孤児となった私を助けてくれる者などもう誰ひとりいない
皆が自分の命を守るのに精一杯なのだ
私は今にも崩れ落ちそうな廃寺の中でひとり、近く尽き果てるだろう命の刻を刻んでいた
「大丈夫?しっかりして…」
薄れていく意識の中で私は幻を見た
私を覗き込むひとりの少女
「お腹空いてるんでしょ?これ…」私は少女が差し出した握り飯を夢中で頬張った
「おいしい?」
「うちの下男がね、この寺には狸が住み着いてて夜な夜な人に化けては悪さしてるって言ってた」
「でもあなた狸じゃないわよね」少女は笑った それはお日様のような笑顔だった 幻などではなかった
それから少女は毎日私の元に通ってくれるようになった
食料を持参し、新しい着物を与えてくれた
体の汚れを落とし、少女に髪を櫛で梳いてもらった私の姿は以前の薄汚い孤児ではなくなっていた
「あなたとても綺麗な顔してるのね」水溜りに映る変わり映えした私の姿に少女は喜んだ
そして私達は仲良くなった
毎日のように野を駆け花を摘み、戯れ合う日々…
生きる希望を失くしていた私に差し込んだ一筋の光
こんな腐敗した世界の中で私を暖かく照らしてくれるお日様
私の生きる支えだった
「ほら、あそこに見えるのが私の家よ」高い木の上から見下ろす里の風景
少女は一際大きな屋敷を指さして言った
成る程、この里一番の有力な豪族の娘ということか
「ね、家に行きましょう あなたを屋敷で住まわせてくれるように父上様に頼んであげるから」
私は引っ張られるようにして少女の屋敷へと連れてこられた
嫌がる素振りをしたものの内心はとても嬉しかった
この娘とずっと一緒に居られる…そう思うと心は高鳴った
「あっ、あれが私の父上様よ」
縁台に立つその男の顔を見て、私の心は瞬時に凍りついた
あの顔…忘れもしない…
我が家に押し入り、一族を惨殺し、火を放った無頼の集団
父と母の胸に剣を突き立てた頭領と目されるその男
私は襖の陰からその一部始終を見ていたのだ
鬼のような狂気な形相をしていたその男が今、目の前にいるのだ
「どうしたの?」
私は手を伸ばしてきた少女を振りほどいた
涙が一筋流れ出た
「…せない…許せない…許せないっ!!」私は叫ぶ
驚き竦んでいる少女に私は言い放った
「殺す…再び会う時には必ず殺す お前達一族を全て滅ぼすっ」
「待ってっ…」私は少女の元から去った
何もかもに決別をつけた瞬間だった
こんな絶望と悲しみを味わうくらいだったら、あの日あのまま死んでいた方がどれだけ楽になれたことか
地を這い、辛酸を嘗め尽くすような日々を送り、私は自らオロチになる事を望み、そして叶った
同じ想いを共にする仲間と出会い、彼等と共に神無月にオロチが完全復活する日を待ち続けた
オロチの完全復活に最大の障害となる、巫女の存在も突き止めた
後はその巫女を殺し、儀式を遂行させればいいだけだ
こんな腐った世界ももうじき浄化される
あともう少しで…世界は終わるのだ
「気づかれましたか?」
ぼんやりと目覚めた私の顔を心配そうに覗き込む顔…
昔にもこんな光景があった…そうか、あの娘が陽の巫女だったのか
憎んでも憎み足りないあの来栖川の娘、姫子…
「何故…助けた 私はお前を殺しにきたのに…何故生かしてる」
「あなたは…オロチではないから」姫子は私の手を取り言った
「あなたは私と同じ使命を受けたもの…剣の巫女だから」
「ふっ」私は笑った あまりにも馬鹿馬鹿しくて声を立てて笑った
「何て戯けた事をっ オロチである私が巫女であるわけがない」
「これを…」姫子は私に手鏡を渡した
そして私を立ち鏡の前まで連れてくると後ろ向きにさせる
「何をするつもりだ…」
「証を…巫女の証を見てください」
するりと着物が剥がれ、背中が露になった
「あっ…」
恐る恐る手鏡を翳した
くっきりと背中に浮かぶ月の証し…
「嘘だ…こんなのは嘘だっ」吐き出すように言う私の目の前で姫子は胸元を開いて見せた
白い胸元に浮かぶ陽の証し…
「感じてください…巫女の力を」姫子は私の手を取り、自分の陽の証しを触らせる
暖かな鼓動が伝わってきた
「違う…私はオロチになった 自ら望んでオロチに堕ちた この世を消し去る為に…全てを滅ぼす為にっ」
「ぐっ…」再び襲う激しい背中の痛み
私は前のめりに倒れ込んだ
「しっかりして」姫子が抱きとめる
「巫女の力があなたの中のオロチと戦ってるんです…だから耐えて…」
優しく包み込むように抱きしめてくれる
「お願い…一緒に戦って…オロチなんかにならないで…」
背中の痛みからようやく解放されて起き上がれるようになった頃には、もう日が暮れかかっていた
枕元に置かれた一輪の花…幼い日に花摘みをしたと同じ…
私はいいようのない感覚に襲われ、懐剣を掴むと部屋を飛び出した
(殺す…あの娘を殺す)
庭から聞こえてくる楽しそうな笑い声
(こんな時に何とも悠長なっ)
私が庭に飛び出ると、姫子は幼い子供達に囲まれて遊んでいた
どの子もみすぼらしい格好をしている…孤児なのか…以前の自分をみているようだった
「はい、そろそろご飯の時間ですよ さあ、みんな手を綺麗に洗ったら乙羽さんのところに行ってお手伝いしましょうね 今日はみんなの大好きな栗のご飯だよ」
わーいっと子供達が歓声を上げて走り出す
「千歌音さん…」姫子は懐剣を手にしている私を見て悲しそうな顔を見せた
「こちらへ…お見せしたいものがあります」姫子は私を離れにある一室へと案内した
「どうぞ中へ」板張りのその部屋には神棚が祭られており、その下に行李がふたつ置かれてある
「これを着てください」姫子は行李の中から巫女服を取り出して私に渡した
「アメノムラクモを復活させる儀式に必要なものです 霊力を高める為のものです」
「私が…これを素直に着るとでも思っているのか」
せせら笑うように言う私に姫子は真剣な眼差しを向けて言った
「私の命を奪うのは…オロチを倒してからでも遅くはありませんよ」
「…」
「オロチ衆はあなたを利用しようとしているだけです 月の巫女でもあるあなたの強大な力を恐れて、今は味方につけているだけです
その方が彼等にとって都合が良いからです…あなたの力が弱まるのを待っているからです
私を亡きものにした後、力が半減したあなたを必ずや攻撃するでしょう」
「馬鹿な…そんな事あるわけが…」
「あなたが…自分の思うままの世界を創り出すことはオロチに組みさなくとも出来る事
オロチを倒した後に世界を再生すればいい…巫女であるあなたには再生する世界を選べる権利があるのですから」
「それは…本当か?」
「はい…邪神八岐大蛇を滅ぼす剣神アメノムラクモを復活させ、巫女の力によって月の社へと封印する
そして巫女は輪廻を約束され、自分の望む形の世界の再生が行える
私達巫女と神々との間の契約です 延々と続く…」
「もし…あなたが…この世界を許せないと思っているのなら…あなたにとっては悪い話ではないはず…」
「そう…そうだな 悪い話ではないかもしれない」
「だから…私と共にオロチと戦ってください そして…戦いが終わった後、私を…私を殺してください」
その日空を覆った黒い月 負の月…闇の世界への序章
そしてオロチの復活の時…
闇夜の中で蠢く気配…「誰だっ」
「あらあら、やっぱりあなたじゃ無理だったかしらね」
「二の首か」
「まだ陽の巫女を殺せていないじゃないの やっぱり情が移ったかしら」闇の中から姿を現す七つの影
「ふっ…全員集合とは大袈裟だな」
「月の巫女として覚醒してしまったからには我々にとってはあなたは都合の悪い存在となった
死んでもらうしかないわね…まあ、あなたが抱きつづけてきた強大な負の情念のおかげで予定よりも早くオロチの復活がなされたわ
それには感謝しなくちゃね」
「なる程…ただ利用されていたという事か」
私は刀を抜いた
「わたしたちとあなたは相容れぬ関係…永遠にね そんなあなたに唯一無二の創世王なんてなられたら困るのよ
だから…死になさいっ」
オロチの攻撃
激しい衝撃を受け私は屋外に吹き飛ばされた
「千歌音さん!!」姫子が駆け寄ってくる
「逃げてっ…森の中の洞窟に…奥に祭壇があります そこが儀式を行う場所です 早くっ」
「あらあら陽の巫女まで都合よく…ならふたり仲良く死になさいっ」
姫子の陽の証しが光り、オロチ達の攻撃を跳ね除けた
「さぁ、今のうちにっ」私達は走った
オロチの激しい攻撃をかわしながら…
私達はいつの間にか手をしっかりと握りあっていた あの昔のように…
私達は洞窟に辿り着いた
「ここは結界が張られているので、オロチが侵入することは出来ません
でも時は迫っています…早く復活の儀を」
長い長い階段を登り、祭壇に着く
「さぁ、これを」
姫子が持参した巫女服に着替える
蝋燭の明りが揺れる中、姫子の白い肌がとても神聖で美しく思えた 胸が高鳴った
「千歌音さん?」「あっ…」
慌てて目を逸らした私に姫子が近づいてくる
「血が…血が出てる」額から流れる血を優しく拭きとってくれる姫子
薄汚れていた私の顔を拭いてくれたあの時と同じだ…忘れかけていた匂いを思い出していた
長い祝詞を繰り返し、アメノムラクモを復活させる儀式が続く
不思議な感覚だ 初めて挑む事なのに違和感が少しもない
そう、遠い遠い昔にも確かに…経験したことのある…
「千歌音さんっ集中して」
体を貫く痛みに耐えながら、凛とした姿の姫子はとても美しく思えた
(姫子…あなたは何故…そこまで…)
凄まじいばかりの光の雨が降り注ぎ、天を衝くような轟音の後、私達の目の前には二本の太刀が姿わ現した
「ハァハァ…陽の巫女の太刀、月の巫女の太刀です…成功しました 良かった」
息も絶え絶えに、でもお日様のような笑顔を見せる姫子
「姫子…あなたは何故、ここまでして…それが巫女としての運命だからなのか?」
「この…世界を救いたいから 大好きな人たちが生きているこの世界の為…」
「こんな腐った世界のどこに救う価値があるというのだ 騙し合い、殺し合い、奪い合うだけの醜い世界なのに」
「そんな悲しい世界でも…一生懸命に生きてる人たちは沢山いる 神社にいるあの子達も…そう、親を殺され家も無く身寄りも無く、でも頑張って生きている、笑顔を見せてくれる、私を慕ってくれる
この私を…私が全てを奪った来栖川の娘だと知っても…」
「…!?」
「父は…多くの罪を犯してきた父は死にました 私以外の一族もみな死にました…天罰が下ったんだと思います
でも、わたしだけが生き残ってしまった…私は…何も知らずにぬくぬくと生きてきた私は…父の罪を自分の罪として、みんなに償おうと決めました
あの館にいた者たちはみんな父の犠牲になった人たちばかりです だから屋敷に引き取り一緒に暮らしているんです…でも」
姫子はぽろぽろ涙を溢した
「そんな事で罪が消えるわけでもない…傷ついた人々の心が救われるわけでもない
あなたには…同じように傷つけしまったあなたにはまだ何もしてあげられていないっ
ずっとずっと恨んでいたのでしょう?殺したいと思っていたのでしょう?だから…オロチを倒した後に私を殺せばいい…それがあなたの復讐であり、望みなら構わない」
「ただ…ひとつだけお願いがあります」
「…」
「あなたは私を殺した後、自分の思うままの世界を再生する その時にあなたと同じ悲しい想いをしてきた人達も幸せになれる世界を選んでください
罪を背負った私の居ない世界を…」胸が…胸が痛くなった 何故?
「私は…私の思った通うままの世界を再生するだけだ…あなたの指図は受けない」
刻が来た
暗黒が広がる空にオロチの集合体である邪神八岐大蛇が姿を現す
私達はアメノムラクモに乗り闘いを挑んだ
大地が砕かれ山が崩れる 人々は闇に呑まれ消え去った
悲惨な…この世の終焉
これが私望んでいた結果…なのに心は激しく痛んだ
姫子は泣きながら戦っていた
私は振り上げた拳の先に一体何を見ていたのであろうか?
そして激しい戦いの後…オロチは消え去った…
「さぁ、最後の仕事です 月へ…月の社へ行きましょう」
月から見る地球の姿は赤黒く澱んでいた
「哀しい…とても哀しい色…」姫子は呟く
「でも、あなたが正しい世界の再生を行えば、地球は元の美しい星に戻ります」
「さぁ…」ゆっくりと振り返り姫子は両手を広げた お日様のような笑顔だ
「私達の最後の仕事…巫女の命を巫女の手で懸け、供物として捧げ、オロチを社に封印する最後の仕事…
そしてあなたの…復讐の想いをやっと遂げられるこの時…どうぞ私を殺してください」
そうか…そういうことだったのか
神々との契約に隠されていた結末…私は知らなかった
姫子は全てを知っていた…知っていた上で…
太刀を持つ手が震えた
「さぁ…オチロを封印する…時があまりありません…あなたは世界の再生も行わなくてはなりません…さぁ、早く」
姫子は静かに目をつぶり佇む
「あっ…ああーっ」この想いは何だろう 熱くて苦しくて哀しくて胸の奥で渦を巻いている…私は何かに突き動かされるように飛び出した
次の瞬間、私の太刀が姫子の体を貫いていた
鮮血が飛び散り、ガックリと膝を落とす姫子
「あ、ああっっ…姫子」
「千歌音さん…ありがとう」
私の腕の中で血の気がひいていく姫子の顔色…しかし笑っていた
「お願い…オチロも私もいない…優しい世界を選んで…あなたなら、そうしてくれると信じてる…」
「だ、駄目ーっ 姫子のいない世界なんてやっぱり嫌だっ…私は、私はずっと…」
姫子の手が伸び私の顔を抱き寄せた
「あなたが好きだった…あの頃は楽しかったね…ずっとあのままで居られたら良かったのに…あなたに逢えて嬉しかった…」
私の中で閉じ込めていた想いが溢れ出た瞬間…私は姫子に出逢った時から彼女に恋をしていたんだ
叶わぬ想いだから、恨む事で自分の気持ちを誤魔化そうとしていただけではないか…
「姫子…姫子…」口から血を流す姫子に最初で最後の口付け
一瞬、姫子が微笑んだように思えた
しかし…もう彼女が再び目を開ける事はなかった
私は泣いた…姫子の亡骸を抱き泣き続けた
(剣の巫女の一方の命が尽き オロチを社に封印する刻がきた)
(月の巫女、そなたは陽の巫女の魂の力をもって世界の再生を行うことが出来る)
(さぁ…あなたの望む世界の再生を行うがよい)
私の犯した罪は決して消える事なく、私を苦しめ続けるだろう 永遠に…
負の情念に侵され、一番大切なものを失ってしまった
大好きだった、愛して止まなかった人を月の社に閉じ込める結果になってしまった
私は迷った…迷い続けた
輪廻転生の本当の意味を知った今、私は迷う
この世界を破壊し、自分の思い通りの世界を創る事だけを望んだが為に愚かな間違い
私は…私は…
再び姫子の存在する世界を願った
姫子が望んでいた、オロチの居ない正しく優しい世界
弱い者が幸せに笑って生きられる世界…
私はそんな世界を望んだ
例え、この先どんなに苦しんだとしてもまた姫子に逢いたかった
(姫子…私…待ってるから あなたに再び逢えるまで…ずっと待ってる…)
遠い…遠い日の私の贖罪 永遠に消える事は無い…私の想い
~END~